レゾンデートル   作:嶌しま

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Chapter.1 月よりも秘密の多い人
001


遠くで、私のことを呼ぶ誰かの声が聞こえた。

けれど私はそれに応えられず、口からは言葉の代わりにひゅう、と音にすらならないただの空気しか出てこない。私を呼ぶ誰かは必死に何か呼びかけていたけれど、その内耳も、それまで握られていた手の感覚も全てが瞬く間に失われていく。ああ、つまりはこれが私の最期というものなのか、とすんなり理解できて、納得している本人を他所にどうやらまた泣いているらしい誰かにせめてましな顔を見せられているといいと思った私は、口元が引き攣るのを我慢して今の自分に出来る限りの笑みを浮かべた。それはきっと美しさとは無縁の、むしろそういったものから大分かけ離れたものだったに違いない。それでも、それまで私の腕に滴り落ちていた誰かの涙が止まる程度の効果はあったらしく、その事実に私はほんの少しだけ安堵していた。別に死ぬのが怖くないわけではない。だって今も、死んだらその先はどうなってしまうのかなんて全く分からなくて怖いくらいだ。それなのに私がこうして落ち着いていられるのは、私が一人きりで死んでいくわけではなく、誰かが傍についてくれていると分かっていたから。

 

 

「おいていかないで、」

 

 

意識も朦朧としはじめた頃、誰かの悲しい声が届いてひどく耳に残る。私だって、あなたをおいていきたくはない。その思いに嘘はなく、握っていた手に力を込めようとしたもののすっかり弱ってしまった握力では上手くいかず、私の手はほんの僅かに動いただけだった。けれどもその僅かな動きさえ分かってくれた誰かは、改めて私の手を優しく握ってくれる。それが嬉しくて、そして寂しい。

 

 

「一緒にいてくれるって、言ったのに……   の、嘘つき」

 

 

そうだね、あなたの言うとおりだ。約束を守れず先に死んでいく私は嘘つきで、ひどいやつだろう。ごめんなさい、私ももっとあなたと一緒にいたかったよ、と伝えたい気持ちを抱きながら、抗えない眠りに負けて瞼を閉じる。それと同時にまた涙がぽつり、と腕に滴り落ちて、ああ結局泣かせてしまったな、と後悔した私の意識はそこで確かに遮断された。

 

 

 

 

……はず、だったんだけどなあ。

 

 

「セツナお姉ちゃん!ねえねえ、ヒカリに絵本読んで!」

「ヒカリばっかりずるい!大体、セツナは今日おれとこれからデートするんだぜ!」

「あーっ、ジュン!お姉ちゃんのこと呼び捨てにしないでよね!」

「何だよ!セツナがいいって言ってるんだから別にいいだろ。なっ、セツナ!」

「お姉ちゃんはヒカリのお姉ちゃんだもん!だからジュンには渡さないの!」

「なにを~っ?!」

 

 

私の目の前で言い争っている、幼い少年少女たち。その姿に見覚えがありすぎて、最初眩暈がしていたのはもう大分前のことになる。

 

 

「もう、二人とも……喧嘩はだめだよ?それに、二人からのお誘いは嬉しいけれど、残念ながら今日は先約があるんだ」

「えーっ、そんなあ」

 

 

しゅんとして俯いたヒカリの頭を撫でると、涙目だった彼女はすぐにぱっと顔を上げて私を見つめ、にこにこと微笑む。その子どもらしい反応が可愛くていいなあ、なんて内心和んでいると、ヒカリの隣にいたジュンが途端に頬を膨らませて私に抱き着いてきた。まだまだ子どもらしい二人は現在十歳。と言っても、あと数日待てばどちらもトレーナーとして旅立つ予定の子どもたちである。

 

 

「ごめんね。ヒカリの絵本は、帰ってきてから寝る前にでも読んであげるから。ジュンも、私みたいな年上よりはヒカリとデートしてきた方が楽しいんじゃない?」

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん?!」

「なんだよー!セツナのケチ!」

「ふふ、けちでごめんね。また今度、ね」

 

 

慌てているヒカリとまだ納得していない様子のジュンを残し、私はそっと今の家へ戻ると予め用意していた軽い鞄と小さめの籠だけを持ってゆっくりとある場所へ向かう。のどかだけれどそこかしこに人の気配がある町から、森の方向に歩いていき十五分程度。太陽に照らされて、きらきらと光る湖面を眺めながら木に凭れ掛かっていると、背後から叢の揺れる音がした。私はそれに驚くことなく、難なく振り返るといつものように挨拶する。

 

 

「おはよう、ゲッコウガ。ちょっと遅れたかな?」

『いや、いつも通りだ』

 

 

この地方ではまず見かけない、青と白に彩られた体。そして、首元の赤いマフラーのような舌がゆっくりと目の前で揺らめく光景に、今更ながら感心する。そんな私の様子はこれまで何度も見てきたからか、少し首を傾げた程度で私の隣に腰を下ろした彼はまだその場に立っていた私をじっと見つめた。少し切れ長の目は、人間のそれよりも大きくてそういう違いもまた面白いな、とつい観察してしまう。

 

 

『……どうした。座らないのか?』

「ううん、何でも。今日もポフィン持ってきたから、ゆっくり食べてね」

『ああ』

 

 

彼につられるようにしてそのまま座れば、今度は私が持ってきた籠の方に視線を移してそわそわしはじめた彼の様子が微笑ましくて思わず笑う。そこで私の微笑みに気付いた彼には、少しだけ間が悪そうに目を逸らされてしまったけれど、私が笑いながらも籠を開ければその中から焼いてきたポフィンを躊躇なく手に取って口にしてくれた彼に何だかほっとしてしまった。湖の上を、鳥ポケモンの群れが囀りながらも翔けていくここは、かつていたどの場所と比べてもとても穏やかな時間が流れている。そう、私は強く思う。

 

湖の名前はシンジ湖。そして、私が今住んでいる町の名前はフタバタウン。

一度死んだはずの私は、現代世界では実際に存在していないゲーム上での地名でしかなかったそこでいつからか、紛れ込むように生きていた。

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