リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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「勢いに乗る勇気、コミュニケーション能力、そして大金。この三つを持ち合わせていれば、大抵のことはなんとかなる」
――初代自治領主レオポルド・ラープが言ったとされる言葉  



独立不羈の自由なる惑星

 PHEZZAN――フェザーン。この惑星が人類社会において大きな意味を持つ存在になりえたのは、ほんの一世紀ほど前のことである。

 

 元来、フェザーンはたんなる不毛の土地でしかなかった。人類がこの惑星に降り立つまで、植物の類は一切存在せず、砂と岩だけの荒野がどこまでも広がっていた。だが、惑星が帝国と同盟の間をつなぐ回廊の中に存在するという特殊な地域に存在したこと、発見者が帝国の商人集団の首領であったレオポルド・ラープであったこと、そしてその発見された時期が偶然にもコルネリアスの大親征によって帝国も同盟も疲弊していた頃であったこと……なにかひとつでも歴史の歯車が異なっていたならば、今日(こんにち)のようにフェザーンが宇宙で一番繁栄している都市惑星に成長することはありえなかったであろう。

 

 帝国財界において少なからぬ影響力を持っていたラープは、かねてより強い政治的立場を欲していたという。帝国内で商売をやっていくにしても、貴族のしがらみに商人も巻き込まれ、やれば儲かるとわかりきっているような話でも背後にいる貴族達の縄張り意識のために飛びつけないし、飛びついても体良く利用されて捨てられるか、口封じされてしまうという境遇に不満をいだいており、高位貴族相手でも対等に商談できる地位を欲していたのである。

 

 そんな野心的な商人集団の首領はフェザーンという惑星を見出した時、即座に現在の情勢を利用して惑星を自分のものにすることを決意したのである。かねてより懇意にしていた貴族集団に豪快なまでに金を注ぎ込んで味方につけ、遠征失敗に伴う財政難への対処に苦慮していた時の皇帝コルネリアス一世にも多大な献金をして、フェザーンを自治領にさせるとともに、自身をその自治領主に任命させたのである。

 

 当時の帝国上層部の廷臣たちのラープへの主な評価は「何も生み出さない不毛な惑星を必死こいて欲しがる変なやつ」であった。自治領認定したからには広範な内政・外交の権利を領主が保有することを帝国政府は認めていたし、同盟との外交関係を結んで経済交流を推進する方針をラープは隠していなかったにもかかわらずである。それも当然といえば当然であった。なるほど、理屈の上からいえば不可能ではないだろう。だが、それは所詮理屈であり、地球とかいう田舎出身者が語る実現不可能な夢物語に過ぎないと廷臣たちは思っていたのだ。

 

 コルネリアスの大親征終結から一〇年近い年月が経過しているが、いまだその傷跡は両国の間に生々しく残っている。さらに情報部の調査によれば、帝国軍の占領統治を経験していた少年少女らが大人になって選挙を通じて政治参加するようになり、彼らの支持を得て対帝国強硬論を叫ぶ政治家たちが台頭してきていると聞く。そのような情勢下において、いくら自治を許されているとはいえ、フェザーンは形式的にはやや特殊な政策が行われる銀河帝国の地方行政単位に過ぎず、その位置付けはどこまでいっても銀河帝国の一部である。

 

 そんな怪しさしかないフェザーンと互いに尊重しあった外交関係を結ぼうとするほど同盟の政治家たちは無能ではないだろう。せいぜい同盟軍に潰されるまで国防を一部肩代わりしてくれるなら儲け物程度だと廷臣たちは考えていたのである。

 

 だが、ラープはそんな現実的推測を超越してみせたのである。自由惑星同盟は民主主義の国であり、民主主義の国に要求を飲ませるには、その国の世論を味方にしてしまうのが一番良いとラープは考えた。同盟はとかく基本的人権なるものを重視し、銀河帝国の階級社会を憎悪している。そうであるならば、それに対して挑戦的行為をとってやれば、民衆の好意を得ることができようし、彼らの声に押されれば同盟政府もフェザーン自治領と外交関係を結ぶことに前向きになろう。そういった宣伝効果が見込める、実益を兼ねた腹案があったのである。

 

 自治領主としてラープが最初に手掛けた仕事は“惑星開拓の労働力確保のため”という名目で大量の農奴購入を帝国と交渉することだった。十分すぎる支払い能力がラープにあることを確認すると、どっからそんな大金用意したと訝しみつつも、帝国は財政難を一時的に解決できるかもしれないぞと乗り気になった。売れる農奴の数が少なかったので、再教育が完了していない矯正区の思想犯も農奴扱いにして売りにだしてまで、ラープが欲する人数を揃えたほどである。

 

 ラープがいったい何人の農奴を購入したのかはわからない。帝国政府だけではなく、大貴族とも個別に農奴取引交渉を持ちかけていたため、総数が判然としないからである。フェザーン自治領主府側の記録では「二億から三億」という数字が多用されているが、真相はよくわからない。ともかくも大量の農奴たちを前にして、ラープは数時間に及ぶ大演説を行った。後世、独立不羈演説と名付けられる演説である。

 

「すべての者達にフェザーン自治領の公民たる権利を与える 諸君らはもはや農奴ではない!」

 

 冒頭でいきなりやった解放宣言に、集まった農奴たちはそろって目を見開き、自分たちの主人を仰ぎ見た。いや、主人ということになっていた自治領主の熱の入った演説に耳を傾け、農奴解放が嘘偽りではないのかという疑念が徐々に薄れていくような気分を味わったという。

 

「諸君らは何故農奴になってしまったのか。優秀ではない遺伝子を持って生を受けてしまった劣等種ゆえか? 叛逆者の血統の保有者であるからか? 否! 断じて否! それはおまえたちが誰もが無価値であったからだ! 己に価値があり、それを示し続けることを怠らなければ、どのような出身・境遇の者とて、生き残ることは最低限できるのだ! さらに才覚があったのならば、一山当てて大金持ちになり、惑星の領主になることだってできる! 地球などという忘れさられた辺境の惑星から成り上がったこの私がその実例であるようにっ!!!」

 

 元農奴たちは驚愕した。これは、やや迂遠的であるが、帝国の始祖、大帝ルドルフの定めたもう理念の否定であると思われたからである。

 

「さて、諸君らは本当にルドルフ大帝が仰せになられたような、主人に鞭うたれねば働かぬ劣悪者の類か? それともなにかの間違いで農奴にされてしまっただけで、その存在に自体に実は価値がある、独立不羈の精神を胸に秘めた者であるか? 後者であるならばこの自治領の繁栄のために私に誠心誠意協力せよ! 諸君らにとっての自由の城を築きあげよ! さすれば諸君らは未来永劫、子々孫々に至るまで独立不羈のフェザーン人として自由を謳歌できるのだ! 価値ある者であるならば、誰かに所有されることなどないし、鞭打たれる必要などどこにもないのだからな!!!」

 

 この演説に多くの元農奴、フェザーン市民は感化され、熱狂的に開拓事業に取り組んだ。とはいえ、草木の一本すら生えていなかったような不毛の惑星である。中間貿易が軌道に乗るまではフェザーンは非常に貧しい惑星であったので、開拓事業を終えるまでに少なくないフェザーン人がさまざまな要因で死亡したとされる。もっとも、ラープは最初から織り込み済みであったようで、まったく気にすることなく同盟との交渉に臨んだ。

 

 独立不羈演説の影響もあって、レオポルド・ラープは奴隷解放の英雄という世論が巻き起こっていたこともあって、外交・交易関係樹立の交渉はトントン拍子でまとまった。その後、大量の犠牲者の末に完成した都市惑星の中枢でラープは二〇年の歳月をかけて都市の発展と帝国と同盟との関係の安定化させることに腐心し、死ぬまでに帝国・同盟に次ぐ第三勢力としてのフェザーン自治領を完成させたのである。反面、無謀ではないが無茶な惑星開拓を強行させたために、フェザーン民衆が「役人は無能ばっかり」と公然と吐き捨てる社会の源泉を作り上げたわけでもあるのだが。

 

 だが、そのフェザーンも自治領ではなくなり、形式のみならず実質的な意味においても帝国領となり、さらには帝国首都へと変貌を遂げようとしている。そんなフェザーンの地表にゲオルグが降り立ったのは六月末のことである。数千光年離れたテオリアの宇宙港から出ている定期直行便を利用して、トランクケースを片手に単身でやってきたのである。フェザーンの地に降り立ったことに、ゲオルグはなんともいえない感慨と虚しさを感じずにはいられなかった。

 

 昔からゲオルグはフェザーンに訪れたいと思っていたのである。だが、それは自分が“帝国高官”になっていることを前提とした思いであった。国務尚書か帝国宰相として官界の頂点に立ち、もしくはなにかがあって銀河帝国皇帝になって、国内を留守にしても安心できる基盤を整えたなら、一度フェザーン自治領を公式親善訪問し、そしてフェザーン自治領主と直接対面して、自治領との間にある大量の問題について決定権を持つ首脳同士で直接討議したかった。そして会談が良首尾に終わったならば、同盟との戦争終結への道筋もつけることができるであろう。

 

 これはゲオルグの独創ではない。祖父クラウスからどのような形で戦争の幕を引くにしても、第三の位置にいて戦争を煽り続けるフェザーンを当事者として巻き込まないことには終わらないという認識を聞かされ、ゲオルグは若さからか、ならいっそ直接乗り込んで白黒はっきりさせるのが一番であろうから、首脳会談をすればよい、そんな冒険主義的な構想を抱いたのである。

 

 だというのに、現実にフェザーンに来れた時の自分は帝国の権力者としての立場を完全に失っており、国事犯として身の上を偽らねば堂々と街中を歩けぬ有様。しかもすでに自治領ではなくなっている上、同盟との戦争状態は終結しているどころか、同盟そのものが滅び去っているのである。ほんの数年でまったくなんという変わりようだ。短期間のうちに銀河情勢がここまで激変するなど、いったいだれに想像することができたであろうか。

 

 そんな思いを抱きながらゲオルグはタクシーを拾って予約を入れているホテルへと向かった。部屋はノイエス・テオリア社の名義で入れてあり、費用は会社の取材費からでることになっている。つまり第三者の目から見れば、地方新聞社に所属する出張ジャーナリストということになる。実在する人物の身分証明書も持っているし、人相もかなり似ているので、官憲に疑いをかけられることもあるまい。

 

 チェックインをすませるとゲオルグは財布以外のすべてを部屋において外へ出た。約束の時刻より少し早く着きそうであるが、時間の潰しようはいくらでもあるから先に行ってしまおうと考えたのである。市街バスに乗り込んだ。空いている席に座り、備えつけられえているTVをなんとなく眺めた。どうやらニュース番組のようだ。

 

「……この連続軍人殺害事件について、憲兵隊は無能にもまだ発表できるほど捜査が進んでいないと言っています。われわれフェザーン人に犠牲者がでないうちに解決してもらいたいものです。では、次のニュースです。イゼルローンの共和主義勢力に動きがありました」

 

 ものすごく気になる報道がされていたが、終わってしまったのでそれはまた後で調べ直そうと思い、共和主義者どもがなにをやっているかに関心を傾けた。

 

「先刻“イゼルローン軍政区協商審議会中央委員会”の名目で声明があり、同委員会は審議の末に革命継続宣言を採択したと発表されました。革命運動は政治指導者と軍事指導者を同時に喪い、エル・ファシル独立政府がその動揺と混乱の中で自然解散してしまい、これをもって世の中の人々は革命運動のみならず民主主義そのものが終焉したという風に見なしている。しかしアーレ・ハイネセンが証明したように、たとえどれだけ専制主義が興隆を誇っている時代であっても、人々が自由を求める限り民主主義の理念は決して消滅するものではない。ゆえに革命運動もまた苦境の中にあっても諦めることはなく、エル・ファシル独立政府に代わる新らしい政府を樹立し、自由と平等と人民主権を求める戦いを継続することをここに誓う――要約するとこのような内容の宣言です。

 この宣言に則り、同中央委員会は厳正なる議論の結果、新しい政府を樹立るための特別準備委員会を設立して指導者にフレデリカ・グリーンヒル・ヤンを選出したと続けて発表。その姓からわかるように、同盟軍の英雄であり革命予備軍司令官であったヤン・ウェンリー元帥の妻であります。同盟軍士官学校を次席で卒業しており、ヤンの魔術を傍らで支えた才媛ですが、政治経験は皆無です。よって彼女自身の政治能力ゆえではなく亡き夫の求心力を多少なりともいかすために指導者に選ばれたのであろうと推測でき、おそらくは樹立される新政府においても政治指導者に選ばれると考えられます。また軍事指導者の地位にはヤンの養子であるユリアン・ミンツがすでに就いているから、新政府とやらはヤン元帥の孤児と未亡人による連合政権によって運営される可能性が高いというのが専門家の評価です。すべてにおいて未知数であり、まったくもって今後の予想ができない展開としかいえませんね」

 

 皮肉って嘲笑するナレーターのコメントにゲオルグは内心同意する。正確には違うが、エル・ファシル独立政府自体が自由惑星同盟の残党みたいなものだった。それを持たせていたのはヤンの名声ゆえであり、その象徴を失ってさらに残党の残党を結成して正面から対抗を続けるなど正気の沙汰とは思えない。

 

 歴史に本流などというものがあるとすれば、現在、それは間違いなく皇帝ラインハルトとローエングラム王朝にある。その激流に抗おうともがいたところで、もがき疲れて結局流されるがオチであろうに。トリューニヒトやターナーのように帝国内部にて活動し、本流の指向性を変えようと工作する方が活路を見出せるのではないか。

 

「トレーズさん。イゼルローン軍政区協商審議会中央委員会というのは馴染みがない組織名ですが、どういったものなのでしょうか」

「一気に解説するのは難しいので、順を追って説明しましょう。イゼルローン軍政区というのは旧帝国暦四八七年に同盟軍がイゼルローン要塞を奪取した後、イゼルローン要塞を運営する行政単位として設置されました。軍事施設ですから軍が行政を担当していたので、軍政区、というわけです。バーラトの和約が結ばれるとともにイゼルローン要塞が名実ともに帝国に返還されて同盟政府の書類上でも廃止されましたが、今年初頭にヤン元帥がイゼルローン要塞を再奪取したことを受けて、エル・ファシル独立政府が再設置しました。

 協商審議会というのはイゼルローン軍政区の議会という風に認識すればよろしい。もともとは軍政の円滑化を目的とした住民代表者によって構成されれる諮問議会という位置付けでしたが、ヤン元帥の葬儀が終わった後、軍事後継者のユリアン・ミンツ中尉がイゼルローンの軍政終了宣言を出していたので、現在は実質的にも議会と同じであるとみてよいでしょう。中央委員会というのは同盟時代に前線からほど近い星系議会によくみられた機構で、有事の際に議会の役割の大部分を代行できる権限を持った非常時のための組織です」

「なるほど。その中央委員会が新政府の樹立を宣言したということは、エル・ファシルの星系議会が独立を宣言したのと似た構図ですね」

「というよりかは意図的に似せているのでしょうね。いくら天体規模とはいえ、軍事基地しか保有しない民主主義勢力など笑い話としか思えませんから、なおさら形式を重視しているのかもしれません。個人的にはそんなことより、故ヤン元帥の偉大さに養子と未亡人が押しつぶされないかどうか、実に心配なのですが」

「まあ、トレーズさんはお優しいですね」

「ほめ言葉として受け取りましょう。では、次のニュースを――」

 

 その後も会社の不祥事事件とか新領土での諸問題などの様々なニュースが続く。特にまもなくフェザーンへの遷都が正式に宣言されるであろうことについてはかなり長い時間を割いて報道していた。フェザーン人の実生活にかかわってくるだけあって、視聴者の関心がとても高いのであろう。

 

 それにしても……自治領時代から銀河帝国の皇帝や同盟の最高評議会に対して情け容赦ない論評やら批判やらを一切躊躇なく報道していたし、自治領主府の施政に対しても大変非好意的な目で評価を下していたフェザーン・メディアの反骨ぶりは警察時代から知っていたつもりだった。だが、それは体制批判しても安全が保障されている充実した社会で暮らしているためであり、帝国・同盟に対しては第三者的立ち位置にいるがゆえ、というふうに思っていたのである。

 

 しかしながら名実ともに帝国領となった現在もボルテックの代理総督府は当然として、シルヴァーベルヒの工部省どころか、帝国軍大本営を対象とした昔日と変わらぬ辛辣さに溢れた批判を加えている。秘密組織が集めた情報からそうなっていることは知ってはいたが、実際に目の当たりにするとなかなかに衝撃的な光景である。フェザーンの独立不羈の精神の強靭さのためか、それとも帝国当局がフェザーン人に舐められているからなのか。どう判断すべきなのだろうか。

 

 そんなことを考えているうちにバス停に到着してゲオルグは金を払って下車し、そこから三〇〇メートルほど歩いたところにあるカジノの店内に入った。まだ真昼間だというのに、店内にはそれなりに人だかりがあり、ギャンブラーたちがそれぞれの賭場で熱気を燃やして勝負をしている。その必死な勝負をゲオルグは見物しながら賭場をまわった。別に参加するつもりはない。ギャンブルなどというのは見て楽しむのが一番だ。名門貴族家に生まれて権力闘争の中で育ったゲオルグにとっては、息苦しい勝負のスリルなんてものをギャンブルをしてまで得ようとは思えないのだ。

 

 賭場を見て回っているうちに、チップと現金の交換所に出てしまい、ゲオルグはある標識を見て、おや、と思った。現金からチップへの交換はフェザーン・マルクでも大丈夫だが、チップから現金への交換は帝国(ライヒス)マルクのみ可能であると書かれていたのである。財務省が新帝国暦二〇年までに同盟ディナールとフェザーン・マルクを、帝国マルクに通過を完全統一するという目標を発表をしていたが、そのための措置がとられていると風に感じたのだ。しかし発表されてからそんなに日数がたっていないにもかかわらず、こんなカジノにまで措置が徹底しているとは行政の迅速さに舌を巻きたくなる。

 

 一時間ほど賭場を楽しげに見物しているうちに、約束の時刻になったことをカジノ内に設置されている大時計で確認し、ゲオルグはカジノと隣接しているホテルのほうに向かった。接近してくるゲオルグの姿に気づいて、ホテルマンが駆け寄ってきた。

 

「申し訳有りませんが、この先は宿泊客のみ入れるエリアです。チェックイン済みですかな?」

「いや、知り合いが宿泊しているんだが、呼び出してもらえないだろうか? 部屋番号は六〇五で、ノイエス・テオリアのラルドといえばわかってもらえると思う」

「……少々お待ちください」

 

 ゲオルグの注文を受け、ホテルマンはスタッフルームに入り、備えつけられている内線電話の受話器をとって、六〇五とボタンをプッシュした。通話が繋がり、「ノイエス・テオリアのラルドという人物に心当たりはありますか」と聞くと「友人だから部屋にあげてやってほしい」と返答があった。ホテルマンは了承の返事をして、ホテルの入口に戻ってゲオルグを六〇五号室へと案内した。

 

 部屋の前まで案内してくれたことにゲオルグは礼を言い、ホテルマンが去っていき姿が見えないことを確認した後、ドンドンと部屋の扉をノックした。扉が軽く開いた。チェーンロックがかかっていて無理やりには開けられそうにない。剣呑な光を目に宿した青年の顔が間から出てきて、問いかけた。

 

「大神オーディンより偉大な神の名は?」

「グリームニル」

 

 お決まりの合言葉の返しをゲオルグがすると、青年は扉を一度閉め、チェーンロックを外して客人を部屋に迎え入れた。

 

「本当にこんな場所で密談などして大丈夫なのだろうな? フェザーンにはあまり詳しくないから、密会場所はおまえに任せたのだが」

「このホテルは何度も利用していますから信頼できます。まったく問題ありません。フェザーンではプライバシー空間は神聖不可侵の概念でして、公共施設にある私的空間には徹底的に盗聴対策を施されるもの。このカジノホテルに限らず、サービス業なら施設にある客室や談話室にそのあたりの設備に万全を尽くします。そうしないと客から万金に化ける情報が流出すると警戒されて、客足が途絶えますから。素朴な帝国人が囁く“犯罪を企める場所がそこら中にある”というフェザーンへの評価は、誇張でも冗談でもなんでもなく、実に正当な評価です。なにせ警察に犯罪者捜索の協力を求められても、よっぽどのことではないと店の評判を気にして拒絶するのがフェザーン流ですから」

「なるほど。治安関係者からすれば悪夢でしかないな」

 

 プライバシーなど知ったことか。怪しければ徹底的に調べあげろがモットーだった帝国警察の長官だったゲオルグにはそうとしか思えない。もっとも、そういう寛容さこそがフェザーンの繁栄を支えてきたのであろうが、警察時代の部下どもはさぞ苦労していることであろう。

 

「ところでベルンハルト、おまえは私がどういう人間か、わかっているか?」

「ノイエス・テオリアのラルドさん……なんて答えはお望みではなさそうですな。秘密組織の指導者ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデ殿」

「ほう、そこまで見抜いたか。うむ、おまえを秘密組織のフェザーン内ネットワーク統括者に推薦したクラウゼの目に狂いはなかったようだな。ここ最近、フェザーンにおける重要性から色々と情報をあたえすぎた故、秘密組織の指導者が私であると見抜かれているだろうと思っていた。しかしなぜ私がその指導者だと判断できた? かなりうまく変装しているつもりだったのだが、なにか見落としがあっただろうか」

「いえいえ、私としても秘密組織の最高幹部のだれかが来るとしか思っていませんでしたよ。しかしあなたと直接顔をあわせて、注意深く観察したら、顔の造形が非常に酷似しているように思えましてね? リヒテンラーデ家次期当主の顔を知っていて、なおかつ最初から疑って見ないと先入観も手伝ってとても一致しないですよ。私も半信半疑で、半分カマかけの断定でしたから」

「……なるほど。一本取られた。今後の教訓とさせてもらおう」

「整形手術でもされるので?」

「そういう意味ではない」

 

 整形手術で自分の顔面を改造するというのは論外だと秘密組織の首領は切って捨てた。あの手の手術は思わぬ副作用をともなう事態が発生する危険性が多少あるため、こうして自身を偽らなくてはならない時にその可能性を引き当てたら活動する上で致命的に過ぎる。

 

 だからもっと演技や変装に磨きをかけなくてはならないと認識しただけであったのだが、まさかそういう解釈をされるとは。

 

「まあよい。そこまで察することができる能力があるのなら、早速本題に入るとしよう。現在の秘密組織の方針は理解していよう?」

「ええ、おそらくですが、ボルテック派のフェザーン勢力と合同して、勢力を拡大していき、しかるのちに大勝負に出る方針ではないかと」

「その通りだ。それで肝心な話なのだが、おまえはボルテックの代理総督府をどのように評価しておるのか、参考のために聞かせてもらおう」

「とても(つたな)いとしか言いようがありませんね。軍務省を中心とした妨害工作もあって、実質的統治権を奪われ続けています。特にこの前のテロで入院している隙をつかれて、シルヴァーベルヒにかなり食い荒らされてしまっています。このままでは代理総督府が実権のない形式だけの組織に成り下がるのも時間の問題かと」

「なぜそこまで悪化したと考える? ボルテックの力不足ゆえか」

「身も蓋もない話ですが、おっしゃる通りで。もちろん、彼も優秀な政治官僚なのは疑いないのですが、シルヴァーベルヒのような異才の持ち主というわけではない。くわえてフェザーンを帝国に売り払って地位を得た売国奴という評価のために、主な支持層である不平派からあまり信頼されていないというのも問題です。そのためにボルテックは支持者との摩擦で時間をとられすぎているきらいがあります」

 

 まとめると代理総督府の問題点は大きく三つであるといえる。壱、帝国首脳部がフェザーン統治権奪取に積極的な事。弐、民政を担当しているシルヴァーベルヒがボルテックと比較して優秀すぎる事。参、売国奴という悪評からくるボルテックの求心力不足。

 

 壱にかんしては根本的解決不可能であろう。なにせ統治権奪取はフェザーンに遷都するためには必要不可欠であり、遷都は皇帝ラインハルトの意向である。ロイエンタールを新領土総督に任命し、旧同盟領の帝国領化政策が行われることを考えると、統治上の理由からいっても諦めることはない。せいぜい帝国政府内の秘密組織構成員を活用して、その動きを妨害するくらいしか対処法がない。

 

 弐と参に関してはシルヴァーベルヒに対抗できる逸材を代理総督にしてしまえば根本的解決が可能だが、そんな都合の良い人材に心当たりなどないし、仮にいたとして帝国政府がその人物がボルテックの後任になることを承認するはずもない。そもそもボルテックを代理総督をやってられるのは、長期的な銀河統一を睨んでいた頃の国家戦略の残滓に過ぎない。フェザーンの早期領土化及び首都化に舵をきった現在の帝国からすると、ボルテックが代理総督を辞めるならば、そのまま弱体化している「役目を終えた」という名目で代理総督府をも解体してしまいたいところであろう。

 

 となると、弐は壱と同じようにシルヴァーベルヒ及び工部省の行動を何らかの方法で妨害して対処するよりほかにない。参は不平派への求心力があって、それでいてボルテックに邪魔者扱いされないように振る舞えるという、面倒な条件をこなせる人材をボルテックの補佐役として付け、支持層である不平派との緩衝材にするべきであろう。このあたりについてグラズノフと充分に相談して実効性のある対応策を考えてある。時間によって解決をはかることは可能であるはずだ。

 

 だが、想像以上に代理総督府の立場は危ういようである。立て直しの準備が整う前に手遅れにならないかとても心配である……。対処法と一緒にその懸念を告げるとベルンハルトも同意し、ついで思い出したように先日のテロがあった歓送迎会で漫然と感じた不安を上司に告げた。

 

「おまえが軍務省から疑われているだと?」

「私の考えすぎかもしれませんが、フェルナー准将が私がケルマン組合に就職したことについて根掘り葉掘り聞いてきたので、なにか探りを入れに来ているように感じたのです。たんなる好奇心からの問いで杞憂の可能性もありますが、……念のため報告を」

「なるほどな……」

 

 アントン・フェルナーといえば軍務省官房長と調査局長を兼務していて、軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタインの腹心の一人と目されている人物。そんな奴に目をつけられているとなれば、ベルンハルトが秘密組織の構成員として活動するのは難しくなってくるだろう。

 

「わかった。しばらくおまえは秘密組織の一員であることは忘れ、よくいる不平分子の一人のように振る舞うよう心掛けよ。だが、連絡だけは怠るな。疑惑が晴れたか杞憂に過ぎなかったと私が判断したら、おまえにはまた構成員としてまた活動してもらうのでな。連絡役はそうだな、カニンガムにやらせる。あいつは裏社会の案内役をやっている人間だし、頻繁に接触しても不平派ならそれほど怪しまれまい」

 

 少し考えてからゲオルグはそう判断し、ベルンハルトも了承した。

 




「百鬼夜行さ。この国では、いつだってだれかがだれかを利用しようとしている」
――すでに死んだ最後の自治領主補佐官が漏らした愚痴  

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