ソードアート・オンライン -The Revenger-    作:こもれび

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サチ

 それは壮絶な光景であった。

 向かい合う同じ顔をした二人の少年は、もはや無数の剣の残像のみを残し高速で移動しながら斬り合っている。

 その踏み込みは轟音を響かせて大地を揺るがし、その剣圧は周囲につむじ風を巻き上げる。

 余人に近寄ることを許さないこの高速の戦闘の中、だが、二人の表情は対照的であった。

 必死の形相でコンマ単位でのソードスキルのアタック&キャンセルを繰り返し、無限とも呼べる連続攻撃を繰り出し続けるキリトは、その額に汗をしながら無数の斬撃を放ち続けている。

 対して、対峙するもう一人のキリト……デリンジャーは、圧倒的な速さのキリトの剣の乱舞を紙一重で躱しつつ間隙を縫ってソードスキルを発動、常にキリトを刻み続けるそのワンサイドな展開を進んではいるが、しかし、その表情に先程までの嘲りや侮りの色はなく、ただひたすらに憎悪を募らせた表情のままに剣を振るっていた。

 

「くっ……」

 

 何度目のヒットか……キリトは自身のLIFEゲージがレッドゾーンに突入したのを知覚して、剣を振るいつつ、開いたままにしているコンソールのインベントリからポーションを呼び出し、直ぐ様それを服用。一気にLIFEが満タンまで回復したのを確認すると、再び当たることのない攻撃を相手に向かって竜巻の如く斬撃を放ち襲いかかった。

 いったい何百回剣を振るったのか。

 いったい何度死にかけ、何度ポーションで回復をしたのか。

 それは無限とも言える繰り返しの行為。相手に一太刀も浴びせることが叶わないことを理解した上での、一瞬の油断で命を刈り取られるこの状況で挑み続けるこの行為は、まさに地獄そのものであった。

 

 通常の神経の持ち主ならば、とっくの昔に心が折れ命の灯火を手放してしまっているこの現状にあって、だが、彼は決して諦める選択をしない。なぜなら彼は、戦い続けることでほんの一分、ほんの一秒でも彼の仲間達を生き長らえさせることが出来ることを知っていたから。

 彼は今、絶望の淵にあって尚、仲間の命の為に自分を削る道を選んだのである。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 あの時……

 何もできない俺の目の前でサクヤさんが撃たれ消滅したあの時……

 俺の中に言いようのない苦しさがこみあげるのと同時に、今まで何十、何百と俺の中で繰り返され続けてきた、目の前で死んでしまった『サチ』の死の姿がはっきりと蘇っていた。

 大量のモンスターに阻まれ、近寄ることも叶わなかったあの時、背後から致命の一撃を受けてしまった『彼女』は笑顔で俺に微笑みながら消えて逝った。

 そして今度もまた、光の粒と変わるサクヤさんを、俺は助けられなかった。

 俺は叫んでいた。

 心が悲鳴を上げていた。

 口をついたその言葉は、『やめてくれ』。

 そう、俺は見たくなかった。

 助けられたはずの仲間を、目の前でもう二度と失いたくなかった。ただ、それだけだった。

 俺の力ではもうどうしようもないこの状況。

 俺は、あの時、完全に全てを諦めていた。

 

 でも……

 

「みんなを助けるためには今は行かなくちゃ」

 

 そう俺に微笑みかけてアスナは一人立ち向かって行った。

 それを俺は止めたかったんだ。

 俺には何も出来なかった。

 止めることも叶わないこの状況で、必ず死ぬと分かっているあの場所へ、彼女を一人で向かわせることを止めさせたかった。 

 死んで欲しくなかった。

 もう傷つきたくなかった。

 この世界で何よりも大事な彼女を決して失いたくなかった。

 

 あの時の俺は、誰かを助けることよりも自分が彼女を失うことを何より怖れていたんだ。

 

 ああ、このまま全て無かったことになって欲しい。サクヤさんも無事で、クラインやリズベットも無事で、アスナも無事で……全てが元のまま。そう、これは全て夢で目を覚ませばそこに普段と変わらない日常があるだけ。

 直葉と一緒に食事をとって、学校へ行って、そして仲間達とアスナと会う。そんな日常。

 俺の心は底なしの沼の底に沈んだような、暗く淀んだ真っ暗な世界に囚われてしまっていた。

 

 しかし……

 

 彼女の言葉によって、俺は再び現実に浮かびあがる……

 

「キリト君……、みんなを守って」

 

 笑顔の彼女のその言葉が胸に突き刺さった。

 全てを諦めてしまっていた俺に、そんなことを言って貰える資格はない。

 月夜の黒猫団のみんなの命を奪い、リーファやシリカたちを危険に晒し、今度はアスナまで……。

 誰かを守ろうなんて烏滸(おこ)がましいことを俺はいつだって考え、いつだって宣言してきた。そのために必死になってやってきたはずだった。もし今俺が何もしなければ、彼女はきっとこんな俺の為に全てを(なげう)ってしまうのだろう。

 そんなことは……させられない……

 

 でも、どうしたら……

 

 その時……

 

 不思議なことが起きた。

 

 俺のすぐ側に誰かが居るような気配を感じる。

 全ての景色が消えた暗闇の底で、なんの光明を見い出すことも出来なかった俺の前に、確かに誰かがいる。

 

 誰……だ? 誰なんだ?

 

 光も音も何もない世界……アスナも、デリンジャー達も見えない、分からない暗闇の中……

 俺の正面にはぼんやりとした輪郭で佇みながらこちらに視線を送る存在があった。

 それは虚ろで儚くはあったけど、嫌な感じではない。むしろその存在がそこにあるだけで、俺の心は温められているような癒されているかのようなそんな優しい感覚……

 

 誰……?

 

 もう一度、そう心の内で呟いたその時、唐突にその白い靄は光り輝いた。

 その光は強く強く俺の網膜に直接その姿を映し出してでもいるのか……深淵の暗闇の中に浮かぶその姿だけを俺は認識していた。 

 それは一人の少女……忘れもしない……いや、何度も何度も激しい慚愧(ざんき)の念と共に繰り返し思い出し続けていたあの娘の姿に間違いなかった。

 

 そこに居たのは『サチ』だった。

 

「サチ……? サチなのか……?」

 

 俺のその問いかけに、彼女はにこりと優しく微笑んだ。

 それはいつか見せたあの日の優しい眼差し。

 立ち向かうことが出来ない自分の弱さを知り死の恐怖に怯え続けて尚、俺に向けてくれた優しい微笑み……忘れたことなんかない。

 彼女は音もなく俺へとゆっくりと近づいてくる。そして、優しく語り掛けてきた。 

 

”らしくないね、キリト”

 

「え?」

 

 脳に直接響くような彼女のその言葉に正直俺は動揺する。

 自分は夢や幻を見ている、そんな感覚が確かにあったにも拘らず、目の前の存在はそのような妄想などの類には見えなかった。

 

「君は……生きて……?」

 

 俺のその問いに彼女は寂し気にその首を横に振った。そして言った。

  

”『君は死なない……、俺が守るから……』ってあの時言ってくれたよね、キリト”

 

「ああ……言ったよ。でもごめん、俺には君を守れなかった」

 

 心臓を鷲掴みにされたかのような痛みが走る。俺が彼女に伝えたその言葉。それは彼女をただ安心させたいが為に口を衝いた気休めの言葉。いや、違う。あれは、俺自身が楽になりたいがために使った言葉だ。不安に囚われていた彼女の気持ちを楽にしたかったのは、あの場所を居心地良くしたかった俺自身の傲慢な思いからだったんだ。

 それが招いた最悪の結末……彼女は死んでしまった。

 再び現れた後悔の念で彼女を直視することも出来ない俺の頭を、目の前のサチはそっと抱いてくれた。凍えた俺の心が温められていくのを感じる。彼女は優しく微笑んでいた。 

 

”大丈夫、今度は守れるよ。だって……”

 

 俺の正面に周った彼女がまっすぐに俺を見ながら話した。

 

”キリトはもう、『一人』じゃないから……さあアスナさんを助けに行こう。君ならきっと救える。君にはその力がある。自分を信じて……”

 

 言って、再び立ち上がった彼女の姿が霞み始める。ゆっくりと淡く周囲に溶けていくかのように、微笑みを湛えたままで次第と輝きを弱めていった。

 

「さ、サチ? それって……ま、待ってくれ、サチ‼ 置いて行かないでくれ」

 

 俺は叫んだ。

 彼女に言わなければならないことは山ほどあった。

 もっと謝りたかった。

 もっと言い訳したかった。

 もっといろいろなことを伝えたかった。

 でも、今がその時ではないことも知っていた。

 消えゆくサチが最後にそっと呟く。 

 

”私はいつでもそばにいるよ……私達の心はいつまでも『この世界』と共にあるから……”

 

 輝きはやがて仄かな月明かりの様になり、そして夜空を舞う蛍の淡い光となり、消えていく……

 

 しかし……

 

 確かに俺の中に何かが残った。

 それは決意であり、そして希望。

 過去に囚われ、今を放棄することだけはしてはならないと、そう思えた。

 

「ありがとう……サチ」

 

 目を開いた時……、激しい戦闘の音の中で奮闘するアスナと周囲で怯えるプレイヤー達が目に入った。

 今できること……

 今しなくてはならないこと……

 俺がやれること‼

 

 そう思った時。俺は自分の全ての能力を冷静に理解することが出来た。

 

 ならばすることはただ一つ。

 

 みんなを絶対に死なせない‼

 

 俺はアスナへと駆け寄りながら改めて弱い俺を暗闇から救い出してくれた彼女に感謝した。

 今この時、確かに守られているのを感じながら……




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