視線が痛い。先ほどとは比べ物にならないくらい痛い。
その原因は言うまでもなく隣で歩くアクアである。俺が指輪を渡してからというもの、アクアは指輪を手に乗せて眺めたり、日にかざしてにへらと笑ったりと、ずっと上の空でにこにこしている。
その上繋いだ手は離そうとしない。さらには先ほどよりも距離が近い。
十数分前は、俺たちは傍から見たら恋人に見えるのかもしれない、などと思ったが、現在の状況は良くて恋人、悪くて夫婦にすら見えるだろう。
周囲からは、新婚さんを見守るような視線が矢継ぎ早に降りかかってくる。
俺は内心、エリス様に恨み言の一つも言いたいくらいの気持ちだった。
今回に関しては、隣の駄女神には一切非がないのも質が悪い。
指輪を渡したのは俺で、その帰結としてこうなっているのだから、自業自得と言われても反論の余地がないからである。
それにしてもこの状況は頂けない。下手な噂でも立とうものなら、暫くの間王都を表だって歩けなくなることは容易に想像できた。
有名人と言うのはこういう時不便である。週刊誌やマスコミにプライベートでも追い回される芸能人の生活とはこのようなものなのだろうかと、遠い故郷の記憶をぼんやりと思い浮かべた。
俺はとりあえず現状を打破すべく、隣でふやけた表情をしているアクアに声を掛けた。
「おい、アクア。ちょっと聞け」
「……ふえ? なになに、なにかしら?」
アクアはまだぽわぽわした様子で、ふわふわした返答を返してきた。
どうにも毒気を抜かれるその反応に気後れするも、心を鬼にして言葉を続ける。
「とりあえず、その指輪俺に預けとけ。お前が持ってたら無くすかもしれないし」
「えっ。い、嫌よ。ちゃんと大事に持っておくから無くさないわよ」
「いいからとっとと渡せ! お前がそれ見てにやにやしてるせいでさっきから周囲からの視線が痛いんだよ! 宿に着いたらちゃんと返してやるから!」
「いーやー! もう名前だって付けてるんだから渡すもんですか! やめてぇ、その子を引きはがそうとしないでー!」
アクアは意固地になって指輪をぎゅっと握りしめている。しばらくそのやり取りを続けていると、アクアが本気で泣きそうになったので、俺は指輪を取り上げるのを断念せざるを得なかった。
贈り物をこんなに大切にしてくれているのは嬉しい。嬉しいが、時と場合を考えてほしいと思う俺は間違っているだろうか。
結果的に先ほどと何も状況が変わらないまま俺たちは王都を歩いてゆくことになった。
俺はもう諦観の境地で、今日の晩飯はなんだろう、と言ったどうでもいいことに思考を巡らせるのだった。
「むう? そこにいるのはお得意様! ……と、忌々しい狂犬女神ではないか」
テレポートサービスの待ち受けに着くと、見覚えのある怪しい仮面が俺たちを出迎えた。
手には種々の魔道具を抱えており、どうやらこれからアクセルに戻る途中と言った風体であった。
その声が聞こえた瞬間、アクアがパッと俺の隣から離れて、ツカツカとバニルの傍に歩み寄っていく。
普段通り、二人は睨みあうような姿勢を取る。また戦闘が始まるのかと、俺が胃を傷めつつ仲裁に入ろうとすると、
「……やめた。今日のところは見逃して上げるわよクソ悪魔。寛大な私に感謝することね」
そう言って、アクアが踵を返した。バニルも意外そうに仮面の下の目を白黒させたが、辺りを見回し、アクアの服装を見て、得心したように意地の悪い笑みを浮かべてこちらに近寄ってきた。
「フハハハハ! ついにあの狂犬女神すら手懐けたか、小僧。吾輩、少しだけ貴様の事を見直したぞ。これからはしっかり手綱を握っておくがよい」
「無茶言うな。あいつを制御なんぞ出来るわけないだろ。そういやお前はなんでテレポートサービスなんか利用してるんだ? お前の実力なら、馬車旅でもどうにでもなるだろうに」
「テレポートサービスに必要な経費と、あのポンコツ店主を馬車旅の間放置しておくリスクを天秤にかけた結果である」
「……ああ」
確かに、テレポートサービスを利用して帰った場合と、馬車を利用して帰った場合の差し引きの時間があれば、ウィズは一体どんな珍妙な商品を持ち帰ってくるかわかったものではない。
納得して、軽く手を振ってアクアの方へと行こうとすると、突然バニルがこちらに顔を近づけてきた。
「むう……? なにやら面白そうな未来が見えそうなのだが。あの発光女が関わっているせいか、あまり鮮明に見通せんな」
「おいおいなんだよ。不安になるようなことを言わないでくれ」
「うむむむむ……。まあお得意様のよしみとして、一つ助言しておいてやろう。その懐に持つ神器は、決して手放さぬが吉と出た。よくよく覚えておくことである」
バニル自体は胡散臭いが、バニルのもたらす予言は的中する可能性が非常に高い。
以前も、ダクネスの未来を見通し、結果的にすんでのところで危機を救うことが出来たことがある。
俺はその助言を、心の片隅に刻んでおくことにした。
話を終えたバニルが、テレポートサービスの受付へと歩いていく。仮面悪魔は、そのままテレポートで王都を去る瞬間、こちらに向けてにこやかに、
「それでは、なんだかんだ憎まれ口をたたきつつも今日のデートを楽しんでいる小僧! せいぜいその狂犬女神と仲良くするがよいぞ、フハハハハ!」
「おいやめろよ! て、適当言ってんじゃねーぞ、バーカ!」
「おっとこれは羞恥の悪感情、大変――」
その言葉の途中で、バニルは転送の光の中に消えていった。俺が反射的に言葉を返して、肩で息をしていると、隣からちらちらとこちらを窺う視線を感じた。
頬を赤くしたアクアは、何かを言うべきか言わないべきか逡巡している表情で、俺の袖を引いている。
俺はいい加減こういう甘酸っぱい雰囲気に吞まれることから脱却すべく、すぐにアクアの手を引いてアルカンレティア行きの受付へと歩き始めた。
「おい、さっさとアルカンレティアに行くぞ」
「あっ、う、うん!」
アクアは、急に手を引かれて慌てながらも、どこか嬉しそうな様子を見せるのだった。
☆
水と緑が調和した美しき水の都、アルカンレティア。
初めてここを訪れたときは、その美しさに感動を覚えたものである。
この町は相変わらず見た目だけは美しいのだ。見た目だけは。
だがその内実を知ってしまうと、素直にその美しさに浸ることはできない。
俺はこれからこの町でどんなトラブルに巻き込まれるのだろうかと、内心慄きながら入口の門へと近づいて行った。
「ああ……この子は先の魔王軍との戦いで右手と左足を失ってしまったのです。どうかこの子に慈悲を……慈悲を頂けないでしょうか……」
沈痛な表情をした母親と、片手片足を失い、絶望に染まった表情を浮かべる息子という二人が門の周辺でなにやら署名と寄付を求めている。
その風貌はあまりにも悲愴で、心を動かされた観光客たちが、母親の方に近づいて寄付をしている。
「ありがとうございます……。ありがとうございます……!」
はらはらと涙を零す母親と息子に、涙すら浮かべてその場を去っていく観光客。
俺はそれを白けた顔で見ながら、アクアを連れてその場に近づいて行った。
アクアの顔を視認した瞬間、一転して明るい表情を浮かべた二人が、立ち上がって祈りを捧げてきた。
そう、片足を失っていたはずの息子も、である。
「おおアクア様! よくぞこの町を訪れてくださいました!」
「今日も勧誘に励んでいるみたいね。その調子で頑張って頂戴」
「ありがたきお言葉……! 心より感謝いたします!」
二人は平身低頭してアクアを崇めている。
息子の方の片手片足は相変わらず見えないままだが、大方魔法か何かで見えないようにしているだけだろう。
人情に付け込んで信者を増やそうとするこの心根。魔王軍と一緒にアクシズ教も滅んでしまえばよかったのに、とちょっと思った。
軽蔑の視線を向けている俺の前に出て、アクアが二人に話しかける。
「ところで、ゼスタさんはどこにいるのかしら? 少しお話をしに行きたいのだけれど」
「最高司教なら、教会にいらっしゃると思いますよ。アクア様さえよければ、ご案内いたしますが」
「ええ、お願いするわ。カズマは少しここで待っていてくれる?」
「おう、わかった」
三人が門の中に消えていったところで、アクアが居なくなっては勧誘が激しくなるのでは、ということに気付き身構えたのだが、さすがに町の外ではあまり勧誘は行われていないようで、壁に座り込む俺に声を掛けてくるアクシズ教徒はいない。
俺はようやく一息つけることに安堵しながら、美しいアルカンレティア周辺の自然を眺めて、荒れた心を癒やすことにした。
今はだいたい三時ごろといったところだろうか。昼下がりの麗らかな陽光が降り注ぎ、鳥たちの鳴き声が耳をくすぐり、暖かな風が頬を撫でる。
自然と瞼が重くなり、俺は少しの間居眠りを決め込むことにした。
「……よう。こんな時間から居眠りとは余裕じゃねえか」
ところがその時間は、隣に腰かけた誰かの声で邪魔をされてしまった。
俺が恨みがましくそちらを見ると、肩口まで切りそろえた黒髪と泣きぼくろが特徴的な因縁の相 手が、煙草を口にくわえてこちらを睨んでいた。
今日は顔見知りにやたらと会う日だ。
「久しぶりだな、サトウカズマ。あたしのことは勿論覚えてるよな?」
「おう、もちろん。あのあと無事に純潔は守れたのか、新入り」
「おっ、お前! 久しぶりに会った宿敵に最初にかける言葉がそれかよ!」
セレナは顔を羞恥と憤怒で赤くして、気持ちを落ち着けるように煙草の煙を吸い込んで、大きく息をついた。
そしてカタカタと体を震わせながら、地面に視線を落としてぽつりぽつりと話し始めた。
「……アクシズ教徒ども、ことあるごとに男はセクハラ、女は嫌がらせを仕掛けてきて、気の休まる時間もありゃしない。もう四六時中貞操と命の危機を感じてるよ。というかあの最高司教のおっさんは組織のトップなんてやっちゃいけない類の人間だろ。なんであんなのが最高司教なんだ。頭おかしいんじゃないのかあいつら…………」
「あいつらが頭おかしいなんてのは今更のことだが……いや、ご愁傷様」
「お前のせいだろうが!」
身から出た錆ではあるのだが、この元魔王軍幹部の顛末には同情せざるを得ない。もし俺が同じ立場に居れば三日で自害する自信がある。
セレナは忌々し気に俺を睨み付けた後、煙草を地面に放り投げて、かかとで踏みつぶし、精根尽き果てたという様子でため息を吐いた。
よく見ると頬はやつれ、目の下にはくまが出来ている。
「……魔王のやつも倒されちまったし、あたしはどうすればいいんだろうな。ここを抜け出して魔王城に戻ることも考えたが、最近は毎日爆裂魔法が打ち込まれてるみたいで、修繕も追いつかないぐらいだって話だし」
「知るかそんなこと、自分で考えろ。……ちょっと待て、爆裂魔法?」
セレナの言葉に、引っ掛かりを覚えるどころか俺は一つの確信を得ていた。魔王城に毎日爆裂魔法を打ち込むような頭のおかしい真似をする奴は、この世界でも一人しかいないだろう。
あんにゃろ、毎日毎日どこに爆裂魔法を打ちこんでるのかと思ったら、なんてとこにぶち込んでんだ。
まあ、特に止めるつもりはないけども。
一つ疑問が解けたところで、セレナは門の方へと向かっていった。俺は特に声を掛けるでもなく、再び瞳を閉じて居眠りを決め込もうとして、
「カズマ―、戻ってきたわよー。どこに……、ッあ……」
間の悪い駄女神の声が聞こえて、慌てて飛び起きてそちらを見た。
セレナとアクアはちょうど門の曲がり角の部分で鉢合わせ、お互いに驚き身体を硬直させている様子だ。
俺は反射的にそちらの方へと飛び出していった。セレナはアクアに対して恨みを抱いていてもおかしくはない。そしてアクアはセレナに対して苦手意識を持っている。セレナが何かをしようとしたら、確実に反応が遅れることが容易に想像できる。
俺はスキルを駆使しながら、二人の間に割り込もうとして――
「コンニチハアクアサマ。アクアサマニオアイデキテタイヘンコウエイデス。ワタクシハシゴトニモドリマスノデ」
すさまじい棒読みを読み上げたセレナが、顔を青くしてものすごい速足で街の中へと駆け抜けていった。
……どうやら、アクシズ教の洗脳教育は、あの強かな幹部すら手懐けてしまっていたようだ。
……俺の心配を返せ。
俺があっけに取られて小さくなっていくセレナの背を見送っていると、未だ身体を硬直させているアクアが、震える身体で俺に縋り付いてきた。
アクアはやはり、セレナに対してかなりのトラウマを抱えていたようだ。俺はその背を撫でながら、優しくアクアに声を掛けた。
「お前、まだあいつが怖いのか」
アクアはこくり、と頷きながら、ぽつりと言った。
「……もうあんなのは嫌よ。あんな寂しくて怖い気持ちは嫌」
背中に置いた手からは、アクアの震えが伝わってくる。
人と関わることがなによりも好きなこの駄女神にとっては、誰もが自分の傍から離れていってしまったあの経験が、何より恐ろしい記憶として心に焼き付いているのだろう。
いつも落ち込むということを知らないアクアが、唯一俺に落ち込んだ姿を見せたのは、あの時だけだったからだ。
こういう時、気の利いた言葉を掛けてやれるような甲斐性は俺にはない。だから、言葉でなく行動で示してやることくらいしかできない。
俺は未だ震えの止まらないアクアの頭と腰に手を添えると、そっとこちらに抱き寄せてやった。
アクアは一瞬ビクッ、と体を震わせたが、すぐにこちらに体重を預けてきた。
そのまま、暫くの間、俺たちは無言のままただ抱擁を交わした。
どれくらいの時が経っただろうか、アクアの体の震えは何時しか止まっていた。
「……ん、もう大丈夫」
アクアの言葉を聞いて、俺はそっとアクアを胸の内から離した。アクアは瞳に浮かんでいた涙をそっと拭うと、気を取り直したように笑顔を浮かべた。
「辛気臭くなっちゃったわね。あーやだやだ、せっかくアルカンレティアに来たっていうのにこんな顔してちゃだめよね」
アクアがいつも通りの調子になると、先ほどの自分の行動がどうにも気恥ずかしくなってきて、俺はぶっきらぼうに言った。
「そうだよ。お前が泣いてたりしたら俺がアクシズ教徒に何言われるかわからんだろ。俺の身の安全の為にもお前はちゃんといつも通りアホっぽく笑ってろ」
「は、はぁー!? あんた私の心配じゃなくて自分の心配してたわけ!? 結構感謝したりなんかした私の気持ちを返してほしいんですけど!!」
「うっせーこの駄女神! お前トラウマなんて抱えるような繊細な精神構造してないだろうが! あの程度のトラウマなんぞとっとと克服しろバカ!」
「また駄女神って言ったぁ! もっと私を労わってよ、優しくしてよぉ!」
俺に縋り付いてべそをかく駄女神。いつも通りの小競り合いをしながら、この駄女神にはやっぱり、あんな表情は似合わないと。
子供みたいにころころと表情が変わる、いつもの姿がよく似合っていると、そう思った。
俺は普段通りのアクアの姿にどこか安心を覚えながら、街中へと歩みを進めていくのだった。
知り合いラッシュはこれでとりあえず終わりだと思われます。