「ほらアクア、そろそろ王都に出発するぞ」
「む~っ……」
むくれてしまったアクアを宥めすかしてどうにか店の外には連れ出したものの、まだアクアはジト目でこちらを睨んでいた。
いつもは物で釣ればあっという間に機嫌を直す癖に、今日は妙に面倒くさい駄女神である。
俺は一つため息をついて、身振り手振りを加えながらアクアに説得をした。
「いい加減機嫌を直せよ。ウィズだって別に悪気があってお前をからかったわけじゃないんだから」
「……カズマだって私をからかったでしょ! 謝って! 純粋な女神様をからかって遊んだことをちゃんと謝って!」
「純粋とかどの口が……。あーもうわかった、悪かった、悪かったって」
俺のあまり心の籠っていない謝罪に、暫く頬を膨らませていたアクアだが、大きく息を吐くと、黙ってこちらに手を差し出してきた。
「ん」
「……なんだよ」
「ん!」
アクアはただこちらへと手を突き出してくるだけである。俺はその行動の意味を読み取ると、一度辺りを見渡してからその手を取った。
アクアはようやく眉間に寄っていた皺を取って、俺の手を引いて歩き始めた。
俺は向こうを向いて俺の手を引く駄女神の背を見つめながら、この前途多難な道中に不安を募らせるのだった。
「そろそろテレポートを発動するぞ。準備はいいか?」
「うん、大丈夫よ」
アクセルの街を少し出たところで、俺はテレポートの詠唱を始めた。
アルカンレティアに向かうには、主に同じ温泉街であるドリスに馬車で向かってから、テレポートサービスで転送してもらうか、王都から転送してもらうかの二択がある。
他にもここからアルカンレティアに向かう直通の馬車に乗るという手もあるが、どう考えてもトラブルにかち合う予感しかしないのでパス。
ドリスに馬車で向かうというのも、同上の理由でパス。
金ならあるのだから、わざわざリスクを冒してまで馬車旅を選ぶのは得策ではないのだ。
「しっかり手を握っとけよ。……『テレポート』!」
俺のその言葉と共に、周辺の景色が急激に入れ替わってゆき、数秒後には俺たちは王都の入り口の門に立っていた。
「ここに訪れるのも久しぶりだな。最近はあまり顔を出してなかったからなぁ」
「王都でも少し買い物をしていきましょうよ。……そういやあの性悪悪魔もいるんだったかしら。鉢合わせないようにしないと」
俺たちがいろいろと話をしながら受付の方へと歩いていくと、こちらを見た受付の人が目を見開いて、興奮したように話しかけてきた。
「あのっ、魔王を倒した冒険者のサトウカズマさんとアクアさんですよね? 今日はどういった御用で王都に?」
「あ、ああ……。テレポートサービスを利用しようかと思って。入っても大丈夫か?」
「ええ、ええ! いや、勇者様と顔を会わせられるなんて今日はいい日だ! おおエリス様、この出会いに感謝致します」
「ちょっと、目の前にアクシズ教のご神体がいるんだから、感謝するならアクア様に……むぐっ」
面倒なことを口走りそうだったアクアの口を塞いで、こちらににこやかに手を振っている受付の人に軽く礼をしながら、王都の中へと歩きだしていく。
どうにもむず痒い反応だ。アクセルでは扱いのひどさに苛立ちもしたが、こうも崇められると逆に居心地が悪くなる。
むーむーと呻いているアクアの口から手を放して、王都への門を潜ると、アクセルとは比べ物にならない活気と熱気が肌を撫でてくる。
ど田舎のアクセルと一国の中心を比べてはいけないのだろうが、何度来ても同じ国の一都市とは思えない。
しかし、街に入ってしばらく歩いていると、どうにも住人たちの様子がおかしいことに気が付いた。
「……カズマさんカズマさん、なんかすっごく見られてるんですけど」
「あ、ああ……。どうにも居心地が悪いな」
周囲からの視線もまたアクセルの比ではない。街ゆく人たちは皆足を止めて、俺たちの方を熱の篭ったまなざしで見つめてきている。
それはまるで、戦勝を収めた騎士団が街に凱旋してきた時のような光景だ。何も知らない人から見れば、異様な状況に見えることだろう。
俺たちが視線の圧力に耐えかねて、身体を縮こまらせながら歩いていると、その人だかりの中から一人がこちらに駆け寄ってきた。
「勇者様ーっ! 国を救っていただきありがとうございます!」
その言葉に触発されたのか、二人、三人と人々がこちらに駆け寄ってきて、ついには何十人、何百人の人の輪が俺たちを中心として、放射円状に出来始めた。
俺たちは瞬く間に、大勢の人にもみくちゃにされ始めた。
「カズマさんカズマさーん! 溺れる! 水の女神様なのに人波に溺れちゃう!」
「アホな洒落言ってる場合か! あの、ちょっと落ち着……いて……」
ふとそこで気が付いた。俺の周りにいる人たち、よくよく見ると女性の割合が結構高い。
それも別嬪さんぞろいだ。アクセルも田舎にしては美人の割合が多い街だが、やはり都会の女性というだけはあり、洗練された美しさを持っている。
その上誰もかれもスタイルがいい。四方八方から、むにむにと柔らかい感触が押し付けられている。
――幸せだ。俺は、異世界に来てからこれほどまでに満たされた気持ちになったことはなかった。
そうそうこれだよ。こういうのを求めてたんだよ。そもそも魔王を討伐した勇者様がいるっていうのに、あんな扱いをされるアクセルがおかしいだけなんだよ。
(俺の異世界生活、始まったな)
もう明日からは王都に住もう。住居はどこにしようかな。大真面目にそんなことを考えていると、
「『クリエイト・ウォーター』」
いきなり視界の外から、頭に冷たい水がぶちまけられた。俺の周りにいた女性がきゃっ、と悲鳴を上げて離れる。
俺が水が飛んできた方を見ると、ふくれっ面をした不機嫌駄女神がこちらをじっと睨んでいた。
「……おいコラ、糞駄女神。いきなり何してくれてんだ。温厚なカズマさんでもさすがに怒るよ?」
「あんたがのぼせ上ったぶっさいくな面してたから、私の神聖な水で冷やして上げたのよ。どう? 少しは頭は冷えたかしら? ……あっごめんなさーい! 頭が冷えても顔の方はどうにもならなかったわ! プークスクス!」
「こ、こんの駄女神が……! 上等だコラァ! ちょっと甘い顔してたらつけあがりやがって! この人ごみの中で一枚残らず剝いでやるよ!」
「やれるものならやってみなさいヘタレニート! その時点であんたは魔王を倒した勇者様から哀れな犯罪者にジョブチェンジだからね! ま、あんたにそんな度胸があるとは思えないけど!」
「ほう……俺がやらないと思ってるのか? この鬼畜のカズマさんともあろうものが、この場面で自重するとでも思ってるのか?」
俺の顔を見たアクアが、途端に怯えた顔を見せて後ずさりを始める。ついでに俺の怪しい手つきを見た周囲の人々も、ドン引きといった表情で俺たちから離れ始めた。
「あの、カ、カズマさん? まさか本当にやらないわよね? ここ王都よ? 自宅やアクセルとはわけが違うのよ?」
「俺がいつまでもヘタレだと思うなよ? 俺は魔王すら倒したカズマさんだぞ。その程度の事に躊躇はしない」
「め、目がマジだわこの男……。いやーっ! スティールはいやぁーっ! 助けてめぐみーん! ダクネスー!」
「さあまずはどこから剥いでやろうかなぁ~? ぐっへへへへへへへへ」
「何をしている! 貴様!」
「お、お兄様……」
手をくねらせながらアクアに近づく俺に、背後から聞き覚えのある声がかかった。
振り返るとそこには、憤怒の表情を浮かべた白スーツと、軽蔑の表情を浮かべた俺の妹が……。
…………。
「調子乗ってすみませんでした」
――可愛い妹、アイリスの表情に耐えられなかった俺は、往来のど真ん中で美しいDOGEZAを敢行したのだった。
☆
「まったくこの男は……。魔王を倒して少しは見直したと思ったら、中身は何も変わっていないではないか」
絶対零度の視線でこちらを睨んでくる白スーツ。その視線を受け流しながら俺は紅茶を口の中に流し込んだ。
俺たちはあれから場所を移動して、道の傍の喫茶店のような場所で話をしていた。
王族がこんな、庶民のたむろする喫茶店にいていいのかと思ったが、白スーツが店主に何やらでっかい金貨袋を渡して暫くの間貸し切りにしてしまった。こいつの金銭感覚はどうなってるんだ。
その隣に座るアイリスが、呆れ果てたという感情が詰まったような大きなため息を一つついた。
「アイリス、そういう表情されるとお兄ちゃんすごく辛いからやめてくれ」
「誰のせいだと思っているのだ! それとお兄ちゃんはやめろお兄ちゃんは!」
「……お兄様。街の皆さんはあなた方が成し遂げたことに心から感謝し、魔王を倒した勇者一行という存在に憧憬を抱いてらっしゃいます。あまり街中でああいった行為をされては、彼らを失望させてしまうことにもなりますよ?」
「……返す言葉もないです」
幾つも下の妹に正論で諭され、俺は非常に肩身が狭い思いを味わった。
アイリスはもう一つため息を吐くと、ぼそぼそと小さい声で、
「……もっとしっかりしてくれないと困ります。だって、お兄様、カズマさんは……」
「……アイリス様。そろそろ王城に戻りましょう。国王様とのお話の時間が迫っております」
赤い顔で何かを呟いているアイリスを連れて、白スーツが店主に礼を言いながら喫茶店を出ていった。
アイリスは何を言おうとしていたんだろうか。そんなことを考えながら紅茶を飲んでいると、先ほどまで貸し切りだった喫茶店にちらほらと人影が見られ始めた。
そろそろ出ようか。そんなことを考えながら隣を見ると、未だふくれっ面をしている駄女神がこちらをジト目で睨んでいた。
「……なんだよ。言っとくが、俺は謝らんからな。あれが自室なら、本当に服を全部剥がれても文句は言えんぞ」
「……そっちじゃないわよ。バカ」
アクアは俺の言葉にさらに腹を立てたようで、手元の紅茶の水面に目を落としたまま口を開かない。
俺はこのめんどくさい女神に頭を悩ませながら、投げやりに言い放った。
「なんだよ、やきもちでも焼いてんのか?」
「…………」
「えっ」
コクッ、とアクアが頷くのを見て、俺は思わず声を出してそちらの方を二度見してしまった。
よく見るとアクアは耳まで顔を赤くして、眼のふちには涙を浮かべ。そのまま拗ねたような声色でぼそぼそとしゃべり始めた。
「……私とのデートなんだから、もっと私の事を考えてよ。私の事を見てよ。私の事を褒めて撫でて甘やかしてよ。女の人に囲まれて鼻の下伸ばすのは、色情魔のカズマだから仕方ないけれど、せめてデートの時ぐらい我慢してくれたっていいじゃない」
アクアは、そんな恥ずかしいことを臆面もなく言い放った。その言葉を聞いた俺は、アクアと同じように耳まで赤くして黙り込んだ。
そんな俺たちに周りから突き刺さる視線が痛い。というかこいつは、ウィズと俺にからかわれてあれだけ顔を赤くしてたくせに、なんでこういうことを言うのには物怖じしないんだ。
気まずい沈黙が俺たちの間を支配する。それに耐えかねた俺は、アクアの頭にポン、と手を置いて撫でてやった。
何度か撫でていると、アクアがこちらを上目づかいで見つめてきた。
だからその目はやめろ、俺に効く。
「あー、今回は俺が悪かった。すまん」
「……もう鼻の下伸ばさない?」
「ぜ、善処する……」
「……そこは伸ばさないって言いきりなさいよ……。もう、この男は」
ジト目で見つめてきていたアクアは、突然クス、と笑みを漏らすと、立ち上がってこちらに手を差し伸べてきた。
「ん」
「……はいはい」
「ん。よろしい」
二度目だから今度はすぐに手を取ってやる。アクアはそのまま俺の手を引いて喫茶店を出ると、ずんずんと先に歩いていく。
まだ王都すら出られていないとは、本当にアクシデントだらけの道程である。俺が手を引かれながら、遠い目をしていると、突然握られている手の感触が変わった。
包み込むような感触が、絡み合うように。それに驚いて手を見ると、アクアは手の握りかたを変えて、指と指を絡ませるようにしていた。
思わずアクアに声を掛けそうになる。しかし、前を歩く駄女神の、耳まで赤くなった後姿を見て、俺もまた笑みを零してしまった。
なんか、今日のこいつはかわいいな。この世界に来て、俺は初めてそう思ったかもしれない。
絡ませた手を強く握ってやると、アクアは露骨に嬉しそうな反応を見せて、さらに足を速めるのだった。
まだ王都からも出られてない…。
次こそはアルカンレティアに着く…はず…。