ソードアート・オンライン -The Revenger- 作:こもれび
『ギュォオオオオオオオオオオオオオオオオ……』
その空間に断末魔の大絶叫が轟いた。
空気を震撼させるその声は、その場にいた二人の全身を包む。暫くそのままで屹立していたその巨大なモンスターは、ついにはその全身が光となって弾け飛んだ。
ここは第74層ボスエリア、対峙していたのは階層ボスである羊の頭をしている二足歩行の悪魔型モンスター『ザ・グリーム・アイズ』。このモンスターはSAO攻略当時もキリトとアスナの二人がいる状態での攻略をしたこともあり、行動パターンを読んだ上で当時よりもレベルの上がっている身体からの強烈なソードスキルの連撃により、たったの二人ではあったが辛くも撃破することが出来た。しかし、そこはやはり少人数パーティー、前衛に立ち続けていたキリトは全ての攻撃は避けきれず、何度かダメージを受けてしまっていた。
「はあはあ、大丈夫か? アスナ」
「うん、私は平気。キリト君は?」
「ああ、さっきちょっと切られたけどこれくらいなら問題ない」
「ちょっと待って、すぐに回復魔法かけるから」
「ああ、悪い」
そう言った彼女はその手に世界樹の杖を取り出して装備、そして呪文の詠唱に入った。
アスナの周囲に風が舞うようにその衣服がはためく。暫くしてその治癒魔法が完成、光に包まれたキリトはみるみる身体が復元され、そしてLIFEもfullに。
詠唱を終えキリトを向いてにこりと微笑んだ彼女に、キリトは不思議そうな顔を向けていた。
「どうしたの?」
「あ、いや、ありがとう……なんか顔とか髪の色とかアスナのままなのにウンディーネの格好してるのが、その……新鮮で」
「に、似合わないかな……」
言われてシュンと項垂れるアスナにキリトは慌てて手と首を横に振る。
「ち、違う違う……そんなんじゃなくて、どっちかといえば似合ってる……というか、可愛い……というか……」
しどろもどろになってしまったキリトにアスナはその顔を赤らめながら頬を掻く。
「えっと……そう? あ、ありがと」
「うん……」
二人して赤面して少し照れ臭い雰囲気になってからお互いに顔を見合わせてどちらからともなくクスリと微笑んでしまった。
当然だがクラインとリズベットの二人は依然救出できておらず、ゲームも終了してはいない。
だというのに、今こうして二人で居られることで彼らは安息を得ていた。
これが不謹慎なことであることも二人は十分理解していたが、このデスゲームが始まってからというもの、ここに至るまで彼らには息をつく暇さえなかったのだ。ここまでの精神を削るような連戦と、命がけのデリンジャーとの一戦で疲弊しきっていた彼らは、どのような形であれ強敵が消失したことにより安堵していた。しかも、死んだと思っていたサクヤの生存を知らされたことでその気分はかなり上向いていた。
しかし、そんなほんの僅かな安息はあっという間に立ち消える。
ゴーン……ゴーン……ゴーン……
二人の耳に再びあの鐘の音が聞こえていた。
どちらからともなしに手元へコンソールを表示させると、そこに表示されている時間は『17:00』。制限時間である午後6時まで残りあと1時間。
再び張り詰めた表情に戻った二人は頷きあって立ち上がった。そしてすぐさま75層へと進み階層のアクティベートを行う。
これによりこのフィールドが完全に開放された。
遠目に見る古代ローマ風の町並みには次々にNPC達が現れる。そしてその街のさらに向こう……高く
そこにあったのは『
あの戦いは彼がキリトを自陣に引き入れるためのいわば出来レース。当時二刀流を発現させたキリトはヒースクリフへの猛攻に移るも、彼はデリンジャーも使用した『システムアシスト』を使用して高速のキリトの剣を回避、そして一太刀を浴びせられキリトは敗北し彼の思惑のままに血盟騎士団に入ることになった。
それはキリトにとっては苦い記憶であると共に、この世界から脱出するための最後の戦いの始まりでもあったのだと、それを見上げながら彼は感じていた。
これも心の余裕のせいだな……と、周囲を見ることが出来るようになったことを彼は半ば自嘲気味に笑い、そしてそれと同時にあることに思い至ってはたとその足を止めた。
それを訝し気に振り返ったアスナが見つめている。
「どうしたのキリト君、急がないと……もうあと1時間くらいしかないよ?」
「あ……ああ」
返事をしながら走り出したキリトはその周囲をつぶさに観察する。
そこにはたくさんのNPC達が日常生活を送っている。
そう……あの当時と全く同じままの様子、同じ配置、同じ動きで彼らはそこにいた。
それを見ながら彼は隣を走るアスナへと声をかける。
「なあアスナ……アスナはこのアインクラッドのこと、どう思う?」
「え?」
そう問われて彼女も周囲を見渡す。
そして彼へと視線を戻した。
「そうだね……私たちが閉じ込められた時のアインクラッドと本当に『そっくり』だよね。それがどうしたの?」
そのそっくりと言った答えを一度口の中で呟いた彼がアスナを見て話した。
「そっくり……なんだよ……本当にそっくりだ。それは細部まで……NPC達の会話や動きまで……いや『同じ』なんだ……ここはあのSAOのアインクラッドそのものだと言ってもいいくらいに」
「え? ……あ!?」
そこまで言われてアスナはキリトが何を言わんとしているかということを理解する。
そして改めて驚愕した。なぜならそれはあり得ないことなのだから。
キリトは確認するように彼女に言う。
「アインクラッドはあの時、俺とアスナと茅場の目の前で確かに崩壊した。そしてそのデータのほとんどすべてはあの時失われたはずなんだ」
それは紛れもない事実であった。
ソードアート・オンラインの設計者茅場晶彦は、そのゲームの最終目的として『
そのため、当時ゲームを運営していた『アーガス』の本社地下に設置された複数のサーバーに収められていたアインクラッドに関するデータは消失。一部の点検用、作業用などのコピーデータを除いて、オリジナルのSAOのデータは現存していないはずなのだ。
事件発生後アーガスからSAO運営を引き継いだアスナの父の会社・レクトも、手にいれることができたプログラムソースも試作段階のコピーのみであり、それをベースに作り上げられたのが
「確かに……おかしいよね」
アスナも全速で駆けながらそう返す。
途中現れ続けているモンスターは進路を塞ぐものに限り切り伏せ進んでいた。それらのモンスターもまた彼らの見知った物であった。
「ずっとこの世界がSAOと似ているとは思っていたんだ。でも、ここまで再現することは例え
「じゃあ、今いるこの世界を作ったのはいったい……まさか! だ、団長?」
そう思い付いたアスナに対し、キリトは首を横に振る。
「いや、それはないと思う。この世界を作った本人である茅場なら確かにもう一度再現することは可能だとは思う。でも、奴にとっては一度完成した世界なんだ。わざわざ今回このためだけにこの舞台を作りあげるとはとても思えないよ。そもそも今回は魔法も新スキルもなんでもありだ。理解は出来ないけど変な美学を持ってる茅場がやるようなこととは思えない」
アスナはその『変な美学』というところで思わず吹き出してしまった。もし今茅場がこの会話を聞いているのなら、それこそ変な顔になってしまっているだろうとアスナは想像してしまったのだ。
しかし、確かにキリトの話す通りで、例えその能力があろうとも茅場がすることとは彼女にも思えなかった。
それからキリトはアスナが手にする長剣と盾に目を向けてから問いかける。
「アスナは茅場に会ったんだな」
「あ、うん」
言われて自分の装備に目を向けるアスナ。ここまで特に聞かれなかった為に敢えて口にはしていなかったが、彼と対面して授けられたこの装備と神聖剣のソードスキルに関しては彼に隠す気は毛頭なかった。
「キリト君を助けに入ったあのとき、意識がとんで気がついたら目の前に団長が居たの……それでこの装備を譲ってくれたんだけど……なにかあのとき、変なことを言ってたよ? この世界を救ってほしいとか? 『彼女』を助けて欲しい? とか?」
「彼女?」
「うん……確かにそう言ってた。誰のことを言っているのかわからなかったけど、ひょっとしたらあの『リヴェンジャー』って名乗った人と関係があるのかも」
その言葉にキリトは飛びかかってきたモンスターを切り捨てながら少し考え、そしてアスナに向きなおった。
「『リベンジャー』か……確かに奴は自分でそう名乗ったけど、実際のところは何者なんだろう? 田口さんの口ぶりからするとやっぱり知っているみたいだったよな」
田口と聞いてアスナは一瞬表情を曇らせた。それをちらりと横目に見たキリトもまた胸に走る痛みを感じていた。
いつも穏和で優しい紳士……それがキリトが彼へと抱いていた印象だった。
しかし、その表の顔からは信じられないような苦悩を抱え、苦しみ続けてきたという事実を彼はつい先程知ってしまった。
何が起きてしまったのか……それが彼にどんな衝撃を与えたのか……それを他人である自分が詮索することも、彼を戒めようとすることも
血にまみれ復讐を遂げたであろう田口がこぼした言葉。
『『彼』の憎しみは私よりも深い』
というあの言葉をキリトは何度も心のうちで唱え噛み締めていた。
そしてその言葉が指し示すその先……キリトにはどうしても自分を憎み、絶望し、死して現実世界に生還したという『彼』の顔が浮かぶのだった。
もし仮にその予想している人物が正体であるのだとしたら、クライン達を助けるために果たしてその時剣を振るうことができるのだろうか……。
脳裏を過ったそんな不安が彼の口を動かしていた。
「なあアスナ……俺はひょっとしたら『リヴェンジャー』とは戦えないかもしれない……」
「キリト君……」
ポツリとそうこぼしたキリトの顔を見つめつつ、彼女は正面に視線を戻す。
「だいじょうぶ……私がキリト君を守るから……そう……『サチ』さんとも約束をしたから……」
その言葉にキリトは慌ててアスナを振り返った。
「アスナもサチと会ったのか?」
「『も』ってことはキリト君も……」
「ああ……どうしようもなくなった時……サチや黒猫団のみんなが助けに来てくれた……多分、夢の中で」
「わ、私ももうだめだって思った時、サチさんっぽい女の子が助けてくれたの……ねえ、これって……」
二人で視線を交わし、その事象に思いを馳せる。でも考えられる様々なことは夢や幻の領域を出ないことばかり……ただ、確かにそこに彼女の存在を感じたことだけはお互い偽りのない実感であった。
この今居る世界がいったいなんなのか……
二人の前に現れた彼女はどんな存在であったのか……
理解し難く、はっきりしたことも分からず、答えのないまま二人は走り続けた。
そしてついにその最後の迷宮入り口へと辿り着く。
その大きく開かれた口を見上げつつ、この先に待つであろう存在に思いを巡らせる。
捕まってしまった二人を解放するためにこの迷宮は必ず突破する。そしてそこに何が待ち受けていたとしても絶対に逃げない。対峙してみせる。
二人はそう決意し、拡がる深い闇の中へとその身を進めた。
× × ×
「おい……リズベット……生きてっか?」
「う、うん……私は大丈夫よ……クライン……痛みは?」
「へへへ……こんなの屁でもねえよ。もう完治しちまってんじゃねえのか?」
「ばか……」
震えるような小声でそう返す鎖で天井から吊るされたままのリズベットは、隣で逆さに吊り下げられようやく意識の戻ったクラインに恐る恐る視線を向ける。
そこにはいつもと変わらないおちゃらけたクラインの顔があった。
しかしその現実の身体が痛め付けられてしまっていることを知ってしまっているがために、彼女はいつものようにふざけて返すことが出来なかった。
それを知ってか知らずかクラインも敢えてそれを追求しようとはしない。
そんな中、クラインが不思議そうにポツリとこぼした。
「それにしてもよぉ? あいつらはいったいどこに行きやがったんだ? さっきまであれほど俺たちにチョッカイ出してきてたってのによ」
「それなんだけどね、見張りもいなくなってからもう随分経ってるのよ。監視はされてるんだろうけど、なんかおかしいよね」
「ならキリト達がもう近くまで来てるってことなんじゃねえか? あいつならそう簡単に負けるわけはねえだろうし、意外ともう敵を全部倒しちまってるんじゃねえか? ははは」
「それならいいんだけどね……」
軽口を叩くクラインに対し、ずっと恐怖に震え起きていたリズベットは、自分の身体になんの異状も起きていないことを知っていた。
だからこそ、ひょっとしたら助けが近くまで来ているのかも……という、希望を人一倍持っていたが、そうではない可能性を捨てきれないことで、恐怖が波のように引いては押し寄せ、押し寄せては引くのを繰り返しかなり神経が衰弱してきていた。
いったいこの状況がいつまで続くというのか……。
自分ではなにも出来ない今、彼女は苦しみながらも、自分の身体と引き換えにリズベットを助けてくれたクラインにだけは弱音を見せまいと固く心に誓っていた。
その時……
急にこの牢獄の鉄格子の向こうに景色が入る。そこは周囲に篝火が焚かれた巨大な空洞であり、そしてその空洞の中央付近に彼らは現れたようであった。
「こ、ここは……まさか……」
「クライン……あんたここがどこか知ってんの?」
焦った表情で周囲に視線を送るクライン。SAO攻略同時、最前線に立っていた彼はここが75層のボスエリアであることがすぐに分かってしまった。そんな彼に質問した彼女はその答えを得る前に、その正面に佇む人物を認めて声を失ってしまう。
そこには頭まで全身を真っ黒なローブですっぽり包んだ正体不明の怪しい人影。
深く被られたフードのせいでその顔は漆黒の闇に包まれ、容姿を認めることがまるで出来ない。
「お、お前は……な、なんだよ?」
クラインがそう言った直後、その人物は右手を横に振った。
途端に彼らが囚われていた牢獄も、縛り付けられていた手錠も鎖もその全てが消滅し、彼らは床へと落下することになった。
「リズベット……大丈夫か? やいてめえ! ちったぁ優しくできねえのかよ!」
そう吠えるクラインの元に、フードの人物はゆっくりと近づいてくる。
リズベットの前に立ち、彼女を庇うクライン。
しかし、そんなことはお構いなしにフードの人物はクラインの首を右手で握ると、そのまま何の苦もないままにゆっくりと上方へと持ち上げた。
「や、やめてよ!」
「ぐぅううう……」
ギリギリと締め上げられるその手を剥がそうと必死にもがくクライン。しかし、びくともしないその相手が腕を直上へと伸ばしたがために、クラインはついにその足が地から離れた。
「て、てめぇ……」
確実にダメージを受け続けているクラインは、その手を剥がすことを諦め、相手の顔めがけてその右手を一気に伸ばした。ろくに下を視認出来ない彼はもがくように相手の頭を探す。そして届いたその手は相手の深く被られたフードを掴み捲りあげた。
「え?」「あ」
その時二人は小さな声を漏らす。
なぜならそこには予想もしていなかった存在があったのだから。
彼らの見つめるその先にいるのは、黒のショートカットのまだあどけなさの残る幼い少女の顔。しかしその瞳からは人を射殺すかのような鋭い輝きが放たれていた。
彼女はクラインの首を掴む力を一瞬増すと今度はその体勢から床に向かって投げつける。そこには倒れたままのリズベットがおり、慌てて投げ飛ばされてきたクラインを抱き止めた。
穏やかそうなその容貌に反し、冷徹なその視線とその行為に言葉もなく見上げていた二人に、その人物は話しかけてきた。
それは地獄の底から沸き上がるかのような低くおぞましい声。
『刻ハミチタ……貴様タチニハゼンイン『消滅』シテモラウ……『キリト』トトモニナ……ククク……』
静かな、そして震えているかのようなその笑い声が、その大空洞でただただ木霊した。
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