摩耶さまの名のもとに   作:ゆずた裕里

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第一章
機関は赤く燃えて


 冬が過ぎ、本土の各地では桜の花びらが舞いはじめた頃。

 

 居酒屋「鳳翔」からは、この日めずらしく笑い声が聞こえてきた。

 

「お料理をしたのなんて本当久しぶり。最近はずっと忙しかったですから」

 

 この地は、東京より南方はるか数百キロの海に浮かぶ、東沖島。

 ここの泊地は軍紀が乱れた無法地帯で、本土各地から前科もちの艦娘が送りこまれることで悪名高い……

 と言われたのも今は昔、二月ごろからフィリピンを経由する南方への輸送ラインが攻撃を受け、この島やサイパンを抜ける輸送ラインが重要視されて以来、前歴問わず多くの艦娘が配属されるようになったことから、以前よりも排他的な空気は薄れている。

 また、この地に新しく着任した泊地指揮艦を中心とした艦娘たち、通称『自警艦隊』の憲兵にも勝るとも劣らぬ取締りにより、軍紀の乱れも以前より落ち着いた。そして、その『自警艦隊』の旗艦にして、東沖島泊地の指揮艦を務めているのが……

 今ここで、料理を楽しんでいる重巡洋艦・足柄なのである。

 

「これから料理したいときは、お勝手を使わせてもらってもいいですか?」

「どうぞご勝手に、と言いたいところだけど。その時はひとこと頂戴ね。フフッ」

 

 いつもは落ち着いた雰囲気の店の主人、軽空母鳳翔も、この日はどこか茶目っ気のある印象だ。

 二人のそばの鍋の中では大きなカツやから揚げが、真っ白な衣を綺麗なキツネ色に変えていく。足柄は揚げたてのカツをまな板の上に置くと短冊に切っていった。サクサクと香ばしい音とともに、柔らかい肉が空気に触れて湯気を上げる。

 その時、引き戸の開く音とともに、ひときわ明るい声が店内に響いた。

 

「ただいま!って足柄?お前こんなところにいたのか」

 

 青緑の服の重巡洋艦、摩耶は店に入るとそのままテーブル席へと座った。その後ろに続くのは、足柄の姉妹艦、那智だ。泊地の指揮艦としてなにかと多忙な足柄に代わり、『自警艦隊』の旗艦として軍紀違反の取締を事実上指揮していたのが那智であった。

 

「摩耶に……那智?あなた達が二人でいるなんて珍しいじゃない」

「今日は鳳翔さんのもとまで摩耶のやつを送ってやろうと思ってな。いつも営倉まで鳳翔さんに来てもらうのは申し訳ない」

「ってことは摩耶ちゃん、また喧嘩したの?」

「裏通りで軽巡どもが駆逐艦を集団でリンチしてたんだよっ。助けない方がおかしいぜっ」

 

 椅子の上であぐらをかき不貞腐れたような摩耶に那智は、

 

「この泊地も出入りする艦娘が多くなってトラブルも増えてる。その上にさらなる問題を増やしてくれるな」

「ったく、この泊地には許せねえ連中が多すぎんだよ。お前らもこんなとこで油売ってないでちゃんと仕事しやがれ!あたしよりも営倉にぶちこむべき奴はまだたくさんいるんだからな!」

 

 摩耶は営倉にぶちこまれた鬱憤を晴らすように演説を飛ばした。そんな摩耶に足柄は、

 

「そうだ摩耶、折角だからカツ丼食べてかない?」

「要らねえよっ!お前らに囲まれてカツ丼とか、取り調べでもやんのかっての!」

「おっ、それはいいなぁ。次から摩耶の取り調べはここですることにしようか」

 

 酒好きの那智のひとことに一同は笑いはじめた。おそらく何を言い返したところでこんな調子なので、摩耶はいじけたようにただひとり口をすぼめ、ぷっと頬をふくらませた。

 

 摩耶がこの島に来て三年が過ぎようとしていた、春先のことだった。

 

 

 

 その日の昼下がり。

 司令部の建物を行く、ふたりの艦娘があった。

 ひとりは髪を中央で分けたショートヘアで、その上には電探だろうか、リング状の艤装が浮いている。そして服装はワイシャツにワンピースという、礼服のような出で立ちだ。まつげの長い、瞳の大きな切れ長の目が、どこか色っぽさを湛えていた。

 もうひとりはパーマのかかったさらに短い髪で、目は同じく切れ長であったが、こちらは瞳が小さく三白眼である。服装はネクタイ付のブレザーにスカートという姿で、左目の刀の鍔のような大きな眼帯が特徴的だ。さらに腰のベルトに刀を差しているのもあってどこか男性的な雰囲気を持っていたが、胸元や腰回りは明らかに女のそれであった。

 

 ふたりは任務を終わらせた解放感からか、

 

「海がきれいなんだよ!夏になったら泳ぐにはもってこいだぜ」

「もうそろそろ行けるかしらね~」

「まあここに来て半年だ、近いうちにお呼びがかかるだろうな」

 

 などと楽しげにいいながら、一路司令室へと向かっていった。

 

「失礼します」

 

 そう言って入室した二人を、鳳翔のもとから戻ってきたばかりの足柄と那智が出迎えた。

 二人は横に並ぶと、那智と足柄に敬礼した。

 

「第八一六水雷戦隊、天龍と龍田、ただ今帰投しました!」

 

 眼帯の巡洋艦、天龍の報告に、那智と足柄も答礼する。

 

「ご苦労。特に報告することは?」と那智。

「ありません」

「そうか。ならこちらから連絡があるのだが……その前にこれでも食べて、楽にしていろ」

 

 那智はひとくち大のカツが乗った皿を天龍たちに差し出す。先ほど足柄と鳳翔が作ったものだ。

  

「あっ、ありがとうございます」

 

 早速カツをひとつ指でつまみあげる天龍。一方龍田は、私は結構です、と控えめに手を出して断った。

 その間に足柄は机上のファイルから書類を一枚取り出すと、カツが天龍の腹に収まった時を見計らって告げた。

 

「それじゃあ読み上げるわね。横須賀からの命令よ。

 『指令・四〇〇三三七〇二号、第八一六水雷戦隊は本月一八日を以って、横須賀鎮守府に転属を命ずる』」

「十八日ってことは、明後日か?」

「そうよ」

 

 天龍は心浮き立つ思いがした。横須賀は彼女の生まれ故郷なのだ。これが初の横須賀行になる龍田も、どこか嬉しそうに天龍のもとに寄る。

 

「ほらな、俺の言った通りだ!」

「よかったわね~、天龍ちゃん」

 

 そんな二人を見て一息つくと、そのまま足柄は続けた。

 

「落ち着いて。まだ続きがあるわ。……但し、以下の者は再編成の為、当泊地に残留するものとする。

 ……軽巡洋艦、天龍」

 

 二人の顔から笑顔が消えた。天龍は信じられないというような顔で、那智と足柄の顔を交互に見つめた。

 

「ちょ、ちょっと待てよ!何故だ!何故俺だけここに残ることに!?」

「横須賀からそのように指令が来たから、ただそれだけだ」

 

 足柄に代わり、那智が静かに答える。

 

「そんな、どういうことだか全然わかんねえよ!た、龍田!おまえからもなにか言ってくれよ!」

 

 天龍がそう言うのに、龍田は足柄たちにニコニコ笑顔を向けて、

 

「はい、かしこまりました~」

 

 あっけらかんと答えた。これにはさすがの天龍も、

 

「ありゃ……?」

 

 と困惑を隠せなかった。

 

 

 

 

 

 その晩、天龍と龍田は転属祝いに居酒屋鳳翔に来ていた。

 二人の様子は、至って普通の飲み会と言った体だ。龍田は普段通り笑っていたが、天龍のテンションは少し低めだった。

 

「なあ龍田、お前俺を残して横須賀に行くの、その……大丈夫か?」

「ううん、別に~」

「なんだよ素っ気ねえなぁ。まあ、それがお前らしいところでもあるんだけどな……」

 

 オレンジジュースをちびちびやりながら喋る天龍をじっと見つめていた龍田が、静かに口を開く。

 

「ねえ、天龍ちゃん」

「ん?」

「天龍ちゃんのほうこそ、私無しでやっていけそう?」

「どうした?別に俺はやっていけるぜ」

「そう……でも、もし他の子にひどいことされたら?」

「何だ?そんなに俺のこと心配か?」

「まあね……ちょっと大丈夫かしらって思っただけ。だって天龍ちゃん、そんなに強くないから」

「おい!」

 

 ジュースを飲みかけて噴き出す天龍。いつもならここから、自分がどれだけ強いかという講釈が始まるところだが、今日の天龍はどこか呆れたように、

 

「まったく、こんなことになったってのに、お前は相変わらずだな。よかったよかった」

 

 安心したように言った天龍に、龍田は可愛らしくニコッと微笑み返すと、ふと壁掛け時計を見る。二本の針はまもなく八時を指そうとしていた。そろそろ横須賀行の艦娘たちのミーティングが始まるころだ。

 

「天龍ちゃんごめんね……準備があるから行かなきゃ……」

「おう、俺はもう少し飲んでるぜ。またな、龍田」

「うん、じゃあ、またね~」

 

 そう言うと席を立ち、立ち去る龍田。

 天龍はフッと息を吐くと、オレンジジュースを飲み干した。龍田がいなくなって、天龍はまるで別人のように物静かになった。ふと目を閉じると、脳裏に龍田との思い出が浮かぶ。

  

 ゆっくりと開かれる天龍の目。ふと俯くと、一本の徳利が目に入った。龍田が少し飲んだきり残したものだ。最初天龍はそれをぼんやりと見つめていたが、突然思い切ったようにそれをつかむと、酒をこぼしながら一気にあおった。

 

 

 

 

 

「龍田っ!」

 

 天龍は大量の徳利に囲まれて目を覚ました。思いつめたような表情で汗と酒にまみれながら、うるんだ瞳でぼんやりと天井を見つめていた。どんな夢を見ていたか、天龍自身も覚えていない。しかし、あまりいい夢ではなかったのだろう。

  

「大丈夫?……ねえ、大丈夫?」

  

 天龍は何度か呼ばれてようやくその言葉が自分に向けられたものだと気づいた。時計の針は十一時を回り、客はもう天龍しかいなかった。

 その物静かな雰囲気に、せつなさが一層こみあげてきた。同時に立ちくらみのような感覚が天龍を襲う。せつなさもふらつきも何もかも振り払いたいと、天龍はぼんやりとした意識の中思った。

 

「ああ、酒だ、酒をくれ……」

 

 そう言いながら、天龍は声をかけてくれた軽空母、鳳翔のもとに千鳥足で進む。そして、そのままカウンターに身体をあずけるように手をついた。

 だがこんな状態では、鳳翔もその注文を受けるわけにはいかない。

 

「そんなに顔を真っ赤にして……これ以上はいけませんよ」

「黙れ!早くよこさねえとぶんなぐるぞ!」

 

 カウンター越しに食ってかかる天龍。しかし鳳翔はひるむことなくグラスに水を注ぐと、天龍の前に置いた。

 

「ほら、これでも飲んで……」

「酒をよこせっつってんだよぉ!」

 

 叫ぶと同時にグラスは天龍の手によって跳ね飛ばされ、床で砕け散った。

 その時である。

 

「待ちなっ!」

 

 天龍は声のする方を睨みつけた。今まで気づかなかったが、カウンターの隅、格子戸の近くにもう一人客が残っている。いや、正確に言えば客ではない。席からおもむろに立ち上がり、天龍の瞳をきっと睨み返したのは、重巡洋艦、摩耶だった。

 

「なんだてめえ、俺に喧嘩売ろうってんのか?」

「そうさ。制裁じゃなくて喧嘩だぜ」

「フッ、重巡洋艦ってのは、制裁っつっては問答無用でぶん殴ってくる連中ばかりだと思ってたが、お前は違うみたいだな。気に入ったよ」

 

 摩耶は嘲るような天龍の瞳をじっと睨みつけながら格子戸を背にすると、一気に開けた。まだ涼しい春の夜風が店内に吹きこんでくる。だが夜風で天龍の頭が冷えることはなかった。

 

「なんだ、ビビってんのか?いいぜ、逃げ道作るくらいは許してやるよ」

「つべこべ言わねえでかかってきな!クソが!」

 

 唾を吐き捨てるかのような言い方に、天龍は完全に逆上した。左腕を振り上げながら、獣のように摩耶に襲い掛かる。

 次の瞬間、顔面に一撃を食らい昏倒したのは、天龍だった。そのまま摩耶は天龍の襟を掴むと、店の外に向けて殴り飛ばした。

 地面に叩きつけられた天龍は、勢いそのまま後ろに転がった。天龍はあっけにとられたような顔で天を仰いでいたが、顔を上げて店から出る摩耶の姿を認めると、何やらうそぶきながらゆっくりと立ち上がった。

 

「酔ってるとはいえこの天龍様を……褒めてやるよ!」 

 

 叫びとともに再び天龍は摩耶に殴り掛かったが、手首を掴まれて投げ飛ばされただけだった。地に這いつくばった天龍はよろめきながら立ち上がると、また叫びながら飛びかかる。この光景は技を変えて何度も繰り返された。掴みかかれば投げ飛ばされ、殴り掛かればかわされて尻を蹴られ、時々一撃が決まったかと思えば殴りかえされてダウン。天龍の黒いブレザーは、砂ぼこりでみるみる白くなっていった。

 しかし殴られようと蹴られようと何度も何度も立ち上がり、ふらふらになりながら天龍は摩耶に飛びかかっていった。

 

 天龍が投げられ、勢いあまって木の塀に強く頭をぶつけた時、摩耶があっ、と声をあげた。

 しかし天龍は塀にすがりながら立ち上がり、なおも摩耶を睨みつけた。その瞳にほとばしる熱は執念なのか、それともやけっぱちなのか。

 

「もうやめとけよなぁ……」

 

 そう摩耶がつぶやいた瞬間、天龍は最後の一撃とばかりにタックルするように飛びかかってきた。摩耶は抱きかかえるようにそれを受けると、天龍の腹部に当身を食らわせた。そのまま全身の力が抜けたように、天龍はその場にがっくりと崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 全身を包み込む温かさに天龍は目を開いた。深く息を吸うと、湯気の混じった空気で肺が満たされる。

 天龍が目を覚ましたのは、大浴場の一角にある浴槽(ドック)の中だった。大浴場は救護室のそばにあり、艦娘たちはここで日々の体の傷を癒すのである。

 窓から差し込む光を考えると、もう朝湯という時間帯でもないようだ。

 物憂げな気持ちにとらわれながら、天龍は左手を見つめ、ため息をつく。その時。

 

「よっ!気がついたみたいだな」

 

 呼びかけられた声に、天龍は鳥肌が立つのを覚えた。声の聞こえた脱衣場への引き戸に目を向けると、そこには鳳翔と摩耶の姿があった。

 天龍は上体を起こし、浴槽の水面に波としぶきを立たせながら、

 

「あっ!てめえ!昨日の晩はよくも……」

 

 言いかけて、しどろもどろになってうまく言えなくなった。

 

「あ、えっと……お、俺に何かしやがったな!」

 

 昨晩のことは、摩耶のことしか覚えていない天龍なのだった。全裸でとりとめのないことを口走る、どこかおかしな天龍の姿に鳳翔と摩耶は思わず笑い出す。

 

「ハハハ、なんだ元気そうじゃねえか。よかったぜ」

「な、何がおかしいんだ!」

 

 制服のまま、昨日とはうってかわってまぶしい笑顔で近づいてくる摩耶を、天龍は浴槽のへりにしがみつきながら、威嚇するようにじっと睨みつける。しかし摩耶はそんな天龍のささやかな抵抗にいささかも動じることはなかった。摩耶はしゃがむと、目線の高さを浴槽内の天龍にあわせる。そして、天龍の頭に手をやり可愛がるようにその髪を撫でた。

 

「もう酒飲んで暴れたりするんじゃねえぞっ」

「んっ!」

 

 髪を撫でた摩耶の手を、天龍は照れ隠しのように払いのけた。天龍の反応に、摩耶はクスリと笑って立ち上がる。摩耶が大浴場を出るまで、天龍はその後ろ姿をじっと睨み続けた。

 摩耶と入れ替わりに、天龍の浴槽の隣に鳳翔が来る。

 

「あなた、天龍さんね。実は昨日の夜……」

「いや、言わなくても大体分かるよ……。フッ、俺もなめられたもんだな……」

 

 そうやってどこか冷静につぶやいていた天龍だったが、

 

「ああっ!ちくしょう!ちくしょうッ!」

「大丈夫?」

「ちっ、他の重巡に言われても気にならねえのに、なんかあいつに言われると腹が立つ!クソ!」

 

 吐き捨てるようにぶちまけた言葉が浴場内に響いた。

 それに続いて、脱衣場への引き戸がガラガラと開けられる音が響く。

 

「天龍ちゃん?」

 

 声の主は龍田だった。龍田は天龍の浴槽のそばにかけよった。

 

「龍田?」

「天龍ちゃん、大丈夫?昨日あの後何してたの?」

「っと……おう、ちょっと景気づけにひと勝負してたんだよ。なかなか手ごわくて、結局痛み分けだったけどな。それで今まで入渠してたってわけさ」

 

 こんな調子で、いつもの武勇伝が始まった。でも今回は若干話を盛っている。痛み分けだったなら、摩耶も隣で一緒に入渠していなければ話が合わない。もっとも、話を盛るのは天龍の武勇伝にはよくあることだった。

 

「ふーん、で、誰と勝負を?」

「誰って……実はなぁ、今回の相手は重巡だったんだよ!」

「重巡って、さっき脱衣所から出てきた?」

「そうさ。あいつもさっきまで隣で入渠してたんだ。完璧にボコボコにしてやったよ」

「ふーん、そーう?」

 

 龍田はこれまたいつものようにわざとらしく返事をすると、脱衣所のほうに目をやった。そして天龍に向き直ると、

 

「それじゃ私、やることがあるから。じゃあね」

 

 言い残して、大浴場を後にした。

 

「ふん、やっぱり俺のことが気になるんだな」

「あの子が、天龍さんの妹さん?」

「ああ、西方海域で同じ艦隊になってから、ずっと一緒だったんだ。隊が別になっても、任地が同じだったから離れることはなくて。それが昨日……」

 

 そこまで言いかけて、天龍は一瞬言葉を止めると、

 

「ちょっと熱くなってきたな。鳳翔さん、もう出るよ。龍田のやつ、まだいるかな?」

 

 湯からあがり、脱衣所で鳳翔にこれまでのいきさつを話した。脱衣所に龍田の姿はなかった。

 

 

 

 天龍は鳳翔と一緒に、自分の待機部屋へと向かった。待機部屋は浴場のある建物から五十メートルほど離れた宿舎街にある。天龍は鳳翔が準備してくれた新しい制服に身を包み、楽しげに話をしていた。

 

「龍田は時々怖いけど、本当は優しいヤツでしてね。西方で一緒だった時から、いつか二人で横須賀の鎮守府に着こうって約束してたんすよ」

「横須賀ね……何か理由があるの?」

「内地ならここや最前線よりもまだ軍規がきっちりしてるから、嫌なことも少なくなるんじゃないか、って思いまして。それに、横須賀は俺の生まれ故郷なんです。あいつに観音崎あたりの海を見せてやりたくて」

 

 そんなことを話しているうちに、ふたりは天龍と龍田の待機部屋にたどりついた。天龍はドアノブをひねる。

 

「たつたー!……あれ、いねえのか」

 

 天龍は部屋を見渡したが、人影ひとつみあたらない。

 

「どっか行ってるのかな……」

 

 天龍はそのままドアを閉めた。部屋から龍田の薙刀が消えていることには気付かなかった。

 

 ふたりはゆっくり話をするために、再び鳳翔の居酒屋へと向かうことにした。その道中の宿舎街で、ふたりの話は続く。

 

「そういえば昨日はすんませんでした。居酒屋でクダ巻いた挙句、風呂場まで連れてってもらっちまって……」

「えっ?ううん、違うわ。天龍さんをお風呂に入れたのは摩耶ちゃんよ」

「摩耶?」

「ほら、さっきまで私たちと一緒にいた重巡の子。

 昨日の喧嘩の後、『あたしの喧嘩の後始末は、あたしがやらないとな』って言って、お店の片付けで忙しかった私の代わりに天龍さんを担いでお風呂場まで連れていったの。私は朝になってからお風呂場に行ったんだけど、どうやらあの子、一晩中あなたの様子を見守っていたみたいね」

「ふん、重巡のくせに暇なヤツだな。あいつ、自分の艦隊のことはどうなってんだよ」

「摩耶ちゃんの艦隊は特別で、あの子ひとりだけで編成されてるの。任務もあまり来ないみたいだから、暇なときはいつも私のお店で手伝いをしてるのよ」

「手伝い?用心棒の間違いじゃないのか?」

「うーん、まあ、そう言われればそうかしら……」

 

 そこまで話したときである。

 突然ガラスの割れる音がして、その場の艦娘たちは騒然となった。鳳翔と天龍も例外ではなく、二人とも音のした方に向かって駆けだした。

 宿舎の前に人だかりができ、みな二階部分を見上げている。たどりついた鳳翔と天龍もその視線の先に目を向けると、窓ガラスに大きな穴がぽっかりと開いていた。艦娘たちは口々に、

 

「喧嘩だよ喧嘩!」

「なにか武器が見えたよ」

「誰か那智さんを……」

 

 などと喋っていた。

 ガラスの割られた部屋に心当たりがあったのは、この場にいる艦娘では鳳翔だけだった。

 

「あっ、あの部屋は摩耶ちゃんの……」

「えっ……あいつまさか!」

  

 天龍の脳裏にふと嫌な予感がかすめた。龍田は昔から一見冷静なように見えて、激情に駆られると何をするかわからない性格だった。次の瞬間には、天龍はいてもたってもいられず駆けだしていた。鳳翔も天龍の後に続く。

 宿舎の扉の中に飛びこみ、廊下を走り、階段を昇る。そして怯える艦娘や怖いもの見たさの艦娘をよそ目に部屋へと飛びこむ。そこに広がっていたのは、天龍の予想した通りの光景だった。

  

 かつて寝台だったと思わしき木片がそこら中に散らばり、家具はことごとく壊され、数分前までは人が住んでいた部屋だとは信じられない有様になっていた。

 そんな室内で、息を切らした摩耶を龍田が薙刀を振りながら追い回していた。

 

 さかのぼること数分前。誰もいない待機部屋で仮眠をとっていた摩耶は、ノックの音に目を覚ました。那智か誰かが来たと思っていた摩耶はドアノブをひねった瞬間、薙刀の襲撃を受けた、というわけである。

 

 摩耶は龍田の刃をかわしながら反撃のチャンスをうかがってきたが、リーチの長さになかなか手を出せないようだ。天龍はすぐさま、

 

「龍田ぁっ!」

 

 叫びながら部屋に飛びこんだ。天龍に名前を呼ばれた龍田の瞳が、一瞬天龍のほうへと向く。すかさず摩耶が龍田の間合いに飛びこみ、薙刀の刃が振り下ろされる前に柄をつかんだ。

 次の瞬間、天龍が龍田に抱きしめるように体当たりし、一緒に床に倒れた。薙刀はそのまま、摩耶の手に握られた。

 

 天龍は龍田を抱え起こす。天龍のたった一つの瞳が、どこか空ろな龍田の瞳を覗いた。

  

「どうしたんだ!?俺の敵討ちのつもりだったのか?」

 

 しばらく龍田の肩を揺らしていた天龍だったが、その手をふと止めた。

 龍田の左右の瞳から、一筋ずつ涙がこぼれていたのだ。天龍が龍田の涙を見たのはこれが初めてだった。潤んだその瞳を見て、天龍はどうしたらいいかわからなくなった。

 

「天龍ちゃん、私、私……」  

 

 龍田が静かに話しはじめたその時。

 

「そこまでだ!全員動くな!」

 

 その声に、あたりは水を打ったようになった。声の主、那智は駆逐艦数名を引きつれ、部屋に上がりこむ。その後に鳳翔も続き、摩耶のそばにかけよった。摩耶は薙刀を放り捨て、那智をじっと見つめている。部屋の中央に立った那智はあたりを見回すと、ため息をついてつぶやく。

 

「だいぶ派手にやったみたいだな……それで、先に手を出したのは?」

「私が……」

「俺だ!」

 

 龍田が言いかけたのを遮るように、天龍が突然叫んだ。続いて刀を抜くと、切っ先を摩耶に向け、

 

「昨日はこいつに散々痛めつけられたからな。そのお礼参りに仕掛けてやったんだ」

 

 そう言い捨てて、刀を投げ捨てる。龍田も摩耶も、どういうことかと言わんばかりに天龍を見つめた。

 

「成程、なら話は早いな。来い」

 

 天龍は両腕を駆逐艦に拘束されながら扉の方へと歩き出した。そんな天龍を追いかけるように龍田は立ち上がる。

 

「天龍ちゃん!」

「龍田、元気でやるんだぞ」

 

 振り向いてそう言ったきり、天龍は扉の向こうへと消えた。崩れ落ちてすすり泣く龍田に、鳳翔は静かに寄り添う。その様子を見ていた摩耶は、割れた窓から外に目を移した。抵抗することもなく連れて行かれる天龍の後姿を、摩耶はじっと見ていた。

 天龍は営倉へ、龍田は居酒屋鳳翔へ。まるでふたりの向かう先が入れ替わったようであった。

  

 

 

 

 

 天龍の二十四時間の軟禁が始まったその日の正午、龍田は居酒屋の二階、布団の中にいた。

 部屋の壁には、天龍の刀と龍田の薙刀が隣りあうように立てかけられていた。

 

 一方の摩耶はその一階、テーブル席に腰掛けて頬杖をついていた。摩耶は、自分の身体が無事なことが信じられなかった。普通あれほどの得物をもった相手と本気で喧嘩すれば、負傷は避けられない。深手を負っていてもおかしくなかった。それでも無事だったのは、あいつがただの下手くそだったからなのか、それとも……?

 

 そんな摩耶のとりとめもない考えは、店の奥の階段からの足音でかき消された。階段口から顔をのぞかせた鳳翔はどこかホッとしているようだった。

 

「鳳翔さん、あいつは?」

「泣き疲れちゃったのかぐっすり眠ってるわ。あんなに暴れまわってたのが信じられないくらい」

「ふーん……それにしても鳳翔さん、あんな危ない奴を落ち着かせるなんてな。さすがだぜ」

「そうでもないわ。あの子だって、結局は普通の女の子よ」

 

 そう言った鳳翔はどこか悲しげに見えた。鳳翔はそのまま草履をはくと、摩耶の前の席に腰かけた。

 

「それに、摩耶ちゃんを襲ったのには理由があったみたい。ちょっとだけ、おかしな理由だけど」

「えっ?」

「昨日の晩に、横須賀に転属の決まった子たちのミーティングがあってね。そのときに龍田さん、別れることを実感して、さすがに寂しい気持ちになってたみたいなの。命令だから、横須賀行きを断るわけにもいかないし」

 

 その時ミーティングに集まった艦娘の中に、たった一時間前に横須賀行を言い渡された艦娘がいることを龍田は知った。それで話を聞いてみると、本来横須賀行になるはずだった艦娘が懲罰房に入れられ、代わりが立てられたのだという。

 

「それで懲罰房に入って横須賀行をなしにするために、あたしを襲ったってわけか」

 

 そうならば、摩耶が負傷することがなかったのも納得がいく。摩耶を傷つけることは最初から目的ではなかったのだ。

 

「はた迷惑な話だぜ。そんなに営倉に入りたいんだったら、どっかで銀蝿でもやればいいじゃねえか」

「銀蝿だったら営倉に入らずに済むことも多いわ。それに元々盗み癖もないのにそんなことしたら、天龍さんならきっとおかしいと思うって考えたんじゃないかしら」

 

 俯くように手元を見つめた摩耶に、鳳翔は静かに続けた。

 

「……たぶん龍田さんは、天龍さんに知られたくなかったんだと思う。別れるのが寂しかったって。そんなときに天龍さんと摩耶ちゃんが喧嘩したって聞いて、これしかない、と思ったのね。摩耶ちゃん、あの子を許してあげて。人って思いつめると、普段考えもしないような行動に出てしまうことがあるのよ」

 

 そこまで聞いて、摩耶はもう十分といわんばかりにため息をつくと、

 

「ったく、どいつもこいつも素直じゃねえヤツばかりだなぁ」

 

 そう言って立ち上がり、外に出ようと店の格子戸に手をかけた。

 

「どこ行くの?」

「しけた話聞いちまったからなぁ。ちょっと気晴らしだよ」

「そう……でも摩耶ちゃん、もうお昼だし、お腹もすいてるでしょ?何か食べていかない?」

 

 摩耶は格子戸のそばで少し考えて、答える。

 

「おにぎりでいいよ。大きなやつをふたつ、頼むぜ」

 

 

 

 

 

 泊地のはずれ、砂浜にほど近いところに、ブロックでできた簡単な小屋がある。それがここの泊地の営倉だ。

 入口の扉を開けると右手側に三つの部屋が並んでいる作りで、天龍の部屋は入口から一番奥だった。

 

 その中で天龍は、ボロボロのゴザに寝そべりながらトタンの天井を見上げている。あとはトイレのようなものしかないこの部屋の中では、ここ数日で何があったかを思い返す以外にやることはなかった。暗がりでいろいろと思い返すうちに、口からは何度もため息が漏れた。

 

 そうだ、俺がここを出る時には、龍田は出迎えてくれねえんだよな……

 

「いや、これでいいんだ……」

 

 考えを打ち消すようにつぶやいた、その時。薄暗い部屋の中が、少しだけ明るくなった。

 

「よっ!」

 

 扉の三十センチ四方ののぞき窓が開けられている。そこには外に続く扉からの明かりに照らされて、摩耶の笑顔が覗いていた。天龍はそれを見て、これまでの陰鬱さが嘘だったかのように声を張り上げた。

 

「あっ!お前!」

「なんだ、初めての営倉入りでぐったりしてるかと思ったら、元気そうじゃんか。結構タフなんだな」

「こんなところまで何しに来やがった!」

「何しにって、これを持ってきてやったんだよ」

 

  摩耶は大きな紙の包みを取り出して、のぞき穴からねじこむ。受け取った天龍が包みを開くと、中身は大きなおにぎりだった。

 

「とりあえずメシ食って、ここを出るまでの体力をつけねえとな!一緒に食おうぜっ」

 

 最初は戸惑っていた天龍だったが、空腹からくる食欲には耐えられなかった。おにぎりには梅干しがいくつか入っていた。疲労回復のために鳳翔が入れてくれたものだろう。摩耶が自分のおにぎりを取り出すほんの少しの間に、天龍は半分ほどおにぎりを食べ終え、ふと気づいたように問いかける。

 

「そういえば、今何時だ?」

「教えてやってもいいけど、聞いたら多分しんどくなるぜ」

「はぁ?」

「まあ、お前が思ってるほど時間は経ってない、とだけ言ってやるよ」

 

 そう言うと、摩耶はおにぎりにかぶりついた。

 その時、天龍はふと見た摩耶の横顔に、何か心乱されるものを感じた。

 頬についたごはん粒をつまんで口に入れる摩耶を、天龍はじっと見つめる。摩耶は天龍の視線に気づくと、どこか恥ずかしげに顔を赤らめながら言った。

 

「お前、なにジロジロ見てんだよっ」

「あんた……もしかして鳥海さんの姉貴か?」

「んっ?」

「あっ、やっぱりそうだ!メガネかけたらそっくりじゃないか!ハハハ」

「なっ、なに笑ってんだ!」

「オレ昔さあ、鳥海さんの艦隊にいたんだよ。あの時はずいぶん世話になってなぁ。どうもあんたのことがずっと気になると思ったら……そういうことだったんだな」

 

 そう、天龍はかつて南方のトラック島で、鳥海率いる新生・第八艦隊の一員として作戦行動に参加していた。他にも重巡洋艦の古鷹、加古、青葉、衣笠らのいる大艦隊で、天龍は当時その中で唯一の軽巡洋艦だった。ちなみにその時龍田は別の水雷戦隊の旗艦であったが、任地は同じだったため非番のときはいつも会うことができた。

 

 天龍も言ったように、鳥海はメガネの有無や髪型を除けば、摩耶とは双子のように瓜二つの顔をしていた。

 そのため天龍は、摩耶の姿に鳥海の面影を思い出して、ずっと気にしてきたのだった。すぐに気付かなかったのは摩耶と鳥海の性格が真逆なため、受ける印象がまったく違ったからだろう。

 

「鳥海さんにはカレー洋で会ってからここに来るまで、ずっと一緒だったんだ。あの人には、いつも優しくしてもらっててな。オレにとっては、龍田の次に大切な人さ」

「ふーん……ってことは、鳥海からはあたしのこともいろいろと聞いてたってわけか」

「いや、顔がそっくりの姉貴がいるって言っただけで、あまり詳しく話してはくれなかったなぁ」

「……そっか」

 

 摩耶はとたんに静かになった。それに気づかない天龍は、さらに摩耶に声をかける。

 

「あんたは鳥海さんと会いたくならねえのか?」

「……別にそこまでだよ。その話はやめだ」

「……ああ」

 

 天龍はその返事を最後に、黙ってしまった。覗き穴から見えた摩耶の顔が、ほんの少しだけどこか切なげに見えたのだ。天龍にも、龍田という妹がいる。姉妹艦同士の複雑な事情をそこからさらに深堀りするなんてことは、天龍にはできなかった。

 

 互いに何を話せばいいのか分からなくなったのか、ふたりは鉄の扉をはさんで、背中合わせになった。

 

 天龍の上着を脱いだ白いシャツの背中に、扉の冷たさがしみわたる。その冷たさを実感するにつれて、天龍はぬくもりが欲しくなってきた。部屋の中の暗さと静けさにも、どこか物悲しいものを感じはじめていた。

 そしてついにいてもたってもいられなくなったのか、

 

「龍田のやつは?」天龍が先に口を開いた。

 

 語りかけた天龍の言葉に、摩耶はすぐさま返事をする。

 

「今は居酒屋で眠ってるぜ。かなり疲れてるみたいだったなぁ。あいつ、いつもあんなヒステリックな感じなのか?」

「いや、あんな龍田を見たのは今日が初めてだ」

「そっか。まあ無理もないさ。任地の別れが今生の別れ、ってこともあんだからな」

 

 天龍はうん、とうなずくと、静かに言う。

 

「なあ」

「ん?」

「もし明日、龍田に会ったら、俺の代わりに……『元気でやれよ』って伝えてくれねえか?」

 

 その言葉に、摩耶は覗き窓から天龍の瞳を見つめ、つぶやくように言った。

 

「やだよ」

「えっ!?」

「そんなこと、あたしが言ってどうすんだよ。お前が言いな」

「ちょ、冗談じゃねえ!言いたくても言えねえからあんたに頼んでんじゃねえか!なあ、お願いだからどうかこれだけは頼まれてくれねえか!?」

 

 天龍が懸命に頼む横で、摩耶はそっぽを向くように外への扉に顔を向ける。

 

「それじゃ、そろそろ行くぜ。あんま長居すると足柄たちも色々うるせえからな。まあ元気でやれよ、なっ」

 

 そう言い残して、摩耶は営倉を後にした。その背中には容赦なく、

 

「ふ、ふざけんな!なにが摩耶だ、なにが鳥海さんの姉貴だ!顔はそっくりでも中身はなんだ、鬼じゃねえか!とっとと失せやがれ!二度と俺の前にツラ見せんな!」

 

 天龍のあふれんばかりの罵倒が浴びせられた。その叫びが響く中、営倉内が再び闇に包まれる。

 ふたたび冷たく静かになった部屋の中で、天龍はしゃがみこんでうつむいた。しばらくそうしていると、部屋の中は少しずつ寒くなっていった。天龍は部屋の隅でさらに縮こまった。

 

 

 

 あれからどれだけの時間が経っただろうか。営倉内が少しずつ暖かくなっていくのに天龍は気付いた。たったいま眠りから覚めたばかりなのに、再びまどろみの中に落ちていきそうになる。

 その時ひとすじの光が、天龍の暗闇に慣れた目を突き刺した。まぶしさに目を閉じ、光を遮るように手をかざす天龍。ようやくここから出られるか、と思った天龍の耳に、彼女の名を呼ぶ声が聞こえた。

 

「天龍……ちゃん?」

 

 天龍の薄目が、呼びかけに応えてかっと見開かれる。そして救いを求めるように光のさすのぞき窓にかけよると、その向こうには光を受け、天使のごとく微笑む龍田の姿があった。

 天龍は目の前の奇跡にただ打ち震えていた。暗闇と寒さの中でずっと考えていたはずの、伝えたかったたくさんの言葉が、なにひとつ口をついて出てこなかった。

 

「龍田っ……」

「天龍ちゃん、その……私ね……」

 

 龍田の語りかけの優しさに、天龍もようやく落ち着きを取り戻した。限られた時の中で、互いに、今、伝えておかなければならないことはたくさんあるのだ。

 この時が終われば、しばらく二人は互いの思い出の中の存在となる。

 せめてそれまでは、その顔を、声を、表情を、しっかりと焼きつけておきたかった。

 

 この泊地を龍田があとにする、わずか十分前の出来事だった。

 

 

 

 

 

 その一方で、営倉の外では、扉の番をするように摩耶が立っていた。

 

「こっそり連れてきてやったけど、本当は駄目なんだからなぁ……」

 

 摩耶は小さく一息つくと、その位置から穏やかに波打つ海を見つめた。海原の、どこか彼方からやってきた潮風が、摩耶の頬を優しくなでた。

 こういうことは、ちゃんと自分の口から言わないとなぁ。そのことは、誰よりも身にしみているつもりの摩耶だった。

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