リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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貴族の司令官、副司令官

 首都防衛軍司令部に変な情報が流れてきたのは、その年の八月二九日、雨足が強まっていた正午頃のことであった。

 

「副司令官閣下、内務尚書からお電話です」

「内務尚書から? こちらに回してくれ」

 

 部下から報告を受けた灰銀色の髪が特徴的な帝国軍将校は、訝しげな表情を一瞬浮かべたが、すぐにそれを消し去って、部下にそう告げ、自分のデスクの電話が鳴った瞬間に受話器をとった。

 

「はい、首都防衛軍副司令官のトゥルナイゼン大将です。オスマイヤー内務尚書閣下」

「副司令官? 司令官はどうしたのだ」

「司令官閣下は今不在だ。私が要件を伺おう」

 

 訝しげな声に対し、トゥルナイゼンは反問を許さぬといった高圧的な声音でそう告げた。

 

「貴族連合残党組織の事実上の指導者であるとされているアドルフ・フォン・ジーベックの姿を帝都にて発見したと内国安全保障局より報告がありましたので、情報の共有をと思いまして」

「なにっ!? それでいまどうしている!?」

「それが……尾行をまかれてしまったと……」

「なんだと! なんたる失態だ! 内国安全保障局は無能者の集まりなのか!?」

 

 傲然とトゥルナイゼンは内務省の失態を詰った。ことがこととはいえ、閣僚たる内務尚書に対して一介の大将がとるには無礼な態度と言えたが、そんなことをトゥルナイゼンは気にしなかったし、軍内においては問題視されることもない態度でもあった。

 

 黎明期のローエングラム王朝の特色は軍国主義であり、政府が軍の風下に立たされるのは当然のことであった。それでも、普段であれば大将が閣僚に対して偉そうに対応するのはよろしくないことであったのだが、例の帝都で暴れてくれた連中の首魁であり、あのヴェスターラントの虐殺の現場責任者として国をあげて追跡している者と接触しながら失敗して憤ったとなると、まず正当化されるであろう。

 

 トゥルナイゼンはそこまで考えた上で発言したわけではなかったが、自分がラナビアで取り逃がした相手であり、叶うなら自分でものにしたいとも考えていたから、内務省の失態には怒りを覚えずにはいられなかったのである。しかし、オスマイヤーの側にも自分たちの失態を自覚しつつも、主張しておきたいことはあった。

 

「いえ、そういうわけでは……なにしろ警察力が足りませぬし、例の警備管轄の問題もありまして……ジーベックに尾行がまかれた区域は工部省が管轄する新帝都開発区域でありまして、内務省が独自に大規模な人員を投入して工部省と諍いを持つのは避けるべきという現場、および内国安全保障局の判断を、私も内務尚書として追認した次第であります」

 

 むぅ、と、不快そうに唸ったものの、トゥルナイゼンはオスマイヤーの発言の正しさを認めた。内国安全保障局、ひいては内務省の警察力が不足しがちなのは事実であった。閣議の席で「軍縮するなら人員をいくらか内務省に回せ」とオスマイヤーが軍務省に要求したという話は、こちらにも流れている。

 

 それに、それぞれの区域で治安担当するのが、このフェザーンでは混沌としていることに頭を悩ませているのは、首都警備軍とて同じである。原則論でいえば、自分たち首都治安を任務とする軍部隊や内務省の警察機構等はこの首都星全域に権能を震えるのだが、この星は元々フェザーン自治領であったこともあり、帝国の支配を完全に受け入れているわけではない。そこで確証もないのに無茶な行動をすれば、不平派が勢力を拡大させる要因となりかねない。

 

 加えて再開発のためと言って新帝都再開発区域の行政権の一切を握りはじめた工部省も面倒な相手だ。自身の許可をえることなく、管轄区域内によそ者が土足で入り込んでくることを工部尚書のシルヴァーベルヒはとかく嫌う。それを思えば、帝国内部の対立を招く本末転倒な事態を避けるため、現場の秘密警察が見失った時点でそれを隠さずに報告したことも、それを追認したオスマイヤーの考えも、わからないではなかった。

 

「それで工部省とは情報を共有したのか」

「ええ、先に電話で直接工部省次官のグルッグ氏にしております」

 

 そう返答してからオスマイヤーは声をいちだんと、真剣そうな声を作って続けた。

 

「それで、たしか、陛下が新たに建設された戦没者墓地の完工式に出席なさるのは、本日の夕方であったと記憶しております。位置が位置だけに、我々内務省としては対応に困りますので、首都防衛軍の協力を仰げないものかと」

 

 オスマイヤーの言いたいことは実に単純なことである。皇帝としてのラインハルトの日々の政務の仕方というのは、よく言えば“高度の柔軟性を維持した臨機応変なスタイル”であり、悪く言えば“気まぐれな仕事中毒者”である。というのも、ラインハルトは皇帝でありながら束縛を嫌い、自身の予定表などというものをあまり重視しないのだ。

 

 無論、皇帝は遊んでいるわけではない。むしろその無茶苦茶さこそが皇帝ラインハルトが皇帝ラインハルトたる所以ともいえ、皇帝としての専制権力を電撃的に用い、早急に政策立案から実行まで推し進めるのである。帝国の急進的な改革は、実にこのような凡人には模倣不可能な尋常ではない方式で進められており、それの方が優先すべきと皇帝が判断すれば、予定などいつでも白紙撤回されるのであった。

 

 また最高権力者の癖におそろしくフットワークが軽いのも特徴であって、わずかな護衛を伴って各所を不規則的に“視察”することもよくあることである。それは単純に首都圏を散策して世論を知ろうとしてというものもあったが、旧時代の官僚が復帰して気が緩みがちな中央官衙を引き締める為の抜き打ち調査的な意味合いもあったので、官僚たちにとっては日頃の負担に加え、精神的負担も頻繁に受けることになっている。

 

 いや、これは別に官僚に限った話ではないらしく、親衛隊に所属している知り合いからトゥルナイゼンが聞いた話によると、親衛隊将校で精神的ストレスからくる胃痛を患ったことがない奴なんて両手の指で数えられるくらいしかいない、とのことである。部下としては大変疲れる主君なのである。

 

 このように、ラインハルトの行動というのはとにかく読みにくい。読みにくいが、それでも大方予定の通りに行動することが多いのが軍関連の行事であり、特に自身の旗の下で戦い戦死した将兵らに関わる行事であれば、ほぼ確実に予定通りの行動をする傾向がある。黎明期のローエングラム朝が、軍国主義の色彩の強い体制であったことを示すひとつの傍証ともいえるものであった。

 

 そして本日午後に予定されている戦没者墓地の完工式は、ジーベックが姿を消した首都再開発区域と同じ区域で行われる予定であり、オスマイヤーが不安がるのも無理からぬことである。とはいえ、トゥルナイゼンがすぐにできる答えなどひとつしかない。

 

「即答はしかねる。しかしすぐに対応を協議し、回答を出すと約束する」

 

 続けて、礼節を完璧に守った言葉を述べて受話器を慌ただしく戻すと、近くで控え会話を聞いていた参謀将校の一人に問いかけた。

 

「司令官閣下は?」

「お言葉ですが、副司令官だけでも話を進められるのでは」

 

 参謀将校は不思議そうな表情を作って、そう質問した。現在の首都防衛軍司令官はお飾りに近い存在であり、実務の大半をトゥルナイゼンが代行しているようなものであったから、彼は司令官を無視して話を進めても何も問題はないと考えたのである。

 

 そんな思考をある程度トレースできたトゥルナイゼンは、上官の人望の無さに内心苦笑したが、礼儀を守って表情には出さなかった。

 

「俺もそう思わなくもないが、手続きというものも意外と大事であると経験から学んだのだ。それで司令官閣下は今どこに?」

「昼食中のはずかと」

「では、食堂におられるのか」

「いえ、参謀の一人を伴って外食に行かれております。たしか、ラーメンを食いに行くと言ってましたね」

「……そ、そうか」

 

 トゥルナイゼンは呆気にとられたようにそう呟いた。気まずい空気が流れたが、咳払いして霧散させ、トゥルナイゼンは次の方針を示した。

 

「では司令官が戻られ次第、即座に会議を開けるよう、参謀たちを集めておいてくれ。司令官閣下が戻られるまで、自分が軍内の他部局と情報を共有しておく」

 

 そう言って参謀を下がらせた後、トゥルナイゼンは自分のデスクに座り直し、受話器をあげて最初に連絡を入れたのは軍務省の官房である。軍内においてジーベックが帝都内に潜伏している情報を、より広い視野で分析し対応を考えるとすれば、軍務省以外にありえない。次に連絡を入れたのは親衛隊本部である。門閥貴族連合の残党の視点で考えると、究極的に彼らが望むのは皇帝の死であろう。となれば、常に皇帝の警護として側仕えする親衛隊に情報を入れておくおべきである。その次の連絡先が憲兵隊本部であったのも、皇帝皇族以外の要人警護を担っているのが憲兵隊であるため、似たような理由である。

 

 憲兵隊への事情の説明を終えて受話器を置いた時、ちょうど司令官が戻られたと部下から報告を受け、トゥルナイゼンは席を立ち、昼食から戻った司令官を出迎えて即座に緊急会議を開くことを提案した。昼休憩終了後の唐突な成り行きに司令官はやや呆然としていたが、やがて状況を理解し、トゥルナイゼンだけ連れて司令室に戻った。

 

「それでこれはどういうことなのかね?」

「先ほど説明した通りです、クラーゼン閣下」

 

 慇懃に一回り以上年下の青年将校にそう返されて、今の帝国軍においては現在唯一の名門貴族階級出身の帝国元帥は腹立たしそうに呻いた。面倒なことをしてくれたと思ったのである。

 

「それで? 卿としてはどうしたいのだ」

「どうもこうもないでしょう。ジーベックが今日という日に帝都の、それも新帝都開発区域に姿を表しているとなれば、貴族連合残党組織が帝国の首脳部に対し、なにかの打撃を与えようと企んでいるのは明らかでしょう。特に陛下に万一のことがあっては一大事。こちらから積極的行動をとるべきかと具申します」

「何故そんなことをしなくてはならんのだ」

 

 クラーゼンはそう言いいながら、デスクの引き出しから葉巻を取り出し、カッターで吸い口を切って口にくわえ、金色の高級ライターで火をつけた。しばしクラーゼンは香りを楽しみ続け、室内に煙が充満した。

 

 非喫煙者であるトゥルナイゼンにとって、葉巻の煙は不快であったが、それをおくびにも出さず、どういう意味かという表情を貼りつけながら、どういう意味かと上官をずっと睨み続けていた。その態度に、クラーゼンは呆れたように肩をすくめた。

 

「積極的行動と卿は言うが、根本を履き違えておらぬかな大将」

「と、おっしゃいますと?」

「我々は首都防衛軍だ。軍務省から要請があったわけでも統帥本部から軍令が下されたわけでもない。わが軍が皇帝陛下から委ねられた任務は首都警備であろう。その主任務から逸脱し、なぜそこらをうろついている薄汚い犯罪者の摘発に集中せねばならんのだ。その手の仕事は内務省や憲兵隊に任せておけば良いではないか」

「しかし相手はあの貴族連合残党組織の指導者とされるジーベックですよ。不穏分子の排除に取り組むのは、首都防衛軍の管轄から外れているとも思えませんが……」

「首都防衛軍の警戒レベルをあげるのは良い。それに非常時に備え、参謀たちと事後案の再確認をするのも良い。だが、それだけで十分だ」

 

 クラーゼンはそう強く言ってから続けた。

 

「第一、もとよりこのフェザーンには不穏な連中がうようよとおるではないか。そこに明確な脅威として、旧勢力の小物が一人、たしかな存在としてこの帝都にいると確定したところで、さして変わらんであろうが」

「それは過小評価し過ぎではないでしょうか。今日の夕方に陛下が足を運ばれる予定の近辺でのことですよ」

「だとしてもだ。陛下が、おおっぴらに警備体制を強化することを望まれると思うか。武器弾薬のうごきであればともかく、旧体制残党の大物が『潜伏している』ことが内国安全保障局の報告でわかったというだけであろうが」

「それは……」

 

 考えにくい、とトゥルナイゼンはクラーゼンの言葉の正しさを認めずにはいられなかった。常より過剰な警備を嫌う皇帝である。内国安全保障局からの報告を根拠として、自身の警備を厚くするとは到底思えない。内国安全保障局が貴族連合残党組織の暗躍について、具体的情報を掴んで報告をしたというのならともかく、現状ではジーベックただ一人の影を確認したというだけに過ぎない。

 

 しかしほとんど直感であるが、このまま何も起こらないなどないだろうとトゥルナイゼンは心のどこかで既に確信してしまっていた。それが何故なのか言語化できぬもどかしさに、歯噛みした。

 

 そんな部下の様子をどう解釈したのか、クラーゼンはやや真剣な表情を作って語りかけた。

 

「それに昔と違って報道管制が敷きにくくなっておるし、フェザーン・マスコミもうるさい。過剰な措置をとって、マスコミどもが陛下がなにかの脅威に怯えているなどと誇張して騒ぎ立てられたら帝国の国益をも損ねかねん。だから潜伏している犯罪者どもの捜索など憲兵どもに任しておけば良い。なにかしらの事件が起きた場合、即座にそれを抑えられる即応体制さえ整えておけば良いのだ。それをしておけば、少なくとも首都防衛軍の責任が事後に追及されることはない」

「私はなにも自ら責任を負わされることを恐れているわけではありません」

「そのリスクを承知の上で、功にはやっておるのではあるまいな。我らが何故、今の要職についているのか、その意図を一度思い返してみたまえ」

 

 一〇年以上に渡って閑職で干され続けていたクラーゼンやかつての皇帝親征時に失態を犯した為に地方へと飛ばされていたトゥルナイゼンが、首都防衛軍の司令官や副司令官の地位にいるのは、多少政治的な思惑が絡んでいた。その切欠は約一年前に起きた旧帝都オーディンでの叛乱事件である。

 

 あれは貴族連合残党と近衛軍将校たちの合作によって起きた叛乱事件であったのだが、近衛軍将校たちが叛乱の挙に及んだのは、旧貴族階級が貴族というだけで差別され冷遇されているという認識にあって、民衆も少なからずそれが帝国の方針であると誤解していたことに一因があった。

 

 ローエングラム朝は地位身分にこだわらぬ実力主義を標榜している。旧帝都オーディンでの事件がきっかけとなり、反貴族気運がさらに上昇するのは問題であるという認識が強まり、その事件の処理において少なからず不手際を起こし、一階級降格され、首都防衛軍司令官を解任されたケスラーの後任には、名門貴族出身者をつけようという話になったのである。

 

 そこで人事局の目にとまったのが、先の事件の鎮圧において功績があったクラーゼンであり、皇帝ラインハルトとの幼年学校の同窓という若輩者でありながら武勲を重ねて帝国軍大将の地位にあったトゥルナイゼンであったというわけである。だからこそ、なによりも優先すべきは下手に動いて叱責を被るがごとき事態は避けるべきであるとクラーゼンは考えていた。

 

「ついでだ。これは同じ名門貴族出身繋がりからの親切心故の忠告だが、このような時は具体的には何もしないのが一番だぞ」

「それではあまりに消極的すぎませんか」

「消極的なことの何が悪い。ミュッケンベルガーも、シュタインホフも、エーレンベルクも、儂とは比べ物にならないほど積極的なやつらであったが、そやつらは今はどうしておるか。いや、グレゴールの奴は自分の意思で現役を退いたのだから、他の二人とは事情が違うか」

 

 クラーゼンの個人的見解としては、ジーベック、ひいては貴族連合残党が何かこの帝都で企んでいたところで、自分にとってはさして問題になることはないと踏んでいた。連中の最大の目標といえば、皇帝たるラインハルト・フォン・ローエングラムの生命であるのだろうが、皇帝がいかに過剰な警備の類を嫌うとしても、大型の行事を行う際は皇帝警護を専門とする親衛隊や、より大きな範囲で警備の任務にあたる憲兵隊が神経質なまでに気を使うはずで、その防壁を突破できるほどの実力を貴族連合残党が備えているとは思えなかった。

 

 もちろん、彼らの狙いが皇帝ではなく、それ以外の要人――たとえば、高級官僚の類が標的だった場合を想定すると、そこまで自信があるわけではないが、そんなことは自分の知ったことではない。そんな可能性まで気を揉むなど、それこそ貴族連合残党が親衛隊の警備を突破して皇帝を暗殺する可能性を考えるようなものである。第一、それに対処するのは首都防衛軍の仕事ではないし、ことが起こってから迅速に対処すれば、自身の点数でも稼ぐことにつながるのだから、別にかまわないのではないかとすらこの老獪な元帥は思っていたのだ。

 

 一方のトゥルナイゼンもクラーゼンの言葉に理を感じていた。なんだかんだで目の前の老元帥は、激動の帝国の情勢をくぐり抜け、たとえお飾りであろうが軍中央に居続け、ローエングラム朝の時代になっても平然と生き続けている、他の軍高官とは別の意味でとんでもない男なのだ。普段の仕事ではお飾りもいい存在であるが、保身に関することで目の前の男が見当違いの意見を述べているとも思えなかった。

 

「繰り返しになるが、我らに望まれているのは無難に日々の仕事をこなすことであって、リスクを恐れず成果を求めに行く姿勢ではないはずだ。少なくとも政治的な事情だけでいえばな。違うか大将」

「……閣下のおっしゃる通りです」

 

 いささか釈然とはしないが姿勢を正してトゥルナイゼンは上官の指示を受け入れ、積極的な措置はとらず、あくまで何事か起きた場合に対処療法的に素早く動けるように準備を整えるだけで良しとすべきと司令官室を出て、集めた参謀たちの会議に臨んだ。

 

 しかしトゥルナイゼンはどうしようもなく不安だった。別に憲兵隊や親衛隊を信頼していないわけではないし、軍務省もあげた報告を重要視してくれるだろうとは思うが、なにか嫌な予感が胸中で渦巻いて仕方ないのである。

 

 気分を変えようとして、彼はちらりと窓から外の景色を見た。相変わらずの雨である。夕方には晴れるとの予報であったが、とてもそうとは思えないほど激しく降っていた。

 

 




かなりの難産だった

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