レゾンデートル   作:嶌しま

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あれから一夜明けて、やや早めに起きてしまった私はどこか逸る気持ちを抑えつつ自分の身支度を整えていく。その途中、極力音を立てないように気をつけて部屋のカーテンを開けてみると、窓の外には既に青空が広がっていた。そこかしこに雲が浮かんではいるものの、どうやら今日も旅日和の良い天気になりそうだ。一旦窓から離れ、部屋に設置されていた電気ポットのスイッチを付けて飲み物でも淹れるべく準備していると、それまでヒコザルと一緒に眠っていたはずのゲッコウガもベッドから起き上がる。

 

 

「おはよう、ゲッコウガ。もしかして起こしちゃったかな?」

『……おはよう。いや、大丈夫だ。問題ない』

 

 

一つ、大きな欠伸と背伸びをしてからベッドを降りた彼は私と同じように部屋の窓から空を仰ぎ見ると、太陽の光が眩しかったのかすぐに目を細めてしまう。ちょうどその頃、電気ポットのお湯も沸いたのでひとまず二人分のマグカップに緑茶を注いでいると、空からマグカップに視線を移した彼は不思議そうに首を傾げていた。

 

 

『……それは?』

「ん?緑茶って飲み物だよ。私もさっき起きたばかりだから、飲んでおいたら眠気覚ましになるかと思って。良かったらゲッコウガもどうぞ」

『そうか。ならば頂こう』

 

 

私と同じようにマグカップを手に取ったゲッコウガは、それから躊躇いもなく緑茶に口をつける。自分からすすめてはみたものの、もし苦手な飲み物だったらどうしようかと一瞬不安になった私を他所に、彼は至って普通に緑茶を味わっているようだった。

 

 

『俺は美味いと思ったが……ヒコザルが飲んだら、苦手に感じる味かもしれないな』

「確かに、ちょっと渋みがあるからね。私はそれも含めて好きだけれど」

 

 

何となくテレビをつける気にもなれず、ただあたたかい緑茶をゲッコウガと一緒に飲んでいると不意に彼がくすくすと笑いはじめる。未だ眠っているヒコザルに配慮してか、笑い声そのものは微かなものだったが、実質ふたりきりとなった空間ではそれすらも良く響いた。

 

 

「どうしたの?」

『いや、……つくづく、不思議なものだと思ってな。まさか俺にも、こんな風に人間の飲み物を飲む機会がくるなんて、予想すらしていなかったから』

 

 

今まで野生のポケモンとして生きてきたのならば、確かに彼がこういった飲み物を飲む機会なんてなかったに違いない。その証拠に、いつの間にかお茶を飲み干していたゲッコウガはどこか感心したような眼差しでマグカップを見つめていた。

 

 

「そうだね。私も、一年前の時点ではあなたと旅に出るなんて夢にも思っていなかったから、こうして一緒にいることが少しだけ不思議な気もする」

『だが、不思議と言っても決して不快なわけではない。そうだろう?』

「うん。きっとこの先、私たちが思う以上にたくさんのものと出会えるんだろうね。いつかは生まれてくるあの子も含めて。そう考えると、これからがとても楽しみだなあ」

『……、意外と落ち着いているんだな』

「ん?」

『初めてのジム戦、と言うからにはてっきりセツナが緊張しているのかと思っていたが』

「ううん、全く緊張していない、と言えば嘘になるよ?今日は昨日より早く目が覚めたくらいだし。ただ、あなたと一緒にお茶を飲んでいたら、何だかほっとしてきてね。だから今の私がそう見えるとしたら、それはゲッコウガがいてくれたおかげなんじゃないかな?」

『……そうか。俺のしたことなんてせいぜい、話し相手になったくらいだが。とりあえず、お前に心配なさそうで良かった、とだけ言っておく』

 

 

眩しそうにしながらも、私から目を逸らすように再び窓の外を見つめたゲッコウガは要するに照れていたのだろう。そのことに気付きながらも、私は敢えて彼に何も聞かないまま緑茶を飲む。そうしてゆっくりとした時間を過ごしている内にヒコザルも起きてきたので、私たちは朝食を済ませて早速クロガネ炭鉱へ出発することになった。

 

 

 

 

(……すごいなあ、ゲッコウガは。もうこんなに色々なわざを覚えているなんて)

 

 

クロガネ炭鉱に到着して早々、ナナカマド博士から渡されていたカロス図鑑を改めて確認しながら思わず溜め息を吐く。幸い、今私がいる周囲に炭鉱の従業員と思われる人は見当たらなかったので目立つこともなかったが、代わりにこちらを振り返ったゲッコウガからは怪訝そうに首を傾げられてしまった。ちなみにこうしてゲッコウガが既にボールから出てきているのは、炭鉱内でいつ他の野生ポケモンに出会ってもすぐ対処しやすいように、という理由からだったりする。

 

 

『どうした。何かあったか?』

「ううん、図鑑を見ていたんだけどね。ゲッコウガの使えるわざの数に驚いちゃって」

『……あの日、俺が自分で足手纏いにはならないと言っただけのことはあっただろう?』

「そうね。確かにそうなんだけど」

『けど?』

「……ジムに行ったら、どんな風にバトルしようかなあ、って思って」

 

 

この世界において、ジムリーダー及びポケモンリーグに属する(所謂四天王やチャンピオンと呼ばれている存在も含めた)トレーナーとの公式戦では、野生ポケモン相手や一般トレーナー同士のバトルと異なり”一体のポケモンにつき、使用可能なわざは四つまで”という制限が設けられている。ポケモンは基本的にバトルを重ねていくほど、より多くのわざを覚えて更に強くなっていくとされている。ならば当然、相手より使えるわざの数が多いポケモンが有利になりそうなところだけれど、公式戦ではあくまでポケモンのわざだけに頼らず、トレーナー自身の戦略性も見るために敢えてそういった制限を取り入れるようになったらしい。勿論、私たちがこれから向かうクロガネジムにも当然審判役のトレーナーがつくわけで、仮に四つ以上のわざを使用すればその時点で反則負けと見做されてしまうだろう。

この他にも、ポケモンに道具を持たせることは可能だがキズぐすりやどくけしといった一部の回復薬は使用出来ないこと、挑戦者側はポケモンの入れ替えが可能だがその回数も無制限ではないこと、といったいくつかのルールがあったが、この辺りはゲームと違う現実だからこそだと思えば納得自体は容易だった。しかし問題はそれらもよく踏まえた上で、バトルの最中どんなわざを指示するべきなのか、ということに他ならない。

 

 

(闇雲に攻撃するだけで勝てるほど、ジムリーダーは易しくないはず。今回は岩タイプが相手だから『みずしゅりけん』や『みずのはどう』、それから『くさむすび』も相手によっては使えるかもしれないけれど……最低でも、一つは変化わざを取り入れておくべき、かな?)

 

 

かつての私は何も、俗に廃人と呼ばれていたプレイヤーたちのように対戦に惹かれていたわけではない。むしろそれとは対極で、ストーリーに関わってくる登場人物や道中で出会い、仲間となったポケモンたちとの関わりを楽しみにしていた、という意味では所謂ライトユーザーだったと言えるだろう。だからこそ、この世界で目覚めた後も最初から最強を目指すつもりなんてまるでなかったのだけれど、それを理由にこれから負けにいくつもりは更々ない。折角挑むからには出来る限りの準備を整えてから、正々堂々とジムリーダーに立ち向かいたい。そしてこの地方をめぐるのならば尚更、最初の記念すべきジム戦は私についてきてくれたゲッコウガと一緒に勝ちたいと、心から思ってもいるのだ。

そんな考えからカロス図鑑とにらめっこを続けていたところ、不意にゲッコウガの手が頭に軽く乗せられ、そのまま緩く撫でられる。ひんやりとした感触に驚いて顔を上げると、当のゲッコウガ自身は私と違って余り気負っていないらしい様子で佇んでいた。

 

 

『色々と悩んでいるみたいだが……いざというときは、俺も自分で何とか出来ないか試してみるつもりでいる。だからそう大袈裟に心配しなくても、大丈夫だ』

「……、うん」

『とはいえ、それが出来なければ苦労していない、とでも言いたそうだな』

「ばれちゃった?」

『そのまま顔に書いてある』

「あはは……、ごめんね?もうトレーナーなんだから、しっかりしなきゃいけないって、分かってはいるんだけど」

『別にそんなお前を責める気はない。こういうのは、初めてなら余計不安に感じるものなんだろう。それにセツナが俺を信用していないわけではないことも分かっている。だからお前も、今日は俺を信じてみるといい』

 

 

――仮にどんなわざを指示されたとしても、俺はやり遂げてやるよ。

それだけ言って、私に微笑んだ彼の姿はまさに頼れる相棒そのものだった。


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