「私、転校して本当に良かったって思ってるわ。…毎日がすごく楽しいの」
ゆっくりと彼女は吐き出すかの様にそう口にすると、赤毛の少女からふい、と目線を外した。けれどその先にはいつもは無表情でクールな先輩が微笑みながらこちらを見ていて、少し恥ずかしくなる。
顔が熱くなっていくことを感じた少女は、もう、と呟いてから少しだけ早歩きになった。
金髪の先輩はにししと笑い、嬉しそうに桃色の髪が跳ねる。
七森中学校、その帰り道で確かに5人はゆるゆるとした時間を歩いていた。
MM月DD日
見滝原中学
就業のベルが鳴り、生徒たちは口々に放課後の予定を確かめるように友人と談笑をする。それはどこにでもある中学生の姿だった。ここ見滝原中学は画一的なデザインからお高くとまった印象を受けることがまれにあるが、やはり中学生は中学生。子供なりに、白い制服を汚しながら帰る活発な生徒も珍しくはなかった。とにもかくにも友人と遊び、または部活に明け暮れ、趣味に没頭し、ゆっくりと過ごす、そんな放課後がやってきた。
「あの、まどか」
暁美ほむら、繰り返すループの中で何度も何度も無数のサイコロを振り、ついに出るはずのない奇跡の目を出した黒髪の魔法少女は、放課後になり慎重に彼女に近づいてから声をかける。
驚かせないように、注意して。
「……あ、なにかな、暁美さん」
暁美さん。
そう、かつての自分の最高の友達から他人行儀な呼び方で呼ばれる。
その眼はほむらの足元あたりをうろうろとさまよい続けた。表情には微かな怯えが出ている。いまだに言葉を交わしてくれるのは彼女の優しさゆえであろう。
「えっと、その、まど、かさえ良ければなんだけど、一緒に帰らないかしら」
ほむらはずれていないメガネを直しながら言葉を選ぶかのように小さな声で伝える。それは自信の無さを表し、まるで宿題を忘れ怒られる前の子供のような表情だった。
「ごめん、わたし、ちょっと…」
「うりゃー!まーどか!」
すべてを言い終わる前に青い髪の活発そうな少女がまどかと呼ばれた少女の脇腹をくすぐる。そのまままどかのカバンを手に持つと、じゃれあいながら何事か話しながら暁美ほむらから離れていく。少し手を伸ばせば届く距離いるのに、その距離は絶望的にまで遠い。机をいくつか介しているだけでこんなに遠くに感じるとは思いもよらなかった。
まどかが罪悪感を感じているのだろう、苦しそうな表情で、しかし少し安心したような表情でほむらから離れていく。
それは見慣れた、いつもの放課後の風景だった。
ほむらは振り返ると、自身のカバンを取りに机へと戻り放課後の緊張が緩みきった喧噪のなか一人で歩き出した。
彼女達に悪気はない。
そう、美樹さやかも鹿目まどかも悪気はきっとこれっぽっちもないのだ。
あるとすれば自分への恐怖、または嫌悪、そういった類のものだった。
見知らぬ転校生と昔からの親友を比べたら、それは親友の言葉に耳を傾けるに決まっている。そうなのだ、だから自分の言葉が届かなくても仕方がない、そんな言い訳を重ねるようになったのはいつからだろうか。
ずいぶん昔のことのように感じた。
「……っ」
ごしごし、と服の袖で目元をこする。
そう、失敗したのだ。
暁美ほむらはワルプルギスの夜と呼ばれる災禍の象徴を打ち砕き、そしてかつての、唯一の友達の悲惨な運命を回避した。最小限に被害を留め、最高の形で明日を迎えることができた。
だが、それに至るプロセスがまずかった。
ワルプルギスの夜を越えるには生半可な覚悟では足りなかった。だからこそ徹底的に鹿目まどか、その他周辺をマークし、きゅうべえを退け、魔女の脅威から守った。守ったはずだった。
しかし、唯一の油断から見られてしまったのだ。
自分が人間でない証拠を。魔女にやられ再生する血と肉内臓骨脳髄腱目玉、あらゆる部位が再生し、ゾンビのように敵の喉笛を噛み千切る様を。おかげで怖がられ、さらには焦ったほむらは記憶などありもしないまどかに気味の悪い『約束』を話し、泣きながらお願いをした。
「帰ろう……」
ただ、その結果が変わらなかった、つまりはまどかに嫌われてしまったのは、彼女の青ざめた表情を見たらわかってしまった。それを見てさらに涙があふれたけれど、泣き止むころにはもうまどかはいなかった。さらに泣いて枯れ果てて、こんなにも簡単に泣ける自分がいたことに驚いたのを覚えている。
自分のそんな姿を見られ唯一よかった事は、彼女達が絶対に魔法少女なぞにならないと決心したことだった。
夕暮れの中を歩く。
このあたりもずいぶんと日が暮れるのが早くなった。
「暁美さん、一緒に帰ってもいいかしら」
「巴マミ……」
ふらふらと何もしないでゆっくり歩いていたら、金髪の同業者に話しかけられた。
巴マミ、強くて弱いおせっかいな優しい人だった。
「どうしたのかしら、そんなに泣きはらした赤い目で。いつも無表情なあなたが珍しいわね」
「そうかしら、そう見えるならきっと夕日のせいね」
「ふふっ、面白いこというのね」
そういって彼女はケーキやお菓子や甘い話をほむらに投げかける。
いつもは友人と帰るだろうに、やっぱり甘い人だ。そうやってすぐに人が傷ついているのを感じてなんでもない話をしてくれる。
そんな巴マミが暁美ほむらは大嫌いだった。
「もう、ちゃんと聞いてるの?暁美さん」
「ええ、聞いているわ。最近のマミの体重話でしょう?さぞご機嫌なことでしょうね」
「っ……秋だから仕方ないじゃない……」
「嘘よ。私から見ればそのプロポーションで贅沢言わないで欲しいもの」
「いじわる」
そんな風に言葉を交わしながら放課後の時間を潰していった。
やっぱり彼女はとことん甘い。くせになってしまいそうなほど。
「そういえば………っ!!」
ぎり、と体のなかで硬いものが心臓をつかんでいるような痛みに襲われる。空気をチューブでしか吸えない罰ゲームか何かのように、かすかな空気を取り込むので精いっぱいになる。体をくの字に折り曲げると多少楽になる。それでもまだうっすらと汗をにじませながら何とか胸を抑えると、すがるようにマミの体にもたれこむ。マミは素早く体を受け止めると、優しくその体を受け止めた。
「暁美さん!」
「う……うっ……」
ゆっくり、ゆっくりと近くのベンチに移動され、10分かかり息を整える。
ごめんなさい、と呟きながら暁美ほむらは彼女の体から離れようとする。しかし巴マミは優しく彼女の体をもう一度つかむと肩を抱いた。
「暁美さん、やっぱり……」
「…………ふん」
暁美ほむらが奇跡を起こした代償は大きかった。
友情ばかりではなく、彼女の魔法さえもほとんどの機能を失っていた。
もともと才能のない魔法少女だった暁美ほむらは、奇跡の効果によって無敵とも呼べる時間を操る能力を手に入れていた。それに、身体強化もそうだ、鹿目まどかを狂った運命から救い出す力を、狂った運命の元凶であるきゅうべえから与えられていたのだ。
だが、もう奇跡は成就した。それゆえもう奇跡など起りはしない。最弱の魔法少女となった彼女は、治療を放置し、酷使していた心臓を動かすのにすべての魔力を使用し、あとは一般人と変わらぬ姿となったのだ。もうメガネは手放せないし、運動でも県の記録を塗り替えることはできない。ただの愚図でのろまだったかつての自分に戻ったのだ。いうなればシンデレラと同じ状態だった。唯一、自分が知っている物語と誤差があるのであれば、ハッピーエンドは用意されていないことだった。
「もう、平気よ……。まったく不便な身体だわ。薬を飲み忘れただけで」
「ちゃんと飲まなきゃダメじゃない」
「飲む習慣が無いのよ……。こんないきなり前の生活には戻れないわ」
まだ小言を言うマミを尻目に彼女は病院に行った時のことを思い出していた。
2か月ほど前、ワルプルギスの夜を倒してから初めてかつて入院していた病院に薬を受け取りに行ったとき、医師からある相談を持ちかけられた。曰く、外部の病院に移らないか、と。それは断固拒否をしたかった。この街にはわずかながら愛着がある。大切な人たちが住んでいる。守り抜いたものがある。
しかし。
ちら、とマミを見る。彼女は本当に心配して涙を浮かべながらほむらにこんこんと言葉を投げかけていた。その姿からもう顔も思い出せない両親を不意に思い出し、思わず目を瞑る。
「ねぇ、マミ」
「……なにかしら」
「私はもともと転校生だけど、どこから来たか知っていたかしら」
「東京だったわよね……?」
「ええ」
「それがどうかしたの?」
短い会話を交わしたのちに、マミは少しだけほむらから視線を外した。
「なんだか、嫌な感じがするわ」
「ふふっ、マミはいつも鋭いわよね、あなたのそういうところ、苦手だわ」
そう、ほむらはどこか嬉しそうに笑った。そうして彼女は今度こそマミから体を話すと夕日をしばらく眺め、息を吸い込んだ。
「両親、そう、両親がね、一緒に暮らさないかって」
「え……?」
ぽかん、とマミは暁美ほむらを見る。急な話題に面食らったわけではなかった。彼女のいつもの雰囲気とは違う、柔らかく儚い雰囲気に驚いたのだ。両親と暮らす、そう語る彼女はいつものほむららしさは無く、どちらかというと、いつもの暁美ほむらとは真逆の印象だった。マミは驚きながらも「そう……」と呟くと同時に少しだけ笑った。
ゆっくりと、マミも夕日に目を向ける。
暁美ほむらの東京にいた両親は、今は転勤によりもうその地にはいなかった。
そして医師からは心臓病治療の権威がいる病院に、偶然にも両親の今いる土地にある病院に通うように勧められた。
この2つの奇妙な一致は、最初は運命がまた目の前に立ちはだかったのかとその時は思った。けどきっと、それは違うのかもしれない。いや、もうわからなかった。
これが普段の暁美ほむらならば知らぬ存ぜぬ、友達の元でと考えた。
疲れたのだろうか。
諦めたのだろうか。
ほむらはいつものように静かな、そしてどこか張りつめたように口を開く。
「マミ、私、引っ越すわ。そして治療に専念しようと思うの、本格的にね」
いや、もしかしたら
私はもう、最高の友達と言ってくれた彼女がいないことに気付いたのかもしれない。