レゾンデートル   作:嶌しま

12 / 54
011

ゲームでは操作するだけで数分かからなかった道のりも、実際に201番道路を歩いてみればゆうに十分程度はかかっていることでこの世界が今の私にとっての現実そのものなのだと思い知る。さりとて悲観しているわけではない。初めてこの世界で目を覚ましてから五年も経った今となっては、一度死んだ以上かつて生きたあの世界へ戻れるはずがないことは分かりきっていたし、何より私にはアヤコさんやヒカリにジュン、そして私と一緒に旅に出る彼らだって居る。ギンガ団のことを考えると決して不安がないわけでもないが、今の私はシンオウ地方をめぐるこれからの旅でどんな人やポケモンに出会うのか、どちらかといえばそういった未知に対する楽しみによって心が満たされていた。

 

 

「あっ、セツナさん!お待ちしていました」

 

 

201番道路で初めて叢に足を踏み入れてはみたものの、一度も野生のポケモンに遭遇することなく極めて順調にマサゴタウンへ到着した私は、ちょうどナナカマド博士の研究所前で佇んでいたコウキ君に声をかけられる。原作通りならばここで声をかけられるのはヒカリだったはずだけれども、あの子は明日まで家にいる予定だ。そもそも家を出る前に出会ったナナカマド博士から私もヒカリたちと同じように声をかけられていたから、こうしてコウキ君が私を待ってくれていたのは別段不自然なことではなかった。

 

 

「さっきぶりだね、コウキ君。もしかしなくとも、博士の元まで案内してくれるのかな?」

「はい。と言っても研究所がすぐそこなので、大した案内も出来ませんが……」

「ううん、そんなことないよ。待っていてくれてありがとう」

「そう言ってもらえると助かります。それじゃ、このまま僕についてきてください」

 

 

簡単な挨拶を済ませた後、コウキ君が研究所の扉を開けるのに続いて私も所内に足を踏み入れる。ぱっと見ただけでもポケモンに関するものだと分かる分厚い本や研究資料、そういったものが雑然と並んでいる中でも変わらず颯爽と歩くコウキ君についていくと、ナナカマド博士は研究所の奥にある部屋にいた。どうやら何か作業をしている途中だったらしい。

 

 

「博士、セツナさんをお連れしました」

「ああ。ご苦労、コウキ」

「ナナカマド博士、こんにちは」

「僕、ちょっとお茶でも淹れてきますんで、セツナさんもどこか近くに……あ、ちょうど椅子があるので、良かったらここに座っていてください。博士はいつものでいいですか?」

「うむ。よろしく頼む」

「はい!」

 

 

こちらに振り向いた博士に挨拶した直後、コウキ君は私を空いていた椅子に座らせると少し慌てた様子で部屋から出ていってしまう。年上の私が来た所為で気まずくなったのだろうか、とぼんやり考えていると、ナナカマド博士がなぜか口元に手を当てて声を抑えるように笑いはじめた。その笑みの意味が分からず首を傾げる私と、博士の視線が合う。初対面の時と異なり、博士の視線はもう私を見定めるようなそれではなく、ごく普通のものだった。

 

 

「……コウキの奴、珍しく張り切っているな。よほど君がここに来たことが嬉しいらしい」

「……え?」

「何、コウキは私の助手として普段から出かけることは多いが、その分同年代の子どもと接する機会が少なくてね。本人は助手の仕事に集中するためと言っているが、どうも昔から騒がしいのが苦手らしく余り自分から人に声をかけるのも乗り気でないようだ。だからこそ、同じく子どもにしては落ち着いた雰囲気のある君をコウキは気に入っているのだろう」

 

 

まあこれも私の推測に過ぎないが、と続けて呟く博士に私は何と言ったらいいのか分からない。そんな私の混乱も察したのだろう、博士は目を細めながら椅子の背凭れに身体を預け、多少リラックスした体勢になってから静かな口調で語りかける。

 

 

「何も難しく考えることはない。私が言いたかったのはようするに、友人として今後もコウキに付き合ってもらえると嬉しい、ということだ」

「……そうですか。そういうことなら、喜んで」

「あれ?博士、セツナさんに図鑑の説明はまだされていなかったんですか?」

 

 

お盆に三人分のマグカップを乗せて戻ってきたコウキ君が、きょとんとした顔で博士にそう尋ねる。博士はコウキ君から飲み物(色からしてどうやらコーヒーらしい)の入ったマグカップを難なく受け取ると、机の隅に置かれていたあるものに手を伸ばした。

 

 

「ああ、ちょっと別の話題があったものだからね」

「……?」

「単なる世間話の一つだ。さて、コウキも戻ってきたところだしそろそろ本題といこう。セツナ、君には今後トレーナーの一人として、今から私が渡すこのシンオウ図鑑のページを埋める作業に協力してもらいたい。ちなみに、ポケモン図鑑のことは知っているかね?」

「……ある程度のことは。ポケモンに出会うことで身長や体重、生息地といったあらゆるデータが登録されていく他に、今自分が連れているポケモンがどんなわざを使用できるのか。それも簡単に確認できてしまう最新鋭の図鑑、ですよね?」

「その通り。コウキは勿論のこと、ジュンやヒカリにも手伝ってもらうつもりでいるが、人手が多いに越したことはない。あと、君には彼らとは別にこちらの図鑑も渡しておこう」

 

 

今博士が説明してくれたシンオウ図鑑とはまた別に、シンオウ図鑑に似ているものの、形状が若干異なっている図鑑と思われるものも私に渡される。どうやらコウキ君も知らなかったものらしく、彼も私同様それをまじまじと見つめていた。

 

 

「ナナカマド博士、これは……?」

「それはカロス図鑑、読んで字の如くカロス地方のポケモン図鑑だ。元は予備品だが、予備のままここに置いておくよりはあのポケモン……ゲッコウガを連れている君が持っておいて、損はないだろうからね」

「へえ、セツナさんが連れていたポケモンって、カロス地方のポケモンだったんですか?僕はてっきり、シンオウの中でも珍しいポケモンかと思っていましたが」

「ゲッコウガはこちらにおけるエンペルト……つまり、ポッチャマと同じく元はケロマツというポケモンの最終進化形でもある。まあ、私とてこの目で実際にカロスのポケモンを見たのは今日、セツナの連れていたあのゲッコウガが初めてのことだったがね」

「いや~、急ピッチでデータのアップロードに取り掛かっていたんだけれど、どうやら間に合ったようで安心したよ!そっちの図鑑自体は、もう問題なく使えるはずだからね!それにしても、まさかシンオウ地方にゲッコウガがいるだなんて夢にも思わなかったなあ」

 

 

博士の目の前に置かれていたパソコンから突如明るい声が聞こえたかと思えば、画面上には見たこともない男性がこちらに向かってにこにこと穏やかに微笑んでいた。彼も白衣を羽織っている辺り、ナナカマド博士と同じ研究者であることはほぼ間違いないだろう。否、本当は私も知識として彼のことを少しだけ覚えている。BWの次世代、XYの舞台となったカロス地方で主人公に初めてのポケモンを託してくれた存在。ああそうだ、彼の名前は――。

 

 

「……これ、プラターヌ君。自己紹介もなくいきなり話しかけられて、セツナも驚いているではないか」

「ああ、すみませんナナカマド博士!つい、博士の会ったトレーナーとゲッコウガが一体どんな子なのか気になり、いてもたってもいられなくって」

「プラターヌ博士、お久し振りです。お元気でしたか?」

「おっ、コウキ!暫く見ない間にまた逞しくなったね!そして……初めまして、君がセツナかな?僕はプラターヌ!今はカロス地方でポケモンの研究をしているんだけれど、昔ナナカマド博士の元でお世話になっていた時期もある新米博士です。宜しくね!」

 

 

ナナカマド博士に促される形で、簡単に自己紹介してくれたプラターヌ博士がやはり満面の笑みを浮かべたまま私に手を振ってくれる。画面越しとはいえど、ナナカマド博士とはまた違ってどこか緩さも感じられるようなプラターヌ博士の様子に、自然と私も笑えていた。

 

 

「初めまして、セツナです。こちらこそ宜しくお願いします」

「うんうん、ナナカマド博士から聞いてはいたけれど、予想以上に可愛い女の子だね~。いつかはカロスにも是非来てほしいものだよ!」

「……プラターヌ君、大事な話の最中でしれっと女性を口説きにかかるのは感心しないね。あと、忘れているかもしれないが、セツナは未来あるシンオウのトレーナーだ。少なくとも、私の目が黒い内に手を出すのは却下させていただこうか?」

「じょ、冗談ですよ~ナナカマド博士!流石の僕も、そこまで良心を失ったわけでは……!」

「ふふ、知っているとも。私なりの冗談だ」

 

 

……途中、何やら不穏な会話が交わされていた気もしたが、幸か不幸か咄嗟にコウキ君から耳を塞がれたこともあり。そのときのプラターヌ博士とナナカマド博士が結局何を喋っていたのか、私が知ることはなかった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。