「うーん……ぱっと見た感じ、どうやら中の部品が劣化してきているようだね。でもこれくらいなら、多分一時間程度で調整も済むと思うよ」
「そうですか。それじゃあ、このままお願いできますか?」
「勿論だとも、任せてくれ。ところで……後ろにいるお嬢さんたちは君の連れかい?可愛いガールフレンドが二人もいるなんて、結構な幸せ者だねえ」
「えっ?!い、いや!あの二人はそういうのじゃないです!」
「ははっ、これくらいで照れるなんて初心だねえ、少年!ま、修理はきっちりやっておくから、また一時間後にでも取りにきてくれよ」
ポケッチカンパニーに到着後、修理を請け負ってくれた社員のおじさんにひとまずお礼を言いながらも、こちらに向けられるにやにやとした視線から逃れるべくそそくさと椅子から立ち上がった僕は、近くで待ってくれていた二人の元へ駆け寄った。幸い、社内の新商品を眺めていた二人に先程の会話は聞こえていなかったらしく、そっと胸を撫でおろす。
「あ、おかえりコウキ君。どうだった?」
「……やっぱり、修理の必要があるみたいです。でも一時間程度で終わるようなので、また後で取りにきます」
「そっかあ。それじゃ、時間潰しも兼ねて今度はトレーナーズスクールに行こっか!」
そう言って、再び軽い足取りのヒカリちゃんが僕らの前を歩いていく。決して走ってはいないが、楽しそうな気持ちを微塵も隠そうともしない彼女の溌剌とした明るさは僕の妹のそれともまた違って、見ていて微笑ましいものだった。十歳になった頃の僕は、ヒカリちゃんほどはしゃいだ記憶がないのもあり、ほんの少しだけそんな彼女が眩しく見える。
「ああもう、ヒカリったら……ごめんねコウキ君。あの子、早速はしゃいでいるみたい」
「いえ、元々僕もついていくつもりだったんで、大丈夫ですよ」
「そう?そう言ってもらえると助かるよ」
対してありがとう、と再び僕にお礼を告げたセツナさんは、穏やかに微笑みながら静かな歩調で僕の隣を歩いている。失礼を承知の上で年齢を尋ねてみたところ、本人は正直に十五歳と答えてくれたが、今まで僕が会ったことのある同年代のトレーナーでもここまで落ち着いた雰囲気を持っていた人は少ないのではないだろうか。他の心当たりとして、一応クロガネジムのジムリーダーであるヒョウタさんも挙げられるが、それでも彼女だけはどうしてだろう。その辺にいる大人より、彼女の方がずっと大人びているような気がした。
「コウキ。これはあくまでも私の個人的な意見だが、彼女はきっと近い将来、トレーナーの中でも類い稀な存在となるだろう」
「彼女?……というと、セツナさんのことですか?」
「ああ。勿論、ジュンやヒカリにも全く期待していないわけではない。むしろあの二人にも期待している。だがそれ以上に、私はまずポケモンに寄り添い、彼らと心を通わせる彼女の在り様をその目で見て、少なからず影響を受ける者も出てくるのではないかと思っている」
再びヒカリちゃんについていく形でトレーナーズスクールへと向かう道すがら、昨日ナナカマド博士と交わした彼女に関する会話がふと脳裏に過ぎる。
「思い出してみるといい。出会ったばかりのポケモンに抱き着かれたとして……それが旅に出た経験もない普通の子どもだったら、自分のパートナーとして早速ゲットしようとするか、或いは驚いて振り払おうとする場合もあったかもしれない。だが彼女はそのどちらでもなく、まずはヒコザル自身の真意を理解しようとしていた。極め付けはあのゲッコウガだ。通常、最終進化まで到達したポケモンの捕獲とはそう簡単なものではない。手持ちのポケモンとのバトルを通して捕獲するトレーナーも存在するが、彼女は未だジムバッジを一つも持っていないどころか、そもそもトレーナーですらなかった時点であのゲッコウガに接触し、その上で彼の信頼を得ていた。彼女自身はそれを何とも思っていないようだったが……私のような研究者からしてみれば、まず真似すら出来ない事例であることには違いない」
確かに博士が言ったとおり、ヒコザルがボールから出てきてセツナさんにしがみついたその瞬間、僕もまずはヒコザルを引き離そうとしていたことを思い出す。ポケモンはバトルにおいてトレーナーの指示を聞き理解はするものの、僕ら人間との間で言葉は通じないのがこの世界の常だ。一部、エスパータイプや伝説と称されるポケモンの中にはテレパシーによって人間とも意思疎通をとることが可能な個体もいるらしいが、それでもその数は全体から見れば圧倒的に少ない。だからこそ、突然ヒコザルにしがみつかれても取り乱すことなく、むしろ旅をすることの難しさを語りかけていた彼女の声を僕は忘れられなかった。
「これは、彼女には敢えて言わなかった話だが……プラターヌ君によれば、カロス地方では何年か前、ポケモンにタマゴを過剰につくらせたトレーナーが事情聴取された事例があったらしい。そしてそのトレーナーは当時、ケロマツのタマゴも多く所有していたようだ」
「!もしかして、セツナさんのゲッコウガは……」
「無論断定は出来ないが、元々そのトレーナーがかつて所有していたタマゴ、或いはそこから生まれてきたケロマツが何らかの方法でこの地まで辿り着き、自力で進化した可能性も有り得る。しかし、関連性が不明である以上、現時点ではただの憶測でしかない。だから言わなかったというのもあるが、……仮に言ったところで、私は最早無意味だとも思ったのだ」
「無意味……?」
「だってそうだろう?たとえあのゲッコウガにどんな経緯があったにせよ、彼らは互いを信じ、そして自ら互いの傍に居ることを望んだがゆえに一緒に旅をはじめたのだ。その事実の前では、先に挙げた我々の憶測など結局些事でしかあるまい?」
にやりと笑った博士はそこで一息つくと、研究所の机から古びた一冊の本を取り出す。それはこの地方で昔からたくさんの人に読まれてきた、有名なシンオウ昔話の本だった。
「……、太古の昔。人とポケモンは、今以上にずっと近しい存在だったのかもしれない。彼女とあのゲッコウガを見ていると、なぜだかこの本にある人とポケモンの結婚に関する記述について久し振りに思い出したよ」
「け、結婚って……。博士、いくら何でもそこまで考えるのはちょっと大袈裟なんじゃ、」
「そうだろうか?一般的とは言い難いかもしれないが、私はあながち、決して有り得ない話でもないと思ったがね。コウキ、機会があったら次はあのゲッコウガの目をよく見てみるといい」
「目、ですか?」
「そうとも。目は口ほどにものを言う」
セツナさんが腰に着けているホルダー、そこにセットされているモンスターボールのどちらかにあのゲッコウガは今も存在している。ポケモンは、僕ら人間との間で言葉は通じないのがこの世界の常とされていた。僕だって何の疑いもなくそう思っていた。しかし、ナナカマド博士に言われたとある可能性を孕んだ言葉が、今も僕の頭の中で忙しなく蠢いている。
――あの目は、……彼女への信頼も含まれてはいたが、それよりもずっと、彼女を心底愛しそうに、恋しそうに見つめている目だったよ。
(ポケモンが、人を愛する。昔話ならともかく、そんなこと本当にあるんだろうか……?)
「コウキ君?どうかした?」
すぐ隣から声をかけられ、そこで漸く意識が覚醒する。いつの間にか博士との会話を思い出していた内に、意識だけ沈んでしまっていたようだ。慌ててセツナさんに向き直ると、彼女は立ち止まって心配そうに僕を見ていた。この辺りでも珍しい、雪のように真っ白な髪と、珍しい色合いの目は何より彼女自身の儚さを一層掻き立てるが、それ以上に僕は彼女の瞳の奥で宿る光に魅せられる。
「……、大丈夫です。ちょっと、色々と思い出していて」
「そう?何かあったらいつでも言ってね」
先にトレーナーズスクールへ到着していたヒカリちゃんから軽く怒られつつ、僕はこの場にいる誰にも気付かれないようにそっと唇を噛む。好奇心のままに尋ねることは実に簡単だ。ひょっとすると、年下である僕相手になら彼女も何か答えてくれたかもしれない。けれどもその行いはどこか残酷に思えて、結局のところ口を噤んだだけの僕はどこまでいっても真実を知ることを恐れている臆病者でしかなかった。