摩耶さまの名のもとに   作:ゆずた裕里

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十 ふたたび、船出のとき(後編)

 敵機の鎮守府到達まで、残り数分ほどか――。

 

 日向は呉の港の真ん中で、左手の時計から大空に目を移した。

 今のところ、呉の空は澄み切ったように青い。朝日が山の端から姿を見せ、少しまぶしくなってきた。しかし敵機の進行方向を考えると逆光にならない分、まだ戦いやすいのが救いだ。

 連絡によれば、呉に向かっている敵機の数はおよそ五十機。そのうちどれだけが艦爆、艦攻かは警備の艦娘にも分からなかったという。

 日向は艤装のカタパルトに二式水上戦闘機をとりつけ、大空に放った。少しでも敵機に打撃を与え、同時に偵察も行い敵の規模をしっかりと把握するためでもあった。

 洋上にも警備の駆逐艦や海防艦はいるが、彼女たちにも見落としや誤認などのミスもあることを考えると、自らの艦載機を飛ばして状況確認をして損になることはない。

 

 水上戦闘機を見送った日向のもとに近づく、二つの影があった。

 

「日向さん、おはようございます。状況はどうですか」

 

 声をかけたのは高雄と愛宕だった。

 

「そろそろ敵機もやってくるころだ。いま水戦を飛ばしたから少し時間は稼げるだろうが、それでも五分ほどだ。陸奥によれば、四国沖で警備してる連中に敵空母を探させてるようだが……」

「迎撃に向かったほかの皆さんは?」

「駆逐艦たちなら、湾の入り口で待機させてある。あの子たちが撃ちもらした分を仕留めるのが私たちの任務だ。高雄は南側を、愛宕は西側で迎撃を頼む。ふたりとも、心して臨んでくれ」

「了解です」

 

 返事をすると、高雄と愛宕は日向の指示通りに湾内に散っていった。

 

 

 それから呉の空に異変が起きるのに、あまり時間はかからなかった。

 

 湾の入り口付近の上空を見つめていた日向は、そこに突然ドンドンパンパンと号砲のように煙があがるのを見た。そしてしばらくして、自分の飛ばした水上戦闘機が戻ってきては、次々と地面に着水する。

 日向は戦闘機を回収しながら、砲弾や機銃弾の発射音が次第に増えていく湾口を見つめ、今か、今かとじっと様子をうかがっていた。日向の元に戻ってきた戦闘機は全体の三分の二ほどだった。連絡はさほど間違いでもなさそうだ、と日向は気を引き締めた。

 

 と、その時。古鷹山の山腹から、小さな黒い影がいくつか姿を現した。黒い影は迎撃をはじめた高雄に急降下をかけると、機銃を掃射しはじめた。

 ついに来たな!日向は艤装の大口径砲を高雄を襲う敵機に向け、三式弾を撃ちこんだ。三式弾は敵編隊の眼前で炸裂し、まるで花火のような散弾を呉の大空にばらまいた。高雄を襲う敵機のほとんどは一掃できたものの、次段装填の合間に後続の敵編隊の矛先が日向に向かうことになってしまった。次の弾が装填されるまでに、敵編隊は主砲や副砲では迎撃できないほどに接近していた。

 さらに日向の無線に、秋月からの連絡が入る。

 

「日向さん、敵編隊の第二波です!かなりの数を撃ちもらしました!お願いします!」

 

 襲い来る敵編隊のその奥に、さらにかなりの数の敵機が見える。

 しかし、日向は余裕の表情でどっしりと構えている。まさに、かかってこい、と言わんばかりだ。

 

 上昇し日向の真下に差し掛かった敵の艦爆が、轟音とともに急降下を始める。少しずつ速度を上げながら日向にむけて突っこんでいき、そして爆弾を投下した――。

 と思ったその刹那、日向の艤装から数十発もの光が一斉に煙を噴き、炎の弾幕と化して港一面にばらかまれるように飛びだしていった。急降下していた艦爆は機首を引き上げる暇もなく光に貫かれ、炎を噴いて海へと消えた。港の外から飛来した敵編隊も、その炎の束に恐れをなしたのか港の前で急旋回をした。

 

「見たか、これが最新兵器、三十連装噴進砲だっ!」

 

 三十連装噴進砲とは、焼夷弾の入ったロケット弾を三十発、一気に撃ちだすことで炎の弾幕を作り出し、敵の空襲を防ぐ兵器だ。まさに文字通り、敵機からの攻撃からその身や艦隊を守る『バリア』を張るための兵装である。

 

「今だっ、全艦、避けた敵機を撃て!」

 

 その号令一下、追いついた秋月たちは急旋回から体制を立て直そうとした敵機に高角砲や機銃の弾幕を浴びせる。

 秋月たちの大奮戦に、敵機は次々と撃ち落とされていった。

 日向は炎の弾幕がゆっくりと消えゆく合間から、さらに二発目の三式弾を撃ちこんだ。三式弾は炎を吹き消すようにその中を突っ切り、再度敵編隊に向けて炸裂した。日向は猛攻に敵機が次々落ちていく様子をじっと見つめて、小さくつぶやいた。

 

「みんな、成長したな」

 

 その時。

 日向の耳に、また別の艦載機の爆音が飛びこんできた。

 どこからだ!?と日向はあたりを見回したが、それらしき機影は見当たらない。しかし、爆音は依然として聞こえ続ける。

 次第に不安が大きくなってきた日向は、噴進砲と三式弾の準備を始めた。

 

 すると突如、呉鎮守府の東側からの爆音が突如として大きくなった。日向が準備を止めてそちらに目をやると、逆光に陰る山の端から次々と敵機が現れてくるではないか。数はこれまでの編隊の二倍……いや三倍になるだろうか。

 もしや今までのはおとりで、これが本隊だったのか!

 日向は焦りながらも、カタパルトから再度水上戦闘機を大空へと飛ばす。

 三式弾と噴進砲はまだ装填中で使えなかった。特に噴進砲は三十連装もあるために装填にはかなりの時間がかかる。次の噴進弾幕を放つまでの間に高角砲や三式弾をどれだけ撃ちだせるか分からない。

 

 しかし、日向が飛ばした水上戦闘機も、あまりの敵機の多さに苦戦していた。日向が再装填に全力を固めている間にも、敵機は鎮守府の敷地内に攻撃を始めていた。

 投下される爆弾に、急ピッチで援護に駆けつける高雄たちの機銃弾と日向の唯一使える高角砲からの砲弾が、朝日の中で交差する。

 そして、攻撃はついに日向の身にも迫っていた。回避行動をとる日向の両舷に上がる水柱。

 日向は直撃弾を食らって動けなくなる事だけは避けたかった。

 くそっ、それにしても、まだ装填は済まないのか!

 

 天を仰いだ日向の目に、自分に向けて急降下をしかける六機の敵編隊が入ってきた。

 日向はほとんど反射的に、再び噴進砲をその敵編隊に向けていた。もしかしたら、装填はもう済んでいるかもしれん。頼む!

 その祈りとともに、噴進砲は赤い炎を吹きだした。

 しかし。撃ちだされた弾幕の量は先ほどの半分だった。日向を狙う敵機は、いとも簡単に、その不完全な弾幕をくぐり抜けた。

 だっ、駄目だ……。

 日向は、冷や汗が自分の額から頬を伝って落ちていくのを感じた。

 

 その瞬間であった。

 

 鎮守府の敷地内から放たれた機銃弾の弾幕が、急降下する敵編隊をなめるように包みこむと、まるでマッチを点火したように全機が一気に燃え上がった。そして燃え上がった敵艦載機はキリモミ回転をしながら日向の回りに墜落していった。

 墜落した敵機から自分の身を護るように腕で顔を隠していた日向は、手を下ろしながら弾幕の飛んできた方向に目を見やった。

 

 埠頭の一角に、煙のあがる鎮守府を背にして、摩耶が立っていた。

 

「そこで何をしている!摩耶!」

 

 日向は思わず叫んだ。その叫びは無線を通して高雄と愛宕にも伝わり、ふたりの心をかき乱した。

 

「摩耶!?どうして、どうしてそんな!」

 

 

 

 

  

 摩耶は海へと戻ってきた。

 呉鎮守府を護るため、これまでの生き方にけじめをつけるため、そして、新たな自分へと生まれ変わるため。

 摩耶は視線を大空から、こちらに向かって洋上を進む姉たちの姿へと向けた。

 

 姉貴、許してくれよな。あたしはただ、みんなと一緒に、この鎮守府を護りたかっただけなんだ。

 こんな無茶は、これが最初で最後にすっからさ。

 

 心の中でそう詫びながら、摩耶はピストルグリップのついた二五ミリ三連装機銃に弾を込めた。

 これは通常睦月型などの駆逐艦が用いているもので、大きさは小型拳銃程度のものであった。摩耶はそれにモーゼル自動拳銃のような木製ストックを着け、反動による照準のブレを最低限に抑えていた。

 慣れた手つきで装填を終えた摩耶は、機銃を両手で構えながらふたたび銃口を大空に向ける。

 そしてすぐさま、機銃は超高速でキーを打つタイプライターのような音とともに火を噴いた。

 

「全艦、鎮守府上空の敵機を狙え!できるだけ、高角砲より機銃を使うんだ!」

 

 日向は無線を通して迎撃にあたる艦娘全員に指示を出した。そして自らも三連装機銃で鎮守府上空の敵を撃ちはじめる。三式弾や高角砲弾は、もし鎮守府上空で炸裂した場合の地上への被害が出ることがある。

  

 摩耶は曳光弾飛び交う空の下で、埠頭を駆け回りながらひたすら鎮守府上空の敵機に弾を浴びせた。

 そんな摩耶にも、敵は容赦なく攻撃を浴びせる。機銃掃射は当然のこと、時には爆弾さえ摩耶に襲い掛かった。

 ただ、このように敵が攻撃を仕掛けてくる時こそ摩耶の反撃のチャンスでもある。そこで敵に機銃を浴びせるか敵の攻撃を躱すか、摩耶は数秒ごとに決断を繰り返した。これが洋上の戦いならば、機動性が高いこともあってもうすこし余裕もあっただろう。

 

 摩耶はもどかしさを覚えながら、空爆でできた穴の中へ飛びこんだ。その中で摩耶は息を整えながら、この日何度目かの機銃弾の装填をした。

 そして摩耶は穴に身を隠しながら、海へと飛んでいく敵機に機銃弾を浴びせた。敵機は炎をあげてそのまま海中に没した。これが、摩耶がこの日はじめて確認した確実な撃墜機だった。あまりの戦場のめまぐるしさと飛び交う無数の銃弾に、誰が撃墜したかなど気にも留めていなかったのだ。

 

 海中に墜落した敵機を確認したそのままに、摩耶は海上で戦う他の艦娘――日向に高雄、愛宕に駆逐艦たち――に目をやった。鎮守府上空もそうだが、洋上も敵機でいっぱいだ。

 その中で摩耶は、あることに気がついた。多くの艦娘がさまざまな方向に砲弾や機銃弾を撃ちだしている中で、愛宕と高雄だけはこちら側に向かって機銃を撃ちつづけていたのだ。

 明らかに、埠頭でひとり戦う摩耶の援護をしていることは確かだった。

 その時摩耶は、愛宕と高雄の背後に敵爆撃機が迫っているのに気がついた。ふたりは敵の攻撃をかわしながらこちらの援護をしているのに集中して、まったくその存在に気づいていない。

 

 摩耶は思わず穴から飛び出し、機銃を構え敵爆撃機に照準を合わせると、一気に全弾を撃ち放った。巻き上がる硝煙の中で、摩耶は照準越しに敵機が機銃弾を受けてバラバラになるのを見た。

 よし!まだまだやってやるぜ!

 

 摩耶がそう思って立ち上がった、その時だった。

 

 突然に、摩耶は自らの左腕に強い衝撃を受けた。何が、と思った時には、すでに耳鳴りが起こり、周りの音は何も聞こえなくなっていた。

 この先のことを、摩耶は何も覚えていない。

 

 

 

 

 

「……から、大丈夫だ」

「そうだといいですけど……」

 

 再び摩耶の耳に感覚が戻った時、はじめて聞こえてきたのはそんなやりとりだった。

 高雄と、日向と、おぼろげながら愛宕の声も聞こえる。

 そっか、みんな無事だったんだな……それとも……

  

 摩耶はゆっくりと目を開ける。自分の隣で、日向と高雄、愛宕が話をしていた。

 このときはじめて、摩耶は自分が救護室のベッドに身体を横たえているとわかった。摩耶以外にも、負傷者が運び込まれているようだ。

 布団の中で、摩耶は両手を握り、開く。そして脚をもぞもぞと動かす。身体は何事もなく動かせるようだ。

 

 ベッドの中で体を動かしたためか、そんな摩耶に真っ先に気づいた愛宕が大きな声をあげた。

 

「あっ!日向さん、高雄!摩耶が起きたわ!」

 

 その声に日向たちは摩耶の回りに集まる。

 

「気がついたか……摩耶、体は動かせるか?」

「ああ……」

 

 摩耶はそう言うと、ベッドに手をついて上半身を起こした。

 

「そうか、摩耶も結構頑丈な身体をしているな」  

 

 どこか感心したように言った日向の隣で、高雄は摩耶の目を覗きこみながら言った。

 

「もう、何回心配かけさせたら気が済むの?私があれだけ言ったのに……」

 

 摩耶は何か言おうとして、何も言えなかった。

 

「まあまあ、いいじゃないか。傷も少しの入渠で回復できる程度で済んだんだからな。でも摩耶も、これからはあまり姉さんたちに心配かけさせるようなことはするんじゃないぞ」

「おう……ところでさ姉貴、あの時いったい何があったんだ?」

 

 摩耶がそう尋ねたのに、高雄が答えた。

 

「あの時、摩耶を狙っている敵機がいたから、愛宕と一緒に撃墜したの。そうしたらそのうちの一機が、摩耶の方に飛んで行って……」

「あたしのすぐそばで爆発したってわけか」

「うん。摩耶が爆発に巻き込まれたのが見えたから、愛宕が必死になって助けに行って、摩耶を背中に担いでお風呂まで連れていったのよ」

「そうだったのか……ありがとな、愛宕の姉貴」

「ううん、いいのよ。だって私だって、摩耶のお姉さんなんだもん。こういう時くらいは助けてあげなきゃ」

 

 愛宕は優しく、にっこりと笑って答えた。

 思えば帰ってきて以来、摩耶のことにいつも真っ先に気づいてきたのは愛宕だった。もしかしたらその裏側には、仲のいい姉として、摩耶の身にさまざまなことがあった時に力になれなかったことへの思いがあったのかもしれない。

 摩耶はふと、自分があまり愛宕に『ありがとう』と言ってこなかったことに気がついた。すると愛宕の笑顔がとても嬉しそうな表情に見えて、胸がいっぱいになった。

 

「そうだ、日向。駆逐艦たち、秋月たちはどうした?」

「みんな無事だ。いまは宿舎の片付けを手伝っているぞ」

「よかった……」

 

 ふと摩耶は枕元に手を伸ばすと、何かをつかんだ。それは姉たちのかぶっているものと同じベレー帽だった。

 しかし、高雄も愛宕もそれぞれ自分の帽子をかぶっている。摩耶はベレー帽をにぎりながら、高雄と愛宕に尋ねた。

 

「あれ?姉貴、着替えに冬服でも出してきたのか?」

「ううん。そうじゃないのよ。ほら……」

 

 愛宕はそう返すと、摩耶の手からベレー帽をとって摩耶の頭にかぶせた。そして、

 

「摩耶、立てる?」

 

 と言って摩耶の脇を支えると、ゆっくりとベッド脇の姿見の前に立たせた。

 摩耶は鏡の向こうの自分を見て、目を見張った。

 紺色のセーラー服のようだった摩耶の制服は、ベストにセーラー服の襟をつけたような、エメラルドグリーンの制服に変わっていた。スカートは以前のものと似ているが、赤い紐の結び目が白い生地に映えるデザインになっていた。

 摩耶は胸元のリボンを留めている桜をかたどった金ボタンを触りながら、新しい制服に身を包んだ自分の姿をじっと見つめた。  

 

「これが、新しいあたしの……?」    

「うん。古い服はもうボロボロだったから、準備してた新しい服に着替えさせたの」

 

 そう摩耶と並んで言った愛宕は、まるで自分のことのように嬉しそうだ。

 摩耶も隣の愛宕と自分の服を、まるでひとつひとつ似ているところを確認するかのように交互に見やる。昔、姉たちの制服を着た時に、背伸びをしたように思えたあの感覚が、摩耶の心に湧きおこる。ようやく自分も姉たちと同じところまで来れたんだと実感できて、嬉しくなってきた。

 

「サイズもぴったりで、動きやすそうだな」

「うふふ。摩耶も成長したのね。このサイズがぴったりだったら、わたしのお古の冬服も、もうぴったりのはずよ」

「ははっ、なんだよそれ」

 

 摩耶は新しい制服のリボンを触りながら、笑いながら返す。

 しかしそんな摩耶に対し、愛宕はほんのちょっぴり後ろめたそうに続けた。

 

「実は、摩耶に着替えさせるときにね……わたし、その服着ちゃったの」

 

 この場にいる誰もが、思わず摩耶に続いて、えっ、と言葉をもらした。摩耶の脳裏には、今の自分の服を着て『摩耶さまだぜー!』なんて言いながらはしゃいでいる愛宕の姿がありありと思い浮かんで、苦笑するしかできなくなってしまった。

 そんな摩耶の代わりに、高雄があきれたように愛宕に言った。

 

「愛宕……あんたって人は……」

「だって、鳥海がこの服着た時、すっごくかわいかったんだもん!わたしだってずっと着たかったの……ごめんね、摩耶なら許してくれると思って……」

「う、うん……ま、いっか。愛宕の姉貴にはついさっき助けてもらったんだしな。そのお礼だぜっ」

 

 そう言うと、摩耶は新しい自分の姿を見つめて、

 

「……そっか、これも鳥海とお揃いなんだな」

  

 小さくつぶやいてから大きく息をつくと、高雄と日向の方を向いた。

 

「姉貴、日向、制服も新しくなったんだからさ、新しい艤装も見に行こうぜ」

「摩耶が元気ならいいけど、でも……日向さん、工廠は無事でしょうか?」

「ああ。もう稼働再開しているらしい。昨日までに準備できた艤装も全部無事だそうだ。摩耶の新しい艤装も、おそらく大丈夫だろう」

「よっしゃ!それなら早く行こうぜっ!」

 

 摩耶はさっきまで布団の中で寝ていたとは思えないテンションで、救護室から真っ先に出ていった。

 

 

 

 呉鎮守府、工廠。

 空襲の直後は煙に包まれたここも、いまは晴れ渡る青空の下で、各々の施設から機械の音が鳴り響いている。それはまるで、呉鎮守府自体の心臓の鼓動のようでもあった。

 あの敵機の数での空襲があったにも関わらず、鎮守府内の被害は軽微なもので済んだ。工廠も倉庫や工場が数棟半壊した程度で済み、復旧作業も着実に進んでいるようだ。この様子では、長くても一週間程度で元通りになるだろう。

 日向も鎮守府内を見回しながら、

  

「今のタイミングでこれだけの規模の空襲が来たのはむしろ運が良かったのかもしれん。特訓中とはいえたくさんの防空駆逐艦がいて、そのうえ摩耶まで来ていたんだからな。陸奥も言っていたぞ。予想していたよりもはるかに被害は小さかったって」

 

 と、嬉しそうに語っていた。

 

 

 

 そんな工廠の一角の艤装整備棟に、摩耶は高雄とともに足を踏み入れた。

 呉鎮守府の艤装整備棟は大きな倉庫のようなコンクリート造りで、フォークリフト用の鋼鉄製の大きな扉が外から見えるのが特徴的であった。その大扉の隣に、艦娘や作業員が普段使用するドアがある。

 艤装整備棟は四つの区画に分けられ、艤装の修理や改装などが行われている。どこで誰の艤装が扱われているかは、扉から入ってすぐの右手の壁に札がかかっている。摩耶たちは青い作業服を着た整備士によって、第三区画へと案内された。

 

 区画の片隅にはさらにパーテーションで区切られた場所がある。

 その向こうに新しい艤装が置いてあると思った摩耶は、いてもたってもいられなくなったのか、一気に駆けていった。

 

 思っていた通りそこに準備されていた艤装を見て、摩耶は目を見張った。

 そこには摩耶の思った通り、傷ひとつない新しい艤装が、水銀灯の光に照らされて輝いていた。

 

 艤装は大まかに分けて二つのパーツでできていた。

 一つ目は艦橋とその周りの装備を模した艤装で、艦橋部分の前部に機銃が配置され、後部には中口径の連装砲が置かれている。

 もうひとつは左舷側を模した腰に装着するタイプの艤装で、こちらには連装砲が二基、高角砲が五基、さらには四連装酸素魚雷と、ありとあらゆる兵装が満載されている。

 

 以前の摩耶の艤装は、両腕に手持ち式の連装砲がそれぞれ一基ずつと、両肩に高角砲が一基ずつ、というシンプルなものだった。

 新しい艤装は取り回しが難しそうではあるものの、火力は大幅に強化されている。

 

 この艤装に、摩耶が心躍るのも無理はなかった。摩耶は遅れてやってきた高雄に、いかにも嬉しそうに話しかけた。

 

「姉貴、これすごいじゃんか!前のとは全然違うなぁ!」

「よかったわね、摩耶」

 

 そんな摩耶に、整備士の女性が話しかける。

 

「形としては姉妹艦の鳥海さんと同じような形式ですね。装備は一部、摩耶さんのスタイルに合ったものを選んであります。着けてみますか?」

「おう!よろしく頼むぜ」

 

 摩耶は即答した。

 

 摩耶の艤装の取り付けには十五分ほど時間がかかった。重巡洋艦にしては大き目の艤装である上、腰部分のサイズ調整もしなければならないので、高雄も手伝いながら艤装をとりつけた。まるでその様子は、振袖の着つけのようでもあった。

 

「結構時間がかかるんだな」

「ええ、ですが慣れればひとりでも、すぐ取り付けはできますよ」

 

 こうして取り付けを終えた摩耶は、鏡の前に立った。

 その様子はまさに洋上の要塞と許容して申し分ない力強さをたたえていた。

 摩耶はそんな自分の姿に、にっこり笑って小さく頷いた。

 

「それでは、艤装の操作方法の説明をしますね」

 

 艦娘は改装を受けると、まず新しい艤装の操作方法を学ぶ。せっかく改装されても艤装が使えなければ意味がない。

 この時ばかりは摩耶も、説明に真剣に耳を傾けていた。

 

 しかし……

 

 腕の艤装の説明が終わったあたりで、摩耶に変化が見え始めた。

 摩耶の足が、小刻みに震えはじめたのだ。

 

 摩耶の艤装は大きいため、当然かなり重い。摩耶はまず、その重さに苦しむことになった。艤装を取り付けたところまではテンションがあがっていたためかまだよかったものの、実は鏡まで歩いていくので精一杯だったのだ。

 さらに装備が満載の摩耶の艤装の説明は、どうしても長くなってしまう。こんな状況でずっと立ちながら最後まで話を聞く、というのは正直言って無理に近い。バケツを持って廊下に三十分立っているのでさえ、慣れていないとかなりしんどいのだ。

 ちなみに、洋上では艤装の生みだす浮力によってその重さがかなりマシになるため、むしろ海の上に出た方が楽だったりする。

 

 高雄はそんな摩耶に気づいたのか、

 

「ちょっとすみません」

 

と整備士の説明を止めると、

 

「ほら摩耶、ここに座って」

 

急いでイスを持ってきて摩耶を座らせた。

 

「姉貴、サンキューな」

 

 摩耶は待ってましたとばかりに椅子に腰かけると、高雄に尋ねる。

 

「そうだ、鳥海はこの時どうしてたんだ?」

「あの子は、最初から座ってたから……」

「そっか……」

 

 摩耶は苦笑した。

 

 

 

「……以上で終わりですが、何か質問は?」

「特には。ありがとうございました」

 

 そして艤装の説明は終わり、整備士がブースを去る。

 

「もうすぐ愛宕や日向さんも来るから、ここで待ちましょ」

「おう、わかったよ」

 

 高雄の言葉に摩耶は答えると、イスに座りながら艤装の調子を確かめるようにいじりはじめた。

 そんな摩耶に、高雄は意を決したように話しかける。

 

「ねえ、摩耶?」

「ん?」

「実は、言わなきゃいけなかったことがあるんだけど、聞いてくれる?」

 

 高雄は優しげな、物静かな声で言った。摩耶はどこか真剣そうな高雄に、こくりと小さくうなずいた。

 

「ありがと。その、摩耶が出ていったあの夜のことなんだけど……」

 

 話しはじめた高雄の瞳を、摩耶はじっと見つめていた。

 

「実はあの後ね、鳥海が私の胸の中で泣きながら、こう言ったの。

 もう自分の艦隊は解散する、ヨーロッパ行きも辞退する、って。きっと鳥海も摩耶のことを気にして、ずっと辛い思いをしてきたのね。

 でも私は、鳥海を支えてきた姉としてそんなことさせられなかった。だから、

 

 『摩耶はきっと、自分がそばにいると鳥海がこれ以上成長できないって、わかってたのよ。

  それで、もう鳥海が摩耶のことを気にしなくてもいいように、わざとあんなことを言って、目の前からいなくなったのよ。

  鳥海、そんな摩耶の思いを無駄にしちゃだめよ。胸を張って生きて』

 

 って鳥海を励ましたの。

 ごめんね、摩耶。私たちのほうこそ、心配かけちゃったわね。摩耶はもう鳥海とは関わりたくないんじゃないかって思ってて、ずっと手紙で説明もできなかったの。どうか、許してちょうだい」

 

 そう言って高雄が摩耶の肩に手を置いたのに、摩耶は優しく自分の手をかぶせた。

 

「姉貴、なんでそんなことで謝るんだよ。むしろそう言ってくれてありがとな、って言いたいくらいだぜ」

 

 摩耶は明るく、しかし真剣に高雄に言った。

 

「あたしもあの夜ひとりでいたときに、なんだかもう鳥海には会っちゃいけないような気がしてたんだ。もしかしたら、姉貴が鳥海に言ったことも、あながち間違ってもないのかもな」

 

 摩耶の言葉に、高雄は大きくうなずく。摩耶はさらに続ける。

 

「鳥海はがんばり屋だから、今もどこかで活躍してんだろうな。あたしのことなんか、これっぽっちも気にしないでさ……」

 

 そう言った摩耶の脳裏に、鳥海との記憶がよみがえってきた。

 

 初めて鳥海に会った時に、本当に顔が似ていて驚いたこと。

 いじめに遭っていた鳥海をその場から逃がし、助けたこと。

 姉たちとはじめて顔を合わせたふたりに、愛宕が可愛い、と言ってくれたこと。

 

 くだらないことで笑ったり、喧嘩したりした毎日が次々と思い出される。

 そして、今となってはずっと昔のことになってしまった、あの日のことも。

 

『摩耶って……何か『夢』はあるの?』

『そうだな……自分の艦隊を持って、世界中の海で暴れまくって、武勲艦として名を残すこと、ってとこかなぁ!』

『私は、そんな摩耶と一緒にいれたらそれでいい、かな……』

 

 そこまで思い出して、摩耶は小さくつぶやいた。

 

「本当に強くなったよ、あいつは」

「……摩耶も案外、寂しがり屋なのね」

 

 摩耶は答えなかった。

 高雄の言うように、摩耶がいわゆる『しけた話』を嫌うのは実は寂しがり屋だから、なのかもしれない。

 

 その時突然、遠くから明るい声が聞こえてきた。

 

「摩耶~!」

 

 その声に摩耶が立ち上がった瞬間、愛宕がはちきれんばかりの笑顔で駆けより、思いっきりハグをした。

 愛宕と日向は、摩耶の改装が終わるまで鎮守府内の片付けの手伝いをしていたのだった。

 摩耶もすぐさま、愛宕の熱意に答えるかのようにその体に手を回したが、足取りがおぼつかないところを見ると、ただ艤装が重くてバランスを崩し転びそうになっているだけのようだ。

 

「ちょ、ちょっと姉貴、あたしまだ慣れてないんだから、あんまり揺さぶるなよっ」

「あっ、ごめんね、大丈夫?」

 

 摩耶は愛宕に支えられながらバランスを取るように左足を前に置くと、愛宕の肩から手を離した。

 ただ摩耶は、どこか下降気味になっていた自分の気持ちを愛宕が一気に吹き飛ばしてくれたのには、少しだけ感謝していた。

 

「まったく、あぶねえなぁ、もう……」

「これじゃ海の上を進むのも大変そうね。でもこの艤装、本当に強そうじゃない!」

「うん。ダサかったらどうしようって思ったけど、かっこよかったからあたしも安心したぜ。でも、これ担いで陸の上で戦うなんてのは、もう絶対に無理だろうけどな」

 

 摩耶は左手で、腰から左に伸びた艤装の側面を叩く。

 

「ま、これも鳥海と同じ改装なんだろうけどな」

「確かにそうね……あれ?ちょっとだけ違うわよ!」

 

 摩耶の艤装をじっくりと見つめていた愛宕が元気よく答えた。

 

「ほら、こことか!」

 

 続けて愛宕はそう言って、摩耶の右腕の艤装の三連装の二五ミリ対空機銃を指さした。この対空機銃は先の対空迎撃で摩耶が使っていたものと同じものであるが、今度は艦橋の前に三基九門の集中機銃として取り付けられていた。

 そんな機銃を摩耶は改めて見つめ、首をかしげた。

 

「機銃……?」

「そうよ。ここの機銃のところが、鳥海は二号砲だったわ」

「なるほどな。旗艦になれないような艦娘は、砲より機銃を使っとけってわけか」

「それは違うぞ」

 

 自嘲するようにつぶやいた摩耶に声をかけたのは、日向だった。愛宕においていかれて、ようやく摩耶のブースにたどりついたところだった。

 

「その改装は、私が陸奥に進言した。摩耶の得意な対空を、存分に活かしてもらいたいと思ってな」

 

 日向は微笑みながら摩耶のそばまで歩み寄ると、その青い瞳を覗きこんで続けた。  

 

「いいか摩耶、この機銃だけで深海棲艦を沈めることはできないかもしれない。だがその機銃があれば、仲間を狙う敵機の編隊を一網打尽にし、何本もの魚雷を一気に消し飛ばすこともできる。自分の身だけじゃなく、傷つくはずだった誰かの身を守れるんだ。

 今日戦っていたお前の姿を見ていると、その機銃こそが砲よりも魚雷よりも、これからのお前に一番似合った装備だと、私は思うぞ」

 

 日向の言葉に聞き入りながら、じっと艤装を見つめている摩耶の肩に、高雄はそっと手を乗せて言った。

 

「日向さんのおっしゃる通りよ。これからは摩耶のその機銃で、他のみんなを守ってあげて。これまで摩耶がずっと、鳥海のことを守ってあげていたみたいに、ね」

 

 摩耶は改めて、艤装の集中機銃に目をやった。

 前方に扇のような形にのびる三基九門の集中機銃は、まるでハリネズミのようでどこかとげとげしい。しかしこの機銃が繰りだす機銃弾は、大空の敵からも自らの身を、そして全てを守り抜く力を持っている。それはまるで、摩耶自身の姿がそのまま表れているかのようだった。

 

「改装おめでとう、摩耶」

「うん……」

 

 高雄からの祝福に摩耶は小さく頷くと、自分の艤装の機銃に、まるで慈しむかのように触れた。

 

 そうだ、これがあたしの生きる道なんだ。

 鳥海の道とは違う、あたしの道。

 

 摩耶はようやく、自分の肩の荷が下りたような気がした。

 

 もうあたしは、鳥海の背中を追いかけなくてもいいんだ。

 あたしは、あたしの道を一歩ずつ歩いていけばいいんだ。

 

 そう思った摩耶は、艤装を背負ったまま歩きはじめた。

 摩耶の突然の行動に、愛宕は思わず声をかけた。

 

「どうしたの?」

「ちょっとこの艤装を担いだままで、海でも見に行こうと思ってさ」

 

 摩耶はそう答えて、外へと続くシャッターへと歩き始めた。

 しかし、シャッターまでの道のりを半分ほど歩いたところで、摩耶はまだ重い艤装が体になじまないのか、大きくふらついた。

 

「摩耶、大丈夫!?」

 

 心配そうに見つめていた愛宕が摩耶のもとにかけよって、その肩を支えた。

 

「ありがとう、でもいいよ。あたしだって、そろそろひとりで歩かなきゃな」

 

 支えてくれた愛宕の手の上に自分の手を置いて摩耶は言うと、摩耶はふたたび歩き出した。

 摩耶がシャッターの前まで歩いたところで、日向がシャッターを開ける。明るい太陽の光と海からの風が、摩耶を迎えた。

 

 工廠から埠頭までは数百メートル。摩耶はその道のりを艤装を担ぎながら胸を張って歩き続けた。

 

 同じような艤装の鳥海も、こんな感じで艤装を背負い、訓練をしたのだろう。いわば、これもかつて鳥海のたどった道だ。

 しかし、摩耶と鳥海のこれから進む道は違う。摩耶の海へと進む道は、鳥海との分かれ道に続く道でもあった。

 かつて摩耶の目指していた道を進んでいる鳥海と、これから新たな道を進み始める摩耶。

 

 ふたりは互いの成長のために、離れなければならない宿命だったのかもしれない。

 もしふたりがずっと共にいたとしたら、

 鳥海は摩耶のことにとらわれて自分の新しい夢、栄転のチャンスを諦めていたかもしれない。

 摩耶もずっと鳥海の影として扱われ、鬱屈した人生を歩み続けたかもしれない。

 

 いまでは摩耶も鳥海も、そのことをはっきりと理解していた。

  

 今度お前に会う時は、あたしは昔のあたしじゃないぜ。

 胸を張ってお前の姉貴だと、言えるようになってやる。

 

 もしこれから辛いことがあっても、この呉で過ごしたお前との日々が、きっとあたしを助けてくれるさ。

 

 摩耶はそう、心の底から誓った上で――。

 

「じゃあな鳥海、また会おうぜ。」

 

 立ちどまり、小さくつぶやいた摩耶の眼前には、鳥海のいるどこかの海にも続いているはずの、大海原が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一週間後の、東沖島。

 

 晴れた陽光が降り注ぐ埠頭に、鳳翔は立っていた。彼女は潮風に髪をなびかせながら、じっと海を見つめていた。

 しかしこの時の鳳翔は、いつもとはどこか様子が違った。普段は割烹着姿の彼女が、今は和服姿にタスキをかけ、弓を手にした姿で立っている。そして海を見つめるその眼は、まるでカミソリのように鋭く光っていた。

 

「ほら、右舷側!弾をばらけさせないように、一機に弾を集中させるようにって言ったでしょ!……ほらまた!何してるの!横着をしない!」

 

 鳳翔の放つ言葉のひとことひとことも、まるでそれぞれが砲の一撃のように容赦がない。

 

「できるまで終わらないわよ!はい、追加!」

 

 そう叫ぶと、鳳翔は慣れた手つきで矢をつがえ、大空にうちだした。矢は洋上で火花とともに五機の艦爆に姿を変える。その向かう先には、大きな艤装をかついだボロボロの摩耶が、機銃の全ての銃口を向けていた。

 

 鳳翔は以前摩耶に、かつて演習の教官をしていたことを話していた。そしてこのたび摩耶の改装が行われたことを機に、摩耶から本格的に防空演習を教えてほしいと頼まれたのだった。鳳翔は当然のように、二つ返事でその頼みを受け入れた。

 しかし鳳翔の演習はかなりハードで、防空の技術にはそれなりに自信を持っていた摩耶でさえ音を上げそうになるほどだった。特に集中機銃の扱いに関しては摩耶も慣れきっていないところがあり、その点を鳳翔は何度も指導していた。

 

 結局この日は、鳳翔の矢入れから矢がなくなるまで演習は続いた。

 

「今日はここまで!さあ、あがっておいで」

 

 摩耶は埠頭に息を切らせながら上がってきた。艤装が重いのもあって、下手したらすぐ転んでしまいそうな姿だ。

 そんな摩耶の様子を見た鳳翔はそばによりそい、腰の艤装を支えるように手を添えた。

 

「おつかれさま。厳しいことを言うようだけど、この機銃を使いこなすには、まだまだ時間がかかりそうね。でも、少しずつ前に進んでいきましょ。私もついていますから」

「はぁ……ありがとう鳳翔さん、これからもよろしく……」

「わかりました。ですがやるからには、こちらも容赦はしませんよ」

「ああ……それはもう、さっきの演習で、十分身に染みたって感じだぜ……」

 

 鳳翔の演習は容赦のない分、優しさもあった。ちなみに鳳翔はこれまでに、誰一人として教え子を見捨てたことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 倉庫に艤装を置いて、そのまま浴場で演習の汗を流したふたりは、居酒屋鳳翔へと向かった。

 その途中では、薄汚れたセーラー服を着た艦娘が地面に敷いたゴザの上に、どこから持ってきたかわからないような品物を並べて、どうだい、ちょっと見てきなよ、とまくしたてて、テキヤの真似事をしている。こんな光景は、呉や横須賀では見られるものではない。

 そんなものを気にも留めず、摩耶は鳳翔の用意した麦茶の入った魔法瓶に口をつけながら話をしていた。

 

「鳳翔さんって、空母の教官もやってたんだよな」

「ええ、いま活躍してる空母の子たちはほとんど私が教えたわ。あとは航空戦艦の子とか……」

「えっ、だったらさ、航空戦艦の日向って覚えてる?」

「あの落ち着いた子ね、覚えてるわ。摩耶ちゃんって日向さんとは知り合いなの?」

「うん、呉で防空を教えてもらってたんだ。まあ後でゆっくり話すよ」

 

 そのとき摩耶は、居酒屋鳳翔の玄関前に誰かいるのに気づいた。

 もうこの泊地ではおなじみの、足柄と那智の姿だ。

 摩耶たちの姿に気づいた足柄が、先に敬礼をした。

 

「これはどうも、鳳翔さん」

「こんにちは。何かご用ですか?」

「メシ食いたいんなら、できるまで少し時間がかかるぜ」

 

 摩耶が口をはさんだのを無視して、足柄は話を続けた。

 

「実は摩耶の件で少しお話が……」

「そうですか、でしたら中で……どうぞ」

 

 鳳翔は真っ先に店の戸を開き、足柄と那智を迎え入れた。

 そして座敷に自分の弓と矢入れを置くと、身支度をととのえるために店の奥へと向かった。

 店の中に入りながら、摩耶は足柄に訝しむように尋ねる。

 

「一体なんだ?何かあるんなら、あたしから司令部までに出向くってのにさ」

「私ね、ここのお店がが気にいっちゃったの。摩耶が呉にいた間も、毎日那智とご飯食べに来ててね……」 

「へえ、ま、それは良かったけどさ。で、要件てのはなんだ?」

「もう、相変わらずせっかちなのね」

「なんだか、お前らにはこの店にあまり長くいて欲しくないような気がしてな」

「なによそれ。でもそんなこと言われちゃったら、もう意地でも毎日通うしかないわね」

 

 摩耶と足柄は話をしながら、再会した時のように向かい合ってテーブル席に着いた。

 まるでその様子は、遊びに行った帰りに喫茶店に寄ったかのようであった。

 

「そういえば摩耶、新しい艤装の調子はどうかしら」

「だいぶ体になじんできたって感じだな。でも鳳翔さんによれば、これでもまだまだらしいけど」

「そういえばここ数日、毎日鳳翔さんとの演習を申請してるものね。そんなに身になるなら、勝利のために今度私もお願いしようかしら?」

「別にいいけどさ、生半可な気持ちでやるならやめたほうがいいぜ。鳳翔さん、演習の時はガチで来るからな。あたしでさえあの機銃がなかったら結構ヤバかったよ」

「そんなに厳しくしごかれるの?」

「一度やってみたらわかるぜ。あの目は本気で殺しにきてる目だからよ……」

「それはちょっと大げさなんじゃないの?あの鳳翔さんでしょ……?」

 

 そんな話をしているうちに、鳳翔がいつもの割烹着姿で店の奥から現れた。

 思えば、足柄がすぐ本題に入らず、いつまでも大したことのない話をしていたのは、鳳翔が来るのを待っていたからなのかもしれない。

 鳳翔は厨房に入るなり、摩耶の話からは考えられないような明るく優しい声をかける。

 

「あら、何を話してたの?」

「足柄がさぁ、鳳翔さんの対空戦闘の特訓、受けたいってさ」

「い、いや私はまだ考えているところで……」

「よろしければぜひどうぞ。でも、たとえ相手が足柄さんだとしても、私は手加減しませんよ」

 

 そう答えた鳳翔は、ニコニコと笑っていてどこか楽しげだ。摩耶との演習で、ひさびさに艦娘としての血が燃えたのだろう。

 さらに摩耶は、足柄の隣に座っている那智にも話をふる。

 

「そうだ、那智はどうする?」

「私は、そうだな……でしたら鳳翔さん、この機会にぜひ私にもご指導願います」

 

 那智はイスから立ち上がって鳳翔に向かって頭を下げた。

 

「フフッ、わかりました」

「じゃあ足柄も決まりだなっ!」

「まだ決まってませんから!もう、本題に入るわよ!」

 

 足柄は懐から紙を取り出し、摩耶の前で広げる。

 

「私の着任にしたがって、予備役だった艦娘の再編成をしたの。本来は司令部に呼び出して言うべきなんだけど、摩耶だけは特別よ」

「講釈はいいからさぁ、さっさと言えって」

「じゃあお望み通り、単刀直入にいくわよ。高雄型重巡洋艦三番艦、摩耶」

 

 ピシリと足柄が言い切った瞬間に、店内の雰囲気が一気に引き締まった。

 あれだけ騒いではいても、そこはやはり泊地指揮艦の威厳が備わっている。

 少しの沈黙が過ぎた後、足柄の口が静かに開かれた。

 

「あなたを第八九三遊撃艦隊、旗艦に任命する」

 

 その瞬間、摩耶の目は大きく見開かれ、輝いた。

 と思ったのもつかの間、摩耶は小さくため息をついて、足柄から目をそらすような素振りを見せた。

 

「フッ、ようやくか。あたしとしちゃ遅すぎるくらいだぜ。で、随伴艦はどんな連中だ?」

「随伴艦はなしよ」

 

 そう聞いた摩耶は、足柄に食ってかかった。

 

「はぁ!?だったら艦隊じゃねえじゃねえか!いったいどういうつもりだ?」

「摩耶、落ち着いて。この泊地はいつ敵の空母から空襲を受けてもおかしくない場所にあるの。だから、呉で対空特化の改装を受けた摩耶には、この泊地の防空をメインでしてもらいたいと思って。その上で状況次第では他の任務もしてもらおうかなって思ってるから、いろいろと動かしやすいよう一応艦隊って形で編成させてもらったの」

 

 摩耶は頬杖をつきながら、足柄の説明を聞いていた。

 

「ふうん……分かったようなそうじゃねえような微妙な感じだけど、お前の考えがあるってんなら、素直に従ってやるよ」

「ありがと。まあ、状況次第では新しく誰か編入するかもしれないから、それまでの辛抱ね。今まで通り、店番もしてていいから」

「おう。足柄、よろしく頼むぜ」

「こちらこそ。それじゃ、私たちはこれで」

 

 そう言って立ちあがった足柄を、摩耶は呼び止める。

 

「おいおい、もう帰るのか?」

「ええ。私たちだって、そこまで暇じゃないから」

「よく言うぜ」

 

 足柄はそう言った摩耶に無言の笑顔を返すと、鳳翔にも声をかけた。

 

「それでは鳳翔さん、失礼します」

「はい、また来てください。那智さん、演習の日時も後でお伝えしますね」

「ええ、よろしくお願いします。それでは」

 

 そんなやりとりをして、足柄と那智は店を後にした。

 だがふたりを見送ることもせず、摩耶は椅子の背にもたれかかり、大きく息をついた。

 ずっと思っていた夢を叶えたにしてはあまりにも淡白な反応を見せる摩耶に、鳳翔は明るく声をかける。

 

「おめでとう摩耶ちゃん、ずっと待ち望んでた艦隊旗艦じゃない!」

「そうなんだけどさ……なんか今更って感じだし、結局予備役とほとんど変わらない感じだし……。ま、一応夢はかなったから、いっか」

 

 摩耶は言って立ち上がると、カウンターに寄って鳳翔に語りかける。

 

「……でも、ここまでやってこれたのは、姉貴と日向と、鳥海……それに、鳳翔さんのおかげだぜ。本当にありがとう」

「いや、私はそんな……」

 

 どこか恥ずかしげに鳳翔は目をそらしたが、すぐに摩耶に向き直って、その青い瞳を見つめた。

 

「でも大変なのはここからよ。夢はどんなときだってゴールじゃなくて、新しいスタートなんだから。何かあったら、いつでも私に相談してね」

「ああ、これからもどうか、よろしくな」

 

 摩耶は白い歯を見せてにっこりと笑った。

 鳳翔も摩耶の笑顔に、小さくうなずく。摩耶に向けて、私もがんばるからね、と言っているようだった。

 

 

 

 

 

 一方、足柄と那智は司令部に向けて足を進めていた。

 ふたりにはこの後も、横須賀への定時連絡に泊地の視察、さらに資料の整理や警備任務についている艦隊からの報告と、まだまだ山のように仕事がある。居酒屋鳳翔に向かったのも、ひと休みや気分転換のような意味合いがあったのだろう。

 そのためか今の足柄と那智は、雰囲気もどこか和やかだ。

 

「これで泊地の防空も万全だな、足柄」

「ええ、摩耶が防空巡洋艦になってくれたのはかなり大きかったわね。おかげで別のところに気を回せるから」

「ところで、なぜ摩耶一隻で艦隊を組ませた?泊地の防空をさせるなら、わざわざ艦隊を組ませなくても予備役のままでいいと思うのだが……ひょっとして、改装祝いのつもりか?」

「確かにそれもあるけど……予備役のままふらふらされるよりは、最初から艦隊ってしておいた方が私たちが動かしやすいじゃない?何をするかわからない獰猛な虎も、鎖をつけておけばただの飼い猫よ」

「うむ……確かにそうだな。こちらの都合で動かせる人員は多い方がいい。だとしても足柄、貴様摩耶を少し気にしすぎじゃないか」

「そうね……」

 

 那智がそう尋ねたのに、足柄は立ちどまって那智の顔を見た。その顔にはかすかに笑みが浮かんでいた。

 

「あの子だけは絶対に敵に回したくないもの。いろんな意味でね」

 

 

                                 《第一部 完》

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