リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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くっそ久しぶりの更新。スランプなんじゃあああ


歪みなく、歪みあり

 フェザーンの大衆は正確な情報というものには黄金の価値があると素朴に信じている。ゆえにこそ、彼らは言論・報道における広範な自由を求め、それを侵害する者たちに敵意を向ける。しかし一方で、それと相反する秘密という概念も同時に愛してもいた。

 

 秘密といっても、それは国家機密とかの類をさしてのことではない。多くのフェザーン人にとってそうした種類の秘密の必要性は認めても、あまり好ましく感じておらず、可能であれば積極的に情報公開していくべきとさえ認識されていた。フェザーンの大衆が愛する秘密とは、商取引情報や個人情報の秘密である。なぜかというと、単純な話である。

 

 伝説的なフェザーンの大商人バランタイン・カウフには次のようなエピソードがある。所謂「処刑台の階段十二段目から王座への跳躍」と言われているものだが、カウフは抱え込んでしまった多額の借金を返済するため、保険金目当ての自殺を目論んでおり、今生の別れとばかりに酒場で腐っている時に、同じ酒場にいた客同士の皇位継承に絡む帝国の叛乱に関する雑談を小耳にはさみ、かなり無茶な方法で資金を調達し、巨額の富を掌中に納めたというものだ。

 

 フェザーン人はカウフの度胸と手腕に裏表ない賞賛と憧憬の念を向けているが、このエピソードに関するとある点について、冷笑する。曰く、どこどこで叛乱が起きるなどという超重要情報をそんな場所で不用意に噂するとか、その客連中はいったいどういう神経をしているのだと。事実無根で確度の低い噂ならまだ理解できるが、純然たる事実であったのだから始末に終えない。

 

 だからこそ、フェザーン人はサービス業を行う業者には個人情報の秘匿の徹底を求めるし、取引相手に機密意識はあることを要求する。そしてそれを権力でぶち壊そうとする政府の役所には敵意を燃やす。これが一般的なフェザーン人の感覚というものであったから、かつてのフェザーン自治領主府の治安担当者からすれば頭の痛い問題であった。

 

 そしてその頭の痛い問題は、新しいフェザーンの統治者となった銀河帝国へとそのまま相続された。フェザーンを占領した当初こそ、恐怖と不安からあまりでかい口を叩くものはほぼいなかったが、フェザーンが正式に帝国領に組み込まれて一年半以上が経過し、その間ずっと穏健な統治がなされたこともあってフェザーン民衆の危険意識が鈍麻し、自治領時代の権力に対して反発的で反骨的なところがあった元来のフェザーン人の気質が回復されつつあり、市民の秘密を守らんとする意識は強まっていたのである。

 

 そうした商取引や個人の秘密を尊ぶフェザーンの気質を数多の反帝国勢力は利用し、首都星であるにもかかわらず、少なくない地下活動の拠点が構築されることになってしまっていた。なにせ、旧帝国領なんぞに活動拠点を作るより、ある意味では安全なのだから。

 

 首都にあるとあるアパートの地下の一室に、そうした拠点のひとつがあった。普通のアパートの一室とは思えないほど広々とした空間であったが、それはVIPルームだからとかいうことではなく、この拠点を用意した男の工夫の産物であった。彼は、何の関係もない一〇人ほどのフェザーン人を抱き込み、彼らの名義でアパートの地下部分の部屋を買い占めさせ、フロアの壁を大家に無断で撤去することによって大広間を創出したのである。地下であるため、音漏れも発生しにくいことから、彼はここを部下たちの訓練施設として活用していた。

 

 そうした巧妙な手口を駆使してこの大広間を作り出したアドルフ・フォン・ジーベックは、近頃不快な日々を過ごしていた。

 

「いつもむっつりした顔をしやがって。少しは元気そうな顔したらどうだ」

「誰のせいだと思っているのだ、この裏切り者どもが」

「おお、怖い怖い……」

 

 軽くではあるが殺気を込めてジーベックから睨まれた、荒れた浅黒い肌が特徴的な男は、いかにも作っているといわんばかりに恐怖に震える演技をし、そして道化染みた調子で隣に立つ相手へと視線を向けた。

 

「俺たちは同志なんだから、ちっとは温かい視線を向けてくれてもいいと思わないか」

「……本気で言っているのかサダト?」

「なんだよ、少なくとも共通の作戦のために協力しあう同志だろ?」

「……」

 

 不愉快そうな態度で沈黙返し、少なくともおまえと同じ志を抱いているつもりはないという意思を態度で示されて、やれやれと肩をすくめた。

 

「冷たいな、オットー。ヘマして死にかけていたお前を助けてやったのが誰なのか忘れたのか」

「援軍がやってきたせいだ。それがなければ時間がワーレンを殺せたはずだ。俺に落ち度はない」

「なるほど、すべては近衛士官どもの責任ってか?」

 

 そう言っておどけてみせるサダトに反応すら返すことがバカらしかったので、丁重に無視した。頭では恩があるのだから相手をしてやるべきではないかと思わないわけではない。ヴァルプルギス作戦を利用してワーレン上級大将の暗殺の実行指揮をとり、失敗して、重傷を負って倒れていた自分を助けてくれたのは、目の前にいるサルバドール・サダトなのだから。貴族連合残党組織に組みしていた頃から、サダトは独自に地球教とのコネクションを構築していたらしく、どういう心情によるものか知らないが、サダトは嫌がる地球教の運び屋を説得して一緒に惑星オーディンから脱出し、地球教のエージェントとなったのである。

 

 オットーが地球教の庇護の下で適切な治療を受けれたのも、サダトが救ってくれたからこそ。しかしながら、彼の無責任な恥知らずぶりのために、好感を持つことができずにいた。彼は先のオーディンでのクーデターが失敗に終わったと悟った瞬間、すべての部下を見捨てて一人で逃亡をはかったゆえに、生き残ることに成功していたからである。今更ラインハルトとその一派以外の人間の悪業を責めたりするつもりはないし、その余裕もないが、あまりにも悪びれないサダトの態度は純粋に気に入らなかった。

 

「ジーベック中佐、あなたが不快に思うのもわかるが、すべては金髪の孺子をヴァルハラに送るために必要なことだ。そしてそれはエリザベート殿下の望みにもかなうのではないか」

「だが、私は地球教どもなどと手を組みたくはなかった。連中、何を考えておるのかさっぱりわからぬ」

 

 ジーベックは疲れ果てたような声でそう呟き、オットーはそうだろうなぁと共感を覚えた。体調が回復してより、オットーはサダトと一緒に地球教徒たちに戦闘訓練を行う教官的立ち位置についており、ラーセンを取り込んでジーベックを半ば脅す形で取り込んでからは、ジーベックもその立場にある。地球教にとっては、今後もテロ活動を続けるに当たり、テロリストの育成に力を入れていかなくてはならず、そのために軍事のプロフェッショナルを取り込む必要があった。

 

 地球教書記局からの命令に従う地球教徒の現役軍人もそれなりにいるが、彼らは地球教の陰謀家たちにとっては虎の子の切り札というべき存在であり、軽々に使うことのできない駒なので、公的には一般人にすぎない地球教徒たちに対して軍事教練などすれば確実に帝国軍当局から目をつけられる。よって、いわばお尋ね者である彼らが教官として地球教徒たちを教育する立場につけられたのである。

 

 今でこそ地球教徒たちの思考回路に慣れてきたが、当初はオットーも価値観のギャップに戸惑ったものである。

 

「俺も地球教徒との付き合い方には結構戸惑いましたから。今でも偶に接するのが嫌になる」

「では、俺の方から掛け合ってやろうか。ラーセンとなら多分交代できるぞ」

「……勘弁してくれ。今更、あの男を崇めることなどできんさ。たとえフリだけであってもな」

 

 オットーはげんなりしてそう返した。かつてラインハルトを信奉した身ではあるが、いや、そうであるがゆえに、無理な相談だった。今となってはあの頃の自分でさえ、叶うならば殴り殺してしまいたい。それくらいには呪わしい過去である。

 

 そんな過去の自分の幻影どもの相手など、一時的にならばともかく、長期にわたり付き合うことなどできるとはとても思えない。ゴールデンバウム王朝に対する愛着が強いラーセンも当然そうだろうと思い、オットーは不安を感じていたのだが、それは杞憂だった。

 

 あのサイボーグ、その必要性があると思えば、ゴールデンバウム王朝を悪し様に罵り、今の簒奪者である皇帝を讃えることに抵抗が皆無であるようで、しかもその演技には嘘臭さがほとんどなく、筋金入りのラインハルト崇拝者の一人としか思えない完成度であった。そんなラーセンの態度を少しばかり見物した際、憎たらしさと腹立たしさがオットーの心中で湧き上がり、ついその顔面に鉄拳を叩き込んでしまうほどに、自然であった。

 

 ジーベックも同意見であるらしく、うんざりとした表情を浮かべていた。しかしサダトはというと、若干ではあるがラーセンに対して理解がある。帝国軍に招安されてからリップシュタット戦役の頃まで、サダトは軍人として様々な矯正区を転々しながら暴虐の限りを尽くしてきており、そうした経歴の中でエーリューズニル矯正区の収容者たる条件に合致する思想犯を見つけ出して移送する任務にも従事したことがある。つまりあの特殊な施設の実態に触れる機会があったのである。

 

 エーリューズニル矯正区は、一定年齢以下の生粋の思想犯しか収容の対象としていない。生粋の思想犯、という表現を聞くと、強固な政治的信念を持って帝国の政治体制を転換しようとする革命家の大物とか、そういった人種を思い浮かべるかもしれないが、そういう意味ではない。生まれながらにして思想犯の烙印を押されているという意味で、生粋の思想犯なのである。

 

 生まれながらの思想犯なんているのか、と、問われれば、存在した。遺伝子を絶対視したルドルフ大帝の理念によれば、優秀で忠実な人材の子孫は、優秀で忠実な人材に育つ傾向が強いと考えられ、子々孫々に渡って貴族の地位を相続する制度を生み出した。それと同じように、帝政に逆らった叛逆者達の子孫は、やはり叛逆の志を持っている可能性が高いと見なされ、先祖の思想犯罪者たる地位を相続させられる仕組みが作り上げられた。著名な歴史的人物をあげると、自由惑星同盟で国父として敬愛されていたアーレ・ハイネセンなども該当する。

 

 そのような生粋の思想犯の中でもまだ物心ついてさほど時間がなく、比較的健康状態が良好であると判断されたものがエーリューズニル矯正区に収容する意味のある存在だ。まだ()()()()()()()()()()()()()()()()()()というわけだ。エーリューズニルの運営者たちの主観からすれば。なんという独善。エーリューズニル矯正区の狂気的理念の最高傑作が、おそらくテオドール・ラーセンという男なのだろう。自分が知っている他のエーリューズニル矯正区出身者も、ラーセンと比べれば完璧ではなかった。それはサダトにとっては確信して言える真実であった。

 

 もっとも、そんなエーリューズニル矯正区の内実など、サダトとしてはあまり重要ではないことだ。精々、ある種の自分の同類として、多少親愛を感じる程度である。向こう側に素直に受け取られたことは、これまで一度としてないのだが。

 

「何をくだらぬことを言い合っておるのじゃ」

 

 しわがれた声が室内に響き、三人は会話をやめ、そちらに視線を向けた。不機嫌そうな老人の姿を視界におさめたサダトは、思わず唇の端を歪めて、仰々しく挨拶をした。

 

「これはラヴァル大主教猊下におかれましてはご機嫌麗しく……ないようですな」

 

 そう言われた聖衣を身にまとった老人は、眉間に皺を寄せて眼光鋭くサダトを睨みつけた。

 

「何故不機嫌であるか、其方はわかっておろうな」

「そうですねぇ、やはりあれですか。地球の不信心な連中が帝国の傘下に入ってしまったことですか」

「そんなことで此方が不機嫌になるとでも思うておるのか」

 

 心底いらだたしげにそう返されて、サダトはやや驚き、ジーベックとオットーは互いに顔を見合わせて不思議がった。狂信的な信念で帝国を憎悪している地球教大主教猊下のことだから、当然、帝国の傘下に降ったシオンなどの裏切り者どもに対して穏やかならぬ感情を抱いているに違いないし、そう思い込んでいたので三人には意外だったのである。

 

 その事実に関して、ラヴァルはそれほど不満はない。もちろん、多少不快感を覚えるが、それも致し方ないことであろうと自然に受け入れていたのである。およそ普通の人間の望むことといえば、母なる地球を崇めながら平和な日々を送ることだ。そのためであれば、戦争狂の連中に不肖不肖で頭を下げなくてはならないこともあるだろう。善良なる地球教徒たちになんら罪はない。ちょっと論理的に物事を考える頭があれば、子どもでもわかることだし、自分とて彼らの立場ならそうするかもしれないと自然に思えることだ。彼の機嫌が悪い理由は他にある。

 

 ひとつには、今の地球教団内部の事情により、数ヶ月前にフェザーン管区責任者という地位につかされたことであった。別にその地位に不満があるわけではない。あの静謐な平和に満ち満ちていた聖なる地球を、あろうことか罪深い軍事力によって穢した悪しき帝国の首都において、人類恒久平和のための活動を行うことに関して、彼は熱意を持って取り組んでいた。

 

 彼にとって不満なのは、その人事が行われた背景、地球教団内部における勢力図についてであった。ヤン・ウェンリー暗殺を成功させたのち、その暗殺計画を立案し、その成功のために精力的に取り組んでいたド・ヴィリエの権威と権勢が強まり、直接総大主教猊下よりお褒めの言葉も賜って正式に大主教の首位を占め、総大主教以外の何人にも掣肘できぬ権勢を振るうようになったことにある。

 

 その後、地球教の行動計画の大部分が名実ともにド・ヴィリエの指揮の下でおこなれるようになり、枢機局内では総大主教の後継者として地球教のナンバー・ツーに位置付けられたなどという不愉快な言説が流布するようになった。ラヴァルがフェザーン管区の責任者たることを命じられたのも、こうした流れの中でのことであって、表向きは一時的にせよフェザーンの責任者だった経験を買ってというが、実質的にはド・ヴィリエとの折り合いが悪かったが故、地球教の中枢より追い出されただけであろう。少なくとも、ラヴァルはそう思っていた。

 

 このような事情でこのフェザーンの大地に足をつける前からラヴァルの機嫌が悪くなりがちであり、そしてとある人物の行いのせいで、より一層不機嫌になりがちであった。その人物とは、眼前にいる不敵な元准尉である。

 

「また其方は帝国軍人を誘拐し、残虐に痛めつけて殺したようだな。なぜそのように無益なことをしたのだ」

 

 それに対してサダトは、大げさに「ああ、そのことですか!」と揶揄うような仕草をとり、よりラヴァルの怒りに油を注いだ。近頃フェザーン中で噂になっている軍人狩り。それはサダトの仕業であった。彼は訓練を施している地球教徒たちを率いて帝国軍兵士が一人でふらついているところを拉致・殺害するという凶行を何度となく繰り返していたのだ。

 

フェザーン独立派の活動によるものと思わせるようにサダトが巧妙な偽装を施しており、いまだ事件の真相は帝国軍当局ならびにフェザーン民衆の知らざるところであったが、自分たちの帝都での活動が表沙汰になりかない危険な行為であり、当然、ラヴァルとしては許し難いことであるのだが……

 

「これは妙なことを。地球教徒どもに戦闘訓練を施しいてほしいというのは、枢機局より私に下された神聖な任務ではありませんか。私はそれに忠実たらんとし、彼らに実戦訓練の機会をつくってやったのです。死んだのも地球教徒ではありませんし、なんの問題があるというのです? まさか訓練の犠牲になった帝国軍人どもを哀れんでおられるので?」

 

 肩をすくめてサダトは平然とこう宣うのである。

 

「軍人などどうせ生きておっても愚劣な破壊と殺戮を繰り返し、人類の平和を乱す活動しかせぬのだから、別に軍人を殺したこと自体を責めようとは思わぬ。なぜ何度となくそのような我々の存在が露見しかねないリスクを犯したのだ」

「なんでって、何度も経験を積ませておかないと本番の時に慣れないでしょう。なあ、オットー。お前だって、経験不足の部下なんぞ持たされても困るだろ?」

 

 いきなり話を向けられて、オットーは明らかに迷惑そうな顔をしたが、サダトの言うことも間違ってはいなかったので静かに頷いた。確かにそんな奴らを率いて目的の人物を、彼が殺したいと心の底から望んでいる相手を殺すことが叶うとは思えなかったのである。

 

 とはいえ、まったく反感を抱かないというわけでもない。実戦訓練であるといえば聞こえはいいが、内実はというと、サダトが自身のサディスティックな欲望を満足させたがったためであると察していたからである。

 

 それでもオットーは自身の目的を果たすためには些細なことであると無視を決め込むことができたが、ラヴァルはそういうわけでもなかったので、しばらくは二人の間で言い争いが続いた。

 

「いい加減にしろ、サダト! 猊下、今後はこのようなことがないよう自分が責任を持ってサダトを見張りますので、どうかご容赦いただきたく思います」

 

 耐えかねたジーベックがたまらず両者の間に入って仲裁をした。個人的には現状に色々と思うところはある。しかし……彼が忠節を捧げる対象である少女が今回の機会を逆用することを決めたのである。

 

 客観的にみれば、それほど勝算の高い賭けではないとジーベックは思うのだが、そのことを仔細に説明しても、彼女の決心は揺るがなかった。とあらば、主命である。全力を尽くして成果を出すべく粉骨砕身するのみ。だからここで溝ができていくのを長々と放置しておくわけにもいかなかった。

 

 ジーベックの穏やかで静かな、それでいて圧を感じさせる眼光をつきつかれても、ラヴァルは怯みはしなかったが、おとなしく引き下がることにした。サダトとの会話が打ち切られて、やや怒りの熱が冷めたのもあり、彼らは自分たちとは違う哀れな狂人なのであるという感情が湧き上がってきたからである。

 

 サダトにせよ、オットーにせよ、ジーベックにせよ……あるいは、別用でここにはいないラーセンにせよ、だ。彼らは環境の被害者なのである。狂気に満ちた世界に生まれ落ち、大量殺戮が賛美される戦争の中にて育ち、母なる地球への信仰という真理を知ることができず、人間性と良心というものを得ることができなかった、哀れで救いようがない者たち。

 

 ラヴァルが地球教徒以外へと向ける哀れみの心は、まったくの純情である。なぜなら考えてもみよ、もし彼らが地球に生まれ落ち、地球教の教理を学び、人としての正しさを身に付けることができていたならば、このような愚劣な愚かしいことなどできるわけがないに決まっているからである。

 

 そうであればこそ、ラヴァルは地球教の聖職者として謀略家となる道を選んだのであった。なぜかというと、彼は良心を傷めずにはいられなかったからである。だってそうであろう。聖ジャムシードの偉業によって地球は戦争という病毒から解放され、数百年に渡って平和を謳歌しているというのに、それ以外の星々はいまだに戦争という惨禍に悩まされているというのだ。

 

 この理不尽と不条理を終わらせ、すべての人類に母なる地球を崇めさせ、人類社会全体に永遠の平和をもたらす。その崇高な目的のためとあらば、たとえ神聖なる教えの一部に背き、その罪のために自らが地獄に堕ちることになろうとも、ラヴァルはかまわなかった。自分に限らず、およそ地球の聖職者たる者は、そうした自己犠牲の精神に基づき、行動する者であるべきなのだから。

 

 よって、平和のためにあらゆる手段を尽くすべきということは疑うべくもないことであった。目の前の連中の罪深さはそれとして、平和な世界を築く礎となってもらうべきであろう。それが彼らの罪に対する多少の贖罪になるかもしれないのだし。そう思い、ラヴァルは改めて地球教徒としての使命感を強くするのだった。

 

 ……第三者の視点でみれば、これはいかにも狂っている理屈であったが、地球という揺り籠の中で歪んだ平和主義と選民思想の中で育ち、外の宇宙の争いを他人事と断じることができかった心優しき地球の民としては、それほどおかしな論理ではない。実際、ラヴァルと同じ価値観を抱き謀略を巡らす地球教徒という存在は、地球教が宇宙に謀略の糸を張り巡らすようになった時から現在に到るまで、それこそ星の数ほどいたのである。

 

 ジーベックやオットーとは異なり、地球教との関係が昔からあったサダトはそうしたラヴァルの思考をある程度洞察することができ、「馬鹿馬鹿しい」と内心で独語した。まったくもって、どうしてそこまで自分たちの正義を疑わずにいられるのか心底疑問である。

 

 ゴールデンバウム王朝、あるいは今のローエングラム王朝とやらもそうだが、いったいどこまで人類というものに夢を見れば気がすむのか。人間というのものが、どれほど無価値で、どれほど下劣な欲望に突き動かされ、どれほど臆病心に揺り動かされ、どれほど醜悪にあらゆる大義を裏切る存在なのか知らないとでもいうのか。無論、そうでない人間もいることだろうが、そのような奇跡のような例外を、類稀なる希少種を基準に物事を考えるなという。

 

 その類い稀なる希少種とて、堕落すれば際限がない。五〇〇年前のルドルフとて、そうだったではないか。奴の信じた正義、いや、正義の出来損ないがために、それほどの悲劇を巻き起こしたか。そんな人類のすべてが知っている歴然たる前例を知りながら、何故自分たちの正義は他者のそれよりはるかに正しく、それを生涯貫けるなどと傲慢な信念を抱けるのか。

 

 人間など呆れてしまうほど過ち繰り返して、しかもそのことを恥じないものだ。そんな大前提を履き違えている時点で帝国の専制政治も、地球教の宗教政治の理想も土台うまくいくはずがなく、多大な流血と悲劇はどうしても付きまとうことになるだろう。

 

 ゆえ、人間なんてものは基本的にろくでもないという前提の上に成り立っている民主主義の方がまだしもマシではないかとサダトは思う。もっとも同盟が滅び、エル・ファシルをも民主主義勢力は失い、イゼルローン要塞に立てこもるだけの弱小勢力に落ちぶれていることを思うと、それもまた買いかぶりであったのかもしれないが。

 

(……未練、か?)

 

 ポツリと浮かんだ感傷にサダトは自嘲の笑みを浮かべた。いずれにせよ、もはやどうでもいいことだ。とうの昔に自分は死のうが生きようがどうでもいいと思っている。ならば、この身が果てるその日まで、自分は感情の命ずるままに、八つ当たりのために生きてやると決めているのだ。

 

 地球教の理想が実現しようがしまいがどっちでもかまわない。サダトにとっては、たとえ人類社会がどうなろうが、知ったことではないのだ。


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