扨、長らく続いた過去編も此処いらで終わりにしようじゃあないか。過去編を長々とやり続けるのは作品の迷走と人気の低迷を招きかねないからな。僕の語る此の話が人気かどうかは置いとくとしても、彼女に関して――谷河流に関して語る可事が其れ程多くはなくなってきたのも一つの理由だ。
そんな僕達の物語は、最初に述べた通りの失物語だ。故に、幸せな結末は無く、曇天返しも無く、劇的でも無い。僕達の普通の物語は、普通に悪い結末を迎える事になる。其れは当然の帰結であるとも言える。普通の僕達には普通の物語が用意されており、そして、異常でもある僕には非情な結末が待ち受けているのである。普通に不通な、一般的だが逸般的な、普遍的で不変的な、異常であり異状な僕達は始めから噛み合う事はなく、然して其れに気付く事も無く緩やかに終焉を――いや、終演を迎えるのだ。悲劇と言うには陳腐で、喜劇と言うには救いのない、下らない三文芝居の幕を降ろそう。喜劇すら満足に演じきれない哀れな狂公子は滑稽劇に徹する他無く、大根役者の汚名に甘んじつつも安価で陳腐でちんけな芝居を続けるしかないのである。
然し、大仰に言った所で此れは所詮猿芝居だ。観客を退屈させるだけの劇に価値は無い。成らば、此れは僕の独り善がりの独り語りの独り芝居という低俗で碌でも無い笑劇だろう。其れではご覧あれ、愉快痛快とは程遠い、不快後悔の物語。
初めての不思議探索から四ヶ月が経とうとしていた。此の四ヶ月の間、特筆して語る可事はなく、穏やかで緩やかな日々が流れていた。僕達の活動に新規参入者はなく、週に二、三回程の不思議探索を行い、空振りに終わっては『風見鶏』で僕が菓子と珈琲を奢ると言うお決まりの流れが出来ていた。夏休みには其の頻度は少しは上がりはしたものの、受験生たる僕は――と言うより内部進学が絶望的であると自己判断した僕は、大学受験の為に勉強を本格化しなくてはならなかった為、毎日と言う事にはならなかった。無人島に行ってみたいだの、映画を撮りたいだの無茶を言い出す谷河を宥め賺しつつも僕達は楽しく日々を過ごしていた。谷河に関しては想像の範疇を出ないが、少なくとも僕は楽しかった。数年振りに出来た友人と他愛も無い事を話してみたり、宛もない探し物をするのが確かに楽しかったのだ。
そんな僕達に、決定的な問題が生じたのが此の時期である。夏休みも終わり、冷夏と言われた其の年の熱気を取り戻すかの様な、厳しい残暑の続く九月の前半。冷夏冷夏と報道では騒ぎ立てつつも、夏が暑い事に変わりはなかったと言うのに、其の上で残暑も厳しいのではやっていられないと辟易し乍ら自転車で通学路の山道を登る新学期。其れは何時もの有り触れた愛す可日常の一つではあったのだが、其の日の放課後に僕は、常とは異なる行動を取ったのだった。常とは異なるのは異常である。異常と言うには大袈裟だが、常には非ざる非常と言っても大仰に聴こえる。取り敢えずは、少なくとも無常では無いだろうと言う事だけは言える程度の言語知識しか持ち合わせていない僕の戯言だ。
此の四ヶ月、谷河は欠かさず僕を高等部の校舎迄迎えに来ていた。初めは何事かと奇異の視線を向けていた周囲の人間も、一ヶ月、二ヶ月と過ぎる度に慣れていき夏休みを挟んだとは言え四ヶ月も経つと日常の風景として其れは溶け込んでしまっていた。僕は終礼が終わると共に直ぐに校舎を出ている心算なのだが、何か不思議な力でも働いているのか、常に彼女の方が先に其処に居たのである。然し、其の不思議な力と言う物は偶発的で、どうやら必定の物では無かったらしい。何故なら其の日、彼女は其処に居なかったのだから。
珍しい事も有るものだと内心驚きつつも、偶にはそう言った事も有るだろうと奇妙な納得も有り、唯茫乎と彼女が何時も立っている辺りを眺めていたのだが、不意に思い立って歩みを進める事にした。足が向くのは中等部校舎の方角。そう、偶には僕から谷河を迎えに行っても良いのでは無いだろうかと思ったのだ。
中等部の校舎は総合棟を挟んで真反対にある。同じ敷地内に大学部も有るのだが、其れは其れでまた別の入口と管理棟が設けられていて、中高等部の面々とは関わりが少ない。兎も有れ、広い敷地を持つ我が学舎に嘆息し乍ら、からころと自転車を押して中等部に向かう。途中で擦れ違う事も有るかも知れないと思い、辺りを見回し乍ら歩いていたのだが、結局は谷河の姿を見付ける事無く中等部の昇降口付近迄辿り着いてしまった。そして、其の場で待つ事数分、昇降口から出てくる中等部生達の奇異の視線を耐え続ける僕の前に遂に待ち人が現れる。其の待ち人たる谷河は、僕を見付けると一瞬はっとした様な表情を浮かべて、直後に不機嫌な表情になると、ずんずんと僕の近く迄歩いてきた。
「やあ、谷が……」
「ここには来ないで」
きっぱりとした拒絶の言葉。彼女から此処迄強く拒絶されたのは初めてだったので、少しばかり眼を白黒させてしまう。そんな彼女の表情は、何時もの不機嫌さとはまた違い、表情は陰を帯び、顔色は少しばかり青褪めている。良く見ると、僅に潤んだ瞳が泳ぎ、落ち着きが無い印象を受ける。彼女の落ち着きが無いのは何時もの事であるが、こうも不安気な彼女を僕は初めて見た。其れは見ているだけで、此方迄もが不安に駆られて仕舞う様な感傷を、胸を掻き毟りたくなる様な情動を、頭を抱えたくなる様な困惑を呼び起こさせる表情で、率直に彼女には似合わないと思った。不図気が付くと、周囲の視線が此方に向いていた。其れは確かに奇異の視線ではあるのだが、僕が先程まで感じていた物とは毛色が違い、生温い気味の悪さを孕んだ――好奇と悪意の入り雑じった不気味な物で、単純に不快感を催す物だった。くすくすと僅に聴こえる忍び哂いが、にやにやとした嗤い顔が、ひそひそと漏れ聴こえる陰口が怖気を誘った。背骨に一本の氷柱を差し込まれて仕舞ったかの様な寒気と、脳髄に熱湯を流し込まれて仕舞ったかの様な熱気が僕を襲う。其れは恐らく怒りだったのだろう。其の不躾な視線に、無遠慮な行動に、無作法な態度に怒りを覚えたのだ。集団と言う圧力が彼女に向かうのを見て――当時の僕が蛇蝎の如く嫌っていた集団と言う悪意を振り撒く、人間強度の低い連中を見て頭に血が昇ったのだ。
何か一言言ってやろうと一歩踏み出した瞬間、谷河の手が僕の制服の袖を掴んで引き留める。僕を引き留めている、震える小さな手を見て幾分か冷静さを取り戻す。そんな彼女の横顔を見ると、蒼白とも言える顔色になっていて、僕を一瞥する事も無く震える唇を開いた。
「……帰って」
「だけど……」
「帰れ!」
突然の大声に周囲の雑音が消える。其れは実際に周囲の人間が黙った所為でもあるが、何より彼女の拒絶の言葉が僕の胸に突き刺さったからだ。物の数秒程度の沈黙の後、周囲の音が戻る――先程より強い嘲笑を引き連れてだ。但し、僕はもう彼等彼女等に何かを言う気は……いや、気力は無かった。他者から向けられた悪意の持った視線や言葉よりも、谷河から向けられた拒絶の言葉が、其の刃が、僕の怒りも気力も安っぽい正義感さえも削り取って仕舞ったからだ。
「……帰りなさいよ……帰ってよ……」
僕の服の袖を握り締め乍ら、弱々しく呟く彼女の姿を見て、僕の胸に後悔の波が押し寄せる。其れは多分、しても仕方が無い後悔だ。故に此の感傷に意味は無く、此の感情を消す事も出来ない。僕の軽率な行動が彼女を傷付けたと言う事実だけが、頭の中に残っていた。今、此の状況は、彼女――谷河流が僕――西緒維新に見られたく無かった光景で、触れられたくなかった事実で、遠ざけていた現実だ。
――谷河流には友達がいない。少し考えれば判りそうな物であるが、間抜けにも僕は其の考えに到ってなかったのだ。大勢の友人に囲まれた人間が、宇宙人や未来人や超能力者を探して遊ぼう等とは思わないし、毎日の様に歳上の、其れも異性を誘って出掛けたりはしないだろう。そう、谷河流は学級で……下手をすると、学年や学校単位で孤立しているのだろう。理由は判らない。いや、もしかしたら、理由なんて物は初めから無いのかもしれない。其れは何時だって理不尽で、此方の都合や感情なんて無視して襲ってくるのだから。そして、孤立した人間が周囲の輪に入る事は殆どない。周囲が迎合しないと言う事もあるが、何より孤立した本人が其の輪に加わる事を拒むからだ。
だから彼女は求めたのだ。
宇宙人を。
未来人を。
超能力者を。
其れは、彼女にとっての救いだったのだろう。僕が嘗て諦め、突き放した其れを、彼女は諦めきれず、存在の不確かな彼等に求めたのだ。其れは、不確定で不鮮明で不安定で不明瞭で不定形で不可解で不透明で不可視で不可侵で不可逆で不穏当で不可測で不可知で不寛容で不覚悟で不完全な物だ。多くの人が当たり前の様に手にしつつも、僕達の様に其れを手にする事を苦手とする人間もいる。何れだけ手を伸ばしても掴めやしないのに、何時の間にか――そう、喩えば、夜の校庭で星を見上げた時とかに、気付かない内に不図、手元に合ったりする。
人は――僕達は其れを“友情”と呼ぶ。
然し、其れが如何に脆い物かを、僕達は知らない……いや、知っているのだ。知らず知らずの内に識っている筈なのだ。そして、素知らぬ顔をしているのだ。
兎も有れ、彼女の表情を見た僕は、僕達の友情の終わりを悟った。彼女の隠し続けた其れは、僕が……いや、僕だけは見てはいけなかったのだ。
一週間、谷河流は僕の前に姿を見せなかった。
一週間、谷河流は連絡が着かなかった。
一週間、谷河流に会おうと足掻いた。
一週間後、谷河流が手首を切った事を知った。
気に食わなかった――彼女の周囲が。気に食わなかった――彼女を貶めた連中が。気に食わなかった――咎めなかった連中が。気に食わなかった――何も出来なかった自分が。
後悔と言う物の多くはしても仕方が無い物である。何故なら其れは、後悔と言う物は選択肢を与えられ、其れを選択した時に発生する。だから何を選択しても後悔する。選ばれなかった選択肢の亡霊だ。其の亡霊は僕達に取り憑き、憑いて周り、また他の亡霊を産み出し、取り込み、肥大化する。
だから、僕は……。
「何処へ行く気だい?」
凜とした、それでいて惚けた様な声。少女の様で少年の様な、中性的な声。気付けば目の前に真っ黒で円筒状の影法師が立っていた。鍔の無い黒い帽子と黒い肩外套、真っ黒の中に浮かぶ白い顔は嘆く様な怒っている様な、左右非対称の何とも奇妙な表情を浮かべていた。其の顔に見覚えがある気がしたが、思い出せない。多分、同級の女子だった様な気もする。だけど、彼女の事は知らないが、僕は此奴を知っている。世界が危機に陥りそうになった時に浮かび上がってくる“奇妙な泡”。
「何の用だよ角野……今はお前の相手をしている場合じゃあないんだ」
僕の科白に対して、数秒の無言の後に影法師――角野浩平は脈絡もなく口笛を吹き出す。此れは彼のいや、彼女か? まあ、此奴に性別なんて有って無い様な物だ。兎に角、其れは角野の癖の様な物である。其れはとある派手好きで浪費家の作曲家が作った喧しい古典音楽。然し、其れは口笛であるが故に、何処か淋しげだった。
「退けよ」
「退かないよ、まだ質問に答えて貰ってない」
質問。角野が始めに言った何処へ行くのかと言う問い掛けに、僕は答えなかった。答える気は無かったし、どうせ此奴は判った上で訊いているのだから応える意味もない。
「判っているのかい? 今の君は世界の敵の一歩手前だ」
世界の敵か……そんな大仰な者になる心算はない。僕程度がなれるのは精々級友の敵程度の者だろう。いや、今から僕が行おうとしているのは社会の敵になりうる行為だろう。無論、其れが表沙汰になる事が有ればではあるが。
「《異能》を使う気だね」
そう、僕の異能力なら、露呈れる事無く彼女の敵を消し去れる。未だ安定したとは言い難い力だけど、人の十や二十程度なら簡単に消し去れる筈だ。但し、其れを行う前に此奴に悟られたのは厄介である。此奴に僕の《異能力》は効かない……いや、此奴には大略《異能力》なんて物は効かないのだろう。だから、純粋にど突き合うしかないのだが、そんな正面切って堂々と、何て物に乗っかってくれる程に優しい奴じゃあない。
「もう一度言う、退けよ。今の僕にとって大事なのは世界の敵なんかじゃあない。僕の唯一の友人である谷河流の敵だけだ」
そう、僕は敵に成りに行くのではない。唯一の友人の味方に成りに行くのだ。其れを邪魔するのなら、喩え相手が命の恩人でも押し通る気概でいるのだ。此の角野浩平と言う人物と僕は少なからず因縁があり、其の強さを僕は良く知っている。然し、其れは身を引く理由には成り得なかった。
「やめておいた方がいい。君じゃあ僕には勝てないし、無駄に歪むだけだよ」
僕は角野を強く睨み付け、闘いの為の構えを取る。無論、格闘技を習っている妹と違って、ど素人の僕の取る構えなど無茶苦茶な物だが、しないよりは愈だろうと言う心持ちで相手に拳を向ける。其れに対して角野は温度を感じさせない瞳で僕を眇ていた。
「……残念だよ」
瞬間、僕の右腕が掻き消える。いや、消えた訳ではない。切り飛ばされたのだ、此の一瞬で。互いに手の届かない距離にいる筈なのにだ。
「ぐ……ああああぁぁぁぁあああぁっ―――――――――――!!」
――絶叫。
自分の口から出たとは思えない程の声量だった。出血。そして、遅れてくる激痛。
血血血血血血血血血血赤赤赤赤赤赤赤血血血赤赤赤赤血血血赤赤赤赤血血血血血赤赤。噴水の様に噴き出る自分の血に視界が染まる。腕を押さえて激痛に耐えていると、視界の端にきらりと光るものが映る。角野お得意の鋼条に因る攻撃だ。相手を拘束する事も、今みたいに相手の身体を切断する事も可能だ。痛みに顔を歪め乍らも強く相手を睨む。
問題ない。腕はまだ動く。僕は角野に向かって走り、右腕を振り上げた。然し、手首に鋼条が絡まり、其の動きが止まる。
「相変わらず、厄介な《異能》だね」
淡々と眉一つ動かさずに言う角野に、僕は悪態を吐きたい気持ちを舌打ちだけで伝えて、全力で蹴りを放つ。然し、其れも角野に届く前に僕の右脚が切り飛ばされる。ならばと左手を振り上げると、左手が飛ぶ。右腕が飛ぶ。左脚が、腕が足首が肩が脚が指が太股が手首が脛が次々切り飛ばされて行く。其れでも僕は前に進む、進める。角野浩平と言う、世界の敵の敵を名乗る僕の敵を睨み付け乍ら時に走り、時に這いずり、時に歩き乍ら前に進む。痛みで意識が朦朧とし始め自分自身の目的も危殆になり始めた頃に、角野の声が冷たく、然し判然と僕の耳に響いた。
「少しは頭を冷やしたまえ」
角野の其の言葉を最後に僕の意識が飛ぶ。最期に視界が捉えたのは、首が切り飛ばされた自分の體だった。
次に眼が覚めた時、日暦の日付は二日後を示していて、
時間は夜中の一時だった。仰向けの視界に映る天井は自室の物では無かったが、使徒と戦う事で有名な男子中学生の彼の名言を呟く気にはならなかった。其の儘の体勢でぼーっと天井を眺め続け乍ら頭の中では色々な事を考えていたが、其の大半は谷河の事で、彼女が今はどうしているのかとかどうにもならない事ばかりが浮かんでは消えていた。怒りに我を忘れて短絡的な行動を取った自分を恥じはしたが、矢張納得はいかないでいた。どうすれば僕は谷河を救えたのだろうか? 其の時の僕はそんな思い上がった事ばかりを考えていた。そう……誰かが誰かを救える等と言うのは思い上がりも甚だしいのだ。人が人を救う事は無く、出来る事は其の手助けだけで、結果的に人は自分で助かる他無いのだろう。此の時の自問自答の中で、漸くそんな簡単な事実の入口に僕は立ったのだ。
然し、其れでも……何かをしてあげたかった。
手を差し伸べたかった。
声を掛けてあげたかった。
啻、友達でいたかったのだ。
然し、哀しいかな機会を逃してしまえば其れすらも難しくなる。知らず泪を流し、日が上る迄眠れなくて、気付けば其の日も傾き始めた頃に見舞いに来た妹に心配されたのだった。
妹に詳しく話を聞けば、どうやら僕は貨物自動車に轢かれたらしい。そう――どうやらそう言う事になっているらしかった。此れ亦随分と都合良く歪んだ物である。但し、都合の良かったのは此れだけだ。僕は谷河に手を差し伸べられず、谷河はそれっきり学校に顔を見せる事は無かった。思い返せば、僕は彼女の事を驚く程に知らなかった。家も、生い立ちも、教室での立場も、誕生日も、血液型も………僕をどう思っていたのかも……。何も知らなかったし、判ろうともしていなかったのだろう。彼女との唯一の繋がりである電話番号等の連絡先も音信不通となっており、彼女の家を調べようにも教師から不興を買っている僕では怪しまれて追い払われて終わりだった。何より、一度途切れてしまった繋がりを結び直す方法が判らなくて、受験を言い訳に僕は彼女から逃げたのだった。
其れっきりで、其れだけの話である。僕と彼女の間に確かに有った何かは、其の何かは正体を知る前に失われてしまったのだ。山も意味もない、落ちすら曖昧な失物語。此れは僕が愉快痛快に活躍する話では無く、深い後悔をする物語だ。
黒齣
以降、現在ニ續ク