リヒテンラーデの孫   作:kuraisu

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黄昏の衝撃-復讐の味

 フェザーンのとある高層ビルの一室で、エリザベートは夕闇迫る空を眺め、過去を回想していた。はじまりの、あの日のことを。

 

 旧帝国暦四八八年一〇月上旬。残暑が完全に過ぎ去って過ごしやすくなり、邸の庭園の木々が紅葉で赤く染まり、大変見栄えが良くなったこともあり、その日、エリザベートは気晴らしに紅葉狩りと洒落込んでいた。

 

 その年の三月から始まった帝国の内戦は、どうにも自分たちにとって良くない結果に終わりつつあるらしいことは既に彼女は悟っていた。父が盟主をしていたリップシュタット貴族連合の本拠地であるガイエスブルク要塞を、ローエングラム侯の枢軸軍が先月陥落させたという情報を彼女は耳にしていた。

 

「名門たるブラウンシュヴァイク公爵家の者が動揺してなんとするのです! 夫の生死さえ定かでもないというのに! たとえ今がどれほどの苦境であっても、必ずや生き延びて再起を図る。あの人は、そういう人です!」

 

 夫に代わってブラウンシュヴァイク公爵家の家政を切り盛りしているエリザベートの母アマーリエはそう強く信じ、気丈な態度を家臣や侍女たちの前で崩さなかった。事実、ブラウンシュヴァイク公爵家当主オットーの消息に関する情報は非常に錯綜しており、真偽の判別が困難だった。

 

 曰く、陥落間近になったガイエスブルク要塞を放棄して別の場所に拠点を移した。曰く、枢軸軍の捕虜になった。曰く、ガイエスブルク要塞にあって最後まで抵抗を続けて戦死した。曰く――、ガイエスブルク要塞を陥落させてからというもの、枢軸軍は公的な報道活動を完全に沈黙させていたこともあって様々な憶測が立ったのである。

 

 アマーリエは一番最初の説を信じており、もしかしたらこのブラウンシュヴァイク領の領都星を連合の根拠地にするつもりなのかもしれないとその為の用意も進めていた。エリザベートにしても心配してはいたが、父が死んでいるなど到底考えられはしなかった。幾度となく内外の悪意から自分を守ってくれた優しい父が死ぬなんて想像できもしなかった。

 

 それでも女官が死人のように青白い顔をして邸に戻るよう自分を呼び来た時、瞬時にその可能性が思い浮かんだことを覚えている。そして理解させられた。想像もしなかったのではなく、想像してはいけないのだと無意識に思っていただけだということを。

 

「嘘じゃ! おぬしは嘘をついておる! あの人が、オットー・フォン・ブラウンシュヴァイクが死んだなど、ありえぬ!!」

「恐れながら事実でございます奥方! 私とアンスバッハ准将が光栄にも最期の時に立会いました。我が主君、ブラウンシュヴァイク公は自ら毒杯を呷り、名誉の自決を遂げられたのであります」

「ふざけないで! あの人が、この私を置いて、勝手に一人で逝くわけがないでしょう!」

 

 だから、ガイエスブルク要塞より帰還したジーベック中佐の報告を、母が狂乱しながら中佐の頬をなんども平手打ちして否定している光景を見た時、ああ、父はもういないのだと、エリザベートは特に抵抗なく受け入れてしまったのであった。

 

 しばらく二人の言い争いをぼんやりと無感動に眺めていた。エリザベートの心は、冷たく悲しい感情の海に溺れ、現実に対して何か反応するのが、非常に億劫になってしまったのだ。

 

 やがて二人の言い争いはすんだ。家令が立体TVを見るように言ってきて、帝国の国営放送でリップシュタット戦役の終結宣言と賊軍の頭目たるブラウンシュヴァイク公が死んだ旨が公表されてアマーリエも現実を受け入れるより他になくなったのである。

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラム侯爵が帝国軍最高司令官の地位をそのままに、帝国宰相を兼務し、位階も公爵となるとの報道が流れた時に、ジーベックが苦い声でアンスバッハは誓約を果たせなかったのか、と、小さく呟いたのが、妙に耳に残った。

 

「では、本当に……あの人は、夫は、死んだというの……?」

「ええ、名門ブラウンシュヴァイク家の当主に相応しい、潔い最期でありました。臣下として、見届け人たることを光栄にも命じられましたゆえ」

「そう……」

 

 アマーリエは危うい足取りで窓辺の長椅子に近づき、崩れ落ちるように座った。そして魂が抜けたような声音で、しかしはっきりとした決意を感じさせる口調で言った。

 

「なら私もヴァルハラへ行くわ。あの人のいない世界に、生き続ける意味も価値もないでしょうし」

 

 首だけ回してアマーリエは自分の娘の方を見た。

 

「エリザベート、あなたも一緒に死んでくれる?」

 

 いつも通りの優しげな声音に似合わぬ母の言葉に、エリザベートは身をこわばらせた。死ぬ? 自分が死ぬ?? たしかにそうすべきなのかもしれない。そのように一度は思った。しかし心の奥底にあるどうしようもなく冷たく硬質な情念と衝突して、そんな考えは砕け散り霧散した。どうして自分が死なねばならない? 自分は死にたくない。

 

 エリザベートにとり、死ぬかもしれない恐怖というのは、常に身近なものであった。もちろん、戦場の兵士のように、露骨な殺意に晒されるような死の危険があったわけではない。むしろ、特権階級としてそうした危険からは保護されて育ったが故に、そして彼女自身の特殊な事情故に、自身の周囲には死の影が(おぼろ)に落ちている感覚に、エリザベートはよく悩まされていたのだ。

 

 それは被害妄想故の錯覚なのかもしれない。だが、時流から皇室の末席を汚す一人になってしまい、次期皇帝の有力候補の一人として扱われるようになり、ブラウンシュヴァイク派の貴族たちからは女帝として即位する未来を望まれる一方、リッテンハイムなどの異なる皇帝候補を擁する者たちからの敵意を察していた。

 

 しばしば発生していた皇族の不審死事件が、次は自分かもしれないという恐怖をエリザベートに抱かせた。そもそも自分が次期皇帝の有力候補になってしまったのは、それが為ではないか。そして何者かの作為か、それとも単なる偶然か、なにかひとつ間違っていれば自分は死んでいたのではないかと思うような出来事に何度か遭遇して、一層その恐怖は彼女の中で強くなっていた。

 

「嫌です。まだ死にたくありません」

 

 震える声でそう告げた娘に、母は気の毒そうな表情を浮かべ、聞き分けの悪い生徒を嗜める教師のような口調で言った。

 

「ではどうするというの。フェザーンか自由惑星同盟やらいう叛徒どもの領域にでも逃げるの? あんないかがわしいところに逃げ込むなんて、絶対に後悔するわ」

「そうではありません……!! この帝国から出るつもりなど、ないです」

「エリザベート……?」

 

 アマーリエは目を細めた。そして労しい声音で言い聞かせるように続けた。

 

「この帝国で生きていても、先なんてしれているわ。高々三〇〇万人程度のヴェスターラントの叛乱者どもを駆逐した程度のことを、連中はまるで鬼畜外道の所業であるかのごとく評しているのよ? 私たちに対して相当な敵意と悪意がなければありえないことでしょう。あの金髪の孺子めは、必ず敵対者である私たちを殺しつくすに決まっているわ」

 

 さも当然のことだというふうにそう言った後、こてんと首を傾げた。なにかを見落としているような気がして、よくよく考えるとある不愉快な可能性に思い至り、眉根を歪めて忌々しげに語った。

 

「あるいはあの金髪の孺子が帝国の実権を握るだけには飽き足らず、至尊の冠を頂こうとするのなら、あなたなら結婚相手として生かそうとするかもしれないわね。孺子はあなたと結婚しても不思議ではない年頃だし、そうすることによって正統にゴールデンバウム王朝の皇帝位を継ぐ大義名分ができるもの。でもね、エリザベート、それがあなたが生き残れる道だとしても、ブラウンシュヴァイク公爵の娘が、金髪の孺子を偉大なルドルフ大帝の玉座につけることに加担するような恥辱にまみれた道を行くことを、母は決して許しは――」

「そうなったら初夜の時に、臥所で相手の喉をかき切ってやるまでのことです!」

 

 エリザベートは叫んだ。

 

「御母様! 私は、妾は! 妾は御父様の仇を討ちたいのです! 御父様を死に追いやった者どもを破滅させてやりたいのです! 御母様とて、そうではないのですか?!」

 

 怒りと嘆きの涙で頬を濡らしながら、そう力強く宣言した娘の姿を見て、アマーリエはしばし言葉を失った。何か娘に言葉をかけようと二、三度口を開きかけたが、言葉にならぬうちに口を閉ざした。

 

 やがてアマーリエは肩を落とし、軽く首を振った。もはや何を言っても娘は聞く耳を持ってはくれないだろうと、なにかを振り切るように。

 

「中佐」

「はっ」

「私は死ぬけど……娘の事を頼んだわ」

「御母様ッ!」

 

 信じられないという表情をエリザベートはしたが、アマーリエは意に介さなかった。

 

「エリザベート、あなたの決意は立派よ。だけど現実的な見通しなどないでしょう? この状況からあの者に正義の鉄槌を下してやることに……。確証もないのに、惨めな逃避行を耐え忍ぶなんて、私には無理だわ。あなたがそれを覚悟の上やるというのなら、止めはしないから好きになさい。だけど、きっと後悔することになるわよ」

 

 アマーリエの双眸は寒々しいほど冷え切っていた。娘の復讐の意志に感情的には共感しないではなかったが、名門ブラウンシュヴァイク家の当主夫人として、夫を支えて家を守ってきたものとしての現実感覚が、到底不可能なものであると断じていた。

 

 それに対してエリザベートがなにも言い返せず、数分が過ぎたのを見て、黙って控えていたジーベック中佐が口を開いた。

 

「それでは奥方。自分が自決用のワインを用意して参ります」

「ええ、そうして頂戴……いえ、待って。中佐、貴方が撃ち殺しなさい」

 

 何気ない調子で言われた命令に、ジーベックはひどく動揺した。

 

「あの人みたいな勇気と度胸は私にはない。どうせ毒酒を飲み干せはしないでしょう。だから貴方が撃ち殺して。ついでに遺体も跡形もなく燃やして頂戴。死んだ後とはいえ、この身があの人以外に触れらるかと思うと怖気が走るから」

「お、奥方……どうか、ご容赦を……」

「なに? あなた公爵家に忠誠を誓った身で、公爵夫人の命が聞けないというの!?」

 

 公爵夫人の喝に気圧され、中佐は反射的にブラスターを引きぬいて銃口を向けた。中佐の表情は引きつっており、ブラスターを持つ手は小刻みに震えていた。しかし夫人は覚悟を決めて視線を逸らすことがなかったので、中佐も意を決して引き金を引いた。アマーリエの脳髄を光条が貫いた。即死である。

 

 母の死にエリザベートはヒッと悲鳴をあげた。ジーベックはしばし主君の妻の死体を呆然と眺めていた。しかし中佐はすぐに我にかえって、周囲の使用人たちに告げた。

 

「夫たるブラウンシュヴァイク公爵オットーに殉死するために、公爵夫人アマーリエは()()()()()()()()()()()()をなされた。これより夫人の遺言に従い、遺体を焼却する。メイドは夫人を毛布か何かで包んで庭園に運び出してくれ。あと男どもは私についてこい。そして殿下はどこか別室へ――」

「待ちなさい中佐」

 

 声をかけられて、ジーベック中佐は驚いた表情を浮かべた。声をかけられるとは思ってもいなかったらしい。

 

「母を、燃やすのでしょう? 私も、見届けます……」

「殿下……了解しました。では、殿下も庭園にてお待ちを」

 

 沈痛な顔もちででジーベック中佐はそう言った。

 

 庭園には次々と公爵邸から大量の資料や機械が続々と運び込まれていた。アマーリエの遺体と一緒に全部焼いてしまうのだとジーベックが強硬に主張したからである。邸内の者たちの中にはあまりにも不敬ではないと躊躇うものがいたが、ジーベックは譲らなかった。

 

「亡き奥方の願いを叶えるのだッ! たとえ骨だけであろうとも金髪の孺子どもの一党に渡してなるものか。骨をも拾えぬよう、様々なものと一緒にこの庭園のすべてを焼き尽くすのだ。そうしておけばいいカモフラージュにもなる!」

 

 このような主張のせいでアマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイクの遺体は、様々な雑多なものと一緒にポリマーリンゲル液をぶちまけられ、美しかった公爵邸の庭園を飲み込むように燃えあがることになってしまった。

 

 そんな光景の一部始終を見ていた娘のエリザベートの心境は、むろん単純なものになるわけがなかったのだが、煌々(こうこう)と燃ゆる大きな炎眺めていると、不謹慎ながら胸中に“美しい”という言葉が浮かんできた。

 

 紅葉の時期であったこともあり、燃えているところも燃えていないところもすべてが鮮やかな朱色に染まっている光景は、とても幻想的で美しく思えた。まるで、この綺麗な炎が、自分が属していた世界の枠を焼き尽くし、暗くて冷たい宇宙の深淵を誘おうとしているかのような。どこか浮ついた気持ちになりながら、エリザベートにはそんなふうなことを考えもした。

 

「殿下」

 

 声をかけられてエリザベートが振り返ると、そこには片膝をついたジーベック中佐がいた。いや、中佐だけではなく、数十人の大人たちが彼の後ろに一緒になって片膝をついていた。

 

「殿下の志に協力したいという家臣を集めました。なんなりとお命じください」

「……それ以外の者たちはどうしたの?」

「勝手ながら、私が暇を出しました」

「そう、ならこれまで公爵家に仕えてくれた例に適当に恩賞でも出しておいて。どうせこの邸のすべては持ち出せないでしょうし、放っておいても帝国政府に接収されるだけでしょうから」

 

 新たなる幼い主君の言葉に、ジーベック中佐は目を白黒させたが、頷いた。

 

「既にそのように手配しました。亡き公爵閣下も、金髪の孺子に与えてやるよりは、これまでの部下への恩賞として出すことを望まれると思いましたゆえ」

「そうなの? ありがと。でも中佐」

 

 少しだけ悪戯っぽく唇の端を歪ませて、彼女は告げた。

 

「次からは事前に妾に相談してね。昔と違って、今は貴方の主君なのですから」

「――ハハァ!」

 

 大変恐縮した様子でジーベック中佐は頭を下げた。

 

「ところで中佐、御母様が言っていたことではあるけど、妾が出て行けば、帝国宰相殿は妾を妻に迎えたがると思う?」

「……難しいでしょうな。アンスバッハ准将が申しておりましたが、あの者はこれまでの帝国の在り方そのものを変えようとしているのだと。となれば、殿下が出て行っても拘束されるだけにございましょう。もしかすれば、貴族たちを懐柔する証拠として、殿下の身を利用することを考えはするかもしれませぬが、その場合でも象徴的に側近の一人と殿下を結びつけるのみで、あの男自身が出てくる可能性は低いでしょう」

「そう、御父様が頼りにしていたアンスバッハ准将が……なら早急に復讐を研げるのは無理ね。しばらくは雌伏するより他にないでしょう」

「ご明察であります。では、その方向で策を練らせていただきます」

「ええ、頼りにしているわ」

 

 そう言って微笑み、決意とともに歩みだしたのを、はっきりと覚えている。

 

(そうして進んできて……今に至るわけか……)

 

 過去から現在へと意識を戻し、エリザベートは軽く肩を落とした。はたしてジーベックは自分の命令を生命をかけて成し遂げてくれたであろうか? あの者の生命を奪い取ってくれたであろうか? その疑問を答えを知ることはない。その前に自分は死ぬのだ。ローエングラム王朝なる欺瞞を滅ぼすために。

 

 ゾクリ、と。足元から凍りつくような感覚が這い上がってくるのを、死への恐怖を、エリザベートは噛み殺した。なにをいまさら。覚悟を決めていたことじゃない。御父様も、御母様も、誇り高く逝ったのだ。その二人の娘である自分が、それで意思を曲げるなど、笑い話にもなりはしない。

 

 だが、一方で自分のことながら疑問に思うこともあるのだ。自分がこの道を歩むと決めたのは、両親の仇討ちよりも、ただまだ死にたくなかったからだけではないのか? そんな卑小な想いが心の内にある。そしておそらくそれは、割合的にどの程度かはわからぬまでも、おそらくは真実である。

 

 ゆえにこそ、だからこそ、エリザベートはその感情を押し殺さねばならなかった。

 

「さて、ついにやってきたか。妾の死神どもが」

 

 窓から下を眺めると、なにやら物々しい集団がこの高層ビルに突入してくるのが見えた。おそらくあれらがジーベックが招いてくれた“客”であろう。

 

「あれらに殺され、後に帝国軍が来てくれればすべてはうまくゆく、か。ジーベックもなかなかなことを考えたもの。なら精々らしく振舞ってやらねばな……」

 

 少しばかりこの高層ビルの本来の持ち主であるフェザーンの豪商に対して悪い気持ちがしたが、あの商人、もとより様々な理由で帝国本土から逃れきた貴族令嬢を囲う趣味があり、自分とてその獣欲の対象になることでここに住まわせてもらっていたのだ。そんな面倒臭い女どもを囲う以上、リスクは覚悟の上でやってたことであろうから、気にしてやる必要もないだろうが。

 

 数分後、乱暴にエリザベートのいる部屋の扉がこじ開けられた。入ってきたのは見るからに力の強そうな大男で、工場労働者風の服装をしていた。しかし鋭い瞳と手に持ったブラスターは、彼がただの工場労働者ではないことを妙実に示していた。

 

「おまえがエリザベートか」

 

 銃口をつきつけ、感情の感じ取れない平坦な声音でそう誰何してきた大男に対し、エリザベートは体中の震えを気合いでねじ伏せ、胸を逸らした。

 

「いかにも。妾こそが第三六代銀河帝国皇帝フリードリヒ四世の娘アマリーリエとブラウンシュヴァイク公爵オットーの子、エリザベート・フォン・ゴールデンバウムである。そういうそなたは何者か? 皇族に対し、払うべき礼儀も知らぬのか?」

 

 大男の反応は鈍かった。そうかこいつがと、何度か咀嚼するように繰り返し口にした後、音程が狂った声で笑い出した。一番乗りが独占していいというのが、ここの襲撃者たちの間で取り決められた協定であったのだ。

 

「いや失礼した! 俺はこれからおまえを縊り殺す者だ! どうせすぐ死ぬんだから、それだけ知ってれば十分だよなぁ?!」

「なんと野蛮な。金髪の孺子の信奉者の程度というものが知れ――ッ!!」

 

 左脚のあたりから針が深く打ち込まれてこねくりまわされたような激痛を感じて、エリザベートは建ち続けていることができず、床に崩れ落ちた。ブラスターの光条で、撃ち抜かれたのである。苦しむ少女の姿を見て、大男は愉悦に満ちた笑みを浮かべた。

 

「皇帝ラインハルトの御代の為、腐れ貴族どもも滅ぼす為っていうのは、勿論あるんだけども、それ以上に俺の私怨なんだよなぁ」

「私、怨……だと。よもや、そなた、ヴェスターラントの……」

「いいや、ヴェスターラントは関係ねぇぞ?」

 

 次の瞬間、再びエリザベートの悲鳴が響いた。今度は右腕を撃ち抜かれたのであった。痛みにのたうち回り、意識が朦朧とする。だが、エリザベートは自分が意識を手放すことを許さなかった。自分としては父が命じたというヴェスターラントの虐殺の関係者くらいしか心当たりがない。

 

 何者かもわからぬものに殺されるなど、という気持ちで、力を振り絞ってかすれるような声で問うた。

 

「なら、なんの……」

「ん? ああ、別に気に病むことはないぞ。ただの逆恨みだってことくらいは理解してるからな」

 

 大男の口調は驚くべきことに親しげでさえあり、だからこそエリザベートは、死への恐怖とはまた異なったベクトルの、なにか悍ましいものと対峙している恐怖が膨れあがっていくのを感じた。

 

「俺さ。旧クロプシュトック領星出身の人間なんだ。クロプシュトック侯爵の反乱時は、俺は出稼ぎしてた星にいなかったんだけどさ」

 

 雑談をするように大男は続ける。

 

「それでさ、俺の両親や兄弟がブラウンシュヴァイク公爵率いる討伐軍に皆殺されちまってさ。いやあ、どう考えても大逆なんかしやがったご領主様が悪いのはわかるんだけどさ。なんかこうモヤモヤするものは引きずってたわけでさ。んで反貴族主義の団体に属してたら、後の世のために、没落したブラウンシュヴァイク公爵家の忘れ形見殺す計画があるって言うから、志願してこうしてお礼参りにきたってわけ」

 

 大男はそう言って床に倒れているエリザベートの胸ぐらを右手で掴み、軽々と持ち上げた。エリザベートは意識だけは屈してなるものか、憎々しげな瞳で大男を睨みつけた。

 

「この狂人め、が……」

「臣民教育とか言ってお姫様の言うところの狂人を育て続けてきて、その上に五〇〇年も胡座をかいてたのがゴールデンバウム王朝だよ。いや、俺もこんな時代になるまで自覚なんざなかったんだが」

 

 左手で大男はエリザベートの首をつかんだ。そしてそのまま驚くべき握力でエリザベートの首の骨をへし折ってしまい、手を離して遺体を床に落とした。

 

 大男は近くにあった椅子に座り、何気無しにエリザベートの死体を眺めていた。果てしようもない虚無と微かな憐みが込められた視線であった。

 

「これが復讐の味か」

 

 大男は視線を自分の左手に移した。ついさっき、人を殺した自分の左手を。

 

「思ってたより……虚しいな……なんの喜びもない」

 

 復讐達成に関する素直な感想を呟いた後、フッと嗤ってみせた。偶然にもちょうどその瞬間、帝都の夕日が完全に沈み、高層ビルにフェザーン自治領警察の面々が大挙して侵入してきた。

 

 自治領警察が動いたのは、次のような経緯だった。首都防衛軍副司令官のトゥルナイゼン大将が、勅命があるとはいえ、フェザーン人のボルテックは確実に駄々を捏ねるであろうと考えて、説得のために代理総督府に赴いたところ、意外にもボルテックはすんなりと首都防衛軍の活動を認めたばかりか、早期に悪質なテロを取り締まる為に協力したいなどと申し出てきたのである。

 

 皇帝暗殺未遂が起きた一報があった時点で高等参事官のトリューニヒトがこのような時に積極的な協力姿勢を示しておけば、今後の帝国内で代理総督府の権益を守り、フェザーン人の立場を向上させる上で有力な政治的に武器になるとの意見を聞いてた。それでもボルテックとしては嫌な気持ちもあったのだが、やってきたトゥルナイゼンが勅命を奉じていると聞いて、ここで協力しておけば皇帝に対する恩にもなると計算し、首都防衛軍への全面協力を即断したのであった。

 

 結果として、帝国フェザーン統治の不平派の牙城となっている代理総督府の自治領警察が貴族連合残党盟主であったエリザベートを襲撃したテロリストの逮捕・調査を行う運びとなり、ジーベックが思い描いていた“皇帝ラインハルトは自身の崇拝者に邪魔者の始末を命じ、その下手人を帝国軍が処理して秘密を守るようなやつ”という扇動を残った地球教徒たちにさせてローエングラム王朝の基盤に罅を入れるという今回の作戦の効果は、中途半端なものとなってしまうのであった。

 

 首都中を駆け回って調整と指示を行なっていたトゥルナイゼンは、首都全域に軍と警察を配置してひとまずは安心できる状況を構築し得たと判断して首都防衛司令官のクラーゼン元帥と認識をあわせるために通信連絡を取り、自分の判断が間違っていないと確信した後で、腹の底からほとんどの空気を吐き出した。安堵のため息であった。

 

「これほどのことになるとまで予感してたわけじゃなかったが……随分と濃密な黄昏だったな」

 

 まだこの状態を終わらせて平時に戻すという重大な作業が残っているにせよ、事件そのものはひと段落したことに疑いはなかった。

 


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