ハーレム作っちゃうぞー、という発言で屋敷から追いだされて数日。俺は、意気揚々と屋敷の前に立っていた。
酒に酔っていたとはいえ、確かに軽率な言葉だったかもしれないが、それで住処を数日追われてはたまったものではない。
さほど憤りの感情はないものの、釈然としない気持ちが残っているままではどうにも寝覚めが悪い。
俺は仕返しとして、手始めに、扉をノックして屋敷からはじめに出て来た人物を驚かせることにした。
声を出さず、ドアをコンコンと叩く。来客が俺と知れたら、奴らは警戒してくるだろうから効果が薄いと踏んでのことだ。
パタパタ、と慌ただしく誰かが走ってくる音が聞こえる。俺は、ドアの横の壁に背中をくっつけて、じっと息を潜めていた。
「カズマ、帰って来たの――」
「うおりゃああああああああ!!」
誰かがドアを開けると共に、俺はその人物に飛びついて床に押し倒した。
これは先日のことに対する腹いせであって断じてセクハラではない。
繰り返すが、セクハラではない。
「よくも追い出してくれたな!今からその体にたっぷりとお礼を……」
さてさて誰だったのかな、とワクワクしながら目線を下に向けた。
「……ハァ」
「ちょっとぉ! 人にセクハラしといて溜め息つくとか酷すぎるんですけど!」
聞き慣れた声が耳に響くとともに、あいつの頭の上の輪っかがぴょこぴょこと跳ねる。
俺が押し倒した相手は、よりにもよって俺がこの屋敷で唯一"そういう対象"に見ていない相手――駄女神ことアクアだった。
色々と期待してた気持ちとかなんやらが萎んで、もう一度溜め息をついて、アクアに事の経緯を説明した。
「というわけで、別にセクハラしようと思ったわけじゃないんだよ」
「……ま、まあ私たちが追い出したのも悪かったし、そういうことならこのことは水に流してあげても――」
「……めぐみんかダクネスならよかったのに」
「聞こえてんのよヒキニート! あんたやっぱりセクハラする気満々だったんじゃないのよ!」
俺がぼそりと呟いた言葉はアクアの耳に届いていたようで、せっかく無罪放免になりそうだった空気が霧散してしまった。
マズったとは思うが、思わず言わずにはいられなかったのだ。
この駄女神……アクアに関しては、馬小屋に寝泊まりしている頃から何度もそういう対象に見ようと努力して来たが、結局不可能だったという悲しい実績がある。
確かに見てくれは美人だしプロポーションも抜群だが、無理なものは無理なのだ。
俺はこの後のめぐみんやダクネスからのお仕置きを想像して気を重くしながら、アクアの上から身を起こそうとして――
『ドキッ』
……ドキッ?はて、俺は心臓の病にでも罹っていただろうか?
思わず自分の身を心配して心臓のあたりに手を置くと、俺の心臓は早鐘のごとく鳴っており、身の異常をこれ以上ないほど分かりやすく告げていた。
なぜ俺の鼓動はこんなにも早まっているのだろうか。童貞じゃあるまいし、こんなイベントは日常茶飯事だ。いちいちドキドキなんてしていたら身がもたない。童貞じゃあるまいし。
まして相手はアクアだ。相手が他の二人ならともかく、アクア相手に俺がこんなにドキドキすることなんて――
「……あ、あの。カズマさん? 早くどいて欲しいんですけど……」
アクアは先ほどの騒がしさは何処へやら、消え入りそうな声でこちらを見つめながらそう呟いた。
よく見るとその瞳には涙がたまっていて、頰はうっすらと赤く上気している。
ふと気がついた。
身体のほとんどが密着しているこの状態では、女の子の柔らかさとか匂いとか息遣いが全て伝わってくるわけで。
今、五感のほとんどがアクアから伝わってくる感触とかに割かれているわけで。
そういうことに気がついてしまうと、目の前のアクアの唇とかに目が行ってしまうわけで。
無意識のうちに、俺はゆっくりとアクアの唇に顔を近づけて――
――次の瞬間、自分のバカみたいに熱くなった顔に全力のフリーズをぶちかました。
☆
「ねえ、カズマってバカなの? それともアホなの?」
「な、何も言い返せねえ……イテテ」
茹った頭を冷やすためとはいえ、顔面に向けて直でフリーズを発動した代償は大きく、俺は、呆れ果てたという表情のアクアにヒールを掛けてもらっている。
「はい、これくらいで大丈夫でしょ」
「おう、サンキュな」
「そ、それで、さっきの事なんだけど……」
「さっきのことは蒸し返さないようにしよう! うん! お互い恥ずかしいし!」
「そ、そうね! 私は優しいからめぐみんやダクネスには言わないでおいてあげるわ!」
先ほどの事を思い返すと、せっかく冷えた顔がまた熱を持ち始めた。アクアもさすがに恥ずかしいのか、そっぽを向きながら髪をいじっている。
俺はこの気まずい沈黙を打ち破るべく、別の話題を振ることにした。
「そういえば、めぐみんとダクネスはどうしたんだ? 姿が見えないけど」
「めぐみんは日課。ダクネスは実家で用事があるみたいよ」
「ああ、なるほどな」
以前は俺が同行していた一日一爆裂だが、最近はゆんゆんが代わりに付き添ってくれている。……いったいどこに向けて爆裂魔法を放っているのか、少し聞くのが怖い。
ダクネスは魔王討伐以降、山のように持ち込まれる見合いの話を処理するのに苦心している。 おそらく今日実家に呼ばれたのも、親父さん直々に説得でもされるのだろう。
それにしても、最近めぐみんの日課に付き合っていないせいか、あの耳をつんざく轟音と頬をなぜる爆風が恋し――いやいや、何を言っているんだ、俺は。
爆裂魔法が恋しいとは、まるでめぐみんのような思考である。魔王城を爆撃したり、魔王を倒すために爆裂魔法を習得したりと、最近はめぐみんに毒される機会が多かったせいだろうか、と俺は内心苦笑した。
それにしても。
「魔王倒しても、俺たちの暮らしはなーんも変わらないんだもんなー。もっとちやほやされたり、山ほどファンレターもらったり、女の子がいっぱい寄ってきたリとか期待してんのになあ」
「あんた、本当欲塗れね……。あの二人に憎からず想われてるのに、ハーレム作っちゃうぞー、とかバカなこと口走るぐらいだものね」
「男なら、女の子にちやほやされたいと思うのは当然の思考だっての。それに、命かけて魔王を討伐したんだから、もっとこう、わかりやすいご褒美とか欲してもバチは当たらんだろ?」
「あら、私という素晴らしい女神が天界に帰らずここにいることが何よりのご褒美ではないかしら!」
「いや、俺あの時お前選んでないし。連れてきたのエリス様だし。何なら今から入れ替わってくれてもいいんだぞ? ほら早くしろよ」
「なんでよおおおおおおおおお!!」
アクアはドヤ顔から一転して泣き顔になると、こちらに縋り付いてきた。本当にころころ表情の変わる奴だ。
先ほどの出来事を引き摺っているのか、俺はなぜかそこで、密着してくるアクアの感触が気になり、気恥ずかしさをごまかすためにつっけんどんな態度でアクアを突き放した。
「ちょっ、お前あんまり引っ付くな!」
「だってだって、カズマさんが、カズマさんがぁ!」
「あーもう、冗談だっての。本当にお前とエリス様をチェンジしたいと思ってるわけじゃねーよ」
その言葉を聞いて、アクアは鼻をすすりながらもふにゃりとした笑顔を浮かべた。……半分以上本気でチェンジしたいと思っていたことは黙っておこう。
アクアはそのまま、上機嫌で紅茶を入れに向かった。俺はいつも通りの日常が帰ってきたことを肌で感じながら、ソファーに寝転がって目を閉じるのだった。
☆
「……ズマさん、カズマさん。起きて起きて」
「んぁ……?」
三十分ほど経っただろうか。俺は、鼻腔をくすぐる紅茶の香りと、アクアの声で目を覚ました。
アクアは紅茶の入ったティーポットと、二人分のカップをテーブルの上に置くと、俺の横に腰を下ろした。
「ほら、私が紅茶を入れてきてあげたわよ。ありがたくお飲みなさい」
「うお、お前が俺の分の紅茶も入れてくるなんて。明日は空からマナタイトでも降るのかな」
「あんた私をなんだと思ってるのよー!」
アクアがキーキーと騒ぐ声を聴き流しながら、紅茶に口をつける。お湯になっているということもなく、普段屋敷で飲んでいる紅茶の味が舌に染みた。
アクアは自分の分のカップに紅茶を注ぐと、一口飲んで、ほう、と息をついた。
そんなアクアの横顔を流し見ながら紅茶をちびりちびりと飲んでいると、アクアが突然こちらに向き直ってきた。
「うわっ、びっくりした。俺ドッキリ系とか苦手だからそういうのやめろよな」
「カズマ、ちょっと話があるんだけど、いい?」
俺の言葉も無視して、アクアは真剣な表情でこちらを見つめてくる。仮眠をとったことで多少頭が冷えたのか、俺はそれほどキョドることもなくアクアを見つめ返すことができた。
しかし、しばらくたっても、アクアは初めの勢いはどこへやら、あっちを向いたりこっちを向いたりして、口をもにょもにょと動かすだけで、何も口を開かない。
いい加減見つめ返すのが疲れたので、俺が残った紅茶に口をつけようとすると、アクアは意を決したようにズイ、とこちらに顔を近づけてきた。
またしても突然のことだったので、俺は心臓をバクバクさせながら後ろに倒れかかった。
「おっ、お前さっきから心臓に悪いんだよ! あれか、俺が割とビビりなの知ってての陰湿な嫌がらせか! 嫌がらせなのか!?」
「違うわよ! 人が真剣な話してるんだから茶化すんじゃないわよ!」
アクアはぷくっとむくれた表情になるも、すぐに頬を緩めて、こちらをちらちら見ながらぼそぼそと話し始めた。
「その、魔王を倒した後に、私カズマにお礼言ったじゃない?」
「あ、ああ。うん」
「それで、その。言葉で伝えるだけじゃ、あんまり足りないかなって思ってね。私、カズマに恩返しがしたいのよ」
「なんだよ、お前にしては殊勝じゃねーか。『私という素晴らしい女神が天界に帰らずここにいることが何よりのご褒美ではないかしら!』ってのが、お前の本音だと」
「……私、カズマには本当に感謝してるのよ?」
俺の冷やかしにも声を荒らげず、アクアは綺麗な笑顔を浮かべて言葉を続けた。
「私が一人で馬鹿みたいに突っ込んでいったのに、カズマは全財産をはたいてまで、私を助けに来てくれたでしょう?」
「いやっ別に、お前のためだけじゃねーし!? 金については魔王を倒したらお釣りがくるくらいだと採算つけてたし!? どっちかっていうとモテモテになることが主目的だし!?」
「ふふ、はいはい。……たとえ何が理由だとしても、カズマはお金も命も投げ捨てて、魔王を倒して、結果的に私を天界に返してくれた。……本当に、本当に嬉しかったのよ?」
アクアは心なしか瞳を潤ませながら、それでもニコニコと笑っている。……あの、これはどこのどなたでしょうか。
いつもの駄女神としての一面などカケラも感じさせないほど、アクアは慈愛に満ちた女神然とした微笑みを湛えている。
キールのダンジョンの時にも見た、意外なアクアの一面。それはまるで、俺が唯一尊敬する女神、エリス様のような笑顔で。
俺はしどろもどろになっていることを隠せもせず、憎まれ口をたたくことくらいしかできず。
「そ、それで何だよ? 金でもくれんのか?」
「カズマが、こういう雰囲気が苦手だって言うのは本当だったのね。普段はセクハラ三昧のくせに、こういう時はごまかそうとするんだから。本当、思春期ねぇ」
「う、うっせー! 俺ははこういう雰囲気苦手なんだよ! てか本当気恥ずかしいから早く先を続けて! はやく!」
「もう、ムードも何もないんだから。……それでね? カズマへの恩返しなんだけれど……」
そこでアクアは一度言葉を切って、視線を暫く虚空に彷徨わせた後、こちらを上目遣いで見つめながら、こう告げた。
「……私と、デート、してくださいっ」
その爆弾発言を言い放った女神様は、それはそれは綺麗に俺に向かってお辞儀をしたのだった。
恋するアクア様の小説はすでに偉大な先人がいらっしゃったのですが、書かずにはいられませんでした。
アクア様はほんま魔性の女神やでぇ…