あれはもう大分暑くなってきた頃。時々涼しい日もあるが、基本的に夏服でないと過ごしづらい季節だ。ああ、ちょうど今みたいな感じだったな。
その時、陸軍士官学校の一号生だった俺は来年の卒業・任官を待つ身だった。
そんなある日、学校の掲示板にある募集要項が掲示されていたんだ。
それは近衛師団所属の第一公女の副官の募集だった。普通に考えれば第一公女の副官なんていう大事な役職はその時活躍しているイケイケの超有能軍人が選ばれるところなんだが、公女の強い希望で公女と同い年の士官学校生徒を副官にとなったらしい。
第一公女の副官となればその栄誉は相当なものである。当然、その募集に対して大量の希望者が現れるのは想像に難くないだろう。
『藤堂も当然応募するよな?』
こいつは俺の同期の中でも特に仲が良かった男だ。名前は……まあ、今は関係ないからいいか。
そんな奴の質問に俺はこう答えた。
『俺か? いや、俺はしないよ』
「ええ!? そこはすっごい倍率の募集に応募したヘークローさんが見事採用される流れじゃないんですか!」
予想外の発言だったからか、素っ頓狂な声を上げるクレハ。
「まあ、普通そう思うよな」
「ヘークローさんはなんで応募しなかったんですか?」
第一公女の副官という士官学校の学生なら、いや、もし副官になる資格があるのならばほぼ全ての軍人が希望するであろう立場をヘークローは拒んだのだ。
そのことを不思議に思ったカナタは彼に尋ねた。
「それはな、俺が死にたくないから軍人になったからさ」
「どういうことですか?」
一般的に考えれば軍人という職業は死に限りなく近い職業である。そのため、カナタ、クレハ、ノエルの三人は死にたくないから軍人になったというヘークローの言葉に首を捻るばかりだった。
「俺が軍に入った頃はな、帝国との開戦止む無しって空気が蔓延してたんだ。もうすぐ帝国との戦争が始まる。そうなると年ごろの俺は徴兵される。徴兵された兵士は基本的に最前線でドンパチする一般兵だ。そんなことになるのは御免だと思った俺は徴兵される前に志願して出来るだけいい立場になろうとした。有難いことに、士官学校に入学できる程度の頭と訓練について行けるだけの体力はあったんでな」
「こういうのは失礼だと思うんで非常に言いづらいんですけど……結構不純な理由ですね」
失礼かも~、言いづらい~、なんて言いながらも言いたいことをしっかり言うクレハであった。彼女とて、普通の上官に対してならこんなことは言わない。相手がヘークローだからである。
これもヘークローとフィリシアによる教育の成果といったところであろうか。
「あ、それ言っちゃう? まあ、自覚してるけど。話を戻すぞ。第一公女は当時から国民に人気があってな、彼女の部隊となれば戦意発揚・士気向上のために戦場を転々とすることは目に見えてた。そんな人の副官に不純な動機で士官候補生になった俺が募集に応募しなかった理由はわかったな」
「それはわかりましたけど、それだとヘークローさんは公女殿下の副官にはなれないんじゃないですか?」
「全くもってその通りだな。当時の俺もそう思ってた」
現にヘークローが第一公女の副官であったのは事実である。だが、当時のヘークローは副官になるチャンスを捨てた。これは一体どういうことであろうか?
ヘークローは話の続きを始める。
第一公女の副官の募集も締め切られ、二か月ほどの時が経った頃。
その頃になれば同期の連中も「自分が選ばれたらどうしよう」なんていう取らぬ狸の皮算用も良い所の話はしなくなったし、俺自身その募集についてすっかり忘れてしまっていた。
そんなある日、俺にこんな連絡事項が通達された。
”明後日一五〇〇、三〇三号室に出頭せよ”
周りの同期に聞いても同じような連絡をされた奴は居なかったから、当時は結構不安になったもんだ。
知らないうちに何かやらかしたかと記憶を思い返したが思い当たる節もなかったしな。成績もすごくいいわけでもなく、すごく悪いわけでもなく、言ってしまえば平均だった。
そんな俺が個人呼び出しだ。指定の日時になって指定の部屋の前でドキドキしながらドアを叩いたっけな。
そんで、思い切ってドアを開ける。
そしたらな、居たんだよ。
イリア公女殿下が。
「えー!?!? なんですかその超展開!」
川の水の中に足を入れて涼んでいたクレハは驚きのあまり足を跳ね上げる。足を跳ね上げた拍子に巻き上げられた水が太陽の光を反射してキラキラと輝いている。
遠足中のヘークローたちは疲労回復のため小川で休憩中だ。
「超展開と言われても、事実を並べたらこうなるんだから仕方ないよな」
「それで、続きは……ぶっ」
続きの話を聞こうとしたクレハであったが、その顔に突然水がかけられた。
「あ! クレハちゃん、ごめーん!」
「油断大敵」
どうやら犯人は川岸から少し離れたところで水を掛け合って遊んでいたカナタとノエルだったらしい。
「クレハちゃん」
「はい?」
クレハに水がかけられたということは、その隣に座って話をしていたヘークローにも当然水はかかる。
「やられたら、やり返す。それが俺の座右の銘だ! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
「わー」
「つめたーい!」
ヘークローは全力で川の水をカナタとノエルにかけていく。
手を水に入れて、振り抜く。
手を水に入れて、振り抜く。
手を水に入れて、振り抜く。
ただそれだけの作業を全力全開でこなすヘークローによって飛ばされる水の量はカナタとノエルによるものを大きく上回っていた。
一回り年下の少女たちに全力で水をかけるヘークローの姿ははた目から見ると正しく変態のそれであった、とはクレハの言である。
休憩なのに休憩していないことに気が付いたヘークローは荷物番の役割を全うすることにした。
クレハが裸足で軍靴を履いていることが判明したため、後で靴下を履かせようと心の中で決心したり、川遊びに意外と乗り気なノエルに心の中のでニヤニヤしたりと何だかんだヘークローも休憩を楽しんでいる。
「ん?」
三人の少女たちが水辺で遊ぶ様子を心のフィルムに保存する作業をこなすついでに荷物番をしていると、ヘークローの耳は草むらが揺れる音を捉えた。
「食い物の匂いに誘われてイノシシでも出たか」
そうつぶやくと、近くに落ちていた小石を拾って音の発生源へ向かって投擲する。
飛んできた石に驚いたのか、草むらに隠れていた何かは反対方向へと走って逃げて行ってしまった。
「俺の前で装備品を盗み取ろうとはいい度胸だ、まったく」
下手人を追い払うことが出来て満足したヘークローは再び休憩に入る。
「ヘークローさーん、そろそろお昼ごはんにしましょう!」
「ん、そうだな」
ヘークローが守り抜いた弁当を食べながら、彼は昔語りの続きをする。
『はじめまして、藤堂平九郎くん。どうぞ、そこに座ってください』
あの時イリア公女はこう言った気がするな。如何せん、あまりの衝撃のでかさに扉の前でしばらく硬直してたからよく覚えていない。
『今日私がここに来た目的は、あなたを副官としてスカウトするため』
『じ、自分はあの募集に応募していませんが……』
『ええ、知っています。あなたはあの募集に応じなかった、そしてあの募集に応募しなかったのはあなただけ。だからこそ、私はあなたを副官としてスカウトしたい』
まさか【いいえ】の回答が【はい】を意味すると誰が予測できようか。この時ばかりは俺も皆に合わせて申し込んでおけば良かったと後悔したね。
『自分では公女殿下のお力になるのは難しいかと……』
『問題ありません。あなたの成績には目を通してあります。特に戦術に関しては目を見張るものがあります』
『? 自分の成績はそこまでのモノではないです。もっと成績がいい人物は沢山いますが?』
俺の士官学校での成績は大体平均。
イリア公女が何を思ってそんなことを言ったのか当時の俺はさっぱりわからなかった。
そう思っていたら、公女殿下は数枚のプリントを俺に見せてきた。
『これは過去にあなたが授業で提出した市街地における戦車戦の戦術のレポートの一つです。この授業での模擬戦であなたは相手の戦術を完封して勝利している。藤堂くんはこの戦術を立てたときどう感じました?』
『この時は確か……正直これは負けるかもな、と思ってました』
『そしてこれは別の回のレポート。これは歩兵と戦車の混合部隊の野戦における戦術ね。これはどうでしたか?』
『これはよく覚えています。自分としては最高の出来だと思ったのですが、待ち伏せを読まれて作戦が完全に裏目に出たため惨敗しました』
俺は公女殿下の質問の意味が理解できなかった。だが、公女殿下は話を止めることはなかった。
『なるほどね。このほかにもあなたの戦績は快勝か惨敗の両極端。総合して成績は並。つまりあなたは……』
イリア公女は一息おいてこう断言した。
『逆神の気がある』
目の前が真っ白になった。
作戦を立案する者としてそれは致命的だからね。
『だからこそ、私はあなたが欲しい。あなたのその能力、私がうまく手綱を握ってあげる。そして、あなたのその能力は私を勝利へと導く。私はそう確信している』
その時だ。
その一言だ。
俺も確信した。
この人についていけば俺は死なない、と。
自分でも戦績にムラがあることは気が付いていた。だがこれはセンスが無いからだと考えていた。
もし、それを克服することが出来れば。
あるいは、全く的外れの作戦を逆に利用することが出来れば。
作戦が嵌まれば戦闘に勝てる。
戦闘に勝てれ当然負けることはない。
負けなければ死ぬこともない。
俺はこの人についていこう。
その時決めたんだ。
ちなみに、これは余談だが、
『ところで、どうして応募しなかった人物なんですか?』
『自分で言うのもアレですけど、この条件で応募しない者は相当のひねくれ者。そういう人物をそばに置いたほうが……面白いからね』
だそうだ。
「イ、イリア公女殿下も中々変わった御人だったんですね……」
「ああ、傍に居た俺が一番知ってる。あの人は変わり者だ」
クレハはヘークローの話を聞いてイリア公女のイメージにヒビが入り始めていることに気が付く。ビネンラントの英雄、戦車乗りの神様。そんな風に考えていたイリア公女が実はちょっと変わった人であるという驚きの事実。
そして、この感覚は以前にもどこかで経験したなーなんて……
「これで、俺と殿下の出会い編はお終い。楽しんでもらえたかな?」
「はい! 気づけば最後の監視装置のところまで来ちゃいましたね」
「興味深かった」
「……もしかしたら聞かなかったほうが良かったのかもしれない」
ヘークローの問いに三人の少女たちは各々の感想を述べた。
「皆、お疲れ様」
最後の監視装置の場所にはフィリシアが居た。どうやら先回りをして四人が到着するのを待っていたらしい。
この監視装置の先は人が住めぬ土地、ノーマンズランド。
ここからの眺めは荒涼としていて、寂寥感が漂う寂しいものだ。しかし、その景色を見ているとなんとも言い知れぬ思いが湧き上がってくる。
砦の新人乙女たちは歴代の乙女たちの名が刻まれた監視装置に思いをはせ、その歴代の乙女たちが見た景色を同じように胸に刻み込んでいた。
「……」
砦の乙女だけの空間から少し離れた場所からその様子を見ていたヘークロー。
そのことに若干の疎外感を感じながらも、とても暖かいものを見ているようであった。
「ヘークローさん」
「ん?」
物思いにふけっていたヘークローにフィリシアが近づいてくる。
そして、彼女の一言がヘークローを絶望へ叩き込む。
「私たち、これから温泉に行ってきますので、三人の荷物を砦までお願いしますね」
「ちょっ」
「後ろと前に背負って、両手で持てば行けますよね? お弁当がない分軽いはずですし。あ! 水はもう捨てても構いませんから。それではよろしくおねがいしますね。あと……覗いちゃダメですよ?」
フィリシアは小悪魔フェイスでウインクを放った後、カナタ、クレハ、ノエル、リオを連れて温泉へと行ってしまう。
「……はぁ……帰りますか……」
何だかんだとフィリシアの言いつけ通りに荷物を持って砦への帰路へ着くヘークローであった。
忘れてはならない。
ヘークローの参加はフィリシアによる個人的な罰ゲームだということを。
これまでの時系列で気になるところを修正しました。
題名修正しました(あれは初夏ではない)
話の流れに変わりはありません。