「あれ? なんだ? 今年はみんな作ってるのか」
「あ、ヘークローさん」
炎天下の作業によりかいた汗をタオルで拭きながら砦のリビングルームに入ってくるヘークローを見つけたカナタが声をかける。
「それにリオちゃんまで。どういう風の吹き回しだ?」
「別にいいだろ。私にも色々あるんだよ」
「? そうか」
なによりヘークローが驚いたのはこういった宗教染みた催しに対してリオが参加していることであった。彼女が過去の経験からそういった事をよく思っていないことを知っていたヘークローは驚いたが、そう言った彼女の顔には特別負の感情のようなものは見られなかったため特に気にすることはしなかった。
彼女が宗教に対して、少なくともこの街の教会に対して向ける感情は柔らかくなった原因についてひと悶着があったのだが、ヘークローは知らない。
「お、これは……」
ヘークローはふいに顔を横に向けると、キャビネットに載せられたナスビとキュウリを見つける。
しかし、そのナスビとキュウリはただそこに転がっているわけではなく、まるで何かの生き物を模したかのように割りばしによって4本の足が再現されている。
「へー、
「あ! もしかしてヘークローさんは知ってるんですか?」
ヘークローの呟きにカナタが食いつく。
「ああ、そうか。そういえばカナタちゃんはそっちの出身だったな」
「ヘークローさん! ヘークローさんも死んだ人が帰ってくるなんて信じてないですよね!! それに、地上でうろうろしている幽霊って言うのは悪いものですよね!?」
今から少し前に精霊牛と精霊馬の説明をカナタから受けていたクレハは一人でも多く自分の賛同者を得ようとヘークローに食って掛かるように質問を投げかける。
しかし、忘れて居はいけない。ヘークローという男は意外と信心深いし、迷信も信じているし、なによりそれらの源流をなす文化というものが好きだということを。
「んー、まあそう言った考え方をする地域もあるが、個人的にはフィーエスタ・デュ・ルミエールの考え方は面白いと思うぞ」
「えええ~~~! そんなぁー……」
クレハはヘークローの賛同を得られずにしょんぼりとしてしまう。心なしか彼女のツインテールもしんなりとしているように見える。
「あれ、でも精霊牛と精霊馬、どっちも一緒に置いておくのか?」
「え? どういうことですか?」
「精霊馬は故人のお迎え用、精霊牛は故人をあの世へ送り返すための乗り物だろ?」
「そうなんですか? 私知りませんでた」
今までなんとなく行っていた行事の思わぬ事実にカナタは素直に感嘆の声をあげる。
「ご先祖様がいち早く家にたどり着いてほしいと願いを込めて、キュウリを馬に見立てて、我が家でゆっくりしていただいた後は、名残り惜しい気持ちを込めて、ゆっくり帰ってもらうためにナスを牛に見立てて作るんだ。そんで、さらに正確に言えばフィーエスタ・デュ・ルミエールの期間は大体4日程あって、初日にキュウリを、最終日にナスを飾っておくんだよ。ちなみに、帰りの足を牛にするのは沢山のお供え物をあっちに持って行くためっていう理由もあるな」
「へー、そうなんですね~。知らなかったなぁ。なんだか素敵です!」
ヘークローは自分の好きな話をカナタに話し、カナタの反応も中々よかったために彼の気分は上がっていた。
と、ここまでヘークローが部屋に入ってきたことでワイワイと賑やかに作業していた面々であるが、未だに一言も発さない人物がいた。
普段ならばヘークローの発言に一番食いつきそうな人物が未だに静かなままであるのだ。
「……」
そして、そのことはヘークローも気が付いていた。
「……ッ」
「フィリシアちゃん、そんな状態で刃物を使うと怪我するぞ」
ヘークローはフィリシアが動かす手を掴んで灯篭作りを止めさせる。声をかけるより先に腕を掴んだのはこんな状態で声を掛けたらそれに驚いたらフィリシアが本当に怪我をしそうだと考えたためだ。
「……そうですね。最近夏バテ気味みたいでして……ちょっと休憩してきますね」
「おう、部屋で休んでおけ」
そう言うと、フィリシアはゆっくりとイスから立ち上がり、この部屋から出ていった。
普段のホワホワとしていていながら凛としている彼女の事を知っている他の隊員たちも彼女の様子がおかしいことに気が付いていたようだ。
「フィリシアさん……」
「なんか変ですよね、隊長ってば。ご飯を残したかと思えば、食費の予算を無視してスイカを買ってきたり」
ヘークローは珍しく朝から起きるとすぐに外で灯篭作りをしていたため知らないが、フィリシアは今日の朝食をほとんど食べていない。また、灯篭の材料を買う際にはスイカを買ってきていたりしていた。
「やっぱり私、ちょっと……」
「よせ! 誰にも触れられたくない物はある!」
様子がおかしいフィリシアの事が気になり、後をついて行こうとしたカナタのことをリオは止める。
リオにはなんとなく予想が付いていた。
フィリシアの様子がおかしい理由について。
それは彼女たちの付き合いが新人隊員たちと比べて長いからにある。そして、リオよりも付き合いが長いわけではないが、少しだけ深い付き合いをした彼もまた当然フィリシアの事情について知っている。
「ヘークロー君?」
「わかっている。だが、誰しも一人になりたい時くらい……」
「ヘークロー君?」
「……わかったわかった」
今までの流れで一言も言葉を発さなかったもう人物がもう一人いた。、ノエルである。
部下のノエルに名前を呼ばれただけのヘークローではあるが、彼女が言わんとしていることは彼も理解している。
フィリシアの気持ちを理解できるのは何も知らないカナタやクレハではなく、記録でしか知らないリオでもなく、実情を知っているが所詮同じ地域に居ただけのノエルですらなく、ヘークローただ一人であることを。
部下のメンタルケアも上司の仕事か。
そう思いながらヘークローはフィリシアの後を追いかけた。
☆
ヘークローは「部屋で休め」と言ったし、フィリシアも「少し休む」といったことから彼女が私室に居ると予想し、ヘークローは彼女の部屋へと赴く……ことはなく、ヘークローは1121号要塞の戦車格納庫へと足を向けていた。
ヘークローが格納庫に到着すると、そこには予想通りフィリシアが居た。彼女は修復中のタケミカヅチに手を当て、その装甲を撫でている。
「部屋で休むように言ったはずだが?」
「ヘークローさん」
ヘークローの声に気が付いたフィリシアは振り返り、格納庫の入り口に立つヘークローを見る。
「ノエルちゃんにでも言われましたか?」
「鋭いな」
「あなたは、こういう時一人にした方が良いとか言いますものね?」
「……本当に鋭いな」
ヘークローは自身の考えが部下にすっかりお見通しであることに若干の不安を感じる。
背中に流れる汗は夏の暑さによるものなのかそれとも……。
「なんで今年は灯篭作りをしていたんだ? 去年は見ていただけじゃないか」
ヘークローは去年の今頃の記憶を思い返しながら話す。
去年は1121号要塞の面々は祭りに参加することはなく、見ているだけだった。一方で、今年は他の隊員も巻き込んで祭りの準備をしていたのだ。
何気に細かい変化に敏感なヘークローでなくとも気が付くというものだ。
「まあ、去年は私以上にそれどころでなかった人が居たので」
「う、ううむ……」
フィリシアの発言にヘークローは苦い物を噛み潰したような顔をする。彼にはフィリシアが言ったことに思い当たる節があった。
「今日……」
「うん?」
「あの人に問いかけられた気がしたんですよ」
フィリシアは話始める。
「『生きる意味は見つけたか』って」
「……」
「最近はヘークローさんも元気になって、かわいい後輩たちも入ってきて、毎日がとても楽しいんです」
「良い事じゃないか」
ヘークローはそう言うが、フィリシアの顔は優れない。
「でも、そうやって過ごしているうちに胸の内に浮かび上がってくるんです。私だけがこんなに良い思いをして良いのかって」
「……」
「そう思っていました」
「?」
フィリシアは今までの暗い顔から、少しだけ笑みを浮かべた。
「それで良いんだって。今を生きている私は、それで良いんだって。そうやって私は生きる意味を探していこうって」
「……そうか」
ヘークローは安堵する。
自分が思っていた以上に自分の部下は立ち直ることが出来ていると。
「今年のフィーエスタ・デュ・ルミエールに参加しようと思ったのはこれが良い機会だと思ったからです。だから、これまでの私は今日でおしまいです」
「……ああ。あまり後輩たちに心配はさせないようにな」
もしかしたら何も心配はいらなかったのかもしれない。
そう思ってヘークローは格納庫から去ろうとするが、フィリシアは待ったをかけた。
「ヘークローさん」
「ん? なんだ」
「ヘークローさんは、
「……」
それはかつてフィリシアから問いかけられたことのある質問だ。
その時、ヘークローは何の迷いもなく答えることが出来ていた。
しかし……それなのにフィリシアは再び同じ質問をヘークローにぶつけた。
「……」
そして、ヘークローはその質問に答えることなくその場を去るのだった。
◆
俺と女性兵士、フィリシア・ハイデマン伍長は地下の空間から脱出を果たした。
「君の希望があればこのまま1182小隊に合流してもらう事もできるが……」
「……」
ハイデマンに語り掛けるが、彼女からの反応はない。
まあ、当然だろう。こんなことがあったのだ。
こんな状況からすぐに戦いに飛び込める人間なんていうのはロクな奴ではない。
「今の君には休養が必要だ。その後はしばらく訓練校で勘を取り戻すのが良いだろう。もちろん、そのまま除隊を希望することもできる。少し考えておいてくれ」
「……」
俺は彼女を要救護者が集まるテントに案内した後、次の行方不明者の捜索へと向かおうとした。
だが、その前に彼女に一つ伝えておくことがある。
「ハイデマン伍長」
「……はい?」
「再訓練課程を終えた後、その気があるのなら俺の所へ来い。人事には話を通しておく。俺は、いつまでも待っている」
それだけ言い残し、俺はテントを出る。
彼女が一発の銃弾を強く握りしめていることには気が付いていた。
◆
今日の夜、セーズの街を流れる川は光であふれた。
住人たちが流した灯篭の光によって川の形が浮き上がっているように見える。
ノエルを除く1121号要塞の隊員たちは各自が作った灯篭を持ち、川に流そうとしていた。
「フィリシアさんは誰を送るんですか?」
「昔の同僚と、とある兵隊さんを一人。私に大事なことを気付かせてくれた恩人にね」
カナタとフィリシアがそうして話している時に、一人だけ少し離れた場所に立っている少女が一人いる。
それは、一人だけ灯篭の作成も行わず、この場でも灯篭を持って来ていないノエルであった。
「ヘークロー君」
「うん?」
ノエルの傍にはヘークローが立っていた。
「フィリシアは……乗り越えたのかな……」
「さてな……彼女は隠し事がとても上手だからな」
そのくせこっちの隠し事はきっちりと暴いてきやがる……
そんなことをぼやきながらもヘークローは続ける。
「でも、一つの区切りを付けようと思ってるのは確かだ」
「……そう」
朝から暗い表情をしていたノエルの頭にヘークローは自身の手を乗せる。
「一人で背負い込むな、前にもそう言ったはずだ」
「でも、これはボクの問題だから……」
ノエルの声は未だに暗い。しかし、ヘークローの行動を拒否するような仕草は見せない。
「そうか……それなら、今はフィリシアちゃんの心の手助けをしてやってくれ」
ヘークローはノエルの頭にやっていた手を背中に回し軽く押し出してやる。
ノエルはその勢いを受けてフィリシアの下へと向かっていく。
「フィリシア……」
「もうみんな……なんてかわいいの……」
カナタ、クレハ、そしてノエルを抱いたフィリシアの目元には涙が浮かんでいる。
フィリシアにとっての生きる意味は、ここにあるのだ。
そんな様子をヘークローは静かに眺めていた。
☆
灯篭を流し終えた住民たちは死者の魂があの世へ帰るのと同じようにそれぞれ自分の家へと帰る。
そんな中、ヘークローは他の隊員達を先に砦へと帰し、自分だけは河原に残っていた。
「……」
先ほどまで見渡す限りに光があふれていた川は、全ての灯篭は下流へと流れて行ったために今は暗闇と川の水が流れる音だけがそこにある。
「……」
ヘークローの手には未だに川に流されることが無かった灯篭が一つ。
灯篭には『過去と、今。全ての英雄たち』と記入されている。
ヘークローは割れ物を扱うようにそっと灯篭を川へと流す。
その瞬間、彼の目には先ほどセーズの住民達が流した灯篭の数にも引けを取らない程の灯篭が川を流れて行く光景を幻視した。
ヘークローは祈る。
全ての灯篭が川を流れきるまで。
ヘークローは祈る。
全ての灯篭がヘークローの目から見えなくなるまで。
「ヘークローさん」
「……先に帰るように言ったはずだが?」
河原にしゃがみ込み、祈り続けているヘークローに声をかけたのはフィリシアだった。
「私はこういう時、誰かと一緒に居た方が良いと考えているので」
「……そうかい」
それは昼間の意趣返しだろうか。
ヘークローとは違う考え方を示したフィリシアは彼の横で一緒に座り込んだ。
二人の間にその後会話は無くなった。
ヘークローはひたすらに祈り続け、フィリシアは何も言わずにただその場に居る。
しばらくして、ヘークローの中の灯篭はすべて川の先へと流れたのか、祈りを止めて立ち上がる。
「帰るぞ。夏とはいえ、ここは水の傍だ。長居すると風邪をひく」
「そうですね」
それに続くようにしてフィリシアも立ち上がり、二人して砦へと足を向ける。
「ヘークローさん」
「ん?」
少し先を歩くヘークローをフィリシアは呼び止める。
「まだ、
「……」
ヘークローは何も返事を返さないが、構わずフィリシアは続ける。
「だけど、あなたが生きている意味があなたに無くとも私にはあることを忘れないでくださいね?」
フィリシアは首にかけているペンダントを胸元から手繰り寄せると、ヘークローへと見せつける。
「……敵わないなぁ」
「ええ」
そのペンダントは銃弾の形をしていた。
「弾をそんな風に加工してしまうともう使えないぞ?」
「ふふふ、そうですね」