一 ふたりのあした
その日の呉の秋の空は、どこまでも澄み渡っていた。
青一色の空の下、呉の鎮守府は秋祭りで賑わっている。
毎年この日の鎮守府は、同時に体育祭や観艦式、艦載機による航空ショーが開催されることもあり、普段の十数倍ほどの人影で埋め尽くされる。
その喧騒の中で――
「おいお前ら!こっちが下手に出ればいい気になりやがって!」
祭に喧嘩はつきものか、威勢のいい声が出店の立ち並ぶ倉庫街に張りあがった。
声のあがった先では藍色のセーラー服に身を包んだ栗色のショートヘアの少女が、白いジャージ姿の三名の少女を相手取り啖呵を切っていた。
その後ろでは、同じ服装のメガネの少女がスカートのすそについた砂埃を払っていた。
よく見ればこの二人、髪型やその色、メガネの有無などの特徴を除けば、まったくもって瓜二つの顔をしている。そして、メガネの少女の足元には緑色の一升瓶が砕け散っており、酒が地面に大きな染みを作っていた。
それを取り巻く群衆の真ん中で、両者の売り言葉に買い言葉の応酬が続く。
「こっちは折角この日のために用意した酒がパーになったのよ!」
「んなこと知るか!ぶつかってきやがったのはそっちだろうが!」
「弁償する気がないなら土下座しなさいよ!」
「誰がお前らみたいなポンコツに土下座なんかするか!くだらねえこと言わねえでとっとと失せろ!」
事のはじまりはこうであった。
日本酒の瓶を手に友人のもとに走っていたジャージ姿の少女たちは倉庫の間の路地を抜け、通りに出ようとしていた。その時ショートヘアの少女と共に歩いていたメガネの少女と出合い頭にぶつかってしまい、持っていた瓶を落としてしまった。彼女たちの言い分を信じれば、祭りのために用意した高級品だという。
一方のメガネの少女はぶつかった拍子に転び、膝をすりむいてしまった。そこから双方の口論が始まった、という訳である。
あたりが喧嘩の熱気に包まれる中、メガネの少女は静かに割れた瓶の酒を指先で触ると、そのままぺろりと舐めた。
取り巻きのジャージ少女はその様子に気付くと、メガネの少女を指さし、
「オイ!そこで何やってんだ!ずっと黙ってチョロチョロしやがって、口がきけねえのか!」
その呼びかけに、メガネの少女はゆっくりと立ち上がると、その大きな瞳をジャージの少女に向ける。
「なら言わせてもらうけど……」
「下がってな鳥海、ここはあたしが……」
「大丈夫よ摩耶、私に任せて」
摩耶と鳥海――。そう。彼女たちは普通の少女ではない。第二次大戦期の軍艦が人間に転生したとされる、『艦娘』と呼ばれる少女たちなのである。
彼女たち艦娘には軍艦だったころの記憶はなく、その活躍はただ戦史として教えられるのみである。しかし彼女たちには時折何らかの形でその記憶がよみがえるのか、突然涙ぐんだり怒り出したりするなどの事例があった。
この二人と同様に、相手のジャージの少女たちも艦娘である。もっとも彼女らは摩耶と鳥海のような戦闘艦ではなく、物資の運搬を行う船、いわゆる輸送艦であった。
彼女たち輸送艦は通常の輸送任務に就く者と、主計科について酒保や食堂の経営を行うものの二種類がいた。大半の輸送艦娘は割合おとなしい性格であったが、中には反骨精神が強く、なめられてたまるか、と平気で戦闘艦に食ってかかる者もいた。
「――この瓶の中身は、本当に日本酒だったのね?」
「そうさ!高かったんだぞ!」
「ならちょっと聞くけど、お酒の銘柄はなに?」
その鳥海の問いかけに、輸送艦たちは一瞬沈黙した。
「……き、霧島よ!わざわざ九州まで行ったのよこっちは!」
「ラベルも包みもなかったから分からなかったわ。普通はついてるものだと思ったんだけど……」
「試し飲みした時剥がしたのよ!そんなことも分かんないの?」
「そう?私、お酒についてはあまり詳しくなくて……でもさっきあの、あなたたちのいう『霧島』を舐めてから、舌の痛みがとまらないの。良いお酒ってそういうものかしら?」
鳥海は淡々と、しかし一言一言を相手に突き刺すような強い口調で話し続けた。
「あと臭いも少し変だったわ。なんかこう、少し油臭いっていうか……こんなゲテモノを飲もうなんて、あなたたちもかなりの物好きね。もしかして、自分で飲むわけじゃなかった?誰かに飲ませるつもりだった?」
輸送艦たちが何も言い返せないことからも分かるように、鳥海の言ったことはすべて図星だった。彼女たちは粗悪な密造酒、いわゆるカストリ焼酎を作り、呉の秋祭りの場に流して小金を稼ごうとしていた。このような不届き者は、どこの鎮守府、いやどこの世界にも一定の数はいるものだ。
鳥海はそんな輸送艦たちに一歩あゆみ寄ると、ダメ押しとばかりに言い放った。
「こんな廃液も同然のカストリを誰かに飲まそうなんて知れたら、あなたたちただじゃ済まないわよ」
「なにをっ!」
叫びながら鳥海に飛びかかる輸送艦の少女。その瞬間、摩耶は両者の間にすべりこむと、輸送艦の少女に左ストレートを叩きこんだ。
少女は殴り飛ばされると、そのまま取り巻きの輸送艦の胸元に受けとめられた。直後、摩耶と鳥海は輸送艦たちににじり寄る。
「妹に手を出しやがったら、このあたしがぶちのめしてやるぜ!やるかっ!?」と拳を見せつけて摩耶が言うと、
「どうやら図星のようね。今私が言ったことは全部ハッタリ、カマかけよ。飲めない代物じゃないけれど、これを霧島だなんて言い張る度胸だけは褒めてあげるわ」と眼鏡を触りながら鳥海。
二人の圧倒するような言葉に、不届き者たちはそのまま舌打ちをして人ごみの中に消えていった。
その様子を見届けると、鳥海はホッと一息ついた。そんな鳥海に、摩耶は明るく話しかける。
「大丈夫か?」
「うん大丈夫。摩耶、早く行きましょ。憲兵が来るわ」
「おう!」
鳥海の肩を摩耶は優しく叩いた。二人の姿には、先ほどまでの勇ましさとクールさは微塵も感じられなかった。
摩耶と鳥海の二人は、ともに高雄型の重巡洋艦の三番艦、四番艦の姉妹である。摩耶は神戸生まれ、鳥海は長崎生まれであったが、もとの巡洋艦の竣工日が同じだったためか二人はよく似た姿に転生し、普通の人間でいう双子のような間柄となっていた。
そんな二人が出会ったのは、呉鎮守府のそば、江田島の学校に共に入学した時である。
この頃の鳥海は、おとなしい性格の反面、繊細で泣き虫であった。それが幸いして度々いじめられていた彼女をいつもかばっていたのが摩耶だった。いじめっ子相手に暴れまわったり、事あるごとに勇気づけてくれる摩耶は、鳥海にとって大きな心の支えだった。
摩耶にとっても、鳥海が自分を頼りにしてくれていることは心の支えであり、鳥海の姉としてできるだけのことをしようとした。それに、座学の成績がお世辞にもいいとはいえない摩耶にとっては、いつも好成績をあげる鳥海は赤点回避の頼みの綱であった。
二人は在学中ずっと相性がよく、学校を出て呉鎮守府に配属された際には姉の高雄と愛宕が驚くほどだった。
そんな鳥海も成長するにつれて摩耶に影響されたのかだんだんと自信をつけるようになり、今では戦艦や正規空母などの上官が相手でも丁寧な説明で納得させ、時には理屈で説き伏せることまでできるようになった。
常に強気だが、思ったことをすぐ口に出してしまうため他人とすれ違いやすい摩耶にとって、事あるごとにトラブルをうまく収めてくれる鳥海はなくてはならない存在だった。
一方の鳥海も、男勝りで強気な摩耶を頼りにしているのは今でも変わらない。鳥海も言いたいことを言えるほどになれたとはいえ、摩耶ほど威勢よく啖呵を切るなんてことはできない。
それに今回の件も摩耶が先手を打って輸送艦たちとの喧嘩を一手に引き受けたからこそ、鳥海は相手を追いつめる糸口を見つけられたのである。
このように、摩耶と鳥海のふたりは真逆の性格であるものの、互いを補いあえる、まさに理想のコンビであった。
お祭り会場でのもめ事からしばらく後、摩耶と鳥海は鎮守府のはずれの埠頭を歩いていた。
ここは祭りの会場から離れており、艦娘たちの姿もまばらだった。摩耶はもう少し秋祭りの熱気の中にいたかったのだが、鳥海が人ごみから離れた場所に行きたい、と言うので仕方なくついていくことにした。
いつの間にか陽は西の空に傾き、鎮守府とその近海一帯を淡い朱色に染めていた。きらきらと光る水面を、摩耶がぼんやりと歩きながら眺めていたその時……
「摩耶?」
一歩先を歩いていた鳥海に呼ばれ、摩耶は振り向いた。
「ねえ、摩耶って……何か『夢』はあるの?」
あまりにも唐突な質問に、摩耶は思わず吹き出してしまった。
「夢?ハハ、お前も変なことを聞くなぁ」
「そんなに変かしら……ねえ、あるの?」
「そうだな……自分の艦隊を持って、世界中の海で暴れまくって、武勲艦として名を残すこと、ってとこかなぁ!」
艦娘として生まれたからには、誰もが抱くようなありふれた夢である。
それでも鳥海は、摩耶のちょっぴり照れくさげな、しかし自信満々に言い切った姿に期待を感じていた。摩耶ならきっとなれる、成し遂げられると、心の底からそう思った。
「お前はどうなんだよ鳥海?あたしだけに言わせといて、自分は言わないなんて許さないぜ」
「私は……」
鳥海は目をそらし、一瞬考えるようなそぶりを見せた。
「そんな摩耶と一緒にいれたらそれでいい、かな……」
「えっ?なんだ、てっきりお前もあたしみたいに武勲艦になりたいもんだと思ってたよ」
「うん……でも、私にはもっと他にするべきことがある気がするの。何かは分からないけど……それが見つかるまでは、ね」
「何言ってんだか……でも嬉しいぜ。ありがとな。これからもよろしく頼むぜ、鳥海!」
「うんっ!」
鳥海は、摩耶の突きだした拳に、自分の拳を軽く突き合わせた。
一緒に笑ったふたりは、さらにそっくりの顔になった。