武田義信の野望   作:薔薇の踊り子

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長くなってしまったので分割することにしました!


第四話 砥石崩れ 前

晴信や幸隆の考えた作戦は完璧であった。

狙うは北信濃の要衝・砥石城。ここは村上義清の本拠地である葛尾城とは目と鼻の先にあり、ここを落城させることが出来れば北信濃における武田の勢力は揺るぎないものとなる。

それはつまり、武田による信濃統一を意味していた。甲斐一国の支配すら十分ではなかった信虎以前の武田家の勢力を考えればまさに夢のようであると言ってもいいだろう。

その砥石城に、晴信は武田軍7000を差し向けたのである。出陣時から3000減っているのは、信濃の各地の砦・城に木曾・上野などへの抑えの兵を置いたからである。

しかも、相手の主将である村上義清は幸隆の策略により、越後との国境上に割拠している高梨氏と争っており、出陣中。さらに砥石城には500の兵しかおらず、まさしく石橋を叩いて渡る、を地で行く戦法であった。

 

「義信、どうしたそんな難しい顔をして?」

 

義信は奇襲という結果でこの戦いが失敗に終わることがどのようにつながるか行軍中ずっと考えていた。その義信に話しかけてきたのは晴信の影武者を務める信廉であった。

晴信という人物は大変用心深い人物であるようで、行軍の際にもこのように信廉に影武者を務めさせていた。

そんなことは義信もわかっているので信廉と、晴信と話しているふりをして会話をする。

 

「・・・はっ。やはり此度の戦にまだ不安が拭えないのです」

「またか。なぜじゃ?此度の攻略目標である砥石城は確かに堅固で有名であるが、主将である義清は出陣中、さらに兵力差は10倍以上。将たちの士気を維持するのもやっとじゃろう」

 

信廉はあくまで徹底的に晴信を演じる。

 

「もちろん常識的に考えればそうなのですが、しかし、やはり上田原の事が頭をよぎってしまい・・・」

 

そう、2年前の上田原の合戦。

その時まだ義信は元服しておらず戦に参加してしなかったが、あの時の家中の動揺はすさまじいものであった。

 

「お館さまが敗れた!」

「駿河さまと備前さまがお亡くなりに」

「いや、お館さまも討たれたとの情報も」

「武田家はどうなってしまうのか・・・」

 

いろんな情報が錯綜し、状況は混乱していた。

 

「義信よ、過去から学ぶことは確かに多い、されどそれにとらわれてしまうのはまた別の事じゃ。今は目の前の戦に集中せよ、なに、大丈夫じゃ、お前は大将としてどっしりと構えておればよい」

「・・はっ」

 

(父上にも世良田元信という影武者が居たがここまでは徹底していなかったな、あの信廉という人物、立ち振る舞い話術全て完璧に演じている、武田の強さはこんなところにもあったか)

 

ここに至っても義信は観察を欠かさなかった。

行軍は奇襲もなく順調に進み、8月25日に至って、武田軍7000はようやく砥石城の城下へ迫りつつあった。

ここでも晴信は万全を期すために原美濃守虎胤、横田備中守高松といった重臣たちに城廻りを偵察させていた。

 

「なぜこのようなことをするのですか?歩哨が偵察を行えばいいではありませんか?」

 

その様子に義信は晴信―今度は本物、に質問をぶつけていた。

 

「もちろん事前に歩哨は派遣済みだ。安全は確認してある。ただ、実際に戦となった場合に指揮を執るのはあやつら武将だ。そのためには現地のことを良く知っておく必要があるだろう」

「文献などですでに十分調査はしていると思いますが」

「よいか義信、戦というものはなにが味方するかわからん。一時の天候の変化、風の変化、地形、その地域に住む人々の心―それらはやはり自らの目で見ておかないとならぬ。そのためにああやって兵を率いる武将たちに自ら偵察をさせているのだ」

「・・それだけではないですよね?」

「うむ、さらにだ、兵たちの立場になってみろ、これから戦というときに武将たちが体を張って偵察を務めている。どうだ・・?士気が高まるとは思わないか?つまり芝居という側面もあるのじゃ」

 

徹底的な現地調査。地の利がないからこそ地の利を作りに行く。

武田信玄という人物の強さはここにあるのかと義信は考えていた。

 

「明後日にはわしも自ら偵察を買って出る腹づもりじゃ。無論、わしの影武者である信廉がやるのじゃが、なに、危険はないであろう。さらにこのことによってさらに兵たちと将たちの士気は高まるじゃろう。仮に危険があったとしても影武者が1人死ぬだけじゃしな」

 

(自らの弟を死ぬだけと切り捨てるか。この非情さは父上にはなかったものだな、恐ろしくもあるが・・・)

 

「な、なるほど。すべてこれらの行動は戦の勝利のためなのですね」

「そうじゃ、なに、見ておれ―」

 

晴信はにっこりと微笑んだ。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

(完璧だ・・・やはりあの、武田晴信という人物についてきてよかった)

 

晴信の影武者である信廉が自ら前線へ偵察へ赴く姿を見て、真田弾正忠幸隆は満足していた。

 

「お館さまが自ら!」

「あのような危険なところへ」

「我等も負けてられませんな!」

 

その効果は絶大で、幸隆は自分の兵たちのみならず、武田軍全体の士気が上がっていることを実感していた。

 

(さらにそれがしの謀略であの砥石城はもはや袋の鼠・・・不安要素は消し去った)

 

幸隆は自信をもって戦に臨んでいた。しかし、それと同時にある気持ちに襲われていた。

 

(待てよ、不確定要素はまだないであろうか・・?義清は戻ってはこれまい、砥石城は少数、心配しすぎか・・・)

 

幸隆は謀将である。戦の直前まで考えを巡らせていた。

 

(いや、奢ってはならぬ。強いて言うなら・・・・落とせなかった時の事を考えねばならぬ)

 

武田家がこの戦に並々ならぬ決意を持って挑んでいるのと同じく、幸隆もこの戦に対して並々ならぬ決意を持って臨んでいた。

武田家中においてのそれがしの地位を確立させねばならぬ。

なにしろ、幸隆は最近武田家に服属した新参者である。それまでは武田と対立していた海野氏の一族であったこともあり、家中の風当たりは良いとは言えなかった。

 

(ここで功を立てねばならぬ・・・!)

 

後に攻め弾正、鬼弾正と渾名される名将もやはり人の子。功を焦る気持ちを隠し切れずに目をわずかに曇らせてしまった。

そしてそれが――思わぬ不確定要素が村上にあったことを見逃してしまったことが。

武田家にとっては不幸となるのであった。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

「晴信・・・ついに来おったか!」

 

眼下に広がる武田の大軍を前にして、砥石城の守将である楽厳寺雅方は息巻いていた。

少なく見積もっても7000という大軍。蟻の一匹も這い出る隙も無い包囲網。兵力差は10倍以上。

さらに主君である義清は不在。状況は絶望的であった。

それでも雅方をはじめとして、砥石城の守将たちの士気は高かった。

 

「それにしても大丈夫なのだな、頼綱殿」

 

雅方はそばに控える武将にそう問いかけた。

 

「大丈夫です、このような攻め方は兄上ならいかにもやりそうなこと。既に対策は練ってあります」

 

武将の名前は矢沢頼綱といって、真田幸隆の弟である。

長男の幸隆が真田家の家督を継いだので、頼綱は信濃の豪族矢沢家へ養子と出され、その家督を継いでいた。

武田に帰属した兄とは違い、頼綱は自らの一族である海野氏と親しかった村上家へ帰属し、この時武田にとっては不幸にも砥石城へ属されていた。

 

「殿へすでに連絡はされましたな、雅方殿?」

「もちろん、殿はすぐに取って返すとの返事を。それまで持ちこたえてくだされば我らの勝利と」

「ふふふ、しかし我等の策略を敵に悟られてはいけませぬ。なにより敵はあの兄上、しばらくはあの大軍相手に持ちこたえる必要があるでしょう」

 

そもそも殿は高梨との抗争で忙しいのでは?策略というのははて、と雅方は首を傾げた。

 

「高梨の娘が兄上の子に嫁いでいるのは知っておりますな?」

「はい、それによって此度は武田は高梨と結び、我等の背後を脅かすという策を」

「しかしですね雅方殿、実は高梨は我等と通じているのです・・・」

 

なんとそのような!と驚く雅方に頼綱は高梨からの内通の書状を見せてみた。

 

「それでは此度の戦はもしや、武田をおびき出すための・・・?」

「その通りでございます。さらにこの機に殿は武田につこうか村上につこうか迷っている豪族たちの趨勢を見極めようともしました。実際、寺尾・清野といったやつらが我等に反旗を翻しました。北信濃から親武田の豪族をあぶり出し、一掃しようというお考えかと」

「なんとそこまで殿は・・・!」

「よいですか、武田と我等では国力に差があります。事実、2年前に上田原で武田を破りましたがこうしてあやつらは戻ってきました。殿はここで完膚なきまでに武田を潰すおつもりです。そのためには、背後からの奇襲・殲滅が上策だと殿は考えています。よって、彼らに我らと高梨が通じていることを知られてはなりません。そのためにはこの小城にあやつらをしばらくひきつける必要があります。それも、北方の殿のことを考えられないようなくらい激しく、です」

「なるほど、さすがは殿ですな」

「そこでこの砥石城に雅方殿をあてがわれたのです、雅方殿は士気を上げることに定評のあるお方、まさしくうってつけでしょう」

 

褒められて人は悪い気はしない。雅方はすっかりいい気になっていた。

その褒められて舞い上がっている雅方の横で、頼綱は思案していた。

 

(と、同時にこの戦はそれがしを武田に高く売るためのもの・・・兄上に負けるなどという失敗は許されぬ。武田晴信という男は有能であれば家柄やそれまでの経歴は問わないと聞いている。実際、敵の一族であった兄上は仕えることを許されたのだ、砥石城での武功を述べて仕官を申し込めば斬られはしないだろう。また、武田晴信という人物を見極める戦いでもある。仮にこの戦で武田が滅びるようなことがあればそれはそれで。このまま村上に仕えればよい。つまりこの戦は勝ちさえすればどうなろうとそれがしに有利なのだ)

 

「この砥石城、殿が来るまで何日でも耐えきって見せましょうぞ!」

 

そんなことを背後の男が考えているとは露も知らず、雅方はすっかり勝った気でいる。

 

「よろしくお願いいたします」

「それにしても頼綱殿、なぜあのようなものを集めさせているのです?臭くてかなわん!」

 

ふたりの背後には人の糞尿が集められており、すさまじい匂いを放っていた。

 

「なに、あれもそれがしの策略です。まあ見ててくだされ」

 

(さあ兄上、負けないですよ・・・!)

 

頼綱は密かに笑っていた。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

そして。

9月3日になって晴信は陣を城のすぐそばへと移した。

その陣から見える砥石城の威容に義信は圧倒されていた。

なんと急な山なんだろうか。

これでは数の利を活かして攻め込むことができない。斜面が急すぎて攻めることができる方面が限られるからだ。

当然軍議でもこのことが議論となった。

 

「さて弾正よ、そなたはこの城をどうやって攻めるというのか?」

 

晴信がそう問いかける。

 

「まず我等は完全に城を包囲しています。そもそも籠城というのは援軍の宛てがあるからの策、被害を抑えるのであればこのまま包囲し続けるという策もあるでしょう」

 

うむ、と晴信が頷く。

 

「しかしながら義清もこのままでいるとは思えません。いずれ踵を返し、我らの背後を脅かさんとするでしょう。が、こちについては未だ義清は行動を起こしてないと間者からの連絡が入っています。しかしながら、いつ動くやもしれません。よって、包囲によって時間を使うのもこれまた得策ではないと考えます」

「ではどうするのだ?徒に突撃をせよ、などと言うつもりではないだろうな?」

 

美濃守が食って掛かる。美濃守は勇将で知られるが、決して蛮勇な将ではない。無闇な突撃を命令されることを危惧したのであった。

 

「もちろんそのようなことはしません、とは申し上げられませんが、最終手段は力攻めになるやもしれませぬ」

 

力攻めというのは戦においてはもっとも愚策と思われがちだが、圧倒的数の有利な状況を作りさえすれば被害は甚大になるものの城を落とすことは出来る、というものでもあり、見方を変えれば必ず城を落とせる戦法ともいえる。

また、最初に力攻めをしてみて相手の出方を見る、また周辺の城への見せしめとして使われることもあった。

 

「大丈夫なのか、弾正殿よ。被害を大きくする覚悟はおありか」

 

次に問いを投げかけるのは横田備中守高松。こちらは信虎時代からの家老であり、この時点で64歳を迎えていた。

陽気な好々爺でよく義信を気遣ってくれた。このときは佐久方面を担当していた。

 

「ですから、それがしは策を用意いたしました」

あれをもってこい、と幸隆が命令するととあるものが皆の前に広げられた。

 

「これは縄はしごです。たしかにあの城は攻め口が狭く大軍を活かせぬ地形、ならば全方位から一斉に縄はしごで攻めかかり、敵に守備の的を絞らせぬ、というのがそれがしの策です。これならばこちらの兵力の優位を活かせます」

 

これは危うい策だな、と義信は感じた。

 

「なるほど、確かに敵の守備を散らすことは出来ましょう。ただ、登っている間兵たちは無防備。敵からの頭上の抵抗にどう対応するおつもりで?」

 

義信と同じ懸念を山本勘助がしていた。

 

「それについても策がございます。攻勢の開始時間に差異を付けるのです。ひとつを囮部隊として、一方では大々的にはしごの準備を行って敵に登るぞ、登るぞということを見せます。そして、他方では敵に悟られずに一気にはしごをかけます。敵は囮部隊の登城準備の対応に追われ、他方での十分な対応をできぬまま我らに登城を許してしまうでしょう。そうなればあとはしめたもの。あとは数の有利を活かして殲滅するだけです」

 

幸隆は自信満々に語った。さすがに考えているだけはあるな。

 

「そううまくゆくでしょうか?敵もなにか策を弄して来るに違いない」

 

虎昌が意見を述べる。甲冑と兜姿はさすが筆頭家老の風格だ。

 

「大丈夫です、敵の守将の楽厳寺雅方は武勇に優れたものではありますが、智謀についてはそれほどでもありません。城に閉じ込めた時点で我らの勝ちです。」

 

この時、武田軍の中に敵方に矢沢頼綱がいることを知るものはいなかった。

 

「・・・うむ、これといって問題はないように思える。が、義清の動向だけは常に気にしなければならない。常に間者を放ってあやつの動向を注視せよ。清野・寺尾といったところとも連携を密にせよ」

 

晴信がこう述べる。ということは武田軍の総意は先ほどの案になった、ということである。

 

「ははっ!」

 

しかしここで義信は必死に頭を働かせていた。晴信がこの砥石城の戦において城を落とせずに奇襲によって敗れたことは知ってはいたが、どのようにして負けたかまでは知らなかったからである。

 

(奇襲となると義清が戻ってくるということだがいったいどうやって・・?高梨との抗争を和睦して攻め寄せてくるか?いやそうなれば清野や寺尾といった豪族からの連絡で発覚するはず。内応が発生し混乱したところを・・?今のところ怪しい動きをしている家臣はいなかったように思えるが。うーむ・・わからぬな・・・)

 

そしてそのまま幸隆の意見が採用されて軍議は終了した。

義信はある人物に声をかけてみることにした。

 

「勘助殿」

「おお、これは義信さま・・・こんな醜いわたくしめに声をかけてくださるとは」

 

晴信の軍師・山本勘助である。

 

「いやそんな、外見で判断してたらこの世は生き残ってはいけないでしょうな」

「なんとそのような言葉を・・ありがたい限りでございます。して、それがしに用でございますか?」

 

この人物に聞くのが一番手っ取り早いだろう。

 

「先ほどの軍議、どうも腑に落ちないところがありましてな」

「はて、義信さま、それはどういうことでしょうか・・?」

「仮になんですが、勘助殿。貴殿が砥石城の守勢の軍師であった場合、どのような策を用いますか・・・?」

 

この言葉に勘助は隻眼の目を鋭く尖らせた。

 

「これはまた奇妙なことをおっしゃる・・・それを聞いてどうするおつもりで?」

「別に、どうするもないですが。興味本位、ですかね」

 

これは半分本当で半分嘘であった。そこに晴信がこの戦が負けるというヒントがあるかと思いついたのだ。

 

「なるほど、まあよろしいでしょう。さきほどそれがしも述べさせていただきましたが、弾正殿の作戦を用いた場合、やはり登城中が一番脆い。なのでそこを狙って攻撃することはまず間違いないでしょう。それも、敵兵がもう登りたくない、登ろうとする士気を完全に喪失させるほどの攻撃をするのがよいかと、さすれば敵は登るのをためらい、数の利を活かせなくなります」

 

なるほど、士気をくじくのか。例えばどういった方法で?、と義信は続きを促した。

 

「たとえば縄はしごであれば、縄に火をかけるといった方法はどうでしょうか。たちまちはしごに火は燃え移り、敵は火だるまになって落ちていきます。まさに地獄絵図、こうなれば登るのをためらう兵が出てきてもおかしくないはず。さらに、圧倒的多数の敵を打ち破る事ができればそれによって士気も上がるというもの。いいですか義信さま、数の利というものは一見とても有利ですが、敵に主導権を奪われてしまった場合士気を高めてしまうという危うさもあります。そうなれば籠城しやすくなるでしょう。つまり、初日の攻防こそ重要です。ここで主導権をどちらが握れるか、なので、初日で決定的な勝利を得て、主導権を握り、将兵の士気を高める。そして援軍の到着まで籠城して持ちこたえる、それがしの見立てはこんなところでしょうか」

 

なるほど、圧倒的劣勢な状態で優位に立てれば士気も上がるのもうなずける。

しかし、これらは義信にとってヒントにはなりえなかった。

 

(火をかけて敵兵を落とすなんて戦法・・・上総介さまの比叡山焼き討ちくらいしか知らないのだが・・・こうなったら何か起きたときにすぐに対応できるようにしておくことぐらいしかできないな、奇襲で来るということはわかっているので対応できるようにはしておこう)

 

「しかしながら此度は敵方にそれほど頭の回るものがいないとのこと。また、火を準備しているという兆候も情報もない、危惧されることはないと思いますよ」

 

この時、山本勘助ですら圧倒的有利な状況に多少の気のゆるみがあったのかもしれない。

結局、義信が開戦までに出来たことは、晴信にお願いして自分の意思ですぐに動かせる直参の兵を200ほどつけてもらっただけであった。

 

「義信さま、どうされたのですか?浮かない顔をしておられますが」

 

自陣に戻った義信に声をかけてきた小柄な武将がいた。

 

「ああ、源五郎か。なに・・ちょっと不安があるだけだ」

 

この男は飯富源五郎昌景といって、史実では後に山県昌景と呼ばれることになる男である。

虎昌と同じく甲斐の名門飯富家の出身で、虎昌の実の弟であり、後に武田四天王に数えられる名将である。

だが、この時は義信の守役を兄である虎昌が務めていたこともあって、俺のそばで実際に兵を動かす侍大将の役割をしていた。

 

「義信さまは初陣ですからね・・・無理もないですよ」

 

ただこの穏やかそうな源五郎ではあるが、そこはさすがあの虎昌の弟。武勇に自信があった義信ではあったがこの源五郎にはまったくかなわなかった。

おまけに頭脳も明晰とまさに非の打ちどころのない男であった。

 

(これがあの三方ヶ原で父上を追い詰め、あの長篠で散ったあの男か・・・)

 

義信は別の意味でこの源五郎に興味を持っていた。

 

「父上はそれがしにはやく戦を覚えてほしいということで初陣をこの戦にしてくださった」

「お館さまは義信さまにそれだけ期待されているのですよ」

「戦の準備だけ見てもそれがしは父上のようにはなれないとつくづく感じる」

「なにも、お館さまのようになる必要はないのでは?」

「え?」

 

義信は思わず聞き返してしまった。

 

「義信さまは義信さまのやり方を貫けばよいではありませんか。我らはそれを全力でお助けするのみです」

 

ふむ、そうだなと義信は軽く返したが、心の中でこう思っていた。

 

(自分のやり方で、か・・・)

 

そしてとあることを思いついた。

 

「源五郎、1つ相談なんだが実は戦がはじまってこうなったら・・・ゴニョゴニョ」

「え、どうしてそんなことを・・・ヒソヒソ」

「頼む、お前ならなんとかなるかもしれないんだ」

「はあ。意図はいまいちつかめないですが義信さまの頼みならそう致しますが・・・」

 

(あの山県昌景であればこれくらいのことはできるであろう。父上があれほど恐れた男・・・それがしは使いこなせることができるであろうか。)

 

やれることはやった。

そして―9月9日。

 

「総攻撃せよ!」

 

晴信の合図で。

武田軍7000は一斉に砥石城へと攻城を開始した。

 




この世界線では山県昌景は飯富昌景のままですかね

武田四天王は全員もちろん出す予定です

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