静謐。
彼女達の最後の歌声が、大きな空間に響く。
なのに、とても静かだ。
卒業式。
ここから旅立っていく彼女達の歌声が広大なはずの体育館を埋めて、突き破らんばかりに響いている。
彼女達を守る殻を破くように。力強く、その羽ばたきを信じさせてくるように。
もう、生徒達を守ることが必要ないということを。確信させてくれるように。
冬の寒さが去りつつある今日。
学園中に植えられた桜達は今にも芽吹かんとばかりに、その蕾を膨らませている。
「……ッ」
「小町……」
まだ。まだ、始まったばかりだというのに。
私の涙腺、その堰はひび割れていた。あまりにも早い私の決壊に、隣に座る矢矧先輩が肩を抱いてくれる。
学園の体育館、そこで行われる卒業式。その始まり。
卒業生たる生徒達の入場、開始の辞。国歌斉唱。
「ぐすっ……!」
もう。
まだ、たった一年だと言うのに。
彼女達の成長を見つめ、共にあった日々。あまりにも短い日々だったと言うのに、こんなにも深く心に刻み込まれている。
その集大成を知らせるような歌声に、声が詰まる。
もう、終わってしまうのだと。
彼女達と過ごした学園生活がついに終わってしまうのだと、容赦なく告げられる。
『――続いて、卒業証書授与』
アナウンスを務める香取先生の声が、体育館に響く。
次々と呼び出される学園の生徒達。誰もが背を真っ直ぐに、堂々と証書を受け取っていく。これまでの日々、その成果を確信している。
これまでの日々が、無駄でなかったと確信してくれている。
『綾波型八番艦、曙――』
はいッ! と鋭く響く声で答える曙。
不器用な子だった。間違いや在るべきはずの事に、真っ向から立ち向かえる子だった。
思うことを真っ直ぐに声に出し、不正を許さぬ正義を胸に抱き続けた。
そして何より、優しい子だった。
『陽炎型十二番艦、磯風――』
彼女は、よく周りを見てくれていた。
料理部を浜風と共に立ち上げると言ったのは彼女だ。そしてその部長を最後までやりきった。
……最初は、そのセンスと言うか腕に大いに不安を感じたものだが、それでも勤勉に成長し続けた。だから、今はもう料理の腕に不安を感じない程になっていた。
そうしながらも、大和を始めクラスメイト達にも目を配り影に日向にクラスを支えてくれたのは彼女だったように思う。
『綾波型九番艦、漣――』
トラブルメーカー。
その一言に尽きそうになる、が。
彼女の破天荒には、何時も困らされた。その陽気に何時も助けられた。常識外れであるからこそ、何時も肩を軽くしてくれた。
周囲を笑わせてくれる。その才は、何より彼女を助けてくれるだろう。
『陽炎型十三番艦、浜風――』
漣とは別の意味で、目が離せない子だった。
天然、と言うべきだろうか。いつも自然体で、だからこそ皆彼女を助けたくなる。
食の喜びに正直で、素直を体現しているような子だ。
誰もが癒され、誰もが力になりたいと思える。それが何よりの美徳だ。
そして。
卒業証書授与、その最後。
『大和型一番艦、大和――』
長身が、壇上に上がる。
駆逐艦が大多数を占める卒業生にあって、あまりにも目立つ長身。集中する視線を物ともせず、堂々と彼女は壇上を進んでいく。
真っ直ぐに伸びる背筋。
『……卒業証書授与!』
両手を伸ばし、その証明を受け取る大和。彼女の駆けた一年、その証明の一枚。
初めてのクラス担任、聞かされてはいてもその姿を見た時は衝撃だった。
私と『同じ』大和型の一番艦。学園にそう在ることのない戦艦級艦娘、それも希少な大和型。彼女を担任するに私は、足りていたのか。今尚、それを確信することが出来ない。
「……」
大和が、卒業の証を受け取って深く礼をする。
それを大事そうに脇に抱え、壇上からこちらに頭を下げる。再び、持ち上がった顔。
「――」
……ああ。
その表情を見て、漸く確信する。
目尻の雫を振り切って。強張る口端を、力いっぱい持ち上げて。
大和は、笑っていた。
門出をそうして、迎えているのだと。私達に、私に声高に告げるように。
堂々と。
彼女の門出に、不安は何一つないのだと教えてくれる。もう、私には何一つすべきことがないのだと教えてくれる。
私は、教師。
彼女達生徒に教えるべき立場だというのに、また教えられてしまった。
やりきった。私が彼女達にここで出来ることはもうないし、彼女達がすべきことはもうここにはない。
だから旅立っても大丈夫なのだと。
「――皆、立派でしたね……」
隣に座り、肩を抱いてくれている先輩がその力を増して抱き寄せてくれる。
もう式の進行を妨げないように声を抑えるのに必死だった。
温かい。
続く式辞や祝辞も、もう耳に届かない。
ただただ、先輩の温もりに包まれながら嗚咽を押し殺すことしか出来ない。
何て、みっともない。これでは生徒達に笑われてしまうかもしれない。
けれども、今は湧き出る感情を抑えきれない。これで、最後。
彼女達との別れ。
今生の別れではない。願えば、思えば再会出来る。
しかし。
今日この日は、決別の日。
彼女達はこの学園を卒業し、決別する。これから続く戦いの日々へ挑む為に。
もう戻れない昨日までの日々と別れて、戦い続ける。戦いの場はそれぞれであっても、私達の庇護から離れて駆けていく。もう戻ることは無い。
「――おめでとう……!」
巣立っていく、もう守られる側ではなく守る側に立っていく彼女達に精一杯の声を絞り出す。
祝福の言葉。
これから立つ、吹き荒れる暴風の世界に身を晒していく彼女達にあえてこの言葉を送る。
その世界に耐え得る力を、知識を身に付け終えた彼女達にこそ、この言葉を送る。
「おめでとう――!!」
まだ。教えたいことも、経験してもらいたいことも沢山ある。
けれども。
時計の針は駆け切った。私達がどれだけ想おうと、彼女達を送り出さなければならない時が来た。
だから私達は、送らなければならない。
おめでとう。
精一杯の、祝福と共に。
◇
「……今、この時を以って学園卒業。そして海軍士官として着任されます。おめでとうございます」
学園、校門。
その内側で、私は居並ぶC組の生徒達へ告げる。背筋を伸ばし、敬礼と共に。
結局、五人の生徒達は鎮守府への着任……軍人となる事を選んだ。兵役終了後については、それぞれ未来を見据えているようだが。
まずは、彼女達はこれで正式に軍人となる。艦娘は建造組、ドロップ組問わず軍人であれば士官。軍属の身である私の身からすれば、上位の存在となる。先生、生徒の身分ではなくなる。
「……せんせい」
「漣ッ!! ありがとう、これまでの一年間。貴官の助力に最大の謝意を」
涙ぐむ漣、それを咎めるように曙が胸を張って応えてくれる。
……ありがとう。
幼い容姿の駆逐艦であっても、これからは軍で士官としての立ち居振る舞いを求められる。
「私からも感謝を。得がたい、一年だった」
「ありがとう……ございます……」
磯風と、浜風が返礼しながら応える。
凛と背筋を伸ばしながらも、磯風は頬を濡らしている。続ける浜風も零れる雫を止められていない。
桜吹雪には、まだ遠い今。
けれどもその芽吹きが、すぐそこだと信じられる今。
「――品野教諭」
「……」
最後に。
大和が前に出る。
卒業証書の詰められた筒を胸に抱いて。
真っ直ぐに、天突くように伸ばされた背筋。
その僅かに震える肩に、気づく素振りを見せないのに必死になりながら向けられた眼を受け止める。
「誠に、ありがとうございました」
「いえ、自分の出来たことの矮小に恥じるばかりです」
大和の言葉に、応える。
「……この一年、私も恥じ続けてきました」
真っ直ぐ。
私を見据えたまま、まるで告白するように。
「戦艦として。海軍最大最強の船、その名を頂く者として」
水すら怖がる艦娘。水上に立つことすらままならなかった最初。
その理由……海上で経験した恐怖。封印した過去。
だが、彼女は前へ。艦娘として戦うことを選んだ。
「……あの時」
そうして、自身と闘い続けた日々。
水の上に立ち、駆けることが出来た。
海上に立ち、走ることが出来た。
あの時、その恐怖を抱きながらも艦娘としての力を振るうことを厭わなかった。
だから、卒業試験。その場に在れた。
だから、あの時。
他の生徒達と共に撤退することを拒んで、あの鉄火に残ることを選んだ。
――だから、間に合った。
「品野教諭が来援してくれた時。戦艦の……『大和』の力を教えられました」
大和型一番艦、大和。
その名はこの国に置いて特別の物だ。
私が艦娘となった時、その名を頂いたということに最初は実感はなかった。戦うべき者として訓練を始めた頃は、足も遅く艤装は重く落ちこぼれの一等賞だった。
けれども、日々自身を鍛え磨き続ける内にその鈍足と重さを補い力と出来るようになった。
誰よりも硬く、強く。
どれほど砲や魚雷が突き刺さろうと海の上に立ち続け、その大火力で敵を薙ぎ払っていく。それが戦艦の、大和の力だ。
ああ。
教師と、クラス担任と夢を追う為に背にした艦娘としての日々は無駄ではなかった。
「その力を、私は示し続けたいと思います」
「……はッ。その成果に、期待します」
最敬礼で、その言葉に応える。
もう、何も言うことはない。言えることは、何一つない。
ひらり。
私と、彼女達の間を桃色が一欠け舞う。風に揺られ、横切っていく。
その決別を示すように。
気の早い桜が教えてくれたようだ。これで、お別れだと。
「それでは」
さようならは言わない。
返礼して去っていく彼女達。また会える。もう会えないかもしれない。けれども、言わない。
決別をしつつも、再び会うことを約束しなくとも。
けれども、私は。私達は信じている。
私と彼女達の日々は続くのだと。未来は続くのだと。
それは、彼女達が。私の元を巣立っていった彼女達が、明日を守り続けてくれると信じているからだ。
◇
教員室を出る。
もう空調も必要ないくらいの季候だ。
良く、晴れてくれた。
「うん」
本当に、いい天気。教員室のある校舎から出て、教室のある校舎へと続く僅かな道を歩くとその陽気に自然と口端が上がってしまう。
風は幾ばくか冷たさを残していても、もう春真っ盛り。
それを教えてくれるような暖かい陽。
名残惜しさを感じながらも、再び赤レンガ造りの建物へ。すぐそこにある階段を昇って行く。
二階。
去年、同じ日。同じ場所。
たった一年なのに、更に年季を増したような板張りの廊下を歩んでいく。
桜はもう散ってしまったが窓から覗く新緑が眩しい。ゆっくりと、歩んでいく。
また、こうすることが出来るとは思っていなかった。
あの日。
卒業試験、その最中に現れた深海棲艦。接敵し、C組の生徒達を逃がす為にその場に残った矢矧先輩と大和。
本来安全であったはずの試験場の海域、そこへ軍の部隊が展開するにはあまりにも時間が必要だった。
二人を助けるには、それしかなかった。けれども、それは私達が守るべきと教えるルールに違反する行為だ。
それでも。尚、それに背くことと分かっていても私は選んだ。
だからこそ、私は今日ここに立っていてはいけないはずだった。教員の職を辞し、法による裁きを甘んじて受け入れるつもりで選んだのだ。
けれども。
二人を無事連れ帰り、後は粛々と裁きを待つだけのつもりでいたのに。
今、私はここに立っている。
当初、無断に兵器を持ち出しての出撃。軍、その指揮下に無い私の戦闘行為。
糾弾されるべきことだ。文民によって統治される我が国の軍以外が、武力を用いるべきではない。そのはずだったのに。
まず学園の試験会場たる海域を守護する、警備府の提督が動いてくれた。
守られるべき学園の生徒達の安全、それが犯されたのは自身のミスであるということを。
その宣言に軍が対応をあぐねている内に、内密であったはずのこの事件が世間に明るみに出てしまった。
否、明るみに出した奴がいた。
新聞の見出しを見た時、そここそ目玉が飛び出る思いだった。あの野朗。
『艦娘学園教師、感動の救出劇』
軍にとっては、世間への公開の仕方によっては汚点となりかねない事件。どう対応すべきか上層部が頭を悩ましている間に色々と動いていたようだった。
つまりは、事件を美談としてぶち上げた。
生徒達に襲い掛かる突然の危機、それを救うべく出撃したかつての『要塞』。
稀な建造組の大和……つまり私は艦娘として広報によく利用されていた方だ。大規模作戦にもいくらか参加していた為、ある程度のネームバリューがあった。そうして勝手に付いた渾名。
あの野朗はそれを利用したらしい。
軍が秘匿する情報をマスコミに流し、指向性を持たせた上で公表させる。
これでもう、軍は私を処分することが出来なくなった。
英雄、とまでいかなくとも『感動の救出劇』の主人公。それを処分することは、痛くなるかもしれない腹を突かれることになりかねない。
まったく、あの人らしい。
こういう手管は横須賀の提督、あの人の得意だ。学園に雪崩れ込むマスコミをいなしながら、電話で抗議してみたが結局あの人は認めなかった。
最後に、ありがとうございます。そう言った時、何のことかわからないがどういたしまして、と返した。だから、きっとそうなのだろうと私は思う。
そして。
C組の生徒達を中心として、学園の生徒達や先生方が嘆願書を募ってくれた。
私への処分を、どうかしないで欲しいと。
それが、最後の後押しとなり軍からも学園からも何一つ罰を与えられることはなかった。
私自身は、それに幾ばくかの思いはあるが矢矧先輩と大和を助けられたのだ。その、ご褒美だと思うことにした。
「……よし」
沢山の人の思いで、私は再びここに在る。
廊下を進んで、ひとつめ、ふたつめ、みっつめ。何度も足を運んだそこ。
C組の教室。プレートを確認する必要は、もうない。緊張を解す為の深呼吸も、もう必要ない。
――きーんこーんかーんこーん。
時間だ。
この鐘の音に、今でもノスタルジーを感じてしまう。
さあ、再び始まりだ。
黒板消しの罠が今年はないことを確認してから、引き戸を開く。一斉に集まる五人の視線を受けながら黒板の前、壇上へ。
先生。私の憧れた、先生。
漸く夢を叶え、走り出して一年。
けれども、まだまだその優しさ。穏やかさには程遠い私ですが。
「初めまして。皆さん、C組担任の品野小町です」
夢はまだ、続いています。前へ、進んでいます。
新たに迎えた新入生。五人の艦娘達。
――これより、新たなクラスの教鞭を執ります。
これにて、ふりーと・すくーる完結となります。
あとがきは例によって活動報告にて。
これまでになく長い連載となってしまいましたが、多数のUA、お気に入り、ご評価、ご感想ありがとうございました。