リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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これ以外に相応しい副題が思いつかなかった……
もしかしたら副題あとで変えるかも。


趣味の読書

 ハインツ・ブレーメは身分の上では平民に過ぎず、学費不足で大学にも通えなかった彼は、ほんの数年前まで辺境の地方政府で無能な貴族官僚にこき使われるだけのしがない役人として一生を終えるものだとばかり思っていた。ゴールデンバウム王朝の世において自分のような無学な平民が成り上がれる要素など存在せず、このまま燻り続けて引退が数年後に迫ったあたりに部長になれるかどうかが限界であると思っていたのだ。それが帝国におけるノンキャリアで上層部へのコネもない平民文官にとっての常識であった。

 

 しかし時代は彼に味方した。ラインハルト・フォン・ローエングラムが貴族連合を打倒して独裁者となり、無能な貴族官僚たちの権威が失墜したことだ。そして人事を司っている者も人材を見る目がある者が多数派となり、ブレーメはその能力を認められて、アルデバラン星系総督府に栄転した。

 

 地位こそ課長のままで変わらなかったが、人口が百万程度の星系総督府の課長と一億の人口を抱える旧都テオリアを含むアルデバラン星系総督府の課長では、まったく意味合いが違う。影響力や仕事量が桁違いであり、もちろん給与も比べるのが馬鹿馬鹿しくなるほどである。おのれの能力を好きなだけ発揮でき、かつ莫大な報酬を受け取ることができる職場につけることに喜んだ。いや、今の帝国に吹いている成り上がりへの追い風を考慮すれば、最終的には総督や中央省庁の高官も夢ではない!

 

 ブレーメが自分の部署を掌握して仕事に邁進しながら大きな野望を抱き始めていた時に接触してきたのが、ゲオルグの秘密組織である。多少の胡散臭さを感じたものの、彼らが提供してくれる様々な情報や機会は非常に有益なものだったので、そちらに協力する価値があると判断し、自分の職権を利用して協力することを選択したのだ。

 

 おかげでどうだ。カビの生えてる古臭い頭を有したお偉方はことごとくヴァルハラへと去り、自分は課長から大出世。今やアルデバラン星系の総督府商務局長、帝国有数の経済規模を誇る星系全体の貿易と商業を管理する部門の長官なのだ。彼の権限は、かつて自分をこき使っていた貴族官僚の権限がかわいく思えるほど巨大なものとなった。まだ前途が豊かな少壮の身であるにかかわらずに。だから秘密組織の一員たることを選んで正解だったと確信していた。

 

 現在ゲオルグからブレーメに与えられている任務は商務局の権限を利用した秘密組織の活動資金の調達である。むろん、総督府の公金を横領するなんてあからさまなことはしない。現在テオリアの経済はマハトエアグライフング計画――通称、混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件からの復興を果たすための公共事業特需で湧いており、その事業に秘密組織の息がかかっている企業を参加させるという方法で資金稼ぎを行っていた。

 

 それはいわゆる利益誘導というやつなのだが、秘密組織という表に出ない要素で繋がった中であり、しかも秘密組織内部では徹底的な情報統制が敷かれていることもあって、企業側は総督府内部に潜入している秘密組織の仲間がだれなのかまったく知らないし、そもそも潜り込んでいる構成員が存在することすら気づいていない企業さえ存在した。さらに賢明な――あるいは狡猾な――ことに、どうすれば復興事業の際に自然な形で秘密組織の影響下にある企業に利益をあげさせることができるかマハトエアグライフング計画を実行する前から考えつくされており、復興による利益拡大を見越して混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)の時にいくつかの施設や企業を爆破すらしているのだった。

 

 その破壊行為の時点から計算しつくされた復興事業によって秘密組織がどれほどの資金を掌中におさめたのかは不明である。見つかれば暗躍の明確な証拠となってしまう帳簿記録を秘密組織が作成することがなかったので推測するしかないが、彼らの影響下にある企業があげた利益の〇・一パーセントを吸い上げただけであっても、復興特需のアルデバラン星系の経済規模からして一〇億帝国マルクは下ることはあるまい。

 

 秘密組織が浸透した企業が復興事業で莫大な利益をあげて躍進したため、秘密組織はアルデバラン星系の政治のみならず、財界においても公然としない強力な影響力を持つにいたったわけではあるが、それでも完全に計画通りに進んでいるわけではない。というのもザシャ・バルク率いる共和主義地下組織の使命感溢れる行動は完全に制御するには強すぎる熱量を有していて、秘密組織にとっては有用な人物や施設を破壊していったためである。

 

 とはいえ、それはあらかじめ想定していたことであり、大枠では秘密組織が描いた計画通りに進んでいる。小さな誤差は事後でいくらでも修正でき、その役目もはたしているのがブレーメなのである。そしてその報告とある案件についての意見を聞くために影の総督の執務室をノックし、入れという声で入室した。

 

 部屋にいたのは秘密組織を率いているゲオルグ、そしてシュヴァルツァーとベリーニとハイデリヒの計四名であった。ハイデリヒは旧王朝復活を掲げている反ローエングラム勢力との交渉役を務めており、テオリアにいることは稀なのでブレーメは驚いたが、それ以上に驚いたことがあった。

 

「……なにをしているんですか」

 

 ゲオルグは『分断の楽園』と表紙に書かれている本から視線をあげた。

 

「なにって、読書だとも」

 

 ゲオルグの趣味は実に貴族的なもので詩劇の類を非常に好んでいる。テオリアに秘密組織の総司令部を置いてからは、オペラハウスや演劇場を秘密組織の構成員たちと一緒にボックス席で鑑賞しながら今後の計画を話しあったりしているのは、演劇中のボックス席の言葉が外に漏れにくい密室性があるからという現実的な理由もあったが、単純にゲオルグの趣味のためという側面が大いにあったことも確かである。

 

 そしてマハトエアグライフング計画の成功によって潤沢な資金の確保とテオリア内における巨大な影響力を確保し、フェザーンの銀行の隠し口座に秘匿していたリヒテンラーデ家の秘密資金を食いつぶし続けていたような状態の台所事情を脱したこともあって比較的余裕ができたため、ゲオルグはこの余裕のある時期に最近流行りの小説を仕事を交えずに純粋に楽しもうと考え、それを大量に購入して読書に耽っているというわけであった。

 

「市井の演劇を楽しんでいた時から薄々思っていたが、近頃は大衆向けの書物の質が良くなったものだ。いや、貴族階級が力を失ったものだから、貴族の知的特権の一部が一般化されたというべきか?」

「……同盟流やフェザーン流のやり方を見習い始めただけでしょう。娯楽に限った話じゃないけど」

 

 銀河帝国は先の遠征でフェザーンの自治権を剥奪し、イゼルローン・フェザーン両回廊の出入口にあたる星系をいくつか軍政下において自領土に組み込んだ。旧王朝時代に帝国が同盟領を占領したときの事例とは異なり、占領下の民衆を思想犯であるとして市民権を奪い、農奴階級に貶めて強制移住や強制労働を課すといったようなことをせず、帝国本土の民衆と同等の権利を新王朝は認めた。

 

 その結果、どういう事態が生じたかというと、帝国の臣民と比べものにならないほど権力への批判精神が旺盛なフェザーンや同盟産の様々な著作物が流入してきて、それが飛ぶように売れた。旧王朝だと国家権力によって検閲され、体制批判の内容を含むと見なされた創作物は排除されたものだが、新王朝は開明的方針を打ち出しているため検閲の基準が大幅に緩められたために普通に通過できた。そしてけだし凡俗な人間というものはフィクション・ノンフィクションの区別なく、反権威的な内容――ゲオルグの表現を使うのであれば、常識にとらわれないあるいは少々犯罪染みている内容――に滑稽さやある種の痛快さといったおもしろみを覚えるものだ。

 

 読者の興味のある話題を帝国の常識など知ったことかとばかりに利益をあげるために扱う同盟系・フェザーン系企業に多くの読者を奪われた帝国系の新聞社や出版社はこれ以上の読者離れを防ぐべく、今までの体制批判はタブーであるという常識をかなぐり捨ててローエングラム王朝が保障している言論・表現の自由を躊躇いなく行使しはじめた。むこうがやっているのだから、こっちもやらなきゃ勝負にならないというわけだ。

 

 その結果、帝国系のものでも刺激的で面白い内容の著作物が増えている。こうした活気ある競争というものになれていないためか、完全に明後日の方向に向いている作品もあり、ゲオルグとしてはそれもおもしろがっていた。

 

「機密指定されていた資料が公開されたもんだから、劇作家や歴史家としてはやりがいを感じてるんでしょうね。学芸省直々に『ゴールデンバウム王朝全史』なんてものが発表されてるようなご時世だし」

「……現皇帝はゴールデンバウム王朝の悪弊との決別を標榜している。ゆえにゴールデンバウム王朝にとって都合が悪い歴史を公開しても今の支配体制が揺らぐわけでもないからな」

 

 純粋に対外的な方針や構想――他国に手の内を明かしては意味がなくなったり有効性に疑問符がついてしまう軍事や外交の戦略方針――を別とすれば、機密資料は国家の悪業の証拠であることがほとんどである。どんな政治体制を敷いている国家であろうが、自国の善行は体制に対する支持を獲得するために盛んに宣伝し、自国の悪業は人心が体制から離れるのを防ぐために秘匿するというのが腐敗した国家の常だからである。

 

 そして旧政権に否定的な新政権が樹立された場合、旧政権下で行われていた悪業の数々を民衆に広く公開して弾劾することは、新政権の正義を喧伝する上で使い古された常套手段である。今回のことについて特別視する要素があるとするなら、ゴールデンバウム王朝の歴代皇帝とは異なり、皇帝(カイザー)ラインハルトは権威や伝統を継ぐ形で君臨しているわけではなく、ローエングラム王朝の初代皇帝であるために旧王朝の悪業をどれだけ弾劾しても、今の権威にたいした傷がつくわけでもないので、容赦する必要性がなかったから秘匿された機密資料を公開することにためらいがほとんどみられないということだ。

 

 ただそれでもゴールデンバウム王朝の過去の悪業が記された機密資料がすべて公開されたわけではなかった。清廉な体制に変わったとはいえ、ローエングラム王朝の政治体制が絶対君主制のままであることに変わりはないので、絶対君主制そのものが全否定されかねないほどの悪業――エーリューズニル矯正区の詳細など――の機密指定解除には慎重を期する必要があった。もし帝国が民主的かどうかはさておくとして、共和制国家に変貌していた場合、それらの悪業も新しい政治体制の正義を知らしめるために公表され、民衆への宣伝活動に活用されたことであろう。

 

 しかしこれは君主制と共和制の部分を入れ替えても同じことである。銀河帝国の創始者であるルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは臣下たちと一緒になって腐敗しきっていた銀河連邦末期の政権を批判するだけではなく民主共和政体そのものにたいする問題点を声高に批判し、それとはまったく正反対である優秀な絶対君主が国家の進むべき道を指し示す独裁政治こそが理想の政治体制であると謳い、民衆多数の熱狂的支持を集めたのだから。

 

(これは同盟を併合したときもされることであろう。暗部を糾弾するために同盟の機密資料全公開。歴史物にも興味があるので是非期待したいところではあるが……いや、待てよ?)

 

 ゲオルグはふと思った。同盟の建国神話長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)に関する話の詳細は謎に包まれている。それを率いた国父として同盟市民に崇められているというアーレ・ハイネセンがどのような人物だったのかすらよくわかっていないのだ。農奴階級出身の共和主義者であり理想的な指導者であったと同盟政府公認の歴史書は語るが、その性格や人柄にまったくと言っていいほどふれられないのでなにか隠しているのではないかとゲオルグは疑っている。

 

 もし機密資料に長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)の指導者層は元貴族階級とか国父アーレ・ハイネセンがゴールデンバウム王家の血を引いていたとかファシストだったとかとんでもないことが書かれていた場合、公開すると同盟市民に与える衝撃と影響を推測するのが困難という理由で帝国が同盟を併呑しても、同盟の機密資料を公開しないとかいうことはありえるかもしれない。

 

 ……現実にはゲオルグが想定しているような同盟の国家としての根幹が揺らぎかねないほど衝撃的な歴史的真実が秘匿されているということはなかったのだが、それは後世の視点だから言えることであり、そのような推測も現実的な状況証拠に立脚した具体性を持った推測と言えなくもなかった。

 

「本ですか……雑誌や新聞しか読みませんからね……」

「ではなにか面白そうなものを貸してやろう。大量に買ってきたからな」

 

 ゲオルグは本屋の書籍を大量かつ無節操に購入してきたようで、本を積み重ねた塔がいくつか壁際にたっていた。ブレーメがチラリと確認したところ、ジャンルもバラバラである。『叛乱軍の巨魁アッシュビー』という第二次ティアマト会戦を描いたらしい小説のすぐ横に『銀河魔法大戦』という、どう考えてもファンタジーとしか思えないタイトルの本があった。

 

 本の塔を眺めやって、おもしろい本を見つけたのかゲオルグは一冊の本を取り出して、微笑を浮かべながらブレーメに差し出した。本の表紙には『野イバラ』というタイトルが書かれており、どう言う内容の物語なのか想像できなかった。作者のフロリアンという名前にも覚えがない。

 

「これはどう言った内容の本で?」

「恋愛小説だ」

「恋愛小説……?」

 

 いったいなんでそんな小説をすすめるのかとブレーメが理解に苦しみながらまわりを見渡すと奇妙なことに気づいた。ハイデリヒが口元を手で押さえて笑うのを必死に堪えている。ベリーニは興味深げにこっちを見ながら口元に苦笑じみた笑みを浮かべ、シュヴァルツァーはなにか迷惑そうな顔をしている。嫌な予感をブレーメは感じ始めた。

 

「いったいどんな恋愛の話なんですか」

「カストラートのフロリアンを主人公にした恋愛物語だとも」

 

 ブレーメは顔を青くした。カストラートとは、ボーイ・ソプラノを保存するために男性器が去勢された男性歌手たちのことだと知っていたからである。帝国の健全な人種を残すというイデオロギー的観点から少年期から歌手としての才能を認められないと去勢されることはなく、そのためにはよほど金を積まなければ彼らの歌声を聞けないので聞いたことはなかったが、噂によると本物の少年のボーイ・ソプラノと比較すると野性的で官能的で、異性より同性を蠱惑する声であるという。

 

「……カストラート? もしかしてその恋愛相手って」

「むろん、第五代皇帝陛下だとも」

 

 ブレーメは嫌悪感も露わに本を思いきり床に叩きつけた。銀河帝国初代皇帝ルドルフは同性愛者は社会に著しい悪影響を与えるとして法律で禁じ、法に背いた犯罪者たちを大量殺戮した。しかし第五代皇帝として帝位に就いたカスパーはある歴史家の言葉を借りるのであれば皮肉以外の何物でもないのだが、生まれながらにして筋金入りの同性愛者であったのであり、最終的にカスパーは皇帝即位から一年で権力闘争や政務が煩わしくなってしまい、フロリアン少年と共に玉座を捨てて愛の逃避行を敢行。以後完全に行方不明となっている。

 

 同性愛を人類を堕落させる極悪な犯罪行為であると規定するゴールデンバウム王朝にとって、このような皇帝が存在したことは汚点でしかないのだが、為政者としてはたいした問題があるわけでもなく、先帝の政治的無関心を利用して国政を壟断していた佞臣のエックハルトを処断したことを考えるとむしろプラスの評価がつくため、ローエングラム王朝時代に『ゴールデンバウム王朝全史』が発表されるまでその汚点は国家機密として秘匿されてきた。

 

 とはいえ、こんなおのれの愛を貫くためにとんでもないことをしでかした皇帝のプライバシーは噂という形で宮廷はおろか市井にまで流布していたので本当に帝国政府が公的には認めていないというだけであった。いわゆる公然の秘密である。

 

 同性愛は枢軸陣営改革派のローエングラム派が同陣営保守派のリヒテンラーデ派を粛清し、帝国軍最高司令官のラインハルトが帝国宰相を兼務して独裁体制を敷いて開明政策を実施していく過程で合法化されたものの、今まで犯罪であると常識化されていた愛の形に対する偏見と忌避感はそう簡単に消えるものではない。ブレーメもその圧倒的多数派の一人である。

 

「うむ。買ったかいがあった」

 

 ゲオルグは満足気にそう独語した。実は言うと『野イバラ』は警察時代にすでに読んだことがあったのだが、ゲオルグには年上の部下をからかってその反応を楽しむという悪ガキのような悪癖があって、『野イバラ』を購入したのは大人をからかうための小道具としてである。

 

 しかし購入してからゲオルグはだれにちょっかいを出すかで悩んだものである。自分の立場を公然としないものであるから、自分の立場をちゃんと把握している秘密組織の幹部しか候補にはできない。シュヴァルツァーは警察時代に同じネタでからかったことがあるから無理だし、ベリーニはフェザーン人だから同性愛に対する忌避感をさほど持っていない。ハイデリヒは元保安中尉で仕事柄そういった連中を取り扱うことがあったのである程度耐性があるし、院長にしてもしかりである。

 

 よって純粋な帝国人で官僚として真面目に働いてきたブレーメしか対象がなかった。だからたいした反応を示してくれなかったらどうしようと不安になっていたが、上司にすすめられた本をその場で叩きつけたことのまずさに気づいてブレーメがどうしたものかと慌てているところを見れたので大満足であった。

 

 慌てるブレーメを言葉巧みになだめ、たんなるお遊びだと言って安心させた。そして床の小説を拾ってパラパラとページを捲った。

 

「しかしなんというか、逃避行後のこともかなり詳細に書いてあるのだが……フロリアンが自分で書いたって宮廷の噂は本当なのだろうか? 昔にラングから聞いたが、この本が最初に世に出たのは第五代皇帝陛下が失踪してから三〇年後くらいだそうだから、時期的にはあうのだが……」

「……自分としてはそのことより、いったいどこに逃げたのかが気になります。当時はフェザーンはおろか同盟すらないでしょう」

 

 ハイデリヒがそういう見解を持つのも当然である。フェザーン自治領が成立したのは三七三年のことであり、自由惑星同盟が建国されたのは帝国暦二一八年のことであり、銀河帝国が同盟の存在を知って戦争状態に突入したのは三三一年のことなのだ。そしてカスパーが玉座を捨てて失踪したのは一二四年なのだ。

 

 今上の皇帝が失踪という未曽有の事態に、当時の帝国政府はお逃げあそばした皇帝陛下を玉座に戻すべく帝国中で捜索活動を実施したという。というのも、先帝オトフリート一世の子はカスパーしかいなかったので、それ以外の帝位継承権所有者ではすべての有力者を納得させることは困難であり、にわかに宮廷が帝位を巡って荒れだしてきたという事情があった。だが、四か月にわたっての捜索でカスパーとフロリアン少年の足跡を掴むことすらできず、その間にカスパーの従兄にあたるフランツ・オットーが宮廷闘争に勝利し、父親のユリウスを傀儡として玉座につけたのであった。

 

「カスパーは生まれてくる場所を間違いすぎていたのよ。皇帝という地位にありながら、まったく気取られずに愛人と一緒に雲隠れに成功するって、ありえないわ」

 

 スパイとして活動していたベリーニから言わせれば、国家をあげて捜索になんの証拠も掴ませずに逃げ切るとか夢物語の領域である。しかも当時は人類社会と銀河帝国はイコールである時代であるから、逃亡後も国内に潜伏しつつ人生を謳歌したことになるのだ。もしスパイのような職についていれば、さぞ活躍したことだろうと思うのであった。

 

 しかしこのベリーニの評をもしカスパーが聞けば理不尽だと反論したかもしれない。彼は望んでゴールデンバウム王家に生まれたわけではないのだ。もし彼が自分の意思で生まれる時代や国が選べるのであるとしたら、同性愛が世間一般的にも公認されていた過去の銀河連邦か未来の自由惑星同盟を選んだであろうから。

 

「それで、なにか問題でも発生したのか」

 

 この一言でようやく本題に入れるとブレーメは安堵した。現在の利益誘導の成果を報告した後、ある案件についての意見を聞く。

 

「昨日のレサヴィク星域の一件を受け、今後の帝国軍の軍事行動ないしは同盟軍への軍需品の大量輸出があるのではないかとにわかに軍需産業が活気づきだしているようですが、なにか手をうつべきでしょうか」

 

 レサヴィク星域とは同盟領内にある星域である。バーラトの和約の条件にしたがって同盟軍が所有の権利を放棄した戦艦・宇宙母艦の破壊・解体の作業をその星域で実施していたのだが、その作業中に約五〇〇隻程度の所属不明の艦隊が現れ、作業を妨害。彼らは“帝国の専制に抵抗する義勇兵集団”と自称し、解体されるはずだった五〇〇隻以上の同盟軍の破棄艦を強奪した。そればかりか、彼らの民主主義再建のために協力してほしいという呼びかけに同盟軍将兵四〇〇〇人以上がこたえて義勇兵集団に参加して姿を消したという。

 

 程度の差はあれど同盟と帝国の間に結ばれたバーラトの和約に不満を持っている同盟人の数は多く、「バーラトの和約は当時の最高評議会議長が逆クーデターを起こして勝手に結んだものであり、無効である」としていくつかの抵抗組織が誕生していることは周知の事実であったが、それらはすべて小規模なもので、軍縮で弱体化した同盟軍でも充分対応可能なものばかりであるという認識であった。しかしこれほどだいそれたことをしでかした抵抗組織は初めてのことで、同盟政府の対応如何によっては大規模な軍事作戦が展開されるのではないかと帝国の軍需産業は推測しているのであった。

 

「放置しておけ。どうせ一時的なものだろう」

「そうでしょうか。攻撃的な抵抗勢力が最低でも一〇〇〇隻以上の軍艦を保有しているなど……同盟政府にとっては悪夢なのでは」

 

 シュヴァルツァーの意見はごく常識的なものであった。

 

「……その義勇兵集団とやらが本当に同盟政府に対する抵抗勢力なのだとしたら、な」

「どういう意味でしょう?」

 

 謎めいた言葉で返されてシュヴァルツァーは困惑した。同盟軍の軍艦と将兵を奪って同盟政府のメンツを潰した義勇兵集団が、同盟政府に対する抵抗勢力でないのだとしたら、いったいなんだというんだろうか?

 

 その疑問に答えたのはゲオルグではなく、ベリーニ女史であった。

 

「なるほど、同盟政府の自作自演ではないかと思っているわけね」

「そのとおりだ」

 

 純粋な政治権力者にとって、軍事費に金をかけることほど不本意なことはないとゲオルグは考える。基本的に軍隊というのは多額の予算を必要とするくせに、その見返りとなるほどのものを生み出すことはなく、膨大な物資を食い散らすだけの金食い虫だからであるが、それ以上に軍隊というのは存在自体が権力者にとって脅威だからだ。軍隊がその気になれば軍事力という純粋な暴力で持って政治権力を簒奪することができてしまうからだ。

 

 しかしだからといって、軍隊という組織そのものを廃止させれば安心できるというものでもない。統治とは極論してしまえば支配する民衆に対して恐怖を与え、支配者の定めた秩序や法律に従わせることである。その恐怖の役割を果たすのが軍隊なのだ。もちろん恐怖がいきすぎれば叛乱が続発するので絶妙な加減が必須だが、こうした恐怖となりうる軍事的要素なくして国家が存立するなどありえない。だからこそ軍事費に予算を割きたくないのに割かなければ統治にさしさわりがでるというパラドックスに政治家はいつの世も苦しめられる。

 

 もちろんこの理論には軍隊組織を持たずして事実上の国家として成立していたフェザーン自治領という近年の例外があるわけだが……あれは条件が特殊すぎる。フェザーンは純軍事的にみれば二大国の中間にある小国でしかなく、また両大国の中継交易で両大国に匹敵する富を得ている国である。もしフェザーン内で大規模な内乱でも発生しようものならば中継交易場としての利点がなくなった両大国が敵国への攻撃の拠点とすべく触手を伸ばしてくるにちがいない。ゆえに経済的に発展し続けることがフェザーンの国防につながるのである――これをフェザーン大衆の共通認識として維持させつづけたあたりに歴代フェザーン政権の有能さと狡猾さが現れている。つまり両大国の軍事的恐怖を統治に利用していたわけなのだ。

 

 こういった統治上の理由に加え、国外からの軍事的脅威に対抗するのも軍隊の役目である。軍隊がなければ、他国からの侵略には膝を屈するしかない。バーラトの和約が結ばれて両国間に平和がおとずれたものの、皇帝ラインハルトの好戦的傾向と強力な帝国軍のことを思えば、同盟政府としてはどうにかして質の高い軍隊を維持しようと努力するであろう。軍事力とは一朝一夕でどうにかなるものではないのだから。実際、歴史を見れば他国から大規模な軍縮を押し付けれたときに、軍隊ではないが軍隊的性格を持つ組織が大量に誕生しても無視を決め込んだり、軍事力の保有自体を禁じられても「これが軍事力がどうかは国民の皆さんが見て判断してください」という無茶振りで正当化した事例もあるのだ。それを思えば抵抗組織に見せかけておきながら、実はその抵抗勢力が同盟政府や同盟軍の首脳部と太いパイプで結ばれていても不思議でもなんでもない。というか自分が同盟政府の首脳の立場ならば九割程度の確率でやってるとゲオルグは思う。

 

 もっともこれは現在の同盟政府や同盟軍の狡猾さに対する過大評価ないしは、彼らの無能や清廉さに対する過小評価であり、さらにいえば民主主義そのものに大した価値を認めていないがゆえのズレた推測であった。この推測に比べると真実は非常に散文的なのだが、そのことをゲオルグが知るまでまだしばらくの時間を必要とした。

 

「早い話、私としては一万光年近く離れた星域の連中のことより、帝国中枢の動向のほうが気になるのさ。典礼省が廃止されたせいで、中央官庁に潜り込めてる構成員の数が減ったわけでもあるしな」

 

 正直なところ、いまだに同盟で頑張っている共和主義者たちのことより、なかば敵地であるはずなのに帝国首都で縦横無尽に動き回っている奴らの元国家元首の方が警戒に値すると思っているゲオルグであった。


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