レゾンデートル   作:嶌しま

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慎重にホルダーから取り出したボールの開閉ボタンを押すと、赤い光が放たれた直後にゲッコウガが私の前に佇む。ポケモン研究者であるナナカマド博士は別として、ヒカリとジュン、そしてコウキ君は多分初めてみたであろう彼に心底驚いていた様子だったが、生憎今の私にはそんな彼らを見て和んでいる暇もなかった。

 

 

「出てきてくれてありがとう、ゲッコウガ」

『何てことはない。中から今の状況については把握している』

「そう。じゃあ、早速で悪いけれど、この子と話してみてくれる?」

 

 

未だに私から抱き着いて離れないヒコザルを見て、ゲッコウガは若干目を細める。そして、場合によっては睨んでいると言えないこともない視線でヒコザルを見つめながらも、とても冷静な声でこう尋ねた。

 

 

『ヒコザル、といったか。お前は一体、セツナに何を望んでいる?』

『……、』

 

 

相手は幼いポケモンなんだからもう少し優しい口調で尋ねた方がいいんじゃ、なんてちょっと心配していた私を他所に、なぜか暫く無言だったヒコザルの目がゲッコウガを見つめてきらきらと輝きはじめる。

 

 

『か、』

「ん?」

『かっこいい……!!』

「……、……あれ?」

『ねえねえ!お兄さん、お兄さんは何ていうポケモン?!』

 

 

てっきり泣き出すのではないか、という私の考えに反し、しがみついていた私の腕から離れそうになるくらい勢いよく身を乗り出したヒコザルが今後は逆にゲッコウガへ尋ねる。ちなみにゲッコウガ自身はそんなヒコザルに驚くこともなく、あくまでも冷静なままだった。

 

 

『……、ゲッコウガだ。それがどうした?』

『初めて聞いた!お兄さん、遠くから来たの?』

『ああ。生まれはここよりも更に遠いところだ』

『そうなんだ!あのね、ぼく、今までポッチャマやナエトルと一緒に過ごしてきたんだけれど、ずっとトレーナーと旅に出てみたかったの!でも、あの子たちには選んでもらえなくて……だからぼく、お姉さんと一緒がいい!』

『つまり、……ここを偶然通りがかったからお前はセツナが良い、と?』

『違うよ!だってお姉さん、今までぼくが見てきた人間の中で一番優しい目をしていたから!そんなお姉さんと一緒にいたら、ぼく、もっと強くなれそうな気がして、ええと、あとは……うーん。うまく言えないや。ねえ、これだけじゃだめ?』

『だ、そうだが。セツナ、どうする?』

「うん?どうするって?」

『このヒコザルはまだ幼いが、決して頭が悪いわけではないようだ。むしろお前をパートナーにと選ぶ辺り、良い目を持っていると思う。俺は連れていっても構わない。そう判断するが、決めるのはセツナ自身だ。好きにするといい』

 

 

ゲッコウガからそう告げられた後で、私は今も私に抱き着いているヒコザルを見下ろす。私は私自身が特別優しいと思ったことなんてないけれど、どんな切欠であれ私と旅に出たいと思ってくれているのなら、一つ聞いておきたいことがあった。

 

 

「ヒコザル。私とも、少しだけお話してくれる?」

『……うん、』

「私もあの子たちと同じ、これから旅に出る初心者なの。だから私と一緒にきたら、もしかしたらバトルの指示出しが上手くいかなくてあなたを苛々させることがあるかもしれないし、ご飯だって研究所にいた頃とは違って、場合によってはいつも贅沢なものは食べさせてあげられないかもしれない」

『……?』

「ええと、要するに……研究所で過ごしていた方が幸せだった、って思う可能性があるかもしれないってことを言っておきたかったんだけれど。そのくらい、トレーナーと旅に出るのって実は結構危険で厳しいことなの。ヒコザルには、その覚悟がある?」

『かくご?』

「そう。例えこれから何が起きても、私と一緒に生きる、という覚悟」

『……お兄さんにも、あるの?』

 

 

大人しく私の話を聞いてくれていたヒコザルは眉間に皺を寄せつつ、不意に私たちを見守っていたゲッコウガへと視線を移す。ヒコザルにつられて私もゲッコウガを見ると、彼自身は優しい眼差しでただ私たちに微笑んでいた。

 

 

『ああ。俺はセツナを信じている、何があっても。だからこそこうして、セツナの傍に在る』

『そっか……そっかあ、』

 

 

余りにストレートな彼の物言いにちょっとどきっとした私は、それを悟られないように願いながら再びヒコザルに視線を戻す。ヒコザルは何かを噛み締めるように何度かうんうんと唸っていたものの、結論が出たのか私を笑顔で見上げてきて。

 

 

『……うん!やっぱりぼく、お姉さんやお兄さんと一緒がいい!』

「……あれ、そうくる?」

『聞いたのはお前だろう。しっかりしろ、セツナ』

「いや……うん。私今、ヒコザルに結構厳しいことを言ったつもりだったんだけど」

『だって、お姉さんの言ってることってすごく当たり前のことじゃない?一緒に旅をする内に、一緒に生きて、一緒に乗越えてこそお互いに強くなれるんじゃないかな?』

『ほらな。やっぱりこのヒコザル、頭は悪くなかっただろう?』

『ねえねえ、お姉さんは?お姉さんは、ぼくと一緒だと、いや?』

 

 

ヒコザルの答に驚かされた私をさておき、ゲッコウガは相変わらず冷静に、そしてヒコザルは何も言わない私に不安を感じたのかまた眉間に皺を寄せてしまう。そういう顔をさせたいわけではなかったので、ヒコザルには何も言えないながらもそっと頭を撫でてみると、まるで花が咲くかのように微笑んだヒコザルが尚更私に擦り寄ってきて正直かなり癒された。

 

 

「……けれど、あなたを一緒に連れていってもいいかどうかは、私だけじゃ決められないわ」

「いや、もう十分だよ」

「ナナカマド博士?」

「セツナ、と言ったかね。君はきっと良いトレーナーになる。今の君たちのやりとりを見ていて、私はそう確信した。だからこそこのヒコザルは、セツナ、君に譲ろう」

 

 

それまで私たちの様子を見ていたナナカマド博士から思わぬ発言が出てきて、私は咄嗟にナナカマド博士をまじまじと見てしまう。よく考えればかなり失礼なことだったろうに、博士は私の不躾な視線を気にするどころか、逆に微笑ましそうな視線を向けられて恥ずかしくなってしまった。

 

 

「……本当に、宜しいのですか?」

「構わないよ。むしろこちらこそ、疑うような真似をしてすまなかったね。最近はポケモンを粗末に扱う乱暴なトレーナーも増えてきているから、どうにも警戒しすぎてしまっていたらしい。年寄りの悪い癖だ。セツナ、ジュンとヒカリにも既に伝えたが、君も後でマサゴタウンにある私の研究所まで一度来てみると良い。きっと損はしないはずだ」

「え、ええと。ありがとうございます……?」

 

 

あっさりとヒコザルの譲渡、もとい研究所への訪問を許されたことにびっくりしすぎて頭がついていかない。しかし呆けているわけにもいかず、何とかヒコザルを抱きかかえたままでお辞儀をすると、博士はそんな私を相変わらず微笑ましそうに見つめていた。……もしも私が自意識過剰であるのならば、この視線は今私の腕の中にいるヒコザルに向けられていたものだったのかもしれないが。

 

 

「……ふふ。君の将来が実に楽しみだな。さて、落ち着いたところで私は先に戻るとしよう。コウキ、そろそろ行くぞ」

「あっ、はい!それじゃあ皆、また後で!」

 

 

颯爽と歩き出したナナカマド博士に続き、慌ててコウキ君もその後を追って駆けていく。そんな彼らを、取り残された私たちは結局姿が見えなくなるまで見つめていた。


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