今日も時告げ砦はセーズの街に朝が来たことを告げる。
「……む」
第1121号要塞の司令官、藤堂平九郎もまた朝が来たことを知る。
☆
「おはよう、諸君」
「おはようございます。ヘークローさん」
「ん? カナタちゃんだけか」
目を覚まし、素早くカッチリと軍服に着替えてダイニングルームに向かったヘークローを迎えたのは朝ごはんの準備をしているカナタであった。
「なんだなんだ。カナタちゃん以外のみんなはまだ来てないとは、だらしないな」
「ヘークローさんがそれを言うんですか……」
「はっはっは、冗談さ」
カナタが起床ラッパを担当するようになるまでのヘークローの起床時間は午前十一時頃であり、人の事を言える立場にはない。司令官自ら朝礼にすら出席しないのはどうかと思うが、この隊でそのことを叱責する人物は居ない。
彼女たちはもう諦めの境地に達しているのだ。
とは言え、やはり規則を破るのはいかがなものだろうか? と感じるだろう。この小隊において致命的な規則破り、それこそ隊員の命が関わる程のものでもなければこの砦の人たちは気にしないのである。それほどこの小隊は世間一般の軍隊とはかけ離れた場所なのだ。
「何か手伝えることはあるかな?」
「それじゃあ、台を拭いてもらえますか?」
「よし、わかった」
カナタに食卓としてつかわれるテーブルを拭くように頼まれる。台布巾を取り、水でぬらすために水道が使えるキッチンへ向かう。
そこではカナタが鍋の中身をおたまでゆっくりとかき混ぜている姿が見られれた。
その鍋から漂ってくる発酵食品独特の香りにヘークローは覚えがあった。
「味噌汁か。良い匂いだ」
「はい、ヘークローさんはお味噌知ってるんですね。私の地元の郷土料理なのに」
「伝統の料理、工芸品、そして歴史。そういうのが俺は好きでね」
「そう言えば、ヘークローさんはイデア文字も読めますよね。すごいです」
「俺の両親は所謂学者でね、大断絶以前の旧時代を専門に研究してるんだ。親の影響もあって俺もそういったことが好きなんだよね。そんで、そんな親元で育った俺少年が母国語より先に読めるようになった文字はイデア文字だった、とさ」
「それは……ほんとにすごいですね」
ヘークローは幼いころから学者の両親に連れられて国内の土地から土地へと転々としていた。旧時代の残滓というものは国内のあらゆる場所に存在しており、それらを実際に目で見て確かめるためにヘークローの両親は彼を連れて様々な場所へ向かったのだ。
その道中、ヘークローが暇をしたときに聞かされる話はイデア文字で書かれた物語であったし、子守唄は旧時代の書籍に記録としてあったものである。その結果、彼が最初に読めるようになった文字はイデア文字であった。
ヘルベチア共和国の公用語の文字をヘークローが読めないと気がついたときの両親の慌てようは長い年月がたった今でも平九郎の記憶に強く残っている。
「俺は味噌汁好きだから、こんな風に味噌汁をカナタちゃんが毎日作ってくれたらうれしいなぁ」
「ええ!? そ、それって……どどどどどど、どういう意味合いで……」
ヘークローの呟きに顔を真っ赤にしてどもりまくるカナタ。
「おもしろいよね。その土地特有の表現って。その土地の気質と歴史を感じられるから」
「え? ……あっ! からかったんですね!」
「はっはっは」
恥ずかしさで真っ赤にした顔のまま『プンスカ!』といった感じでカナタはヘークローに詰め寄るが、ヘークローはつい先ほど冗談を言ったときと同じような笑い方で答えるだけである。
「もう…… あ、それじゃあこの間私が見つけた本もヘークローさんなら読めますか?」
「ん? ああ、この間の幽霊騒動の時に何か拾ったのかな。じゃあ後で訳してみるか」
「いいんですか? おねがいします!」
ヘークローとカナタがそんな話をしているうちに他の隊員たちもやって来る。
「おはよう。ん? ヘークロー早いな」
「二人ともおはよう」
「おはようございます。ほらノエル、そこの椅子に座って」
「……うん」
上から順にリオ、フィリシア、クレハ、クレハに連れられたノエルだ。
「みなさん、おはようございます!」
「おはよう、諸君」
キッチンから顔だけ出して挨拶をするカナタ。
カナタが作った朝食を次々にテーブルに並べながら挨拶をするヘークロー。
「ヘークローさん、最近早起きで偉いわねー」
「俺は子供か……。ここ最近、寝ていると不思議な旋律が俺の眠気をスッパリ消し去ってくれるから気持ちよく起きられるんだ」
「うう……」
ヘークローが早起きできる理由について心当たりがあるカナタは思わずテーブルに両手をついて落ち込んでしまう。
「それじゃあ、カナちゃんのラッパでヘークローさんが起きなくなったら一つ壁を越えたことになるわね」
「はい! ヘークローさんが起きないように頑張ります!」
「うーん、それって良いことなのかしら。いや、良いことよね? でも起床ラッパとしてそれはどうなの? うーん……」
フィリシアとカナタのそんな会話に違和感を感じるクレハであった。
「それじゃあ、いただきましょうか」
フィリシアの言葉を皮切りに、カナタお手製の朝ご飯をみんなは食べ始める。
☆
「ごちそうさまでした」
ダイニングルームに六人分の声が響く。
「どうぞ、お茶です」
「ありがとう、フィリシアちゃん」
食後はフィリシアが淹れたお茶を楽しむ。
それが第1121小隊の朝のきまりだ。
「あれ? フィリシアちゃん、紅茶は?」
「ごめんなさい、茶葉を切らしてしまって。だから今日は代わりに緑茶なの。今日の午後には補給を受け取りに行くんですけど……ヘークローさん、大丈夫?」
「だ、大丈夫だとも! ああ……大丈夫……俺は大丈夫だから大丈夫なんだ……」
「あの、ヘークローさん。全然大丈夫そうに見えないんですけど?」
いつもと中身が違うティーカップを持ったヘークロの手は僅かに震えている。その様子を不審に思ったクレハはヘークローに尋ねる。
「な、なんだいクレハちゃん。俺がおかしいとでも言うのかい? フィリシアちゃん、紅茶をくれ」
「だから、茶葉を切らしてるんですって」
「そ、そうだったな。ははは……」
いつもと様子が異なるヘークローにカナタ、クレハ、リオの四人は不審に思う。フィリシアは一人呆れた様子でヘークローのことを見ていた。
なお、名前が上がらなかったノエルは食事が終わると人知れず静かに落ちていた。
それはちょっとした事件が起こる日の朝のこと。