「では本日はここまで。宿題を忘れずにね」
きーんこーんかーんこーん。
よし、ぴったり。
授業終了を告げる鐘の音と同時に、告げる。
本日最後の授業は自身の担任するC組、そこで予定の内容を終えて安堵する。秋も深まり生徒達の卒業まで半年を切った今。
めいっぱい詰め込まれたスケジュールを差し引けば、授業に使える時間はあまりにも短い。
駆け足に、けれど急がずに。
詰め込むだけならば簡単だ。しかし、それでは意味がない。
生徒達に理解してもらって初めて意味がある。
とはいえ。
「はぁ……」
日誌を胸に抱き教室を出た途端、溜息が漏れる。課せられた課題は山積み。やりたい物、やらなければならない物。いつだって頭痛の種だ。
「先生!」
「ん、用意してから行きますので先に向かっておいて下さい」
C組の教室から私を追いかけてきた大和。
彼女にそう促して、私も教員室へ早足に向かう。
放課後の特訓、その為だ。
大和のトラウマ……その記憶の復活。
彼女からの告白を受け、宮元先生によるカウンセリングを入念に行った結果。
まずは直ちには問題がないということ。経過をよく観察する必要はあること。さらに診断は確実なものではないという但し書き付き。
一安心、とはとても言えない状態だ。
何かがあるようならば、即座に彼女には艦娘としての道を諦めてもらわねばならない。
だが、逆に言えば今しかない。
鎮守府に着任してしまえば、否応無く実戦へと投入される。例え横須賀であろうと……否、あの提督ならばいきなり大規模作戦に組み込むことすらしかねない。
それならば、学園という守られた環境で彼女を試し続けていくべきだ。
あの告白の通り、彼女は自身の恐怖を克服し得るのか。
「お疲れ様です!」
時間が惜しいとほとんど駆けるように飛び込んだ教員室、自身のデスクに日誌を放り投げるようにしてから品野の名が刻まれた札を教室から演習場の所に貼り替える。マグネットで貼り付くそれを叩きつけるようにした為かホワイトボードが揺れるが、構わず教員室の外へ。
「品野せんせー、今晩!」
「わかってます!!」
教員室の中、私の背を追いかけた足柄の声に応える。忙しないことこの上ないが、今の時期陽が沈むまであまり時間がないから仕方が無い。
「急げ急げ」
小さく呟きながら競歩。廊下は走っちゃいけません。おのれ。
範たる教師が破るわけにはいけないとはいえ、歯がゆい。
そうして校内を駆け……駆けるように歩いて漸く学園裏の海上演習場。夕暮れ時の橙に美しさを覚える前に、簡易の更衣室で艤装へと着替えていく。
夏場はジャージや水着で済むが、流石にこの時期に普通の衣服では耐えられない。
艦娘の艤装……缶や砲が代表的だが、衣装も含まれる。
セイラーや和服といった、現代の戦闘服としては機能性に不足を感じる外見だが実際は艦娘の能力を十全に発揮するのに必要不可欠だ。
北海のような極寒であろうと南海のような極暑であろうと。私達の身体を外気から守ってくれるばかりか、砲の衝撃や爆雷の熱からも保護してくれる。砲や缶のように艦娘が身につけなければ効果を発揮しないのだが、その性能は魔法の如く。
難点は艦娘によってちょっと露出が激しいことくらい。
ミニスカート、苦手なんだけどなぁ……と思いつつ手早く着替える。続いて缶に砲、足の艤装。
こちらは学園保有の物だ。私本来の艤装に比べ、少しは燃費がいい。ちょっとアンバランスな気もするが油の一滴は血の一滴。予算不足の学園である以上、必要最低限にしないといけない。
軍の訓練には艤装装備、その完了までの時間短縮も含まれる。横須賀も厳しかったから、普段着から完全装備まで五分以内が基準。私も手馴れていた。
「お待たせしました」
「いえ! 今日も、宜しくお願いします!」
更衣室を出て、演習場へ。
波止場へ進むと大和達が出迎えてくれた。大和、曙、漣、磯風、浜風。
大和の、クラスメイト達。
「では、始めましょうか」
◇
「「「「お疲れ様ッ!」」」」
四人、声が重なる。乾杯。
四つの杯が一斉に重なって甲高い音を、騒がしい酒場に割り込ませる。
学園近くの居酒屋『くじら屋』。足柄いきつけの居酒屋であり、元艦娘の女将が切り盛りしている隠れた名店だ。
特に魚料理が美味しい。すごくおいしい。
既にテーブルを埋め尽くすように料理が並んでいる。刺身盛り、金目の煮付け、天麩羅盛り合わせ。くじら屋名物である鯨のハリハリ鍋もいい塩梅に煮えている。
手元のよく冷えたウーロン茶で口を湿らせてから、早速箸を伸ばす。醤油に少しだけ浸した秋刀魚の造り、その油が舌を潤す。すかさず左手に持った椀の米を掻き込む。もっちりとした歯ごたえ、新米特有の甘い香り。刺身一切れで一膳イける。
定位置、私の隣に置かれたお櫃から二膳目を盛る。呑めない分はご飯で補う。
「本当によく食うわね」
「……いい食いっぷりだ」
呆れる足柄に、含み笑いの宮元先生。しかし後者は少し眼が物欲しそうだ。この人も結構食べる方だし仕方ない。
「ほら小町、おべんと」
「ん」
口いっぱいに頬張りながら、矢矧先輩に頬の米粒を取って貰う。それに甘えながら、続いてハリハリ鍋の鯨肉へと箸を伸ばす。もう結構遅い時間だったので空腹。恥ずかしさより、食い気だった。
一日の業務を終え、大人の時間。
矢矧先輩に足柄、宮元先生。よく一緒に呑む面子であるが、宮元先生からの誘いというのは珍しいことだった。
私は寮長としての仕事……とはいえ、就寝の確認やら戸締り程度だが仕事があるのでノンアルコール。
その分、食べる方で楽しませてもらうことにした。
「んっ、んっ……ぷはッ! おかわりー!!」
乾杯から間もなくして足柄が次を大声で所望する。女将さんがはぁい、と手早く麦酒が満たされたジョッキと空のとを交換する。慣れたものだ。
「小町、今日の特訓は……」
「はいっ、艦隊運動と防空訓練をしたんですけれどね!」
先輩の問いに食い気味に答えてしまう。
宮元先生の診断後。
海上での大和との特訓を恐る恐る、それこそつま先を海に浸けることから始めた訓練。
それは飛躍的な成果を上げていた。
彼女の、今度こそは僚艦を守りたいという覚悟故か。
海の上に立つ、それだけで意識を遮断してしまう程の恐怖を捻じ伏せて見せた。
あの子の、大和の意思の強さ。それを証明するように、気づけば海上航行に苦を見せない程になった。
「クラスの子達も、どんどん上達していって」
我が事それ以上に、成長が嬉しい。
その上、大和が海上での特訓を始めてからしばらく。
最初は曙だった。
クラスの子達が続々と特訓に参加するようになった。
曙曰く、大和ばかりずるい。とのことだった。素直にクラスメイトの助けになりたいと言えない所がすごく可愛い。
漣、浜風に磯風も似たような言い訳で参加してくれた。曙を始め、彼女達の成績は悪くない。それこそ、貴重な授業外の時間を割いて特訓に参加する必要なんてないくらいに。
それでも、大和と一緒にやりたいと言ってくれた。
大和の、助けになりたいと言ってくれた。
「ほんとに、良い子ばっかりでぇ……」
「はいはい」
思い返すだけで目尻に熱が溜まる。適当に聞き流すようで、あやすように背を叩いてくれる足柄の手が温かい。
「そうですね。特訓に参加することは曙にもいい経験になると思いますよ」
金目の煮付けを崩しながら、矢矧先輩が続ける。
「曙も、横須賀を目指すそうですから」
「え」
なにそれ聞いてない。
副担任である矢矧先輩もクラスの子達と多く関わるのは当然だが、私は初耳だった。
「この間の社会科見学……そこの駆逐艦に、随分と刺激されたようですよ」
叢雲さんか。
駆逐艦でありながら、戦艦を圧倒する経験に戦闘力。筆頭秘書艦として、鎮守府運営についても大きく提督を支えるという実務面での実力。憧れるのも憚れる程だ。
「……将来、横須賀一の駆逐艦になるそうですよ」
それをどうしようもなく楽しそうに、くすくすと笑う矢矧先輩。
「そう、ですか」
国内最初、横須賀鎮守府の最初の艦娘。その駆逐艦を超えると言う。
つまりは駆逐艦の頂点を目指すということだ。
あまりにも大きな夢。けれど、彼女は夢見た。
そして、そこへ向かって歩んでいる。
「卒業も、すぐそこだな」
宮元先生が猪口を傾けて呟く。
そう、すぐそこだ。後半年もない。
けれど彼女達は『将来』を見据えつつある。
「ああ、そういえばこの前。磯風がどうやったら教師になれるかだなんて聞いてきたわねー」
何時の間にか麦酒を干して切り替えていたのか、焼酎のグラスを傾けながら足柄が簡単に言ってのける。いや私それも聞いてない。
「手続き面倒よー、って言っても聞かないんだもの。でも理由聞いても教えてくれなかったのよねー」
何それ気になる。
ううう、教師という職に興味を持ってくれるのはとてもとても嬉しいことなのだが。
担任である私や副担任の先輩、私達を飛び越して足柄に相談したということは何らかの配慮。もしくは複雑な感情あってのことかもしれない。えええ、一体何が理由なの。
「でも先生になりたいって言う、あの子の眼は恋する乙女のそれだったわ! 間違いないわ!」
その線はないわ。
学園内、男っ気ないし。
「そっかぁ……磯風が……」
胸が温かくなる。
理由が何にしろ、私と同じように教師になりたいという夢を持ってくれたことがとてもとても嬉しい。
「進路相談も来週からですね」
矢矧先輩の言葉に、時の過ぎる早さを思い出す。
そう、生徒達の今後について話し合う進路相談も始まる。例年ほとんどの生徒が鎮守府への着任を選ぶとはいえ、着任せず別の道を選ぶ子も確かにいるのだ。
解体を受けて一般人として生きる道や、軍属として後方を支える仕事。それらの可能性について話し合い、最後には選んでもらう。これも担任の仕事だ。
「もう少しで卒業って考えると、本当に一年ってすぐですねぇ……」
ぽつり、と呟く。
光陰矢の如し。学生の頃はあんなにも長く感じた一日が、一月が。そして一年が大人になってこんなにも、短く感じる。
「また結婚適齢期が「あはは」」
宮元先生の言葉を遮って笑う。この場は独身揃いだ。
発した彼女に『恋人』はたくさんいるようだが、先輩はこめかみに血管が浮いているし足柄はピタリと固まっている。
「いい人は「あはは」」
うるせぇ。
真顔で笑ってその言葉を遮る。
「……その、何だ。本当に困っているのなら貰ってやろうか」
やめて。そんなかわいそうな子を見る目で見ないで。
若干悲しい空気に包まれた場を誤魔化すように白米を掻きこんだ。甘みを感じるはずの新米は少し、しょっぱい味がした。
◇
――こつ、こつ、こつ。
晩秋の夜。朝晩は長袖のジャージでも肌寒さを覚えるこの頃。
生徒達が寝静まったこの時間、一人見回りをするのに恐怖を覚えなくなったのは何時からだったろうか。
もう廊下の窓から指す月光に目をやる余裕があるくらいだ。ひんやりと身が引き締まるような夜、月の冷たい光はより美しく映る。
そんな真円を眺めながら、気づけば廊下の最奥。屋上に繋がる扉の施錠を確認し、これで本日の仕事は完了。
寮からの脱走を図る不埒者もおらず、平和そのもの。
未だに深海棲艦との戦争最中にあるとは思えない程だ。たった数年前までその前線にいたことすら忘れてしまう程だ。
「……」
こんな夜は、余計に考えてしまう。
生徒達の卒業まで後少し。彼女達に、充分出来ることを出来ただろうかと。
あの戦場に行く前に、後悔することのないくらい選択肢を示せただろうかと。
「そんなの」
自問、自答する。
できるわけがない。人間ならばもっと長い期間をかけて、教えていくことだ。なのに艦娘はたった一年。それも全員がこの学園に来られる訳ではない。
未だ艦娘の扱いについては定まり切っておらず、最良にはほど遠い。制度も、理解も何もかも足り無すぎる。
それでも。
大和は、過去を背負ってでも艦娘としての責務を果たしたいと言った。
曙も磯風も、将来をもう夢見ている。漣と浜風もこれから何かを見つけられるかもしれない。
少しずつだが、前に進んでいる。それを疑わず、愚直と嗤われようが信じよう。
「……小町」
「あ、先輩」
そんな風に、独り想いを新たにしていると廊下の先にいたのは矢矧先輩。
寮の仕事があるからと、ノンアルコールで食事だけ済ませて先に切り上げた酒宴。今日はずいぶんと多めにやっていたようだ。
「呑みまひょう」
酒瓶を片手にしていた彼女は、紛うことなき酔っ払いだった。
◇
「貰われちゃダメですからね」
「は、はい……?」
一日の仕事を終え、自室。
足取りが怪しい先輩をとりあえず招き、二人きり。もう仕事は終えているし、呑む分には構わないのだが。
そう思いつつ酒器を二人分、部屋にあった適当なツマミを出して座った瞬間に告げられる。
え、誰に?
完全に目が座っているし酒臭い。ここまで先輩が酔っているのは珍しいのだが、とりあえずはいと答える。酔っ払いは無敵だ、逆らってはいけない。
「呑みなひゃい」
「い、いただきます……!」
手ずからお酒を注いでもらう。酒器を両手で支えて、くい。疲れた身体にアルコールが染み込む。
すかさず注がれる二杯目を受け取ってようやく一息。
「ぷはぁ……」
こうして呑むのも久しぶりだ。
最近は大和達との特訓を朝夕としているので、お酒は控えていた。
大和の、そしてクラスの子達は見る見る力をつけている。
私が大和に課した条件、横須賀鎮守府の艦娘として見合う力をつけるというのも充分過ぎるくらい身につける程だ。
曙を筆頭として、他の子達も錬度向上が目に見えて高い。大和を中心としてクラス全員のモチベーションが高まっている。全員が刺激し合って、成長している。
担任としてクラスの子がこうした関係にあるのは嬉しい限りだ。提督がさっさとこちらに寄越せという催促を蹴り続けるのには、難儀しているが。
「小町」
「ひゃいッ!」
「……根を詰めては、いけませんよ」
――はい。
思考が深い方にいったのを見抜かれたのか。そう忠言してくれる先輩に、素直に答える。
以前、自業自得の過労に至った私に先輩は本気で心配してくれている。
夢見たクラス担任、その最初の一年ももう後少し。
焦る気持ちを背負い常に追われてやりたいこと、やらなければならいこと。その境界はいつも曖昧だ。
けれど、自身の限界は見極めなければならない。
やれること。それだけをやる。
「もう、倒れるまで働いたりしませんよ」
私は、生徒達の担任だ。
彼女達に責任を負う。我武者羅にやりたいことを追い求めるだけの身ではない。諦めなければならないことは、しっかり諦めて。それでも限界のその先を求め続ける。
一人の大人として。
「よろしい。それではもう寝なさい」
「はい……え?」
にっこり笑って。
酔っ払い特有の押しの強さで、私はベッドに押し込まれた。
暖かい。
冬の訪れを感じさせる、深夜の刺さるような寒さにあって人の体温の温かさを思い出す。
「あ、う……」
シングルベッドに二人分。
押し込まれ、酔っ払いにあるまじき的確さで灯かりを消された夜闇。
背に感じるのは先輩の体温。ぎゅう、と力強くもありながら包むようにお腹に回された腕。
先輩ごと雑にかけられた掛け布団の中で二人包まれる。酔いかけた頭で、あぁ、人の体温って何でこんなに気持ちいいのかなぁと考える。
「……小町は、先生になるのが夢だったんですよね」
耳元で、先輩の声が響く。
「高校の先生が、すごく素敵な人で」
そう、夢を語る。
私の夢の始まりはそう劇的なものではない。ただ、私達の担任であった老齢の恩師に憧れただけだ。
穏やかで優しい先生。
今思えば、あまりにもくだらない相談にも親身になって応えてくれた。両親に聞けないこともあの人には聞けた。そういう先生に、私はなりたい。
――まだ、その域には程遠いけれども。
「私は……教師になるつもりなんて、なかった」
「そう、なんですか?」
私が教師という職に就く前からいた先輩。
何時も何時も完璧で、教えてもらってばかりだった先輩。
その言葉は、ちょっと驚愕だった。
「学園設立に際して、偶々選ばれたの」
艦娘学園。その設立の為、当然教師は必要となる。しかし艦娘について未だ研究中、その設立当時必須となる教師選定についても迷走していた。
様々な思惑、タイミングが重なってドロップ組の矢矧先輩はその一人として選ばれたそうだ。
「本当は、水雷戦隊の旗艦として働きたかった」
まるで、懺悔するように。
搾り切るような言葉を私はただ黙って聞いていた。
「……でもね」
先輩が教師として、望まずながらも生徒達を導いていた日々。
「先生になりたい、と言ってここに来た貴女が」
――教えてくれたの。
心が、熱を爆発させる。
「今、この場が。今私が居るここがとても価値のある場所だと、教えてくれたの」
ああ、もう。
眠れなくなってしまう。この学園は、常に存在意義を問われ続けている。
国民の血税を要してまで、本当に必要なのかと。戦うことを求める艦娘に、他の道を示すことが必要なのかと。
私達教師は、証明しなければならない。
彼女達、艦娘にも戦争以外の『存在理由』を示す必要があるということを。
「小町。だから、私は――」
続く言葉を待つ。しかし。
「すう………」
おいぃぃぃぃ!!
寝てしまった。寝てしまわれた。
え、本当に? しばらく待ってみるが完全に寝息だ。時々この先輩はポンコツだ。
「……おやすみなさい」
精一杯の仕返しとして、寝返り正面から抱きつく。柑橘の香りが気持ち良かった。
明日は早朝の特訓に始まり進路指導の面談や、卒業を除けば学園生活最後のイベントとなる学園祭の準備開始だ。また忙しくなる。
けれど。
「あったかい……」
今は、休む。
こんなにも温かい抱き枕が手元にあるのだ。
ゆっくりと休んで、明日からの活力とさせてもらおう。酔いに傾いた思考を理由に、そのまま眠りへと沈んでいく。
明日から、また頑張ります。