迷い家で休息を挟んだ三人は、八雲家の面々に礼を言って再び探索を開始した。
出立時、藍は彼女たちが向かうべきは風向きの方角、そこに冥界への入り口があると言った。
つまり「とりあえず雪が多くなる方角に行けば」という当初からの魔理沙の主張は正しかったということである。
藍の言葉を聞いた魔理沙はドヤ顔で二人の顔を見たが、霊夢はフル無視、水蛭子は曖昧な笑みを浮かべて「流石魔理沙ね」と褒めたくらいで、その後直ぐに探索が再開された。
吹雪は更に勢いを強める。まだ我慢できる程度ではあるが、視界一面が色一色なのは精神的な圧迫感が与えられ、それぞれの士気を僅からながらに低下させていた。
それでもこの先に存在する冥界へ向かわなければ、この異変は解決しないという事実は依然変わりなく、それだけが彼女たちの背中を強く押し進めていた。
時折雪の粒に混じって流れてくる桜の花びらを拾っていきながら、三人はただ空を飛ぶ。
そんなこんなで吹雪の中を進んでいる間に、辺りには夜の帳が落ち始めて来ていた。
「……だー! クソ! 視界が悪い!!」
雪と夜、ダブルで視界不良に陥った魔理沙が鬱陶しげにそう言って、タクトを振るって例の小太陽を作り出した。
外の世界の人工太陽照明灯のように、その光は三人の周囲を照らしていく。
機嫌が悪そうな魔理沙に苦笑しながら、水蛭子は礼を言う。
「ありがとう魔理沙」
「ああ。……それにしても、本当にこの先に冥界へ続く穴なんて物があるのか? かなり長い時間進んでるけど、それらしいのは見えてこないぜ」
「藍がそう言ったんだから間違いないわよ。アイツ一応、幻想郷の結界の管理もしてるから」
「なら良いんだけどよ……そろそろ何か無いと、流石の私も気分が萎えてきたぜ」
同感ね。そう呟くように言った霊夢の視界に、キラリと何かが光った。
花びらが発する朧気な物ではなく、魔理沙の小太陽のように誰かが作りだしたのであろう、ハッキリとした強い光だ。
「妖怪か?」
「かもね」
「今度は話して分かる人だと良いんだけど……」
不安げな顔で水蛭子が背中に携えた長棍を引き抜き正面に構える。
魔理沙もタクトを取り出し、霊夢は二人の前に体を出すことで現れる敵に備えた。
光はフラフラと動き、徐々に此方に近づいてくる。
腰を落としてそれを鋭く睨む霊夢。
そうして、雪と闇の向こうから現れたのは。
「……あら。見覚えのある子達ね」
まるで人形のような少女だった。
肩まである波打った金髪。鮮やかな蒼色の瞳はまるでサファイアのようである。
この気温であるにも関わらず、フリルの着いた青の洋服から伸びる袖は短かく、それでいて腰から下を包むスカートは、その足に履いている茶色のブーツの大部分を隠してしまう程に長い。
肩から羽織った大きなケープと頭の赤いヘアバンドは服と同様にフリルが施されており、彼女の真顔とは相反して少女チックで、非常に可愛らしいものだった。
そしてその周囲を取り囲むように存在しているのは、多国籍的な多種多様の容姿をした可愛らしい人形達。
ジッとこちらを見つめる少女。
彼女を見て、水蛭子と魔理沙は「あ」と小さく声を上げた。
「アリスさんだ! うわー久しぶりに見たー!!」
「なんだ人形遣いか。警戒して損したぜ」
「何、二人とも知り合いなの?」
嬉しげに笑みを溢した水蛭子と、ため息を吐いた魔理沙。
そんな彼女たちに、霊夢は視線を動かすことなく問いかける。
「人形遣いのアリス・マーガトロイドさん! たまに里にやってきて、人形劇を披露してくれる魔法使いの人よ。私ファンなんだぁ」
「アタシとは違って生粋の、妖怪としての魔法使いだよ」
「失礼ね、私だって元人間よ。血が滲むような努力の末にこうなっちゃったんだから仕方ないでしょ」
真顔のままであるが、不満そうな声色でそう言うアリス。
彼女は先行させていたランタンを持った人形を後ろに下げて、三人により近づこうとした。
しかし、それを霊夢が体を前に出すことで止める。
「霊夢?」
「アリスって言ったわね。アンタはなんでこんな所いるわけ? それもこんな時間に」
霊夢の挙動を不思議そうに見つめる水蛭子を庇うように、霊夢はアリスを睨みつけた。
怪しい、と。言葉を発さずとも察することが出来るくらいに訝しげな表情。
ガンを飛ばしてくる彼女をアリスは暫く眺めてから、口を開く。
「……里に買い出しに行こうと思って外に出たら、迷っちゃった」
「は?」
相変わらず無表情から飛び出してきた言葉は、やけに茶目っ気たっぷりだった。
警戒心満載だった霊夢も、思わず目を丸くする。
「おいおい、お前んちから里は真逆の方角だぜ?」
「本当に? ……やっぱりずっと家に引き籠ってたら土地勘が狂うわね」
「いやそういう問題じゃないだろ! 方向音痴にも程があるぞ!」
神妙な雰囲気で腕を組むアリスに魔理沙が突っ込んだ。
そもそも彼女は、森の奥にある自宅よりも山奥の方向を進んできているのだ。道を間違えたとか、そういう次元の話ではない。
記憶喪失にでもならない限りはそんな間違いは普通犯さないだろう。
霊夢に続き懐疑心が募ってきた魔理沙。
しかしそんな彼女の心情を全く察した様子も無く、アリスは言葉を続ける。
「人形の内部構造を作る材料が足りなくなっちゃって、いつも使ってた羅針盤を分解して代用したのよ。まぁそんなの無くても適当に行けば里に着くでしょって思ってたんだけど。ふふふ、まさか真逆の方角だとはね。その可能性は露ほども考えてなかったわ」
「馬鹿だ! あらゆる意味で正真正銘の馬鹿だ!!」
「ちょっと、魔理沙……ふっ……失礼、だよ……」
ビシィ!とアリスを指差して高らかに叫んだ魔理沙を窘めようとした水蛭子だったが、顔を俯かせた彼女の肩は小さく震えている。
真顔で意味の分からないこと宣うアリスに笑いのツボが突かれたらしい。
「そんなに馬鹿馬鹿言わないでも……?」
不満そうな声を出すアリスが、ふと顔を霊夢の方に向けた。
それから視線がガチリと固まり、アリスはジッと霊夢を凝視し始める。
「……何よ」
赤い髪留めで纏められた横髪を人差し指でくりくり弄っていた霊夢がアリスの視線に気が付き、仏頂面で返した。
それから少しの間を置いて、アリスは問いかける。
「見覚えがあると思ったら、貴方……もしかして博麗の巫女?」
「だったら何よ。疚しいことがあるんだったら退治してあげるけど?」
あいも変わらず物騒なボキャブラリーで返答する霊夢にアリスは肩を竦めた。
「それはご遠慮願いたいわね。ただ、有名な貴方とこうして話すのは光栄だなと思って」
「……あっそ、私はアンタなんかには一片たりとも興味ないけど」
「つれないわねえ、この子達をどうやって動かしてるのかとか気にならない? 里の人達には良く質問されるんだけど」
アリスがそう言うと、周囲に浮かぶ人形達が彼女の前に整列し、同時に可愛らしく礼をした。
水蛭子はそれを見て「かわいい~!」と満面の笑みを浮かべ、可愛いものが好きな魔理沙は「……抱っこしていいか?」と言ってからロロコ風のフリルドレスを着た人形、フランス人形を抱き上げた。
アリスは返事を待つこと無く人形を抱っこし始めた魔理沙を見て、特に文句を言いたげな様子も無く視線を霊夢に戻した。
当の霊夢は人形を愛でる二人を優しい眼差しで眺めている。
「私には真似出来そうにないから、あんまり気にならないかな」
「……あらそう」
和らいだ口調でそう言った霊夢を見て、アリスは意外そうに瞬きをした。
「なるほど、身内には優しいタイプか」
「ん、なんて?」
「いえ、なんでもないわ」
呟きに反応した霊夢にそう返したアリスは、少し考える素振りをしてから言葉を続けた。
「……ふふ、本当は博麗の巫女の霊術に興味があったんだけど、気が変わったわ。またの機会にさせてもらうわね」
「何よ、やっぱり戦う気があったんじゃない」
再び仏頂面に戻った霊夢に、アリスが楽しそうに微笑んだ。
それから彼女は「そういえば」と何かを思い出す。
「貴方達の方はどうしてこんな所に居るの? 迷子にでもなった?」
「そんな訳ないじゃない。アンタじゃないんだから」
「私たちはこの異変を解決しに来たんです」
「この雪を止めるってこと? それは大いに助かるわね。魔法素材の買い出しもそうだけど、最近は劇の披露も出来てないからこの子達もつまらなさそうだし」
人形達がわざとらしく項垂れ、あからさまに「おもしろくねー」といった感じのポーズを取った。
やけに人間臭いその動作に三人が苦笑する。
それから魔理沙が何かを思いついたのか、ぽんと手を打った。
「そうだ。お前も着いてくるか? 人手は多い方が助かるぜ」
「うーーん……別に行っても良いけど……。私が行っても意味ある? 博霊の巫女に加えて二人居るんなら、それ以上は過剰戦力じゃないかしら」
「そうね。さっきも言ったけど、異変の解決は本来私一人で充分。これ以上人手が増えても動きづらいだけだわ」
アリスと霊夢の言葉に、魔理沙は「そうか……」と少し残念そうに口を尖らせた。
先程アリスのことを妖怪の魔法使いであることを強調して言った魔理沙だったが、その実、元は人間の身でありながら妖怪としての魔法使いに昇華した彼女に尊敬の念を抱いていた。
一緒に居てくれれば心強い存在であったが、それが叶わないのなら、仕方ない。
しかし、そんなふうに肩を落とす魔理沙の、その胸元に抱かれているフランス人形を指さしながら、アリスはこう切り出した。
「……代わりと言ってはなんだけれど。良ければその子、貸しましょうか?」
「え? い、良いのか……!?」
一瞬、魔理沙の瞳がキラリと輝いた。
しかし、その申し出にどういった意図があるのか分からず首を捻る。
「いやでも、なんで?」
「お守りみたいなモノよ。貴方達の旅の無事を祈る為のね」
優しい声でそう言ったアリスは、そのまま続ける。
「ああそれと、その子は手から離しても勝手に着いて来てくるから探索の邪魔にはならないと思うわ。それに防寒シールドの魔法式を組み込んであるから、追従させている間は寒さがかなり緩和されるわよ」
「へぇ、そりゃ便利だな」
魔理沙は人形の説明に感心した声を出し「少しの間よろしくな」とフランス人形の頭を撫でた。
それからアリスは京人形を霊夢に、オルレアン人形を水蛭子に渡して言った。
「他の二人にも、一人づつ人形を貸すわ。この寒さじゃまともな休息も取れないでしょうから」
「わ~助かります!ありがとうアリスさん!」
「……ありがと」
里で行われた人形劇では少し遠目で鑑賞していたそれを間近にして、水蛭子は満面の笑みを浮かべる。
霊夢は京人形の脇を抱えて、その顔をジッ見つめながら感謝の言葉を述べた。
それぞれの反応を見た後、アリスは残った四体の人形に再び自身を取り囲ませ。
「それじゃあ私は帰るわね。お夕飯、まだ食べてないし」
「そうか。気を付けて帰れよ」
「雪が収まったら、また劇をしに里に来てくださいね!おもてなしするので」
「また迷子になるんじゃないわよ」
三者三様の言葉に頷いて、アリスは人形たちと共に優雅に去っていった。
……風上の方に。
「おおーい!!だからそっちは違うって言ってんだろ!!」
魔理沙の怒号にも似た叫び声が、すっかり夜の帳が落ちた銀世界に響き渡った。
◆
吹きすさぶ強風。一粒づつが非常に頑強な氷の飛礫。
首元に巻いたマフラーが無ければ、とうに身体が動かなくなっているであろうと感じる程に周囲の空気は凍てている。
空気中の水分も凍っているのか、咲夜を襲う瓢風は背景の銀世界と同じく白い。
「これは、凄まじい魔力ね……」
「なんで凍らないの? 普通の人間なら今頃カッチカチの氷像になってるのに」
両手を顔の前で交差させて強風を耐える咲夜を見て、チルノが不思議そうに首を傾げた。
チルノが知っている情報では、十六夜咲夜という少女は身体・思考共に常人に比べてずば抜けた能力を持っている少し変わった人間だ。
勿論幻想郷に住む普通の人間達とは一線を画した力を持っており、それなりの妖怪となら対等に戦える実力を持っているだろう。
「(
どれだけ優秀であっても、所詮彼女は
それなのに何故、彼女は氷漬けになっていない?
「……ま、いっか! 素直に凍っとけば良かったって後悔するほどジューリンしてやるわ!!」
チルノは細かい事を考えることが嫌いだった。今の攻撃で参らないなら、もっともっと強い攻撃でぶっ飛ばす。
それが彼女の戦いにおけるポリシーである。
声高々に宣言した彼女は、両手を掲げ、その手の内に凍てつく魔力をどんどん圧縮させ始めた。
瞬く間に小さな竜巻になった魔力の渦。ごうごうと唸るそれを、チルノは身体を海老反りにさせた後、力の限りに放りなげた。
「くらえーッ!!」
彼女の手を離れた竜巻が咲夜目掛けて一直線に飛んだ。
そしてその間にも、竜巻は周囲の冷気を絡め取ってゆき、その中心気圧を上昇させていく。
風の渦から溢れる様に射出される氷の弾幕が、周囲にやたらめったらに拡散されるが、かなりの隙間があるのでそこは驚異にはならなかった。
眼前に近づいてくる竜巻。それを受け止めるのはどうあがいても人間の柔肌である。当たればタダでは済まないであろうそれを、咲夜は冷静な顔で眺めながらも猛烈な速度で脳を回転させる。
「(普通に動くだけじゃ確実に一撃貰う。能力を使ってチルノの背後を取って反撃するのが安牌)」
そう判断した咲夜の体が、チルノの視界から唐突に消え失せる。まるで現実でコマ落ちが起こってしまった様だった。
「……へ?」
何の前触れも無く姿を消した咲夜に、チルノが呆けた声を出す。
竜巻はそのまま飛んでいき、先程咲夜が居た場所の空気を削ると、地表に向かって飛んでいった。分厚い積雪を蹴散らし、爆発にも似た衝撃で地面を揺らしてから、竜巻はそのまま消えてしまう。
何が起こったのか理解が追いつかないチルノ。その背後に居るのは。
「眠ってしまいそうな程に遅い攻撃ね」
「うっ、わ」
背後から声をかけられたチルノが、体制を崩しながら振り向いた。
咄嗟に練り上げた魔力で出来た氷を飛ばすが、その先には既に誰も居ない。
「な、何で?」
「チルノ、貴女思ったより魔力操作が上手いわね。私ビックリしちゃった。……けど、
耳元で囁かれたチルノの身体が、ピシリと固まる。
先程心の中で咲夜に対して思ったことを、そっくりそのまま言い返された。
瞬きもせずにチルノはギリッと歯を食いしばる。
まただ。また、負ける。
それも、因縁を付けられ、それを買ったのにも関わらず。
冷たく自分を見下ろす紫色の魔女と、自分の為に涙を流してくれた魔理沙の顔が脳裏に過る。
……同じじゃないか、あの時と。
「く、そ!」
チルノの頭の中が、いつになく激しく回る。
しかし、咲夜の力の正体が何か、今の彼女には判断する材料も、地頭の力も及ばない。
そうこうしている間に、咲夜はゆっくりとした動作でMS(マジカル☆咲夜ちゃんスター)を取り出し、球体の表面にある☆のマークをチルノに向けた。
「降参する?」
「するわけ、ないだろ!!」
咲夜の美しい微笑がチルノのカンを刺激する。
怒鳴るように言い返した彼女はその場から大きく飛び退き、再び手の中に魔力を集中させ始めた。
「アタイはもう、負けないって決めたんだよーーーー!!!!」
展開された巨大な雪の結晶から、先程までとは比べ物にならない程の弾幕が飛び出した。