レゾンデートル   作:嶌しま

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一年中、花に囲まれたここでかつてわたしは生まれた。

生まれたその日、わたしの近くにはどうしてか誰もいなくて、とても寂しくなったことをわたしは今でも覚えている。

最近はわたしと同じようにここで生まれ育ったともだちも出来たから、全く楽しくない、というわけでもない。

むしろ小柄なわたしが気になるのか、ともだちだけでなく、ここを住処にしている他のポケモンからもよく気に掛けられている辺りわたしはきっと恵まれている方なのだろう。

この辺りにはきのみをつけた木がたくさんあるし、時々通りがかったミツハニーからあまいミツを分けてもらえることだってある。

だから今まで食べ物に困るようなこともほとんどなくて、わたしは大好きなともだちと遊びながらとても穏やかな日々を過ごしていた。

誰かが傷つくことも滅多にない、たくさんの綺麗な花に満ちた優しい世界。

それこそがきっと、これからもわたしの生きていく世界。

 

 

(満たされているはず、なのに……)

 

 

時々、夜になると全く眠れないことがある。

そんなときに決まって思うのは、わたしも人間の子と旅をしていたら、こうしてどうしようもないほど感じる寂しさを味わうこともなくなるのかなあ、ってこと。

ともだちは、人間なんてわたしたちをいきなり捕まえようとしてくる危ない存在なんだから、なるべく近寄らない方がいいに決まっていると言ってくる。

だけど、……本当に?

この花畑の外はそういう人間ばかりじゃなくて、もしかしたらわたしたちの意思を尊重してくれる、そんな人だってどこかにいるんじゃないかしら、なんて。

そう思いはしても、結局何も言えなかったわたしには何より勇気が足りていなかった。

 

いつだって、望みさえすればこの心地良い箱庭から出ていくのは簡単で。

それなのにそのための一歩すら踏み出せず、今日もここに留まり続けているわたしはつまるところ、こんなわたしでさえ認めてくれる誰かが現れてくれるのを――夢見た『奇跡』が起きる日を、ただひたすらに待ち続けていただけだったのだ。

 

 

 

 

優しい風が辺り一面に咲き誇る花々を揺らし、何ともゆったりとした時間が流れていく。目を凝らせばこの花畑に生息しているポケモンたちの姿もいくつか見えたが、私は自分から彼らに近付くこともなく、花畑の隅にあった大きな木に凭れてただ目の前に広がる景色を眺め続けていた。ちなみにモウカザルとゲッコウガのどちらも勿論ボールから出していたが、お昼ご飯を食べ終えた彼らは現在私の膝の上で揃って熟睡しているところだ。花畑に着いてから暫くはしゃいでいたモウカザルと異なり、ゲッコウガは当初私の膝を借りることにかなり躊躇っていたものの、そんな彼でも食後の眠気には抗えなかったらしい。モウカザルと同じく目を閉じ、今も静かに眠り続けているゲッコウガの頭を起こさないように気をつけながら撫でてみると、更に私の方へ擦り寄ってきた彼に思わず笑みが零れてしまった。

 

 

(こんなに無防備な姿も見せてくれるようになった、ってことは……私のこと、それだけあなたが信じてくれていると思っていいのかしら?)

 

 

シンジ湖の近くで出会ったばかりの頃、今と違って私に対しても一線を引いていたかつての彼を思い出すとまるで夢のように思えてくるけれど、何より私の膝越しに伝わる彼とモウカザルの体温が紛れもない現実であることを教えてくれる。こうして私に寄り添っているふたりの寝顔を見ていると、花畑の空気が澄んでいることもあってか私まで眠ってしまいそうだ。しかしながら、流石に全員意識が無い状況というのも余りに不用心なので、私は眠気覚ましとして鞄から取り出したタマゴを胸元で抱えてみる。揺れる回数はまだまだ少ないものの、腕の中の温もりから確かにこのタマゴにも命が宿っていることを感じる。

 

 

「今日は、皆でソノオタウンの花畑に来ているの。太陽が眩しくてお花も喜んでしまうような、そんないい天気にこんな素敵な景色を見ることが出来て私も嬉しい、と思っているよ。いつかあなたが生まれてきたら……そのときは、あなたを連れてもう一度ここに来るのも、きっととても楽しいでしょうね」

 

 

果たして、その日が一体いつになるのかはまだ誰にも分からない。しかし、無事に生まれてきてくれたなら今はタマゴの中にいる子にも、いずれこの輝かしい景色を見せてあげたいと考えながら私は一人で語りかける。すると、抱えていたタマゴが僅かながら揺れたような気がして、それに驚きながらも今度はじわじわと嬉しくなった。花畑に吹く風は依然優しく、芳しい花の香りも絶えることがない。更には耳を澄まさずとも聞こえてくるふたりの寝息が耳に心地良いのもあり、何だか途方もなく幸せだな、なんて思っていた矢先のこと。

 

 

「?………あら、」

『!』

 

 

咲いている花々に紛れるように、いつからかこちらを見ていた小さなポケモンの姿に漸く気付いて声を漏らせば、私と視線が交わったポケモンはびくりと体を揺らすなりその場で静止してしまった。一歩さえ踏み出せばお互い触れられそうなほど、いつの間にかかなり近付かれていたことに少しばかり驚くが、おそらく気付かなかった理由は向こうに敵意がなかったためだろう。バトルを望むでもなく、私たちを見ていたのは見知らぬ存在に対する興味からだろうか。何にせよ、今までじっと身を潜めていた辺り突然バトルに発展する気配はなさそうだ。そのように判断した私はタマゴを一旦鞄へ戻す代わり、いくつか持っていたきのみをポケモンの目の前に置いてみる。

 

 

『……?』

「驚かせちゃったみたいでごめんなさいね。私たちはちょっと一休みしているだけで、別にここのポケモンたちとバトルするつもりはないの。もしお腹が空いているなら、そのきのみ、好きに食べていいよ」

 

 

とりあえずこちらにも戦意はないことを伝えるべく、そう言ってみたが向こうから更に近寄ってくることもなく、目だけが私ときのみを交互に追い続ける。敵意がないとしても、やはり初めて見る存在に対して多少なりとも警戒はしているのだろう。だからこそ私は無理にきのみを押しつけるでもなく、そのポケモンから目を逸らすと再び色鮮やかな花畑の方へと意識を向ける。きのみを食べずとも、言葉通り私たちに何もする気がないということはおそらく分かってくれるはずだ。そう考えて、敢えて何も言わずにいると今度はどこからか慌ただしい羽音が聞こえてきた。

 

 

『姉ちゃん、やっと見つけたぜぇ!どこまで行っちまったのかと思いきや……っておいおい、人間がいるじゃねーか?!』

『!!』

『こうしちゃいられねぇ、とっととここから離れるぞ!』

『ちょ、ちょっと待ってよ……!この人は、』

『ええい、言い訳はなしだ!人間に捕まるなんて、おれは絶対嫌だからな!変な玉ぶん投げられる前に、届かないくらいこのまま遠くまで逃げきってやるんだぜぇ!』

『お願いだからわたしの話を聞いて、ムクバード!』

『姉ちゃんの頼みでもそれは無理だなぁ!つーわけで人間、あばよぉ!!』

 

 

羽音の主であるムクバードは何か言いかけていた彼女を器用に鉤爪で捉えると、そのまま花畑の入口側へと飛び去っていってしまう。一連の流れが余りにも唐突だったために、そんな彼らを見送ることしか出来なかった私は何も言えないままで呆然としていたが、やがて眠っていたはずのゲッコウガがゆっくりと起き上がった。

 

 

『やれやれ。何とも喧しい連中だったな……』

「……ゲッコウガ、もしかして不機嫌?」

『折角の昼寝を邪魔されたんだ、そうなっても仕方あるまい……セツナ、もう少し奥の方に移動しておかないか?俺はまだ眠い』

「まあ、移動するのは構わないけれど」

 

 

その前に、まだ眠り続けていたモウカザルは一旦ボールに戻しておこうとしたところで、ムクバードが飛び去った方向から地響きに近い音が轟く。思わずゲッコウガと一緒にそちらを見遣ると、それまで間違いなく穏やかだったこの場所にはまるで似つかわしくない、黒々とした煙が立ち上っていて――それを見た瞬間、私は猛烈に嫌な予感を覚えていた。


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