博麗になれなかった少女   作:東方茄子

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熱風が吹くと言ったが、あれは嘘だ。


第三十話 かりそめの笑顔

 

「ちょっと待って」

 

 水蛭子とレティが臨戦態勢に入るのを見て、マフラーを下げた霊夢が口を挟んだ。

 その顔は非常に不機嫌なものであり、今の状態を受け入れることをあからさま拒否しているように見える。

 

「水蛭子が戦う必要は無いわ。そんな奴私一人で倒せるから」

「え? でも霊夢」

「でもじゃない」

 

 お祓い棒を肩にかけた霊夢に、水蛭子が困惑した様子で口を開いたが、ピシャリと放たれた霊夢の言葉に口を閉じた。

 霊夢の言葉には控えめの怒気が含まれており、そのことが水蛭子をますます混乱させる。

 

「私はね、水蛭子。前の異変の時にアンタが一人であの吸血鬼と戦っていたのを見て心臓が止まりそうになるくらいに心配したの」

「え、そ、そうだったの?」

 

 ぱちくりと瞬きする水蛭子に「当たり前でしょ」と返し、霊夢が言葉を続ける。

 

「アンタが強いのは知ってるし、あの吸血鬼との戦いに勝てたのが運が良かっただけだなんて言わない。でも負ける可能性だって十分にあったし、何ならアイツの攻撃を一度でもまともに食らったら命を落とす可能性だってあったわ」

「それは……確かにそうだけど」

「私は水蛭子を死なせたくないし、本当なら怪我の一つだってさせたくない。どんなに可能性が低くても、アンタって存在が消えるかもしれないことは絶対にさせない。やらせないわ」

「霊、夢……?」

 

 黒曜石の瞳が、琥珀の瞳を覗き込むように見る。

 ま黒い瞳孔には、彼女の強い信念と、覚悟が垣間見えた。

 

 霊夢の言いようのない圧に気圧され、水蛭子が空中で一歩引く。

 

「この異様な春を静観していた私が言っても説得力が無いかもしれないけど、本来異変を解決するのは博麗の巫女である私一人で十分なの。だからアンタと魔理沙は私の後ろでただ見てるだけで良い。戦わなくても良いの」

「で、でもそれじゃあ私たちが着いてきた意味が」

 

 眉を下げた水蛭子の言葉に同調して、それまで話を聞いているだけだった魔理沙が口を開いた。

 

「そうだぜ霊夢。美味しいとこだけ独り占めしようたってそうはいかな……」

「美味しいとこ? 独り占め? じゃあ魔理沙、アンタはあの雪女とサシで戦って、絶対に勝てるわけ?」

「いや、それは分からないけど……それでも一人より三人で戦った方が確実だろ!」

 

 言い淀むように言葉を連ねる魔理沙に、霊夢は真顔で即答した。

 

 

「私一人でも、確実なのよ」

 

 

 唸る吹雪の中、ハッキリ聞こえる程に強い口調だった。

 そしてそれが過信から来るものでも慢心から来るものでも無いことを、水蛭子も魔理沙も知っていた。

 

 普段の無気力な態度から忘れがちだが、博麗霊夢は幻想郷を一人で調律出来る唯一無二の存在、博麗の巫女なのだ。

 

 強靭な肉体と驚異的な身体能力もさることながら、博麗の巫女を象徴とするお祓い棒や陰陽玉を初めた、霊符や封魔針などの妖怪退治の道具を駆使して戦う天才的な戦闘センスと、人の身に『神』を降ろすという反則的な能力。

 そして妖怪との戦いで敗北を喫した回数は、紅霧異変でのレミリアとの一戦一度きり。

 それまでは彼女はただの一度も負けた事がなく、更に言うと苦戦を強いられた事だって一度たりとも無かった。

 

 その事実が証明するのは、彼女が紛れもない『強者』であるということ。

 それこそ『神』と呼ばれる存在だけが、彼女の喉元に刃を突きつける事が出来るのだ。

 

 博麗霊夢は『妖怪退治』において、勝利を約束された存在だった。

 

 

「じゃ、ちょっと待ってて。直ぐに終わらせるから」

 

 

 やけに軽い口調でそう言って、レティの元へ飛んで行った彼女を、水蛭子も魔理沙も止めなかった。

 

 止められなかった。

 

 その背中から伝わる強い拒絶が、彼女達に痛いほど伝わったから。

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

 あの子は、きっとあのまま遠くに行ってしまう。

 

 霊夢の背中を見つめながら、水蛭子は不思議な確信を抱いた。

 

 

「……やだ」

 

 

 そう小さく口にした彼女の脳裏に、唐突に湧き上がる昔の記憶。

 

 

 八十禍津水蛭子には、幼い頃の記憶が無かった。

 

 

 大多数の人間は産まれてから三歳程度までの間の記憶を忘れてしまう。それを幼児健忘症と言うのだが、水蛭子に関しては本来おぼろげに覚えている筈の三歳から八歳までの記憶が無かった。

 嬉しかったことも悲しかったことも、友達との記憶も両親との記憶さえも。一切合切の思い出が、水蛭子の頭の中には存在していないのだ。

 

 そんな彼女の最初の記憶は、九歳になったばかりの春。

 博麗の巫女の候補として、先代の巫女に師事し始めた頃のものだ。

 ふと気付いた時にはもうその状況になっており、水蛭子自身それを少し不思議に思っていたが、他の人よりも幼少期の記憶が残りづらかったのだろうと一人納得していた。

 

 水蛭子がそう考えた理由の一つが、記憶の欠如に反比例する形で自身が持っていた理性と常識だ。

 自我を持ったその瞬間から、彼女は自分の名前が八十禍津水蛭子であるということが分かっていたし、自分が師事している女性が博麗の巫女であることも分かっていた。

 自宅も知っていて、母親のことも、父親が既に亡くなっていることも知っていた。

 体の動かし方、人とのコミュニケーションの仕方も把握しており、意識を獲得したその瞬間から彼女は、人間として何不自由無く、自立した一人の少女だった。

 

 彼女はそれを当たり前の事だと受け入れた上で。

 

 

 そして、誰よりも孤独だった。

 

 

 師匠と仰いだ先代の事も、毎日いってらっしゃいとおかえりを伝えてくれる母親も、水蛭子が何処にいても突然姿を現し自身を品定めするように見下ろすスキマ妖怪も。

 周囲の人々の誰一人、水蛭子は知っている筈なのに。

 全く、知らなかったのだ。

 

────

 

 凍てつく吹雪と霰を武器に、レティが霊夢に対して攻撃を始める。

 先程まで寒さに震えていた筈の博麗の巫女は、何も感じていないような真顔で、己の左右に浮いている陰陽玉から弾幕を飛ばし迎撃を開始した。

 

────

 

 目の前で起きている光景を見ながら、水蛭子はただ思い返した。

 

 私の虚ろな人生を変えたのは、今目の前で戦っている紅白の少女なのだ。

 

 八雲紫に手を引かれて、洗濯物を干していた水蛭子の前に現れた博麗霊夢。

 紫に自己紹介を促されたにも関わらず、つまらなさそうな表情で口を閉じていた少女。

 そんな霊夢を、水蛭子は不愛想な子だなと印象を抱きながらも、その顔に笑顔を張り付けて。

 

「新しい博麗の巫女候補の子よね? 一緒に博麗になるために頑張ろうね」

 

 と、手を差し伸べた。

 

 そんな水蛭子に、霊夢は少し驚いた顔をしてから、おずおずとその手を握り返した。

 その自分より小さな手は、僅かにではあるが震えていた。

 それがどういった感情から来るものか水蛭子には良く分からなかったが、ただ一つだけ確実に理解できた事があった。

 

 彼女は、私と同じだ。孤独なのだと。

 

 その瞬間、水蛭子の世界は目の前の少女一色になった。

 

 もう一人ぼっちじゃない。

 自分は、もう孤独じゃないのだと、水蛭子の胸が一杯になった。

 

 いつの間にか霊夢の細い体を抱きしめていた水蛭子は、霊夢にだけ聞こえる小さな声で言った。

 

 

「もう大丈夫だよ。私が、貴方を守るから」

 

 

 自我を持ってから、初めて出来た友達。姉妹。

 この日、水蛭子にとって霊夢は、この世界の誰よりも大切な人間となったのだ。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

 博麗霊夢にとって、八十禍津水蛭子という少女は誰よりも大切な存在だ。

 

 両親も既に死んでいて、頼れる親類も居なかった私は文字通り天涯孤独だった。

 里外れのあばら家で一人で細々と暮らしていたそんな私の前に、八雲紫が現れた。

 

「アナタ、博麗の巫女になる気はない? 衣食住は保証するわよ」

 

 初対面にも関わらず、開口一番にそう告げた紫に、私は少しだけ考えてから頷いた。

 春が訪れようとしていた季節、冬ごもりの間に備蓄していた食料も尽き欠けていて、生活に限界が来ていた私に、衣食住を提供してくれるという彼女の言葉はまさしく救いの言葉だった。

 

 紫が妖怪であるという事はなんとなく分かっていたが、もし紫の言葉が丸きり嘘で、彼女が私を食べるというのなら、それでも良かった。

 生きていても、良いことなど何も無いというのは分かり切っていたから。

 

 それから数日後、私は流されるままに紫に手を引かれ、初めて博麗神社に訪れた。

 

 そこで、私は出会った。

 灰色だった私の人生を、鮮やかに染め上げる一人の少女に。

 

 洗濯物を干していた少女に自己紹介をするよう紫に言われたが、気恥ずかしさで黙りこくってしまう。

 そんな私に少女は朗らかな笑みを浮かべて言った。

 

「新しい博麗の巫女候補の子よね? 一緒に博麗になるために頑張ろうね」

 

 差し出された手。

 私より少し大きなその手を、私は少し躊躇してから握り返した。

 

 暖かい。

 

 冷たい空気に吹かれて冷たくなっていた私の手に、じんわりと少女の体温が染み渡る。

 久々に感じた人のぬくもりに、握手をしていた手が小さく震えた。

 

 トクリと、凍てついていた心臓が鼓動を打つ。

 ふっと顔を上げると、彼女の優しい笑顔が何故か亡くなった両親の笑顔と重なった。

 

 ……もう、一人じゃないんだ。

 

 じわりと眼に熱いものが込み上げてくるのを感じた時、トンと打つ様な小さな衝撃が全身に加わる。

 気が付けば私は抱きしめられていた。

 柔らかい感触が全身を包み、彼女の暖かな体温が伝わってきた。

 

 

「もう大丈夫だよ。私が、貴方を守るから」

 

 

 呟くような声量で言った少女の言葉に、何故だか心が揺れる。

 初対面でお互いどんな人間なのか分からない筈なのに、彼女の言葉からは確固たる意志を感じた。

 まるで孤独から解放された私の心境を見透かされている様だった。

 

 喉の奥が小さく震え、堪えていた涙が目から零れ落ちる。

 涙を流したのなんて、一体何時ぶりだろうか。

 

 自分を抱きしめている彼女には見えていないその涙を、手の平で拭って小さく鼻を啜った。

 その音が聞こえたようで、少女が「風邪ひいてるの?」と問いかけてきたので、「……そう、でももう治っているから、気にしないで」と嘘をつく。

 折角知り合えたばかりの彼女を心配させたくなかったから。

 

 なんとか涙を収めて、彼女の抱擁から離れる。

 多分、泣いていたのは気づかれていない筈だ。

 

 依然微笑みを絶やさずに私を見つめる少女に、私は言った。

 

 

「ありがとう」

 

 

 短い感謝の言葉に、水蛭子は嬉しそうに笑みを深めて頷いた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

 守ると、そう誓ったのだ。

 彼女の震える手を握った、その時に。

 

 だというのに、何故私は彼女を一人で行かせた?

 彼女が拒否したからか?邪魔者が居ないほうが結果的に彼女が安全だからか?

 

 ……違う。

 

 そんなの全部言い訳に過ぎない。

 そもそもの話、先の異変で無敗の博麗の巫女は敗北したではないか。

 彼女は圧倒的強者ではあるが、無敵では無いのだ。

 

 私は彼女が弱者だから守らなければいけないと感じたのか?

 強くなった今の霊夢なら守らなくてもいいのか?

 

「違う、違う、違う……!」

 

 私は守らなきゃいけないんだ。そこに理屈なんて存在しない。

 彼女が拒否しても、鬱陶しいと思われても、私はあの子を守らなきゃいけないんだ。

 

 ……じゃなければ私は、自分がなんで生きているのか、分からなくなってしまう。

 

「霊夢……!!」

 

 戦う彼女の元へ加勢に行こうと顔を上げた私の目に映ったのは。

 

 

「いいぃ痛い痛い!! あ~……分かった分かった降参よ! 知ってる事教えるから、もうその弾幕止めて~!!」

「ああ? 何日和ったこと言ってんのよ! アンタが売った喧嘩でしょ!」

「格下に厳しい!!」

 

 

 両手を挙げて降参の意を表しているレティ・ホワイトロックと、そんな彼女を追い打ちするように恫喝をする幼馴染の姿だった。

 ボロボロになっているレティさんが霊夢の言葉に悲鳴を上げている姿は見ていてもの凄く可哀そうになる。

 

 あの、たまに輩みたいになる癖止めさせないとな……。

 

 なんか目の前の光景を見ていたら、ウジウジと自分が考えていた事が急に馬鹿らしくなってきた。

 あの人が降参って言ってるんだからもう加勢する意味なんて無いし。

 というかまだ十分も経ってないのに戦闘終了って早すぎる。

 分かっていた筈だが、彼女と私とでは格が違いすぎるのだろう。

 

 本当に自分は必要ないんだ。

 自分と霊夢とはあくまで友人であって、背中を預けられる戦友ではないのだ。

 

 そうだよね。

 そもそも私は人里に住む普通の人間で、霊夢は里の人間を守る博麗の巫女。

 私は守ってばかりの霊夢を守ってあげたいと思っていたけれど、そんなの彼女にとっては余計なお世話なんだろうな。

 

「……霊夢お疲れ様! 流石博麗の巫女ね!」

「ん、ありがと水蛭子」

 

 胸が締め付けられる思いを押し込め、無理やり笑顔を作る。

 

 大丈夫きっとバレない。

 私の笑顔は一度だって、作り物だとバレたことはないから。

 

 

 




 
謹んで新春をお祝い申し上げます。
旧年中は皆々様には大変お世話になり、誠にありがとうございました。
本年も不肖わたくし、更なる文章構成力の向上と皆様に少しでも面白いと思って頂ける事を目標に、精一杯物語を紡がせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。
重ねて、本年も皆様がご健勝でご多幸でありますように、心からお祈り申し上げます。

それではまた!
 
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