それからも暫く私たちの会話は続いていたが、時計の針が二十時を示した頃にもなるとゲンさんからそろそろ休んでおこうと切り出されたため、私たちはそれぞれが予約していたポケモンセンター内の宿泊部屋へ戻ることになった。そのとき彼から聞いた話によると、ゲンさんは元々クロガネジムのジムリーダーであるヒョウタさんと旧知の間柄であり、今日は修行の気晴らしも兼ねて自分から会いにきてみたそうだ。しかし、肝心のヒョウタさんが炭鉱の仕事関係で手が離せない状況だったため、また明日にでもジムを訪れるつもりでいたらしい。そこで私もジムに行く予定であることを伝えてみると、途端に目を輝かせたゲンさんからそれなら明日は一緒にジムへ行ってみようか、と提案されて少し驚いてしまった。
「私は明日、クロガネ炭鉱に行ってからジムに挑む予定だったので、もしご一緒するなら更にお待たせすることになるかと思うんですが……ゲンさんは、それでも大丈夫ですか?」
「ああ。鍛錬については勿論、君と君のポケモンが満足するまで存分にしてきてもらって構わない。会いにきた、といっても別段急を要するものではないからね。君が炭鉱から戻ってくるまでルカリオたちと一緒にここでゆっくり過ごせるし、私は特に問題ないよ」
そう私に告げたゲンさんは、ボールに戻ったルカリオから引き受けていたリオルの寝顔を見て穏やかに微笑む。眠り続けているこのリオルにとって、どうやらボールの存在そのものが大きなトラウマとなっているらしく、視界に映るだけでも体を震わせてしまうという。そんな経緯もあってゲンさんは無理にリオルをボールに入れようとはせず、今のところは敢えて連れ歩くだけに留めているのだと言っていた。最も、今後自分が行く場所によってはずっとボールから出しておくわけにもいかない場合があるかもしれないので、ゆくゆくはリオルのボールに対する恐怖も克服させてやりたい、とも呟いていたが。
「ちなみに、私がクロガネ炭鉱にまで付いていかない理由はセツナにとって初めてのジム戦、という大事なバトルの準備を邪魔するつもりがないってことと……あとは、君があのヒョウタに対してどんなポケモンと挑むのか、折角だから観戦するそのときまでのお楽しみにとっておきたい、ってところかな?」
「……そこまで言われてしまうと、何だか変に緊張しそうです」
「ふふ。誤解がないように言っておくが、別に君を追い込みたいわけじゃないんだよ?ただ、純粋に期待しているってだけで。まあ、私のような観客については然して気にせず、とにかく明日は思いきりぶつかってくるといい」
一向に起きる気配がないリオルの頭を優しく撫でながら、ゲンさんは真剣な眼差しでじっと私を見つめてくる。正直なところ、今日出会ったばかりである彼から例えリオルの件があったにせよ、ここまで自分が気に掛けられている事実に今なお動揺を隠せない。しかし同時に、彼は先輩トレーナーの一人として明日ジムに挑む予定である私を激励してくれていることもその発言から良く伝わってきたので、そんな彼の心遣いは素直に嬉しいとも思えた。
「……、分かりました。それでも、ずっとゲンさんをお待たせするというのでは私が心苦しいので、ひとまず昼前を目途に一度こちらへ戻ってくるようにします。可能でしたら、その頃にはポケモンセンターのロビーで待っていてもらえたら有難いんですが」
「了解、私もそれで大丈夫だよ。もしその時点で君たちの準備が足りないようだったら、またそのときになってどうするか考えてみよう」
そんな会話の最後で互いに”また明日”と軽く挨拶を交わした後、私とゲンさんは漸く、それぞれの部屋へと戻っていった。
『……』
「……」
『……何だかふたりとも、さっきから静かだよね。どうかしたの?』
何でもない、と言おうとはしたものの、この形容し難い雰囲気から上手く声が出せず、そんな私を見たヒコザルに首を傾げられる。部屋に入ってから久し振りにゲッコウガとヒコザルをボールから出してみたところ、ヒコザルは元気そうで問題なかったのだが、代わりにゲッコウガの方はなぜだか不機嫌そうにしていた。体力を回復してもらったことから決して体調が悪いわけではないようだけれど、だとしたら一体どうしたのか、その理由が分からず私も首を傾げてしまう。
「えっと……ゲッコウガ、もしかして何か、怒ってる?」
『……そうじゃ、ない。そういうわけじゃない』
噛み締めるようなゲッコウガの返答を聞いて一瞬だけ安心したが、そうなると彼に何があったというのか。心当たりがなくて更に戸惑う私をさておき、次に言葉を発したのはそれまで成り行きを見守っていたヒコザルからだった。
『もしかして、兄さんも心配だったんじゃない?セツナがいきなり、見ず知らずの人から親しげに話しかけられて』
「……、え?」
『実は、僕もちょっとだけ心配だったの。初めて会ったわりに、妙にセツナのことを知りたがっていそうな人だなあ、って。しかもセツナの方はあの人から距離を縮められても、気にしていないみたいだったし……まあ、傍に居たポケモンがとっても落ち着いていたから、多分悪い人じゃないんだろうな、ってことも分かったんだけれどね』
予想していなかった内容を聞かされて驚く私をさておき、ヒコザルはにこにこと微笑みながら改めてゲッコウガに視線を向ける。つられて私も彼を見れば、腕を組んでいたゲッコウガはまるで観念したかのように深々と、溜め息を吐いていた。
『……ヒコザルにほぼ代弁されてしまったが、まあ、大体そういうことだ。それに相手が人間の男だったら尚のこと、もっと警戒しておいても損はない、と、俺は思う』
最後は途切れがちになりながら、それでも私に自身の意思をはっきりと伝えた彼の眼差しはいつになく鋭く見えた。しかしその鋭さを知って尚、私が彼を恐れるということはない。それどころか、こうして気に掛けてもらえることを今は嬉しいとすら思っている。
「心配してくれてありがとう。これからはその辺も、きちんと気をつけるね」
『……ああ。分かったんなら、それでいい』
そもそも私がゲンさんを警戒していなかった最大の理由は、彼が原作に登場する人物であることを事前に知っていたからなのだが――それを敢えて二人に語る必要性もないと判断した私は、大人しく頷いてみせる。そんな私の反応を見たゲッコウガは多少なりとも安心したのか、纏う雰囲気が大分柔らかくなったような気がした。
『ねえねえ。ところでセツナはあの人について、どんな風に思っていたの?』
「ゲンさんのこと?うーん、そうだね……リオルのことを良く見ていて、ポケモンに優しい人だなあ、ってところかな。ああそれと、ルカリオからも信頼されている辺り、きっとバトルも強そうなトレーナーさんだよね」
『ふうん、そういう感じなんだ。それって、つまり……』
「つまり?」
『……んーん、やっぱり何でもない!』
突然質問されたゲンさんの印象を素直に答えてみせると、それから何か考えていたらしいヒコザルは暫く首を傾げていたが、ほどなくして再び満面の笑みを浮かべる。
『良かったねえ、兄さん。セツナはあの人に対して、そういう興味なさそうだよ!』
『……、明日はジムに行く予定なんだろう。なら、今日も早めに寝ておいたらどうだ?』
『わあ、兄さんったら照れ隠し~?』
『いいからヒコザルも寝ろ。今すぐにだ』
『あはは。セツナ~、兄さんがこわ~い!』
『全く、怖がってないくせによく言う……』
ヒコザルの言うそういう興味、というのが何なのか私にはよく分からなかったが、図らずも昨日以上に賑やかになった夜はその実穏やかで、とても優しいものだった。