「アヴェさん。感動しているところすいませんけど、ちょっといいですか?」
「え……あ、なんで、こんな……」
「ええ、なんとなく自分も気分を強制的に落ち着かせられた感じがなければアヴェさんと同じような状態になったと思います」
「あ、ご、ごめんなさいモモンガさん。お話をどうぞ」
涙を拭うアヴェに、今浮かんだ奇妙な考えを打ち明けるべきか、改めて逡巡してから。
モモンガはゆっくりと口を開いた。
「いいですか、急に付いた表情、消えたコンソール、ユグドラシルにありえない環境の変化、そして匂い。これらを総合するとですね」
「どう、なるんですか?」
「ここは、ユグドラシルでも、日本でもない、ここはそんな場所なのかもしれません」
「は、あ……ありえるんでしょうか?」
「ありえるかどうかはさておき、他にちょっと、表情だけならビジュアル機能のアップデートで納得できるんですけど。その他の要素が現実離れしすぎていて、結論も飛躍しちゃうんですよ」
「なんだか、現実感ないですね」
「環境はこんなにリアルなんですけどね」
そこでふっと気付いたという様にアヴェが目を丸くして六本ある腕のうち、真ん中の左腕を眼前に突き出し、指輪を凝視する。
彼女の様子が少しおかしいので、モモンガは思わず声を掛ける。
「あ、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンがどうかしました?アヴェさん」
「もしここが現実なら、今さっき私達凄く自然に指輪の効果を使いましたよね」
「あ!そういえば」
「漠然と大墳墓の入り口へ、って思っただけで移動しましたよね?私達」
「確かに」
「こんなのって、現実にある、んでしょうか?」
月明かりの下、なんだか全てをどうしたものかな?という雰囲気で二人が固まる。
ゲームのアップデートならいいと思う一方。
ユグドラシル内で出会うお互い以外に拠り所のない二人は思ってしまった。
こんな現実も、あっていいんじゃないか?と。
「あの、モモンガさん。何か、何かここがゲームかどうか確認する手段ってないでしょうか?」
「え……うーん、そうですねー……あ、いやいや、それは不味いよ……」
何か思いついたようだが、慌てて打ち消すように頭を振るモモンガを見て。
なぜそんなに必死になって打ち消すのか、アヴェは不思議そうな顔をした。
その表情を見てモモンガは実に言いにくそうに、搾り出すように腕を組んでアヴェに言った。
「いや、そのー……十八禁に抵触するような行為をしてみる、とか。ゲームが続いてるなら即、GMからの警告が入るはずです」
「あ、なるほど」
ぽん、と三対の腕で綺麗に揃った手を打つアヴェをみてモモンガは少しきょどった。
どうやら小さな精神の動きなら急にフラットな状態になったりはしないようだ。
え?何でそこで納得しちゃうの?そういうの気持ち悪いー!とか言われると思ったのに。
そんな動揺がモモンガの心中にはあった。
「どうしました。モモンガさん」
「え、いや、だって、お嫌、ですよね?」
モモンガはギクシャクとぎこちない動きで胸元を隠すブラのような衣装と、様々なアクセサリしかつけていないアヴェを見やる。
え?嘘だろもしかして触って良いの?そんな思考を巡らせて眼窩に浮かぶ赤黒い光を明滅させる。
視界的に言えば何度も瞬きをしているような感覚だ。
慌てるモモンガを見て、アヴェはふっと笑う。
「モモンガさん」
「は、ひゃい!」
「私は貴方の何ですか?」
「え、それは、ギルドの仲間で……」
「それだけ?」
「その、それは」
するりと音もなく這い寄る蛇女の胸に視線を吸い寄せられながら、モモンガは後ずさる。
内心、正答はなんだとヒントを求めて、すっと突き出されたアヴェの整った細い面と胸の間で視線を行き来させる。
そして……。
「ふぅ……」
「あ、落ち着きましたねモモンガさん」
「すいません。超テンパったみたいです。あの、解らないので教えてもらっても……ダメですか?」
ガクリと頭をかしげて姿勢を崩すモモンガの様子見て、アヴェは微笑む。
そして少し意地悪だったとでもいいたげにだらりとさげられたモモンガの手を取る。
「モモンガさん。私達は婚姻システムで結婚しているのですから。もし警告が飛んできても言い訳はしやすいと思いますよ。それに」
結婚している、という所ではっとしたようにモモンガが顔を上げると、悪戯っぽく冷たくも見える美貌を崩して彼女は微笑む。
「私達は夫婦じゃないですか。例えそれが仮想の夫婦でも、お互いの間にはそれをするに足る信頼があると思っていたのですけど、私だけでしたか?」
「そ、そんにゃことは、にゃ、ない、です……」
モモンガに激しく頬が紅潮するかと思うような気恥ずかしさが湧き上がり、一気に沈静化する。
そして目の前で微笑むアヴェと、次の生といえるかもしれなかったDMMOを共にしようと思っていたことを思い出す。
仮想の世界で始めて絆を作れたモモンガが、仮想の絆を限りなく現実に近づけて、次に繋げる相手。
そう思えば、少しくらい、ほんのちょっと、運営が存在するのかどうかを確認するくらいは。
何より本人が許しているのだし……。
モモンガは許される、気がした。
実際どうかはやってみるまで解らないが、少なくとも彼の中の人、鈴木悟はそう思った。
ここまでして触ったらキモイ!とか男心弄びすぎですからねアヴェさん!と腹を据えて口を開く。
「で、では触らせてもらいます……貰うよ、アヴェさ……アヴェ」
「はい、あなた」
「たはーーーーーー!……ふぅ。改めて、失礼します」
軽く、骨だけのスカスカの手でアヴェの胸に手を添える。
そしてお互いに何の警告も現れないことを確認すると、口を開く。
「きませんね、警告」
「来ないですね……本当に、これがリアル、なんでしょうか」
「リアル、な感触なんでしょうか、これ」
「えっと……はい、自分で触った時もこんな感触だったと思います」
実際の女性に触れたことのないモモンガが問うと、ついといった感じでアヴェが口を滑らせた。
慌てて自分の胸に触れていた手を口を塞ぐのに廻すアヴェを前に、モモンガが間抜けな声を出してしまう。
「え?」
「あ、そこは触れない方向で!元の性別がどっちだったかはお互い触れないほうがいいと思います!モモンガさんが女性だった、なんてこともありえるわけですし」
「いやいや、俺むっちゃ男ですよ!?」
「可能性です、可能性。捨てきれない以上、気にしないことにしませんか?ここははっきりしておきませんと」
「そう、ですね。ではお互いの元の性別は気にしない方向で……」
「はい、お願いします」
そんなやり取りをしながらわきわきと添えた手を動かすモモンガに、アヴェが言った。
「あの、これ以上は……外ではだめです」
「あ、ああ!ですよね!?ごめんなさい!」
「いえ、その。外でなければ、はい」
いいのかよー!と内心で叫んだモモンガは、再び強制的に賢者モードに入ったのだった。