フィリシア・ハイデマンは第1121小隊の小隊長である。
彼女は容姿は金髪のロングヘア、メガネをかけた美人。
常におっとりとした印象で、彼女と軽く関わったなら十人中十人が優しいお姉さんという印象を抱くことだろう。
また、彼女は(彼女の上官もだが)日常生活で隊のメンバーが互いを階級で呼ぶことを禁止したり、自らが率先して軍規に緩い雰囲気を作ろうとしたりと、おおよそ軍人らしからぬ優しい立ち振る舞いが多い。
そんなフィリシアは今、司令室で第1121小隊に新しく着任する新人と面会を行っていた。
「本日付で第1121小隊に配属されました、
黒髪をツインテールにしている少女、クレハは教本通りの敬礼とともにフィリシアに対して着任の挨拶をする。
「第1121小隊小隊長のフィリシア・ハイデマン少尉です、よろしくね。それと、この隊では階級は抜きよ、クレハちゃん」
「え、えぇ? あ、はい!」
フィリシアの思わぬ発言に彼女は気が抜けた返事をしてしまう。
しかし、砕けた態度を要求してきたとはいえ、自分が今話している相手は少尉である。上官である。
今までの常識から考えれば、上官に対して気の抜けた態度をしてはボコボコにされてしまう。そんな考えが脳裏をよぎり、姿勢をビシッ! っと正してからフィリシアに返答する。
「あ、そうそう。この第1121号要塞の司令官を紹介するわね。名前は藤堂平九郎。階級は少佐よ」
「へ? 藤堂平九郎少佐って、
「そうよ、あなたが考えている通りの人物よ」
「うわー! こ、光栄です! 藤堂少佐の部隊に所属出来るなんて!」
さっきまで新しく自分の上司となる人物を前に緊張しっぱなしだったクレハであったが、フィリシアからもたらされた思わぬ情報に彼女のテンションはぐんぐん上がっていく。
「ほら、そこに居るから挨拶するといいわ」
フィリシアはクレハに後ろを見るように促す。
「わわっ! いらっしゃったんですか! 失礼しま……し……」
クレハがヘークローの存在に気がつかなかったのは仕方のないことだろう。
これから着任の挨拶をしようというクレハはガチガチに緊張しており、司令室のドアを開けたら真っすぐ前に居るフィリシアのことしか見ていなかった。また、ドアを閉める時も彼が座っているソファの方を向くことはなかった。
そしてなにより、彼女がヘークローの存在に気がつかなかったのはヘークロー自身が自分の存在を主張しなかったからだろう。
いや、出来なかったと言った方が正しいかもしれない。
「……すぅ……すぅ……ンゴッ……」
ヘークローは司令室の唯一の出入り口であるドアの真横に配置されたソファで寝ていた。
クレハが入室するときのドアの開閉音にも気付かず、彼女の元気で快活なこれぞ新兵といった挨拶にも気付かず寝ていた。
ソファのひじ掛けには頼らず、自身の手で頭を支えて横になっている姿はまさに毎日の仕事に疲れて眠ってしまったオヤジである。
「彼がヘークローさんよ」
「え……」
いつの間にかヘークローの傍まで来ていたフィリシアはソファでだらしなく寝ている男のことを確かに藤堂平九郎少佐だということを示している。
自身が尊敬する軍人の一人であるヘークローのだらしのない姿を見て固まってしまう。
「ほらヘークローさん」
「ん゛ッ! な、なんだ!?」
フィリシアはヘークローが頭を支えていた腕を素早く手で払う。
そんなことをすれば当然、手で支えられていた頭は重力に引かれて落ちるのが自然の摂理。
物理法則は何時の時代どこでも変わることはない。
期せずして頭が落ちた(断頭的な意味でなく)ヘークローはさすがに目を覚まし、自分が置かれた状況の確認をした。
「新任の
「ああ、そうか……もうそんにゃ時間か……」
まだ寝ぼけているのか、ヘークローは呂律が回っていない。
あくびを噛み殺しながら後頭部をボリボリと掻いている彼の姿を見れば見るほど、クレハは今まで抱いていた藤堂平九郎少佐のイメージ像が音を立てて崩れていくのがわかった。
「あー、司令の藤堂平九郎だ。よろしくなクレハちゃん」
「ア、ハイ。ヨロシクオネガイシマス」
ずっと尊敬していた憧れの人。
しかし、実際に実物に会ってみるとただのだらしない軍人だったのだ。
クレハの目に光はなく、話す言葉に抑揚はない。
「それじゃ、後はフィリシアちゃんに頼んだ……ふあーふぅ…… おやすみぃ~」
もはやあくびを隠すこともしなくなった彼はクレハの対応をフィリシアに丸投げ、もとい一任して再び夢の世界に旅立った。
今度は頭を落とされて昼寝を邪魔されないためにソファの肘掛けに頭を置いて寝始めた。
「それじゃあ、小隊のみんなの紹介と基地の案内をするわね」
「はい……」
「すごいところに飛ばされたなぁ」と考えながら、クレハはフィリシアに連れられ司令室を出ていったのだった。
ソファで寝るヘークローだけが残された司令室に彼の寝息だけが響く。
☆
「んん…… ん? いっ
ソファで長時間寝ていたためにすっかり固まってしまった体を解きほぐすヘークロー。
腰の辺りからポキポキとこぎみ良い音が聞こえてくる。
「よく寝たな……」
司令室の窓から差し込む西陽が「もうすぐ一日が終わるぞ」とヘークローに訴えかけてくる。
「遅いお目覚めですね、ヘークローさん」
「フィリシアちゃん……」
そこには、ティーカップに紅茶を注いでいる最中のフィリシアが居た。
スプーン一杯の砂糖と少しのミルクを加えたらスプーンで軽くかき混ぜる。ミルクティーが完成すると、フィリシアはヘークローへとカップを持っていく。
ヘークローの方もソファに座り直してミルクティーを受けとるために体勢を変える。
「どうぞ」
「あんがと」
フィリシアが淹れたミルクティーを一口飲み「ふー」っと、一息つく。
「今日は随分お疲れですね」
「昨日の夜、我が隊の新人ガンナーに支給するライフルの整備をしてたんだけど、やってくうちに気分が乗ってきてね。気付いたらいつの間にかパーツの一つ一つを磨いてたんだよねぇ」
ライフルをバラしてパーツを磨いては組み立て、仕上がりを確認しては気に入らない点が見つかる。その部分を処置して仕上がりを確認しては気に入らない点が見つかる。以下無限ループを繰り返し、何とか妥協できる所まで来たときには時告げ砦の乙女が始業を告げるラッパを吹く時間になっていたのだ。
「変なところで凝り性なんですから」
「ほっとけ。それよか、寝ている上官を使って新人ちゃんの緊張を
「あら? クレハちゃんが入ってきてた時点で起きてたでしょう? 私はヘークローさんの意を酌んだんですよ」
「……」
ヘークローはカップに口をつけて何も言わない。
フィリシアはそんな彼の様子を見ていつものニコニコ顔である。
「俺にも威厳と言うものがあってね……」
「そんなもの、三日もすれば安いメッキだと言うことがクレハちゃんにばれちゃいますよ。クレハちゃん、ヘークローさんの事を尊敬してたみたいですし、実態を知ってショックを受けるなら早い方がダメージも少ないでしょう」
「……」
再びカップを傾けてミルクティーを口に含む。
別に何も言い返せないから紅茶を飲んでいるわけではない。紅茶を飲んでいるから何も言い返せないのだ。
そうだといったらそうなのだ。
「新人に威厳を示したいのなら、まずは滞っている今日の書類を片付けることから始めましょうか」
ヘークローは今の今まで寝ていたのだ。すると、当然今日するはずだった仕事は手付かずのまま残っているわけである。
「……あっ」
再々度ミルクティーを口に含もうとカップを傾けるが、もうカップの中身は空になっていた。
「……おかわりを……」
「ちゃんと仕事をするならあげますよ」
「……はい」
「よろしい。準備してきますね」
フィリシア・ハイデマンは金髪のロングヘア、メガネをかけた美人である。
常におっとりとした印象で、彼女と軽く関わったなら十人中十人が優しいお姉さんという印象を抱くことだろう。
しかし、彼女の事をよく知る人達はこう言う。
「フィリシアは黒いところがある」、と。