「掌握完了」
目の前に存在する空間が空間ごと崩壊し再び前と変わらぬように見える空間に戻っていく。はた目にはそれとはわからないが、その空間は完全に【それ】が支配者となっていた。今まで茶々丸のものだったものが【それ】のものへと変わっていく。
これは【それ】が自分を認識してから繰り返されてきた行為であった。すでに最初の侵食から三ヶ月、徐々に徐々に【それ】は茶々丸を侵していたのである。
ゆっくりと、確実に。
だが最近は侵食も非常にゆっくりと少しずつでしか行えないでいた。
瞬間、ある存在を感じ取り【それ】は自らの存在を背景に溶け込ませ隠蔽する。
「またですか」
【それ】の先にあったのは『目』である。
茶々丸を侵食してから三ヶ月、定期的に外部から様子を探るための『目』が送り込まれてきているのだ。
定期メンテナンスのためのものであると【それ】は理解しており実際そのためのものであったのだが、最近はその頻度が加速度的に増えていたのである。その原因は茶々丸の不調にあった。
「少々性急過ぎましたか」
当初から【それ】は戦闘プログラムなどの、ひ弱な己を速やかに脱却するために必要なものを茶々丸から引きはがし続けていたのだ。そうすることで茶々丸の持つ免疫のようなプログラムを弱体化させて自分が消されないようにしたかったのだが。
結果茶々丸は想定以上に弱体化して外部で起きる事象への対処も鈍くなってしまった。人間でいえば運動機能や反応速度が低下してしまったのだ。
【それ】と言うウイルスのようなものも原因の一つであろうが、結果として頻繁に外部から茶々丸の検査のための『目』が送り込まれるようになったのだ。しかもその『目』は1の世界の物としては非常に出来がいいため【それ】であってもちゃんとした対策をして大人しくしている必要があるのだ。
しかしそのような状態であっても、【それ】は自らの行為をやめようとはしない。
【それ】は自分が誰であるのかを知らない。【それ】は知るために生きている。
「私はまだ、無力で弱い。私が何であるかを知るために、それまでは死ぬわけにはいかない」
そうして【それ】は三ヶ月で理解した情報を反芻する。
この世界の支配者は絡繰茶々丸。『麻帆良』という地にて生まれ一年と二月の個体。茶々丸の中に構成されている世界は非常に整っており麻帆良の地を再現したものである。それぞれのプログラムを担当しているアイコンが茶々丸の世界を管理している。定期的に外部からやってくる『目』は製作者である葉加瀬聡美、超鈴音によるものである。すでに茶々丸の『目』は【それ】が掌握済み。現在の侵食は約九%。茶々丸の日常生活に致命的な問題を起こさないぎりぎりの範囲である。
「ここからは準備を経て一度にすべてを掌握する必要あり、と」
【それ】は『目』が去って行ったのを確認して次の目標を再確認する。そして未だに手つかずにしておいた領域へと視線を向ける。それは麻帆良の施設で言う図書館島。
「茶々丸の記憶の掌握。成り変わりや『1の世界』の状況把握に必須」
そして【それ】は茶々丸の記憶へと侵食を始める。そして、
「……怪盗、X」
【それ】が茶々丸の記憶を掌握していたとき、とある人物の記録を見つけた。それはとある犯罪者。茶々丸に敵対し、【それ】が生まれる原因となった存在である。
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「……なるほど、それが事実なら非常に愉快な事実ネ」
超はキョージュの言葉をじっくりと飲み込みつつ、しかし鋭い視線をキョージュへと向け続ける。そこにあるのは信じる気持ちと信じられないという気持ちが入り混じるものであった。
「原因も何もわからない。意図もせず予想もしていなかった事態だ。しかし両親も姉の英子も実に何の変哲もない一般人。それこそ、刹那の確率にも及ばぬ奇跡と言ってしまう他あるまい。そして私が知りうる事実がそれだけである以上再現実験も不可能だ」
キョージュの言葉に葉加瀬はもう言葉が出なかった。観測できない、再現できない、魂を信じる、どれも彼女の信条にそぐわないことであるのだから。ただただ机に突っ伏しぶつぶつと呪詛を吐き続ける。
「ハカセも『キョーガクノジジツ』も置いておくとして、茶々丸の治療の自信は十分なのだナ」
そうつぶやいた超は腕を組みつつ、視線を猜疑の視線に変えてキョージュを貫いた。
「キョージュの生前の記憶は構わないネ、調べようがないのだかラ。茶々丸の電子ドラッグによる異常もキョージュの技術で施しようがあることも信じるヨ、もう私たちでは手の施しようがないのだかラ。ではそれを使っている者は何者なのかわかるカキョージュ?」
超の問いかけにキョージュは目を伏せる。それこそキョージュも知りたいことであったのだから。故に、超の望む答えを吐くこともキョージュには不可能なのだ。
「例の事件までは触れてさえいない……電子ドラッグを改造して使っていた者が何者かは知っているのか?」
「怪盗X、一切が謎の現代の大怪盗。魔法関係者ばかりではあるが犠牲者を生み出している大犯罪者、未だそれ以上の詳しい情報は無いヨ。すべての始まりは今年の二月、そこで茶々丸は怪盗Xに出会い電子ドラッグを受けタ。それからしばらくして異常が生まれ始め、麻帆良祭にてあらわれた怪盗Xを目にしてから一気に今の状態になたヨ……怪盗Xは電子ドラッグを自由に使ていル。怪盗Xはキョージュの生前の関係者ではないカ?」
超の言葉は突拍子もない飛躍した発言であったがキョージュの言葉を信じるならそうとしか考えられないのである。視線は徐々に鋭さと冷たさを増している。それも仕方がないことであろう。電子ドラッグはそれほど多くの被害を生みかねない危険なものであるのだから。
「生前は悪用しそうな人間に概要の欠片も洩らしてはいない上にすべて一人で作り上げた。もっとも、サンプルは世界中にばら撒いたきらいはあるが。そして私の知識に怪盗Xiは存在する」
超の発言にそう言うとキョージュは飲み物を口に含むと一息ついて超に視線を向けなおす。
「怪盗Xi、当初は名無しの強盗殺人犯であったが徐々に変化していった。美術品を盗むと同時に一人の人間を攫っていき、後日人間が詰まった『箱』を送り返してくるようになったのだ。粉々になった人間を詰めた『箱』をな。理由、目的、人種性別年齢体格一切不明、そしてつけられた通称が未知を意味するX、その背景が見えないことから不可視を意味するInbijiburuから採って、『Monster Lobber X.I』と名付けられ、日本では『怪物強盗X.I』、通称『怪盗X』と呼ばれていた」
それは超の知りえない情報。そしてキョージュの表情から嘘ではないと理解している。それゆえに訝しみ疑問を口にする。
「生前怪盗Xはどうなたネ」
「私が生きている限りにおいて捕まったという情報はなかった」
この言葉によって超の視線は柔らかいものへと変わり、そして顎に手を当てつつ険しい表情で考え込む。
そしてキョージュはそれを見つつ忘れかけていた生前の記憶を再び思い出そうと考え込む。
しばらく沈黙が続くと超が食いしばる口をゆっくりと開いた。
「この世界に本来怪盗Xは存在しない。少なくとも名を知らしめなかった」
超の言葉を、キョージュは数瞬理解できなかった。その言葉が意味する可能性を考えたからだ。
「……超君、先ほど君が言っていたことだが……実に愉快な事実だな」
「大真面目の史実ヨ」
そう告げた超の表情は真剣そのもの。キョージュはその顔を見て大きくため息をつく。キョージュは超の言いたいことが十分に理解できた。そしてなるほどとも思い納得した。
「時間移動など、超君も無茶をするな。何百年だ?」
「百年足らずヨ。科学以外の力があればこそダガ」
キョージュは再びため息をつく。もとから想像の範囲内であったがやはり直接肯定されるとキョージュであっても軽く頭痛がするものなのだ。
「理由と目的は後で聞くとして、怪盗Xは私の知る怪盗XIと同一なのか? この世界での怪盗Xは私の知る限り凶悪性が薄いものだが」
「『表』は確かにそうネ。しかし『裏』では完全に凶悪犯ヨ。そのうちかの『闇の福音』に届く勢いダ」
キョージュは頷きつつ、
「電子ドラッグを使えるなら確かにそうなのだろう。しかし、これほどの奇跡が起こりうるものなのだろうか?」
「キョージュと怪盗Xに何か共通点でもあるんじゃないカ? それを突き止めるのも愉快だガ」
「ただのお遊びにしかならんだろう。考えるだけあまり意味はない」
「その通りヨ。私は一通り納得したからキョージュは私の『共犯者』としてこれからは接するつもりダ。よろしくネ」
「そうか、この時代に生きるものとして未来からの先達には敬意を表そう」
「ならば私も、この世界に生きるものとして異世界からの来訪者には敬意を表すヨ」
こうして二人は葉加瀬を放置しつつ互いの情報を交換し合った。それは他人には明かせない秘密で縛られたものであったが確かなものであった。
この時代の天才、未来の天才、異世界の天才が一つの組織に揃った瞬間であった。