レゾンデートル   作:嶌しま

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すうすう、と穏やかな寝息を立てて眠っているヒカリの頭を優しく撫でる。

あれからゲッコウガとはシンジ湖で別れて家に戻ってきた後、夕飯を食べてお風呂にも入ってから、私はヒカリとの約束通り彼女のベッドで絵本を読んであげていた。別に私自身は朗読が特別に上手なわけでもないけれど、物心ついた頃からこの家で一緒に日々を過ごしてきた私のことをヒカリはすっかり姉として慕ってくれているらしく、自分がトレーナーとして旅立つ直前の今でも変わらず私に甘えたがる彼女を私自身も可愛がっている。容姿の違いさえなければ或いは本当の姉妹のように見えたのかもしれないけれど、生憎現在の私はヒカリと違って白髪に薄紅色の目という、いかにもゲーム世界にお誂え向きのような容姿だったので本人からしてみれば若干萎えたのは仕方のないことだと思いたかった。

 

 

「セツナ、ちょっといいかしら?」

「あ、はい」

 

 

生前とは全く違う、どこまでも真っ白でしかない自分の髪を適当に弄っていると扉を何度かノックされてから、この家の大黒柱でもあるアヤコさんがヒカリの部屋に入ってきた。アヤコさんは眠っているヒカリを優しい目で見つめてから、次いで私にその視線を向ける。

 

 

「全く、ヒカリったら昔からお姉ちゃんに甘えてばかりね?こんな調子でこれから旅に出て、この子ったらちゃんと一人でやっていけるのかしら?」

「大丈夫ですよ。ヒカリは甘えたがりかもしれませんが、芯のある強い子です。それに、これからはポケモンと一緒ですから、決して一人ではありませんし」

「……セツナはまだ15歳とは思えないくらい、逆にしっかりしているわよね。私のことも、結局ママとは呼んでくれなかったし?」

「え、えっと。それはその……」

「ふふ。大丈夫よ、怒ってないから。私をそう呼ばないのは、お世話になっているからっていう遠慮もあるんでしょう?それも分かっているから。だけどね、これだけは忘れないで。たとえ義理でも、あなただってヒカリと同じ。私にとっては、大切な娘だってことを」

 

 

目を見つめられながら、そっと添えられた手の温かさに最期に居てくれた誰かを思い出した私はほんの少し泣きたくなったのを悟られたくなくて、思い切ってアヤコさんの胸元に抱き着くように倒れ込む。咎められるだろうか、と一瞬不安になったけれど、アヤコさんはお姉ちゃんも甘えたさんね、と笑って、ただ私を優しく抱きとめてくれただけだった。

 

 

「……セツナも一応、数日後には旅に出る予定だったかしら?」

「そう、ですね。折角だから、ヒカリやジュンと合わせようかな、とは思っていて」

「ヒカリと一緒に旅はしないのね?」

「はい。それはヒカリのためでもありますし、私自身のためでもあります。何より、私の旅は単純なバッジ集めとか、リーグ挑戦が目標ではなくて……私自身を知る為の旅ですから。多分、人よりずっと時間がかかると思うんです。そんな私のペースに、ヒカリを付き合わせるのはあの子の成長を阻む原因にもなりかねません」

 

 

ヒカリと一緒に旅をする、という選択肢も確かにかなり魅力的ではあった。けれどその場合、ヒカリよりもむしろ私がヒカリに依存して、彼女の足を引っ張るような事態にでもなればそれは原作の流れとして本末転倒になってしまう。原作を一度プレイした身としては、後に台頭してくるギンガ団も決して放っておけないのは確かだったけれど、大筋を根本から変える何かがあっては万一の時に対処できないかもしれない。それが何よりも怖かった。ギンガ団を阻むのはあくまでも主人公であるヒカリとその仲間であって、私はそもそもこの世に本来存在すらしていないはずのイレギュラーなのだから、出過ぎた真似は控えるべきだろう、と考えてもいたのだ。

……最も、私の目の前でヒカリに危害を加えられでもしたら、その時は私もただ黙って見ているだけで済まさないとは思うが。

 

 

「そんな難しいことまで考えなくても、私は大丈夫だと思うけれど……まあ、それがあなたの意志であるのなら、私はそれを尊重するわ。ただ、旅に同行するのは難しいとして、偶に出会ったら一緒に夜を過ごすくらいはしてもいいんじゃない?ヒカリもあなたも、まだまだ若いんですもの。一緒に悩んで、分かち合ってこそ人は成長していけるものよ?なんてね」

 

 

一応人生の先輩としてのアドバイスよ、と微笑んだアヤコさんは大人だけれどとてもお茶目な人で、正直母親には見えないくらい若々しい。それは彼女が今でも時々、ポケモンコンテストに出場していることとももしかしたら関係があるのかもしれない。

 

 

「ヒカリはもう寝ちゃっているから、先に渡しておくわね?これ、モンスターボールと傷薬の詰合せセットよ。本当はセツナにもヒカリとお揃いで、ランニングシューズと迷ったんだけれど……あなたの旅は、ゆっくりじっくり、自分と向き合う旅になりそうな気がしたから。一応、実用性も兼ねてこっちにしてみたの」

「本当に、何から何まで……ありがとうございます」

「もう、そこまでかしこまらなくたっていいって言ったのに、変に律儀ねセツナは。でも、そういうあなたも私は勿論、ヒカリも大好きよ。それをどうか、旅の途中も忘れないでね」

「……、はい」

「うん、いい子。あなたの初めてのポケモンは、一体どんな子になるのかしら?それもこれから楽しみね。それじゃあ、私からの話はこれでおしまい。セツナもそろそろ、お休みなさい」

「ええ、また明日。お休みなさい」

 

 

五年前から自分の名前と生まれた日以外には何も分からない、この世界において素性不明な私を引き取ってくれたアヤコさんと、私を姉として受け入れてくれたヒカリには本当に感謝してもしきれない。彼女たちがいなければ、間違いなくこんな穏やかな気持ちで誰かにお休みなさいと言える私はきっと存在していなかっただろう。アヤコさんと話していた間も変わらず眠っていたヒカリの頭をもう一度撫でると、寝ているにもかかわらずヒカリは嬉しそうに微笑んだ。良い夢でも、見ているのだろうか。そうだったらいいな。

 

 

「……ヒカリとこうして一緒に眠るのも、旅に出たらなかなか出来なくなるんだよね」

 

 

それは寂しいなあ、と呟いた私の一言に当然ながらヒカリからの返事はない。それでも私はどこか満足して、ヒカリの隣に潜り込むと自分も寝そべることに成功する。起きたらヒカリには驚かれてしまうかもしれないけれど、あと数日後にはお互い旅に出て暫く別れてしまうのだから、それまでの我儘として許してもらおう、と考えた私は幼い寝顔をしている妹を見守りながら自分も眠りに着いたのだった。


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