いつだってマイペースな彼の、足並みを乱したかったのだ。
晴れた日曜日に出歩かない人は、法によって裁かれる。
業務妨害罪か、公務執行妨害か、もしかしたら不敬罪。
お天道様に顔向けできないなんて、やましいことがあるからだろう。
そんな下らないことを考えてしまいそうなほど晴れた日は、やはり示し合わせたように多くの人で賑わっている。
かくいう私もそのひとりで、島で最も活気立つ場所のひとつである商店街を練り歩いていた。
隣に、もうひとつの靴音を連れて。
「……良く食べれるよな」
「甘いものは別腹っすよ」
「昼飯食ってからパフェ食ったら、それが別腹だろうに」
「女の子の別腹は、いくつもあるんです」
牛みたいなやっちゃな、と呆れ半分納得半分に笑われた。
バニラとイチゴのハイブリットなソフトクリームをぐるりと一周するように舐める。
冷たい甘さが、舌の温度で溶けて沁みていく。
「夏を迎えるこの時期のための食べ物なんだから、今食べないと損でしょう?」
「アイスは冬の風呂上りに食べるタイプなんだ」
「それも捨てがたい」
「秋の味覚の後のデザートもやっぱりアイスだよな」
「それも捨てがたい……」
「春には“花より団子”で毎年新作が出るからな」
「あぁ、それも捨てがたい……」
疑惑の視線が頬を刺す。
半開きの瞳から漏れる朽葉色を会心の笑顔でカウンター。
「甘いものは別腹っすよ」
降参するように両手を後頭部に組んで、隣の彼が空を仰いだ。
名前を知ったのは、出会ってから2か月後。
そこから同じぐらいの月日を流して彼の体温を知った。
それが“健全なお付き合い”に至るまでのペースとして、早いか遅いかはわからない。
4か月あれば、わんちゃんもねこちゃんも永久歯が生え始める。
季節も変わる。取り巻く環境も、それに倣って変わる。
人との関係も、身分も、学年も、私に宿っていた不思議な力も、4か月前から形を変えていた。
「……靴」
「ん? ……どした?」
いつの間に、少し視線が下がっていたのか。
暗い緑のスニーカーが、斑点模様の路面を叩いている。
「出会った頃から、変わってないね」
声の沈みを、自覚した。
出かけ先で家の鍵をかけ忘れに気づいてしまったような。
薄暗く青白い月光と、初夏の日差しを受け止める靴の形は寸分違わず同じ形だった。
たったそれだけのことで、何をそんなにショックを受けているのか、自分でもわからない。
「物持ちが良い方というわけでもないんだがな」
「いつぐらいに買ったの?」
「去年の秋口だったかな?」
「じゃあ、もうすぐ1年になるんだ」
私よりも長い月日を、彼とともにある靴。
無機物に嫉妬なんて、的外れなことをするつもりはない。
「きっと、いつでも自分のペースで歩いているからっすよ」
あぁ、今の笑顔はいけない。
この顔の引きつり方には、覚えがある。
長年に渡って、貼り付けていた仮面の笑顔だ。
――長持ちな靴は、彼の歩みが無理のないものであることの左証。
桜の花びらが、風の揺らぎに抵抗することなく泳ぐように。
ありのままの速度を維持している。
追い立てられるように走ったり、何かに怯えて蹲ることがない。
いつかの1500メートル走で、最後尾を鼻歌まじりに駆けていた。
ダラダラとした足取り、ひらひらと揺れる手。
1から3しかない3面ダイスで、1回休みのないすごろくをしているような。
1.5キロどころか、フルマラソンよりも長い道を走ると、後ろを走っていたはずの彼の背中が、いつの間にか前にあるのだ。
そして、へたり込んでいる人に手を伸ばす。茶化しながら腕を引っ張って、悪戯な顔で近道を指す。
それがひどく暖かくて、羨ましくて。
どうしてだか、泣きそうになる。
それを彼の前で隠し立てしてしまうのは、まだまだ私が臆病だから。
どうしても、大きな感情の揺れにセーフティをかけてしまう。
みっともない笑顔に正対を横目で流して、朝倉くんが鼻で笑う。
甘いぞことり、と人差し指を空に向けた。
近道に誘導する悪戯な笑顔。
「先週の木曜日、俺の自宅-学園間の記録は自己ベストとほぼタイ記録だ。
ギリギリ登校常連の脚力舐めるなよ。いつだって綱渡りだ」
呆ける私の隙をついて、指先にまで零れたアイスを舐め取る。
親指に触れた温度は、20度を超えた気温よりも熱い。
「それに、肺が潰れるぐらいの全力疾走をしたこともある」
「……え?」
「歌を忘れたカナリヤが、少し目を離した隙に外に飛び出しちゃったって、電話口で泣き付かれたんだよ」
そこに雀や雲雀を探すように、朝倉くんは快晴の空へ視線を飛ばす。
「ケータイ片手に走り回った走り回った。電話の向こうから泣き言垂れ流しだったし」
「そのカナリヤは、赤い毛並み?」
「白い帽子を被って、綺麗な青い目をしてる」
「歌は上手なの?」
「そりゃあもう。だからなんとしてでも見つけたかった」
「また歌が聴きたいから?」
白い帽子の下で、探る瞳の色は、青。長い赤髪を南風が掬い上げる。
鷲掴むような視線を真っ向から受けて、何でもないように朝倉くんが答えた。
「歌うカナリアが、俺にとって大切なモノだったから」
少し背中を丸めて、気だるげに彼は歩く。
足早に過ぎる人なんて気にせず、マイペースに。
暑過ぎる気温に悪態吐きながら、あくびを噛み殺しながら、寒さに身を縮こませながら。
それでも、鳴り響く靴音はその調子を崩さない。
どうして彼の靴を見て、どうして不安定になったのか。
きっと、愛おしいからだ。
朝倉くんは多くを与えてくれたから。それすら彼の中では当たり前なのかと不安になった。
誰にでも、いつでもできることは、「特別」にはなりえない。
エサを求める雛のように、彼の心の居場所を求めて。
乱れぬ歩調が腹立たしかったのだ。なんて、厄介な女。
「ねぇ、桜公園行こっか」
「ん? アイスが食べ終わったら、今度はクレープか?」
「それも捨てがたいけど、今すごく歌いたいの」
どんな歌を歌おうか。
ゆっくりした曲が良い。それこそ、歩く速さほどに。
頭の中でメロディが流れ出す。
堪え切れずに、彼の腕を引っ張って駆けだした。
たたらを踏むような変調の足取りが、深緑のスニーカーから奏でられる。
その音が、ひどく胸を高鳴らせた。