全長2500キロに及ぶ大運河。将来帝国に莫大な富をもたらすであろうそれの発展のため、皇帝専用の巡視船として造られた竜船。
今、その船上にて戦う者がいた。そしてその戦いも決着を迎えようとしていた。
「兄貴!」
タツミは声をあげた。全身ボロボロでタツミに肩を借りてようやく立っていたブラートは、突如吐血してその場に倒れた。
ブラートはエスデス直属の部下である帝具使い三獣士とたった1人で戦い、そして勝利した。
その内の1人、リヴァは彼のかつての上司であった。
リヴァとの一騎打ち。ダメージの蓄積で互いに帝具の展開もままならない中、己の血を『水』として操るという文字通り決死の技を仕掛けたリヴァだったが、その悉くを致命傷を避けて捌き切ったブラートの勝利かと思われた直後のことであった。
「兄貴! 兄貴どうしたんだよ!?」
体を痙攣させて、口端からは血泡を吐いている。明らかに外傷のダメージとは別の理由だ。
「ブラート」
先に倒れ、震える声でリヴァは名を呼んだ。
「私がエスデス様の軍にいる真の理由は唯一つ……ただ、あの御方を慕っていた。ただそれだけだったのだ」
かつて賄賂を送らなかったとして無実の罪で国に殺されかけた男は、国に絶望し、正義に絶望した。そこに現れ、救ったのはエスデスだった。
己を押し通す絶対的な力の権化。
そんなエスデスに憧れた。そしてそれ以上に感謝したのだ。
「お前とて、早くあの方に出会えていたなら私と同じ道を歩めたはずだ」
「は」脂汗を浮かべながら、ブラートは鼻で笑った「さっきも言ったろ? 俺は、俺達は民の味方だ。それだけは、今も昔も譲れねえのさ」
「ふ、相変わらず恥ずかしいセリフを言う奴だ。――――だがな」
震える腕を支えに上体を起こすリヴァ。その顔色は真っ青で、口端からは血泡を。その症状は今のブラートとまったく同じだった。
「エスデス様の僕の意地として、お前の命だけはもらって逝くぞ!」
「なるほど。さっきの注射、ドーピングだけじゃなく血に猛毒を仕込んでたのか」
その血の攻撃を受けたが故にブラートも毒に侵された。
己に致死の毒を仕込むという狂気的な行為、その覚悟の差にタツミは戦慄した。
「耐性の無いお前にはすぐに毒が全身へ回る。もう助かるまい……先に、逝っている、ぞ」
リヴァは遂に力尽きて倒れ伏す。
「がはっ!」
「兄貴!」
先程のリヴァの言葉通り、ブラートの体には今猛毒が回っているのだろう。呼吸も荒い。そもそも全身の傷だけでも充分重傷なのだ。体力の少ない今、このままでいれば――――。
「すぐに手当を――――」
「余所見を、するなタツミ」
「え? ――――っ。笛の音が!」
ブラートに指摘されてようやく気付けた。それほどまでに動揺していたタツミは音色のする方をみやる。戦闘前に乗客や船員を眠らせた笛の帝具使い――――少女と見紛う華奢だった少年は、見る見る体を膨張させた。最後には三獣士の1人、ダイダラ以上の体格にまでなっていた。
「奥の手、鬼人招来。エスデス様の為に、なにがなんでも任務を果たす。君達はここで殺すよ」
「くっ!」
剣を構えるタツミ。しかしニャウの気迫に目に見えて押されていた。
己の命すら武器にして任務を果たそうとしたリヴァ。ニャウはそんなリヴァと同格の敵だ。
それほどの覚悟を持った敵に、果たして勝てるのか。
いやそれ以前に、強化前のニャウですらタツミは足止めも出来なかった。帝具による強化をされた今、帝具も無い自分では勝ち目などない。
「……タツミ、お前に託す」
「これ、は?」
「インクルシオの鍵だ。持ち主の所に鎧は来る」
「俺が!? 兄貴の帝具を!?」
「はは、無理無理。やめときなって」
ニャウはからからと笑う。
「インクルシオは負担が大きすぎて、凡人が使えば即死するくらいの帝具なんでしょ? やめときなって。戦う前に死んじゃつまんないよ」
タツミの脳裏に、かつてアジトで首切りザンクから奪取した帝具を使ったときのことが蘇る。あのとき、相性の悪かった帝具を着けたタツミは全身の力を奪われ、挙げ句負担に耐えかねた体は傷付いた。比較的凶悪ではないスペクテッドであれならば、ニャウの言葉は真実なのだろう。
なにより、タツミ自身思っていた。最も未熟な自分が、ブラートの帝具を使えるはずがないと。
しかし、その考えは血を吐きながら立ち上がったブラートの拳によって吹き飛ばされた。
「お前の素養と今までの経験値、それをつける資格は充分にあるぜ! それにな」ブラートはふっ、と笑う「この俺が認めた男だ。ダセェこと言うな」
「…………!!」
ああ、そうだ。なにを迷っているんだ。
これだけ強い人が、憧れた人が、尊敬した人がここまで言ってくれたのに。なにをウジウジと悩んでいるんだ。
強くなりたい。
みんなを助けたい。
そして、
「俺は兄貴の期待に応えたい!!」
「叫べタツミ! 熱い魂で!」
「インクルシオおおおおおおおおおおおお!!!!」
奇しくも、竜の名を持つ船の上で、竜の鎧は新たな主を得た。
★
「まったく、ここであんたに死なれちゃ困るんだよなぁ。ほんと」
「誰だ!?」
船上で、たった1人残されたタツミは、動かなくなったブラートを前に座り込んでいた。今だけはと涙を流していたところにかけられた声に周囲を警戒する。しかし、声の主はすでにブラートの傍らにいた。黒の外套を羽織った、フードで顔をすっぽり覆った人物。
「兄貴から離れろ!」
「おっと!」
振り向きざまの斬撃。しかし相手は僅かに体を逸らすだけで躱す。完全に見切られている。
たった一度の攻防で、タツミは彼我の実力差を理解する。おまけに今はインクルシオの発動で体は限界寸前。
それでも、このまま負けるわけにはいかない。さらに、
「よ、くも……やってくれたね!」
「な……お前まだ生きて!?」
一度は倒したかと思ったニャウが全身を震わせながら立ち上がった。強化された肉体は膂力だけでなく耐久力も上げていたのだ。
「絶対に、殺す! 任務は、必ず遂行する!!」
血走った目。ここで死ぬことも構わないという覚悟を感じる。
しかしタツミはすでに体力の限界。もう一度インクルシオを使えば今度こそ命を落とすかもしれない。
「それでも! ここで負けるわけには――――」
「やめとけ。それ以上やったら間違いなく死ぬぜ?」
インクルシオを展開しようと鍵を構えたタツミ。それを手で制したのはローブの男だった。タツミに背を向け、ニャウに対峙する。
「そこをどけええええええええええ!!」
相打ち覚悟。鬼の形相で突っ込んできたニャウ。しかしそれは――――交錯も許されずその巨体を引き裂かれた。3つに等分されたニャウは、血と臓物を撒き散らして散った。
「なっ……」
息を呑むタツミ。ニャウの決死の一撃。正真正銘最後の力を振り絞ったそれはタツミの反応速度を上回っていた。たとえインクルシオを纏っていたとしてもただではすまなかったはずだ。
しかしタツミが呼吸も忘れて見入ったのはニャウを葬った男。正確には、ローブの袖から伸びる男の異形の腕にだ。
男の体格とはバランスが取れない不自然に巨大な腕は、赤い鱗に覆われていた。その先端に並ぶ短剣のような5つの爪。それはまるで『竜』の腕だった。
「て、帝具……?」
「ん? あー……」
男はタツミに見られたことを思い出したかのように、そして酷く面倒そうに声をあげた。
「これはあれだ。帝具
そう教えた男の腕がスルスルと縮んでいき、遂には普通の人間の腕に戻る。直接肉体に変化を起こす帝具。タツミの知るものならレオーネの《ライオネル》と同種のものなのだろうか。
「さて、と」
男の視線が再びブラートに向いたのを感じ取り、庇うように割って入り睨みあげるタツミ。
「ここまでやってまだそれか。信用ないねぇ。それに、今のを見てまだ俺に勝てる気がするか?」
「しない。それでも、お前が誰かわからない間は、兄貴になにかする気なら黙ってられねえ」
「はは、ご立派だ坊主。実力が見合ってれば様になったのにな」
馬鹿にするように笑った男は懐から取り出したものをタツミに突きつける。それは小瓶だった。中には赤い液体が入っている。
「その男に飲ませろ」
「そんな得体の知れないもの受け取れるか! それに結局お前は誰なんだよ!」
「今更毒でも盛るってか? そんな必要ないことくらいわかるだろ?」
男の言うようにブラートはすでに瀕死だ。いやすでに死んでいるかもしれない。話すことはおろか、声もろくに届いちゃいない。そんな人物に今更毒を飲ませる必要はない。
それでも、これ以上大切な人の最期を穢させるのも許せない。それほどに目の前の男は得体が知れない。
「俺はお前こそは、って思ってたのに。まさかこんなところで早々に死ぬとは思ってなかった」
それはタツミにではなく、ブラートに話しかけているようだった。
「なんにしてもまだ舞台を降りてもらっちゃ困る。代役は追々考えるにしても、役者は足りてないんだ」
「なにを、言ってんだあんたは」
「早く飲ませろ。手遅れになったら俺も困る」
「だからなにを言ってるんだ!?」
「僅かな時間だが
閲覧どうもでしたー。
>いやぁ、皆様3連休いかがお過ごしですか?楽しんでいらっしゃいますか?私は休みが1日でした。はっはっは、働きたくない。
>さてさて、実はここまでが作品のエピローグとなります。エピソード2ー◯まできといて今更エピローグってなんやねんとか思うでしょうがだってそうなんです。
いよいよ以って帝国側主力部隊の活動と同時に、主人公も堂々と動かせるわけですね。いやぁ、長かった。長かった……のか?
>今話で色々お聞きしたいこともあるでしょうが、おそらく次話冒頭にてひとまずの疑問も解くことが出来ると思われます。多分。おそらく。メイビー。
>さあさあ改めて、次話本編よりよろしくお願いいたします。
>追記。エピローグではなくてプロローグでした(笑)