碌な事にはならない。
イビルアイのその言葉を蒼の薔薇は思い知った。
それは、ナザリック地下大墳墓を訪ねたその翌日だった。
街のあちこちに虚ろな目で自らの罪状を叫ぶ、あるならば証拠の書類を積み上げて断罪を乞う人々。
その中には八本指という組織の構成員、関わりのある平民、貴族。
有象無象の区別なく、王都のあちこちで声が上がる。
本来このような事態を揉み消すために居るであろう暴力を司る部門の者に至るまで。
まるで何かに操られているかのように罪を叫び続ける。
そして、露わにされた罪の重さの内容に対して王都リ・エスティーゼの自身を善良であると信じる人々の怒りが爆発する。
至る所で自ら罪を主張する人間に対する私刑が行われ、それに残った数少ない清い身体の警備兵では対応しきれない。
怒れる群衆を前に私刑を止める有効な術をガガーランも持たない。
唯二人、ティナとティアが影縛りの術で一部の私刑執行者達を足止めすることしかできない。
この王都民の怒れる日は鎮圧されるまで数日を要した。
それもランボッサ三世がガゼフ・ストロノーフに命じて自供をしている平民・貴族を手討ちにさせて、だ。
なかったことにするには、あまりにも事態の規模が大きすぎた。
王家そのものからすらも罪状を吐瀉物のようにまき散らす人間が現れてしまって幽閉に追い込まれた人間もいる、それは第一子バルブロ。
第二子ザナックは対抗馬である兄が見えざる手によって蹴落とされたことになるが、素直にそれを喜べるほど間抜けでもなかった。
王家の生ける汚点と化したバルブロに可及的速やかに毒酒を呷らせるよう年老いた父王を説得するのは酷く骨の折れる仕事だったし。
自らの支持者であった国王派の貴族からも自白者がでているのだ。
その中には蝙蝠と呼ばれた最大の支援者レエヴン候も含まれている。
いっそ国がその場で解体しないのが不思議な惨状なのだ。
だが同時に、王都に拠点を持つほど有力な貴族の座に人並みに善良な人間を押し込むチャンスであることも確かではあった。
「マジで碌な事になんなかったな」
女傑と言われて遜色ないガガーランをして深い疲労の色を滲ませる声を漏らさせる。
そんな数日間だった。
蒼の薔薇の面々は定宿にしている最高級の宿の一室に集まってラキュースを除いて暗い顔をしていた。
「たしかにね、これからの王国の往く道を考えると正直明るくはないわね」
「すまん。虎口にあるなら成果を手に戻らなければ、というのは私の判断ミスだった」
「気にすることない」
「こんなの誰も予想できない」
「ティアとティナの言う通りよ。それに言い換えればこれはチャンスなのよ。じわじわと蝕まれるだけで徐々に死んでいくだけだった王国という身体が切り開かれて膿を出した!やってやろうじゃない、王国の立て直しはぷれいやーなんかじゃなくて私達人間の仕事よ!」
明るく笑い飛ばすラキュースだが、他の面子の顔色……とはいってもティアとティナはラキュースの脇を固めて無表情。
イビルアイに至っては仮面をつけているので解るのはガガーランのものだけだが、それは芳しくない。
「でもよぉ。その為にお前さんは新王ザナックの勅命で貴族生活に戻るんだろ?いいのかよ、折角アダマンタイト級にまでなったのによ」
「私は、納得してるわ。この死に体に近い王国を支えるためなら飛び出した貴族に戻って偶像になることも、務めだと思ってる。それよりガガーラン貴女よ。蒼の薔薇が解散という事になっちゃってごめんなさいね」
「へっ、謝んなよリーダー。俺くらいの戦士になれば引く手数多、モテ女はつれーわってくらい誘われるよ。何なら童貞どもを育ててもいいしな」
「悪いガガーラン。私とティアは」
「リーダーに付いていくから」
「ティアとティナもそんな珍しく殊勝な事いうな。リーダーの事、密偵として助けてやれ。それにお前らの道も平坦じゃねえぞ。これからやり合う相手は帝国の隠密なんかも含まれるんだからな」
「そうだな、この場に居て楽な道に進める人間は一人も居ない。ガガーラン。お前の童貞育成計画だがしばらく後回しにしてくれないか。リグリットの婆に蒼の薔薇解散とぷれいやーのことを伝えなければならんだろう。付き合え」
「げっ。あの妖怪婆さん探して西東かよ。それはそれでタフな仕事になりそうだぜ」
「言ったろう?この場に居て楽な道を歩める人間は一人も居ない、とな」
「しゃあねえ、つきあってやるか。じゃあリーダー、ティア、ティナ。こっちも方針が決まったぜ」
「今日は飲もう」
「出来れば明日も飲みたいけど今日だけ飲もう」
「そうね、明日からは別の道を往くんですもの、今日は飲み明かしましょう」
「……今回ばかりは私も賛成だ。お互いまた会えるか解らん身の上になる。再開を祈って飲もうじゃないか」
「特に私達二人が危ない」
「存分に安全を祈ってほしい」
「はいはい。私の奢りで一番良い奴を飲ませてあげるわ」
「おう。リーダー、俺達にもたのまぁ」
「ふっ。しめっぽいのはお断りだからな。私にも頼むぞ。『リーダー』」
「あーもう解ったわよ!今日は私の奢りで飲み放題!全部持ってきなさい!蒼の薔薇解散記念にこの宿屋のお酒全部開けるわよ!」
ティアとティナの言葉を皮切りに完全に空気が飲み会ムードになると、ラキュースはやけになったように叫ぶ。
だが、一筋流れる滴は隠せなかった。
四人の仲間たちと歩んできた命がけの冒険の日々、積み上げてきた冒険者としての実績。
それら全てを投げ打つ時だ、彼女の笑顔の仮面が一瞬ひび割れて涙を見せても仕方ないだろう。
なにより、王国はこれから暗黒期を迎える。
王都の惨状が帝国に知られればすぐにでも侵略の危機に迫られるだろう。
その時先頭に立つのは貴族に戻ったラキュースを含む出戻り、あるいはノウハウのない新興貴族なのだ。
王国が帝国の占領下に置かれる可能性は極めて高い。
ランボッサ三世が強権を発動して粛清を行わざるを得なかった状態で、不逞貴族その他を粛清したばかりで新王ザナックの地盤も弱い。
だが、だからこそなんだと笑ってラキュースは前に進む。
安易に強者に頼ることの危険さを子孫に伝えるために、明日を生きるために。
だから今夜は仲間達と飲み明かすのだ、心を強く持つために。
ラナーの叡智が王国を救うと信じて──……!