黄金樹の枝葉
旧帝国歴四八八年九月初頭、貴族連合軍は最後の決戦に敗れ、敗残の兵たちが続々とガイエスブルグ要塞に帰投していた。逃亡か降伏か自殺か、それとも意地になって死ぬまで戦うのか。将兵たちが各々の決断の場であり、要塞内部は非常に混乱していた。そんな中、貴族連合に所属する一人の士官が数人の兵士を引き連れ、急いで牢に向かって走っていた。
牢に辿りつくと看守たちはすでに全員逃亡していたので、数人の兵士たちと一緒になって鍵の保管場所を探し出し、士官は独房の扉を片っ端から開けていった。そして探していた尊敬する上官の姿を確認した。何日も閉じ込められているのに精悍さが消えてなかった。
「ジーベック中佐か。外が騒がしいが、いったいどうなっている」
「我が軍は全軍をあげて出撃し敵軍との正面決戦に挑んだのですが、武運拙く手痛い敗北を被りました。もはやガイエスブルク要塞の陥落は時間の問題です」
「なんだと。なぜガイエスブルク要塞の地の利を放棄するようなことをしたのだ」
「ヴェスターラントの暴徒どもを鎮圧して以来、離反者が立て続けに発生する事態に陥りまして……。それでもファーレンハイト提督は籠城を主張したのですが、これ以上籠城に固守しては軍組織そのものが瓦解しかねないという懸念とフレーゲル男爵らの強硬論もあって、ブラウンシュヴァイク公が御決断なされたのです」
中佐は沈痛な表情を浮かべた。内心は後悔でいっぱいだった。
「いかにシャイド男爵を殺した憎むべき暴徒どもであるとはいえ、熱核攻撃で一掃するのはやりすぎました。准将の仰ったように首謀者を捕らえて吊るすのみにとどめるべきでした。どういう経路によるものか、ヴェスターラントへの熱核攻撃の映像記録が敵軍に流れ、それを離間策に利用されてしまったのです」
「そうか……。それで、ブラウンシュヴァイク公はいずこに?」
アンスバッハの問いに、ジーベックは力なく首を横に振った。
「わかりません。公爵閣下の旗艦のベルリンが港にあったので、おそらくガイエスブルク要塞に帰還できているとは思いますが、酷い混乱状態でありまして、今どこにおられるのかまでは……」
「そうか、わかった。では一刻も早くブラウンシュヴァイク公をお探ししなくてはな」
そう言いながらアンスバッハは没収されていた軍服を着なおして牢から出ようとしたので、ジーベックは慌てた。
「お待ちください! 既に敵軍が要塞内部まで侵入してきているという情報もあるのです。不用意に動くと捕縛されかねません」
「ならばなおのこと、家臣として公のお傍に行かなくては。どのような形であれども、最後までブラウンシュヴァイク公の為に忠誠を尽くすためにも」
「私も同じ気持ちですから、わかります。ですが、もしブラウンシュヴァイク公と合流するよりも先に敵軍と接触して拘束され、金髪の孺子の名の下に裁判にかけられるようなことがあってはいけません。ですからこれを……」
そう言ってジーベックは小さなカプセルをポケットから取り出した。アンスバッハはそのカプセルを手に取って目を細めた。
「これは脳死を招く自決用のカプセルだな」
「はい、医務室からくすねてきました。私は既に奥歯に仕込んであります。金髪の孺子の軍勢に捕まった時は、これで生き恥を晒さずに死ぬつもりであります」
「そうだな、私も卿に倣おう」
アンスバッハも奥歯に自決用カプセルを仕込むとジーベックと一緒になって主君の捜索を始めた。見つかるかどうかかなり怪しかったが、ブラウンシュヴァイク公の側もアンスバッハを探して大声で呼びながら探していたので目立ったこともあり、意外と早く見つけ出すことができた。
「牢に姿が見えないのでな、もう逃げてしまったものと思っていた」
開口一番そう言ってきた主君に、自分のせいで入れ違いになってしまっていたのかとジーベックは後ろめたさを感じて視線を逸らしたが、アンスバッハは主君の縋るような視線をしずかに受け止めていた。
「ご無念お察しします、閣下」
「うむ、まさかこうなるとは思わなかったが、こうなってはやむをえん。講和するしかあるまい」
「講和とおっしゃいましたか」
敬愛する上官が唖然としたような声でそう確認した。ジーベックも同じ気持ちだった。貴族連合が組織としてなかば以上に瓦解している以上、講和など不可能ではあるまいか。そのように考え、もはや、ブラウンシュヴァイク公爵家もここまでであろうと考えていたのである。
「奴に有利な条件をだすのだ」
「どんな条件を?」
「孺子の覇権を認める。わしをはじめとする貴族たちが、奴を全面的に支持する。これは悪くない条件だろう」
「……公爵閣下」
「そ、そうだ、わしの娘を――エリザベートを、奴にくれてやろう。そうすれば、奴は先帝の義理の孫ということになる。皇統を継ぐべき正当な理由を持つことになるのだ。簒奪者の汚名を着るよりそのほうが奴にとってもよかろう」
たしかにそれなら可能性はあるかとジーベックは思った。エリザベート殿下がラインハルトと結婚すれば、ブラウンシュヴァイク一門はローエングラム家とは一蓮托生の関係になる。今後、ラインハルトが帝位に就くためには、エルウィン・ヨーゼフ二世を擁して官界を支配しているリヒテンラーデ派と宮廷闘争が発生するのは確実であるから、官界に影響力が薄いローエングラム派にとって、ブラウンシュヴァイク派だった官僚経験者を取り込めることは魅力的であるはずである。そのあたりを売り込めば、たぶんに形式的なものになるのは免れないであろうが、相応の地位と財産を保障しての講和という可能性もあるのではないか。
しかしそうしたブラウンシュヴァイク公とジーベックの考えは、彼らより遥かに広い視野を持っているアンスバッハからすると土台無理なものでしかなかった。深いため息を吐き、憐れみに満ちた声で主君に状況を解説しはじめた。
「無益です、閣下。ローエングラム候がそのような条件を容れるはずがございません。半年前ならいざしらず、現在では、あなたのご支持など、必要としません。彼は実力をもって地位を手にいれ、だれひとりとしてそれをはばむことはできないでしょう」
ブラウンシュヴァイク公は身震いして顔を青くし、喚いた。
「わしはブラウンシュヴァイク公爵だ。帝国貴族中、比類ない名門の当主だ。それを金髪の孺子は殺すというのか」
「ああ、まだおわかりになりませんか、閣下。まさにそれだからこそ、ローエングラム候はあなたを生かしておくはずがないのです。ヴェスターラントの一件に代表されるように、民衆に対して惨い仕打ちを続けてきた門閥貴族を人道の敵として一掃する。これこそが彼の寄って立つところなのですから」
「人道の敵だと!?」
あまりにも理不尽で屈辱的な言いがかりをつけられたような心境で、公爵は顔を真っ赤にするほどの怒りを滾らせ、口から激情を発した。最後の虚勢、というものであったのかもしれない。
「身の程を弁えずに叛乱などを起こし、我が甥を殺したヴェスターラントの連中こそ、人道上の敵ではないか。その叛乱者どもを誅殺したわしがなぜ人道上の罪を問われなばならぬ。野蛮に秩序を破壊し、領主を無法に弑逆する犯罪者どもを罰せぬような統治者など暗君でしかない! わしは貴族として、支配者として、当然の権利を行使しただけだ! いったい、それが何故人道上の罪になるというのだッ!!?」
「お怒りはごもっともですが、平民たちはそうは思いません。ローエングラム候も彼らに与するでしょう。いままでの銀河帝国であれば閣下の理屈が、貴族の論理が通るでしょうが、これからは違う論理が宇宙の半分を支配するようになります。それを民衆に知らしめるためにも、門閥貴族の象徴としてあなたを殺さなくてはならないのです。そうでなければ彼の掲げる大義名分がたちませんから」
まだ反発があるようであったが、アンスバッハの理路整然とした説明は、公爵に一定の理解と絶望的諦観をいだかせた。長い長い主君のため息を、最後に集った家臣たちは黙って聞いていた。やがて何事か決意した表情で、ブラウンシュヴァイク公は宣言した。
「わかった。わしは死ぬ。だが、金髪の孺子が帝位を簒奪するのはたえられん。奴はわしとともに地獄に堕ちるべきなのだ。アンスバッハよ、なんとか、奴の簒奪を阻止してくれ。それを誓ってくれれば、わしは自分ひとりの生命などおしみはせん」
自殺を前提とした主君の言葉にジーベックは動揺したが、アンスバッハはただ静かに思案する表情を浮かべ、主君と同じように決意の表情を浮かべた。
「わかりました。誓ってローエングラム候を殺害してごらんにいれます。何者が次の帝位に就くかはわかりませぬが、少なくともそれは彼ではありますまい」
「そうか……よし。ところでだな。その……なるべく苦しまずに死にたいのだ。なにかよい方法はないか」
「お気持ちはよくわかります。拳銃ですと撃ち損じた時に激痛がともないますから、毒になさるのがよろしいでしょう。中佐、まだカプセルはあるか」
「え? あ、はい」
唐突に問いかけられてジーベックは慌ててポケットから予備の自決カプセルを取り出した。それを見て公爵は表情をひきつらせた。決意はしたものの、恐怖はふりきれてはいないらしい。
「な、なあ。ただそのカプセルを噛み砕いて終わりというのは、あまりに味気ないではないか。そうは思わぬか、なあ、中佐」
「……では、伝統的な貴族の自裁の方法をとりましょうか」
ジーベックのいう伝統的な自裁の方法とは、毒入りワインを飲んで死ぬという方法である。ゴールデンバウム王朝において、処刑される貴族の名誉を保たねばならないとき、そうした処刑方法をとることが多かった。
「おお、そうだ。そうしよう。すぐに準備するのだ」
ひとまず迫りくる死を回避しようと公爵は早口でそう言いきった。アンスバッハは主君の命令をもっともと思い、全員で要塞内部にある豪奢な公爵の私室へと移った。兵士たちが逃亡用の駄賃として金目の物を奪い取っていたようでかなり荒らされていたが、まだ棚には高級酒の瓶がいくらか残っていた。
アンスバッハは棚からワインを取り出し、それが四一〇年物の逸品であることを確認するとそれをグラスに注ぎ、ついで毒入りのカプセルを砕いて中の顆粒をグラスに注いだ。
「急速に眠くなり、なんの苦しみもなくそのまま死ねます。どうぞ」
さしだされたワイングラスを公爵は血の気のない表情で見つめ、全身を痙攣させた。両目は恐怖に濁り切っていて、とても正気であるようには見えなかった。
「い、いやだ、死にたくない! 領地も地位もいらぬから、なんとか生命だけでもまっとうさせる方法はないのか。なんでもいいから、なにか考えるのだ!!」
准将はその醜態に少しだけ失望したようだったが、部下たちに公爵を取り押さえるように命じた。屈強な二人の兵士が公爵の両脇を固定して、もがけないようにした。
「なにをするか! 無礼な、離せ!」
「ブラウンシュヴァイク公爵家最後の当主として、どうか潔く自決なさいますよう……」
「よせよせよせ! わしの命令が聞こえぬのか! やめるのだ、やめぬかぁ!!」
だれも公爵の必死の命乞いに耳を貸そうとしなかった。どう見ても死への恐怖で正気を失っているのはあきらかであるし、たとえここで自決しなかった場合、一番後悔するのは間違いなく公爵自身であるとわかるだけに、申し訳なさを感じつつも忠誠心から臣下として正気だった時の主君の決定のほうを優先した。
やがてアンスバッハに毒入りワインを無理やり口に流し込まれ、帝国最大の門閥貴族だった男が地に倒れた。まだ即効性の睡眠薬がきいただけで、まだ生きてはいるのだろうが、決して目覚めることなく脳死を招来する薬が効果を発揮して死ぬことになる。現実的には既に死体と同義であった。
「すぐに公爵を医務室に運べ」
「しかし、もう亡くなっておりますが」
「だからこそだ。言われたとおりにしろ」
准将の異様な命令に首を傾げつつも兵士たちはそれに従ってブラウンシュヴァイク公を担いで医務室へと向かった。そのときにはなにを考えているのかわからなかったが、この時点で既に准将はラインハルト・フォン・ローエングラムを暗殺する具体的な方法を考えついていたのだろうと今ではわかる。
しかしそのときはまったくわかっていなかった。アンスバッハも秘密保持の観点からだれにも詳細を告げずに実行するつもりだった。だからジーベックは主君の死による異様な興奮を必死で抑えながら、上官に問いかけた。
「ローエングラム候の暗殺に助力が必要だろうか」
「無用だ。私ひとりで実行した方が警戒が薄いだろうし、勝算がある」
「では、私はどうするべきだろうか。主君に殉死すべきと准将が仰られるならば、従いますが……」
そう言って指示を乞うた。そのさまは哀れっぽくすらあったかもしらない。アンスバッハは少しだけ思案した後、言った。
「いや自決するにはまだはやい。中佐はこのガイエスブルクを脱出してブラウンシュヴァイク領の首星に戻り、公爵が最期を悟って名誉ある自決なされたことをご家族に伝えて欲しい。そしてそのあとは奥方に仕えてもらいたい」
「……わかった。では、ご武運を」
「ああ、卿も達者でな」
それを最後の挨拶に中佐は、ガイエスブルクから逃亡するための機会を息を潜めて待った。そして如何なる理由によるものかそのときはわからなかったが、アンスバッハ准将がラインハルト暗殺に失敗し、それを防いだ腹心の赤毛の上級大将を殺してしまったことで慌ただしく帝国軍がガイエスブルクを出立した隙をついて脱出し、ブラウンシュヴァイク領へ――。
「中佐、まもなくラナビアへの降下を開始します」
そう呼びかけられ、ジーベックは
モニターには綿飴みたいな外観をした惑星が映っている。貴族連合残党の隠れ家であるラナビアだ。ラナビアはほぼ一年中雲だらけの霧の惑星であり、恒星の光が直接大地を照らすことは滅多にない。そのため、宇宙から見ると海も大地も確認することができず、白色の巨大な綿飴が浮いているように見えるのであった。
「司令室との連絡はとれているのか」
「はい。ご存知の通り、あの基地では映像通信できる設備がないので……。一応、前もって決められている符丁は確認できますが……」
「つまり、帝国軍の偽装の可能性は否定できないと?」
「はい」
ラーセンが不安気な表情でそう肯定したので、ジーベックは頭を抱えたい衝動にかられた。今日は一月二日で、帝都でクーデターに失敗してから既に一月近くが経過している。一般商船として、可能な限り目立たない一般ルートを通ってきたため、直行なら一週間前後で辿りつけるというのに、かなりの時間がかかってしまった。
帝国軍が万全を期して辺境独立分艦隊を動員しているのであれば、艦隊速度をあわせる関係で移動速度が遅くなるため、ギリギリ時間切れかどうかといったところである。しかし脱落艦を気にせず全力で移動していたり、数十隻単位の規模しかない航路警備部隊をもってあてていたのであれば、どう楽観的に考えても帝国軍が先にラナビアについている計算になってしまう。
深刻な懸念に艦橋が包まれ、だれが沈黙を最初に破るのかという一種の心理ゲームを幹部たちが展開して一分程度たった頃、計器が示した異常をオペレーターが声音を荒げて報告した。
「後方に大規模な重力震を確認!」
「なんだと! 帝国軍か?」
オペレーターの叫びに、ジーベックは鋭い声で確認した。
「レーダーに感あり! 星系外縁に数、およそ二〇〇〇! 分艦隊かと思われます!」
規模からいって辺境軍管区所属の独立分艦隊であることは明らかであった。しかもレーダーで捕捉できてしまったということは、当然、向こうもこちらを捕捉しているに違いなく、艦隊にこの偽装商船より遥かに早い高速艦が含まれているであろうことも考えると絶望的な状況といってよく、ジーベックは顔を青ざめた。
「星系外縁部からここまでだと三時間もせぬうちに帝国軍がやってくる、か」
「しかし、今、帝国軍がやってきたということは、まだラナビアは無事であるのでは」
「……」
たわけ。あれが本隊で、偵察部隊が先行していて既にラナビアが制圧されている可能性とてあろうが。最悪、地上と地下から挟撃される危険性だってある。秘密警察のサイボーグはそんなこともわからないのか。ジーベックは内心で毒づいたが、口には出さなかった。今は悲観的な事柄より、楽観的なことを言って部下たちの動揺を慰めることを優先すべきであった。
「……ラナビアに降下してしまえば、霧の中に隠れて帝国軍の捜索を掻い潜って逃げきれる目は充分にある。降下をはじめよ!!」
中佐の指示に従い、偽装商船は降下しはじめた。大気圏内に入っても、約一キロメートル先が確認困難なほど視界が悪いので、ほとんど計測機器の情報を頼りに移動をせねばならず、数ある有人惑星の中でもここほど大気圏内空中移動が困難な惑星も稀である。それでいて、適度な酸素が含まれていて、生命が生きていける環境があったから、ゴールデンバウム王朝によって矯正区が設置されたわけであるが。
ラナビアに降り立つと帝国軍巡洋艦が一隻停泊していたので、思わず身構えたが、残していた五〇〇人の警備兵たちから、隙をついて帝国兵を拘束し乗っ取りを成功させていると説明された。正直、残していた兵力にはそれほど期待していたわけではなかったので、ジーベックもラーセンもこれには驚きを禁じ得なかった。
その報告を聞いて、ジーベックは酷い罪悪感を感じていたが、それでも我慢して宮殿へと向かった。宮殿といっても、ただ大きいだけで、帝都にある
レーデルが矯正区警備司令をしていた頃は、調度品の類を買い込んで宮殿内部はそれなりに品があったそうだが、そうしたものはリップシュタット戦役中に一度この惑星を占領した帝国軍部隊によって没収されてしまっており、悲しくなってくるほど殺風景になってしまっている。貴族連合残党の隠れ家になってからは新たに生活用品が運び込まれたが、レーデルやサダトが言うにはみすぼらしくなったのは変わらないらしい。
だが、唯一、もしかするとレーデルの頃より高級感がでるようになった部屋が存在する。その部屋の前に立ち、レーデルはすこしだけ躊躇い、覚悟を決めて扉をノックした。
「だれじゃ」
「ジーベックであります」
「わかった。はいれ」
「失礼します」
そう言って扉を開けるとそこには少々奇妙な空間が広がっていた。ブラウンシュヴァイク公爵家の居城から持ち運べるだけ運んできた調度品の数々はすべてこの部屋に置いてあり、謁見の間を思わせるように配置している。……私室として兼用しているため、本来玉座に置かれるべき場所に天蓋付き高級ベットが置かれていたり、端の方にティーセットが置かれていたりと非常に違和感を覚える配置だが、部屋の主によって可能な限り調和性を持たせるよう、随所に工夫が施されていて部屋としての統一感は損なわれていない。
真っ赤な絨毯の上でジーベックは流れるような所作で片膝をつき、目上への敬意をしめした。部屋の主はベッドに腰を下ろし、それをつまらなさそうに見下ろした。
「一週間ほど前に
「力及ばず、まことに面目なき仕儀にございます、殿下」
殿下と呼ばれた妙齢の女性から居丈高な叱責を浴び、ジーベックは心底申し訳なさそうに頭をさらに深く下げた。彼女の名はエリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク。第三六代フリードリヒ四世の娘アマーリエとブラウンシュヴァイク公爵家最後の当主オットーとの間に生まれた子であり、かつてブラウンシュヴァイク家が一族一門をあげて彼女を第三七代銀河帝国皇帝にせんと擁立していた人物である。
今年の誕生日を迎えて二〇歳になる予定の、まだ未成年であるエリザベートだが、皇帝家の血を継ぐ者として幼少期からおおくの大人たちに傅かれてきたためか、人の上に立つ者がとるべき態度が自然にできる。それでいて、貴婦人特有の艶やかな色気を放っており、なにやら下劣な妄想をする者が貴族連合残党にはいたのだが、黄金樹の血統を過剰に神聖視しているラーセンとレーデルの逆鱗に触れ、それを言葉にしてしまった者たちが皆殺しにされて以来、少なくとも口に出す者は皆無である。
「……本来なら処罰ものなのだけど、このような状況において有能なそなたを排除し、成り上がりのローエングラムめの一味を楽にさせてやるのも癪だから、今回の不手際については不問に処すわ。これは無事に戻ってきた全員に対しても同じよ」
「殿下の御恩情に感謝いたします。では殿下の一の臣下として、さっそく申し上げたき儀がございます」
「処罰を免れた途端に進言とは厚顔なことね。下らないことであれば、再考して刑罰を下すわよ」
不快気な声は彼女が本気でそう考えていると思わせたが、ジーベックはなんら動揺することなく進言した。
「数刻もせぬうちに帝国軍の本隊がこのラナビアにやってくるでしょう。つきましては、今後のことについて御決断いただきたく」
「……ああ、そうなの。まあ、妾に敵対する兵士たちがこんなところにまでやってくるのだから、予想はしていましたけど」
そう言って落胆の表情を浮かべたが、それほど衝撃を受けているようには感じられなかった。
「それで今後のことを決断してほしいと言うけど、いったいどのような選択肢があるというの?」
「もはや二つに一つでございます。殿下の御両親と同じ途をとるか、あくまで本邸でなされた決意を貫徹なされるかです。後者の場合、これまで以上に不本意な結末を迎える可能性が高まっておりますことを覚悟なされるべきかと」
「……そなたは妾に二言があると思うてか。いらぬ節介をやくでない。不快ぞ」
「はっ、申し訳ございません」
今一度ジーベックが頭を下げ、脱出計画を実行するために部屋から出て行った。エリザベートはしらばらく扉をじっと冷たい目で見つめていた。それは不満であり、納得できないことであった。じつは、すでに帝国軍の先遣隊の撃退に成功したときに、警備兵たちから独断でラナビアから居を移すことを提案されていたのである。だが、エリザベートはジーベックが失敗したとはとても信じられず、信じて待つことを選択したのである。なのに、このザマとは。
「御父様に仕えていたあの者でも、ローエングラムめの臣下に勝てぬというの……?」
フリードリヒ四世の娘である母親が帝位継承権を持っていないことからわかるように、エリザベートも本来ならば帝位継承権を持っていないはずだった。臣籍降嫁といって、ゴールデンバウム王朝では皇族の娘が臣下と結婚したら帝位継承権も喪失するのである。というのも、帝国は男性優位の社会であり、妻の地位が夫よりも高いと貴族社会的に非常に面倒な問題が発生するため、それが慣例となっていたのだ。とはいえ、例外が存在しないわけではない。
第二代皇帝ジギスムント一世が初代皇帝ルドルフの娘カタリナの子であったように、皇統を継ぐべき人物が皇帝の子にいないような状況になってしまうと、臣籍降嫁した皇族の娘の子に継承権が発生することになっているのである。誕生したフリードリヒ四世の子は一三人いるのだが、非常に短命な者がおおく、成人したのは男と女が二人ずつの四人。そして片方の男は成人して数年もせぬうちに階段から足を滑らせて死亡し、唯一残った皇子だからということで皇太子として冊立されたルードヴィヒも一〇年以上前に病没してしまっている。
ルードヴィヒには息子(後の傀儡皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世)がいたので、彼を次期皇帝として盛り立てるという提案が一度宮廷からされたものの、母親の身分がとても低すぎたものだから、おおくの貴族が皇太子の御子であるのだから皇族として扱うのはともかく、次期皇帝としては遺伝子的に不適当であろうという意見によって流され、かくして臣籍に嫁いだ皇族の子ども達、皇帝の孫や甥姪にあたる者達が皇籍に戻り、新たな帝位継承権保有者として名を列ねることになった。
それから奇妙な皇族の不審死が相次いだ。フリードリヒ四世には姉や妹が七人いて、それぞれ結婚して家庭を持って子宝にも恵まれていたのだが、その子どもたちも例外なく死んでしまった。公的には“事故死”や“病死”として発表され、詳しいことは知らないし、うっかり地雷を踏んでしまいそうで知ろうとも思わないが、周辺の大人たちの内緒話をこっそり盗み聞きしたりして、それが帝位継承問題に絡んだ暗殺劇であり、それに自分の父親が少なからずかかわっているのだろうということは、幼いながらに察していた。
そしてその頃から公爵家に仕えていた一人であるアドルフ・フォン・ジーベックならば、ひそかに謀を巡らせ、一族を破滅させた自称皇帝をも倒せるのではないかと思ったのだが、どうも甘すぎる考えであったらしいとエリザベートは自戒した。
「御父様、御母様……。この程度のことで妾は挫けません。たとえ卑しい身分に堕ち、汚水を啜ることになろうとも、あの者の思い上がりに鉄槌をくわえるためならば、耐えてみせます。ですからどうか、ヴァルハラよりあなたたちの娘をお守りください」
天を仰ぎながら、エリザベートは両手をあわせて亡き両親に祈りを捧げた。帝位継承問題に絡んだ暗殺が横行しているという先入観からきた被害妄想に過ぎないのかもしれないが、エリザベートは重大な事故につながりかねない、子どもの悪戯にしては巧妙で悪質な嫌がらせにあったことがある。そういうことがあった日は決まって恐怖で震えていた。そういうときは決まって父がやってきて「安心しろ、わしがおる」と力強い腕で自分を抱きしめ、その胸の温かさで自分の不安をやわらげてくれた……。
もちろん、彼女も父親が現在世間で自領民を核兵器で虐殺した極悪貴族筆頭として罵られていることは知っている。だが、そんなことは彼女にとってはどうでもいいことだ。彼女にとって父親は偉大な英雄であり、母親はそれを献身的に陰から支える理想的な女性であって、共に親愛の対象でしかない。そしてその二人を死に追いやった現王朝の者たちこそ、彼女にとっては憎むべき邪悪なのだ。