第1121小隊の朝は早い。
ラッパ手が起床ラッパを鳴らすのが五時三十分(ヘークローはいつも起きない)。
朝食は六時(ヘークローはいつも食べない)。
朝食の後、隊旗と国旗の前で朝礼(ヘークローはいつも出ない)、砦の掃除(ヘークローはいつも参加しない)、畑の水やり(ヘークローはいつもやらない)が行われる。
一連の朝の仕事が終われば隊員は各々の仕事を行うことになる。しかし、今は小隊に二人の新人隊員がいるため、午前中は彼女たちに対する授業を行っている。
例えば今日なら、
一時限目、ノエル先生のライフル取り扱い初級編
二時限目、フィリシア先生の戦車のお話とヘークロー先生の戦車戦における基本戦術講座(ただし、ヘークロー先生の講座は不定期開催)
三時限目、リオ先生の経済のお話
といった具合になっている。
一コマ約一時間ほどで、これらの授業が終わると十二時から昼ご飯となる。食事は持ち回りの当番制であり、今日はカナタの日だ。
カナタが選んだ今日の昼食のメニューはシチュー。
リオは出来上がったシチューと付け合わせのパンを持って隊長室で執務をしているフィリシアに届けに行く。
一方、カナタ、クレハ、ノエルの年少組は良い天気なので中庭で昼食にすることにしたようだ。
「ヘークローさん、今日は具合悪そうだったね」
「あー、あ? うーん……そういえばそうね。朝も挙動不審だったというか」
スプーンですくったシチューを口に含もうとするのを中断し、カナタの呟きに反応するクレハ。
「さっきお昼ご飯を持って行った時も、少し様子が変だったの」
カナタは思い出す。
それは出来上がった昼食をヘークローが居る司令室に届けに行った時のことだ。
……
「失礼します。ヘークローさん、お昼ごはんですよー」
ノックを三回して入室するカナタが持っているトレーには出来上がったばかりでホカホカのシチューと街のパン屋で買ったパンが乗っている。
「! ああ……カナタちゃんか……。つ、机の上に置いといてくれ」
叩かれたドアに期待の表情が浮かんだヘークローであるが、入ってきた人物がカナタだということに気がついたためか表情は元に戻る。
そのことにカナタは気が付いていない。
「わかりました」
ヘークローに言われた通り食事のトレーを執務机に置いたカナタはもう用事は済んだため部屋から出ればいいのだが、カナタが入室した時以外彼女に顔すら向けずひたすら何かを探し続けるヘークローが気になった。
顎に手を当て、何かを考えながら部屋をうろうろしたと思ったらクローゼットを開け中を物色、サイドチェストの引き出しを上から順番に開けては中を確認し、執務机の引き出しを見てはため息をつく。
カナタがこの部屋に入ってからヘークローはこの動作をすでに二回は繰り返している。
「あの、何かお探しですか? 良ければ手伝いますけど」
「いや、大丈夫だ。個人的なモノだからね。君の手を煩わせることもない。早くみんなと一緒に昼食を食べると良い」
「そうですか?」
ヘークローの不審な行動を見るに見かねてそう尋ねたカナタであったが、ヘークローに断られてしまう。
お腹が減っていることも事実であったため、カナタはこの部屋から出てクレハ、ノエルと共に昼食を取ることにした。
カナタが司令室を出てドアを閉めようとしたその時、ヘークローの呟きが聞こえてきた。
「はぁ……参ったなぁ……アレがないと」
ドアを完全に締め切ってしまったため、聞こえたのはそこまでだった。
……
「って、ことがあったんだよ」
「ふーん、よっぽど大事なものを探してたのね」
ヘークローの異変を話のタネにして三人はお昼を楽しんでいた。
「でもヘークローさん、何をそんなに一生懸命探してたのかしら」
「大事な書類とか?」
「あの人、仕事では致命的なミスとか大事な時にさぼったりとかはしないから違うと思う。まあ、さぼれる時は全力でさぼってるけど……」
クレハのそんな疑問に一つの可能性を提示したカナタであったが、クレハはその可能性は無いと判断する。
「じゃあじゃあ、恥ずかしい写真とか?」
「写真かー。無いとは言い切れないけど、あんまり想像できないわね」
やはりピンとこないクレハだった。
カナタとクレハで色々意見を出してみるが、これだというものは出てこない。そこで、クレハはこの中でヘークローと一番付き合いが長いノエルに聞いてみることにする。
「ノエルは何か思い当たるものはない?」
「たぶん、葉っぱ」
「「葉っぱ?」」
ノエルからもたらされた思わぬ言葉にカナタとクレハはすっとんきょうな声を出してしまう。
「そう、葉っぱ。葉っぱはヘークローくんの精神安定剤」
「え゛……それって、ヤバイやつなんじゃ……」
「大丈夫、合法なやつだから」
クレハの頭の中に自身の上司が麻薬の常習者なのではないかという疑念がわく。
ノエルは合法だから大丈夫と言っていたが、この国にはまだ禁止されてないだけで使うとヤバイ物もたくさんある。ヘークローが探していたものはそれだったのではないかと。
「そ、そういえば、ヘークローさんが不審な行動を取ってたってカナタも言ってたし……午前の講義でも手が震えてチョークで書いた文字がガタガタだったし……ひえー!」
深く考えることが怖くなったクレハはばたりと倒れる。
どうやら考えることをやめてひと眠りすることにしたようだ。
「もしかして、それって紅……」
「……むにゃ……」
ヘークローが探していたという葉っぱの正体に気がついたカナタはノエルに確かめようとしたが、すでにノエルは夢の世界に旅立った後だった。
「ま、いっか」
話すことに夢中になってまだ残っているシチューを空にする作業に戻る事にする。しかし、彼女もまた暖かな陽気に誘われて、残った食事を食べるのもそこそこに夢の世界に旅立つのであった。
☆
所は変わってここは司令室。
執務机の上には中身が無くなって久しい食器が置かれていた。
食べ終わったら食器はすぐに水につけておかなければ汚れがとれにくくなるため、放って置くとフィリシアに小言をいただいてしまうのだが、現在の彼はそこまで頭が回っていない。
そんな部屋の主、ヘークローは椅子に座って一人考える。
(まさか、予備も含めて茶葉が無くなるとは)
彼は小隊の装備や生活必需品等の備蓄の管理は決して怠らない。
そのため、(彼にとって)必需品である紅茶の茶葉も当然予備を用意しているのだが、最近の忙しさもあって補充することを忘れていた。
また、紅茶は彼だけの必需品であり、小隊にとっての必需品と言うわけではないため彼の中で紅茶の優先順位が他の物品に比べて下だったことも原因である。
とは言え、普段の彼なら予備に手をつけた時点で予備の補充を行うものだ。
では、何故そんなことが起こったのか?
最近のヘークローはカナタの起床ラッパによって必要な睡眠時間が確保出来ず、寝不足であった。
カナタにその事を正直に言うことはなかったが、睡眠不足は確実にヘークローの判断力を奪っていた。
(昔はもっと無理がきいたんだが……なまったな。 まあいい。取り合えず、街まで買いに行くか?)
ヘークローは自分の手に目を向ける。
最後に紅茶を摂取してからかなりの時間が経ったヘークローの手は震えていた。それは彼の足にも同じことが言えた。
(いや駄目だ。今の俺が店までたどり着けるとは思えない)
行き付けの茶屋までの考え得る全ての経路を何度シミュレーションしても、イメージの中のヘークローは砦から三キロの地点で行動不能に陥ってしまう。
なお、ヘークローの頭に私用で軍の車両を使うという考えはない。
変なところで生真面目なヘークローであった。
(補給の受領に行ったフィリシアちゃん達が帰ってくるのを大人しく待つしかないか……)
カナタが部屋にやって来てからかれこれ三時間ほど同じ思考を繰り返していた。
いくら考えようが変えようもない事実なのだが、そこをぐだぐだと考えてしまうのがヘークローの悪い癖だ。
だがそんな時、ヘークローは天啓を得る。
(そうだ! 何も店まで行かなくても砦から近い知り合いに茶葉を分けてもらえば良いじゃないか)
その人の家は砦から約一キロ程の所にすんでおり、往復しても三キロを越えない。イメージの中の彼は無事に砦に帰還できていた。
また、幸いなことにその知り合いも紅茶を常飲していることをヘークローは知っている。
(イケる。イケるぞ!)
そうと決まれば後は即行動。
ヘークローは勢い良く椅子から立ち上がり一歩を踏み出す。
「あっ」
だが、待ってほしい。
ヘークローはかれこれ三時間ほど身動きもせず椅子に座っていたのだ。
そんな人物が勢い良く立ち上がり歩こうとしたらどうなるか?
しかも、
「ぬお!」
当然、転ける。
ただでさえ力が入らない足、長時間の着席による痺れ、それに加えて素早く立ち上がったことによる立ち眩みがヘークローを同時に襲う。
(くっ、まさか前提条件が間違っていたとは……)
ヘークローの想定では今の状態でも最低三キロは歩くことが出来るはずであった。しかし、実際は歩き出すことが出来なかったのだ。歩き始めを考慮に入れていなかったヘークローのミスである。
これも睡眠不足による思考力低下のためだろうか。
しかも、完全に倒れてしまったヘークローは起き上がることが出来ない。
「終わった……」
ヘークローはそう呟きゆっくりと目を閉じた。
そんな残念な空間に乱入してくる人物が居た。
「ヘークロー、大変なんだ! カナタが熱を……って、どうした!?」
「……リオちゃん、か……」
リオは倒れているヘークローに気がつくとすぐさま傍に駆け寄ってヘークローの体を抱き起こす。
「おい! しっかりしろ! ヘークローまで……こんな……なんで……」
今時告げ砦にはリオ、カナタ、ヘークローしか居ない。
そんなときにカナタとヘークローが倒れてしまったという事実にリオは狼狽していた。
「……こ……紅……」
「なんだ、何か言いたいのか?」
ヘークローが残りの力を振り絞って出したかすかな声。それを少しでも聞き逃すまいとリオはヘークローの口元に耳を近付ける。
「紅茶……買って来、て……もぅマジ無理……」
「中毒者か己は!」
「ゴフッ」
思っていた以上にしょうもないヘークローの呟きにリオは抱いていた彼の頭から手を放して立ち上がる。すると、当然床から少し高いところにあったヘークローの頭は重力に従って床に落ちるわけで。
それは地味に痛いわけで。
司令室にゴッという鈍い音を響かせながらヘークローは床にうち捨てられる。
「カナタが大変な時に、まぎらわしいことするな! 解熱剤も無いし……こうなったらもう……くそっ!」
「解熱剤がない?」
リオはこの状況を打開する手段をとることに決めたのか、司令室から飛び出していく。
「リオちゃん、解熱剤ならここに……行ってしまった……」
ヘークローとしても尋常ではない様子のリオを落ち着かせるためにすぐに追いかけたいところだが、如何せん足が動かない。
大声を出して呼び止めようとしてもそこまでの大声を出せないうえに、もう声が届くところにリオは居ない。
その後、帰ってきたフィリシアが一番に紅茶を淹れて司令室にやってくるまでヘークローはこのままであった。
☆
「はあ!? 予備の解熱剤が司令室にあっただと!」
「ああ。医療品、水、保存食は非常時のために確保してるんだ。ここは補給が不安定だからな」
驚愕の事実を知って興奮しっぱなしのリオに対して、ヘークローは本日何杯目かもわからない紅茶を飲みながら冷静に答える。
司令室を飛び出したリオは薬を分けてもらうために嫌いで仕方のない教会へ赴いてた。
そこで医療の心得を持つシスターユミナの助けを借りてカナタの治療を行ったのだ。
国の端に位置するセーズの街には鉄道も敷かれていない。そんな辺境の地に数少ない本職の医者は居るはずもなかった。
この街で病気やけがをした場合、基本的に自分で治すしかない。それが無理な場合には教会など、多少の医療の知識を持つ人物を頼ることになる。そして、それでもどうしようもない場合はセーズの街の近くの大きな街まで行って医者に掛かるしかない。
「あれ? 俺言わなかったっけ」
「聞いたことないぞ」
「言わなかったっけフィリシアちゃん?」
「私はヘークロさんがちゃんとみんなに伝えていたものかと」
「うーん、言ってなかったか……それは申し訳ないことをしたな」
ヘークローは素直に謝る。
そして、紅茶を一口飲む。
「ふう……まあ、大事にならなくてよかった」
ユミナによってカナタの状態も落ち着き、今はゆっくり眠っている。
色々あったが、終わりよければすべてよしだ。
「あなたもね、ヘークローさん」
「ああ、全くだ……本当に……」
ちなみに、クレハの『ヘークロー麻薬常習者疑惑』は無事晴れた。
ヘークローの手の震えはもう、収まっていた。