摩耶さまの名のもとに   作:ゆずた裕里

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あたしのほしかったもの

 ギャンブルで儲けるためには、勝っている時にあまり欲をかかず、潔く勝負を止めることが一番だ。何事にも引き際というものが肝心、なのである。

 しかし勝負そのものにはまってしまうと、そのことを忘れてしまう人もいるようで。

 

「勝負!やったぁ!また私の勝ちね!」

 

 応接室の窓越しに、足柄が嬉しそうな声を上げる。窓枠を挟んだ外では、摩耶が手札を握りしめながら足柄を悔しげに睨んでいた。昼下がりの花札勝負は、最初は摩耶よりに進んでいた。しかし次第に足柄に形勢が傾き、ついに摩耶はスカンピンになってしまったのだった。

 もっとも、この勝負を持ちかけたのは摩耶の方だった。摩耶は懐が寂しくなると、時折泊地の艦娘たちに花札勝負を持ちかけることがあった。

 

「くうっ……クソがっ!持っていきやがれっ!」

 

 摩耶は帽子の中からなけなしの札束を取り出し、足柄の手元に叩きつけるように置いた。そんな摩耶を足柄はからかうように、

 

「どうする?もう一戦する?」

「当たり前だ!負けたら服だろうが靴だろうが渡してやるっ!」

 

 摩耶が半ばケンカ腰に言い返したその時。  

 

「こら摩耶!博打のやり過ぎはご法度だぞ!」

「げっ!」  

 

 応接室に戻ってきたのは、見回りを終えた那智だった。その一喝で熱が冷めたのか、摩耶は花札をさらえてそそくさと立ち去っていった。札束と得意げな足柄の様子だけで、何があったのかはだいたい察しが付く。

 

「やれやれ……今日はずいぶん巻き上げたみたいだな」

「ええ。花札が使い込んでてボロボロだったから、キズで摩耶の手札がどんなのかだいたい分かってきちゃったの」

「なるほど、貴様もなかなかの食わせ者だな」

「それが勝負ってやつでしょ」

 

 一方摩耶も、自室で花札をいじっていてそのことに気付いた。情けなさと腹立たしさからありったけの悪態をついて花札をゴミ箱に叩きこむと、そのまま寝台の上で不貞腐れてしまった。

 

 

 

 

 それからしばらくして、大きな袋をかかえて、部屋に天龍が戻ってきた。袋には主計課に注文していたいろいろな物が詰まっている。それを天龍は、自分の寝台に放り投げるように置いた。

 

「ただいま。今戻ったぜ」

「遅かったなぁ。何かあったのか?」

「いや、別に。ちょっとトイレ行ってくるからよ、袋の中適当に漁っててくれよ」

「ん」

 

 天龍が部屋を出るのとほぼ同時に摩耶は袋のそばに寄り、中身を確認しはじめた。

 大半は普段使っている生活必需品や嗜好品がほとんどだったが、その中に摩耶は見慣れないものを見つけた。

 

「天龍のやつ……カステラなんか注文してたのか?」

 

 しかしそのカステラを手に取って、摩耶は目を丸くした。袋の中にあったカステラは、主計科が取り扱っているような駄菓子に毛の生えたような代物ではなく、銀座あたりの百貨店が取り扱っているような高級カステラだったからだ。内地の鎮守府ならともかく、こんな僻地で簡単に手に入るような代物ではない。

 摩耶は天龍が部屋に戻ると、開口一番に尋ねた。

 

「おい天龍。これは何だ?」

「何だって摩耶、カステラだよ。珍しいじゃんか、摩耶がカステラなんか食いたいなんてよぉ」

「んなこと聞いてねえよ。あたしが聞きたいのは、これを誰から貰ったんだって話だよ。これ、酒保なんかで買えるものじゃねえよなぁ?」

「いや、それは俺のことだからよ、摩耶は関係ねえだろ」

「関係ないわけねえだろ!出どころの分からねえものなんか食えるかっ!」

「どうせカステラなんか食わねえくせに……分かったよ、連れていってやるぜ」

 

 天龍と摩耶は、自分たちの宿舎を出て水雷戦隊の宿舎へと向かった。かつては天龍も、このあたりの宿舎の一室で日々を送っていた場所でもあった。

 横須賀あたりからお土産持って誰か来たんだろうか?いや……摩耶は様々な可能性を思いめぐらせながら、天龍の進むがままに続いていった。

 

「ここだよ」

 

 天龍はそう言って、宿舎街のはずれのある部屋の窓の前で立ち止まった。そしてそのまま背伸びをすると、すりガラスの窓をパンパンと叩く。

 

「おーい、ちょっといいか?」

 

 呼びかけに反応はない。構わずひたすら窓を叩き続けていると、突然窓が開け放たれた。そして癖のかかった特徴的な声とともに、窓から小柄な少女が顔を出した。

 

「はいはい何の用……あっなんだ。さっきの眼帯の姉さんか。なにか忘れ物でもしたの?」

「いや、そうじゃないんだ。お前を紹介してほしいっていうヤツがいてな」

 

 天龍がそう言うと少女は摩耶の方を見た。その少女の瞳は薄黄色に輝いていた。

 

「おっ、その姉さんだね。っと」少女はぴょこんと窓枠を飛び越え、地面に降り立った。

 

 少女はパーマのかかった長い髪をかきあげる。その髪は藍色とピンク色の二色で染められており、後ろ髪は黄色のリボンで留められていた。

 服装は紫色の制服で、見た目だけでいえばカステラを天龍にあげるより自分で食べるほうが似合っている感じだ。しかし用いる言葉や話し方、雰囲気はそこらの駆逐艦とは違い、見た目以上に大人びた印象を与えるものだった。

 

「駆逐艦、長波だよ。一応第二八〇水雷戦隊の旗艦をやってる。姉さん、名前は……」

「摩耶ってんだ」

「摩耶さん、ね。あ、一応巡洋艦への口のきき方は知ってるつもりだよ。でも商売をするならお互い対等な立場で、っていうのがあたしの考えなんだ。そこんとこよろしく頼むね」

「おう」

「それじゃ早速、といいたいとこだけど、いろいろ説明しとかなきゃいけないことがあるんだ。あたしについてきてよ」

 

 そう言うと長波は摩耶たちを手招きして歩き出した。摩耶と天龍は長波に続きながら、宿舎街を抜け泊地司令部の前を通り、各種設備が並ぶ大工廠内を進んでいった。

 

 

 

 

 

 長波たちがたどり着いたのは、鎮守府の片隅にある今は使われていない小さな工場だった。このトタン造りの工場は、足柄が着任した際に隣に新設した大工廠に設備を移転して以来、倉庫として使われていた。しかし倉庫街からも離れていることもあり、しだいに倉庫としても使われなくなりほとんど打ち捨てられたようになっていたものであった。

 

 そんな旧工場の大扉のそばにあるドアに長波は近づくと、握り手につけられている南京錠を開けた。

 倉庫の中は、小ぶりなスーパーマーケットのようになっていた。並んでいる棚には、アルファベットが書かれた缶詰や少年漫画の背表紙、軍服などの衣裳から、どこか南方の島で売られているらしきまがまがしいデザインの人形まで、さまざまなものが陳列されていた。

 さらにその一角にはいくつかの冷蔵庫が並んでいた。摩耶がそこを開くと、中から世界各国から集めたと思わしき菓子の袋や箱が入っていた。天龍の持っていたカステラも、おそらくここにしまってあったのだろう。

 

「仕入れたものは全部ここにおいてあるんだ」入口の扉の横にあるカウンターに肘をつき、長波は語る。

「注文の品やすぐ売れそうなものは宿舎に持っていくけど、だいたいはここに置いてあるんだ。言ってくれればいつでも開けるよ」

「お前、主計課の艦娘なのか?」

 

 摩耶は尋ねる。

 

「いや、そうじゃなくてね。この泊地にも主計科の輸送艦はたくさんいるけど、みんな本土や外地から来た連中ばかりで、実は泊地に配属されている輸送艦ってのはあんまりいないんだ」

 

 長波は言った。

 

「だからあたしら一部の駆逐艦はこの泊地への物資輸送もやってるんだけど……いわゆる『鼠輸送』ってやつだね。あたしらはそれで本土や外地に行ったときに、この泊地じゃあまり手に入らないものを仕入れてきて、ここで売ってるってわけ」

「で、俺はこいつらの鼠輸送の護衛をしてる時に、この店を知ったんだ」  

 

 天龍が言ったところまで聞いて、摩耶は腕を組んだ。その顔には、ほんのわずかではあるが険しさがあった。

 

「つまり、ヤミ商売、ってやつか」

「ん……まあそうなるかなぁ……」

 

  長波は摩耶の冷ややかな言葉にも開き直ることなく、さりとてとぼけることもなく、普通のことであるかのように言い返した。

 

 「でもあたしらが売ってるのは漫画とか高級菓子とか、酒保じゃ売ってないものばかりだよ。それにあたしらはそこらのヤミ屋と違って盗品や横流しの品には手を付けてない。本土で仕入れをやってるのはあたしの姉貴たちだから、そこは信用してくれて大丈夫だよ。そう、あくまであたしらは、『みんながあったら嬉しいもの』を売ってるだけなんだ」

「それでもヤミ商売なんて、足柄たちが許さねえだろ?」

「いや、足柄さんたちはここの艦娘のガス抜きになるからって、あたしらだけに特別に許可を出してくれてるんだ」

 

 長波はそう言いながら、大きな布のかけられた棚の一つにもたれかかった。

 

「だから他の艦娘が手を出すのはアウト。まあ、許可を貰うまでの交渉が大変だったけどね……」

 

 その時棚にかかっていた布が落ち、その中からいくつか大きな日本酒の瓶が現れた。そのすべてに、『司令部』の札が下げられている。おっと、と小声で言うと、長波は棚を隠すように布をかけ、ごまかすように摩耶たちに笑いかけた。

 そんな長波につられて笑う天龍。だが表情一つ変えない摩耶にジロリと睨まれ、天龍は気まずそうな顔になった。そんな空気を打ち破るように、長波は摩耶に明るく話しかける。

 

「そ、そうだ姉さん、あたしら注文もやってるんだ。ここにないものでも言ってくれれば二週間以内に調達してくるよ。折角だから今回だけはタダで、姉さんの注文を聞いたげるよ。あ、だけど鎮痛剤とか眠気覚ましとか、そういうヤバいものはダメだからね!」

 

 フレンドリーな長波に、摩耶は顔色ひとつ変えることなく静かに言った。

 

「花札」

 

 その一言に、長波と天龍は信じられないと言わんばかりの顔をする。

 

「は、花札?摩耶、花札なら普通に酒保で買えるじゃ……」

「花札でいい」

 

 天龍の言葉を無視して言い切った摩耶に、長波は少々困惑しながらも、

 

「うん、わかったよ。まあ、花札は花札でも、酒保じゃ買えないようなもんを調達するからね。楽しみにね!」

「……ああ、よろしく頼むぜ」

 

 言ったのは天龍だった。摩耶は何も言わなかった。

 

 

 

「摩耶!お前頭わいてんのか!長波にあんな態度取りやがって、俺のメンツをつぶす気か!」

 

 倉庫から少し離れた工廠のはずれで、天龍は久しぶりに摩耶に食ってかかった。天龍はあくまで、長波に摩耶を紹介する、という形で店に連れて行ったのだ。それで摩耶が露骨に嫌な態度をとるので、天龍もいい思いはしていなかった。むしろ長波の気分を害して自分も出入り禁止になるんじゃないか、と心配していた。

 しかし、摩耶も一歩も引かずに天龍に言い放つ。

 

「知るかクソが!あたしはなぁ、闇屋って連中が、この世で一番嫌いなんだよ!あんな奴ら、信用できるかってんだ!」

「だからって露骨にあんな態度とることはねえじゃねえか!その辺で大人しくしてりゃよかったんだよ!それとも何だ?だったら紹介した俺のことも信用できねえか?」

「ああ、そうだよっ!」

 

 感情的に吐き捨てると、摩耶は天龍を置いて歩き始めた。そんな摩耶に天龍は言い返すどころかどこか弱気になってしまい、

 

「そんなにハッキリ言わなくても……」

 

 と追いかけたが、追いつくことはできなかった。

 

 天龍は知らなかった。摩耶がかつて闇屋の仕事を知らずに手伝わされ、営倉に入れられたことを。そしてそのことが後を引き、苦難の日々を過ごしたことを。そんな摩耶が闇屋というものにいい思いを抱いていないのも無理はなかった。

 きっと、摩耶はその時のことを思い出したのだろう。そして、そんな姿を天龍に見られたくなかったのだろう。

 

 しばらくして、摩耶は部屋に戻ってきた。結局その日、ふたりは互いに口をきくことはなかった。

 

 

 

 それから一週間がたち、摩耶と天龍がそんな出来事があったことなど忘れてしまった頃。

 ふたりのもとに、足柄から突然の呼び出しがかかった。それが何を指すのか摩耶はおおよそ察しがついていた。

 

 救出任務である。

 

 普段、摩耶と天龍は艦隊がたった二人と小規模なため、主に近海の警備や演習の相手などの任務に就いていた。しかし時折泊地の周辺海域で輸送艦やその護衛艦隊からの救難信号が発信された際には、その救出を命じられることもあるのだ。

 ふたりはこれまでも何度かこのように呼び出しを受け、艤装が故障したり攻撃を受けた艦娘を救い出し、東沖島までの護衛や曳航をしていた。

 

 ただその日は、いつもの救出とは少し状況が違っていた。

 

「発信元は、第二八〇水雷戦隊よ」

  

 なんと、長波の艦隊だったのである。

 天龍に一抹の不安がよぎった。摩耶が救出を拒否するのではないかと思ったからだ。

 もしかしたらそのまま、足柄に啖呵を切ってそのまま出ていくんじゃないか……?

 

 しかし摩耶は、足柄から詳細を聞くと、何も言わず出撃の準備に向かった。

 普段の出撃のように「よし!行くぞっ!」というテンションではないにしろ、救出を引き受けたことに天龍は驚いた。

 天龍は救出に向かう海上でそのことを聞いてみると、

 

「誰が相手だろうと、任務で言われたら助けなきゃいけねえだろ?あたしだってそこまで心狭くねえよ」

 

 とのことだった。

 

 

 

 こうしてふたりは、まもなく信号が発信されていた近海にたどり着こうとしていた。

 摩耶が電探をもとに大海原を見渡していると、

 

「あっ、あそこだ!」

 

 天龍が左舷側十時の方向を指さした。その方角の水平線に、数名の駆逐艦の影が見える。天龍は望遠鏡を取り出し、その様子を確認する。

 どうやらあちらもこっちに気付いているらしく、うち一人がこっちに向かって手を振っていた。

 いつもの救出ならば救助対象を襲う敵部隊を撃退しなければこともあるが、あいにくあたりには一隻も敵艦の姿は見えない。保護するには今がチャンスだ。

 

「よし!両舷全速!」

 

 摩耶が速力を上げようとしたその時、

 

「あっ、摩耶!待った!」

 

 望遠鏡を覗いていた天龍が、突如焦ったようにその腕をつかんでとどめた。

 

「なんだ、どうした?」

 

 天龍は不満げに話す摩耶の口を右手で押さえると、艤装の裏に左手を伸ばす。

 摩耶は離せと言わんばかりにその手を払いのける。それと同時に、天龍の左手は振り子のように大きくスイングした。

 左舷側、九時の方向の海面に、ドポンという音とともに波紋ができる。

 そして。

 そこに水柱があがり、大量の泡とともに何かの破片が浮かび上がってきた。

 

 これでようやく、摩耶にもどういうことか理解できた。

 

「……潜水艦か」

「ああ、この先にウヨウヨいやがるぞ。あいつらが教えてくれなかったらやばかった。俺もソナーをつけてようやく分かったんだ」

 

 きっと長波たちもこの潜水艦にやられたに違いない。旗がなかった上遠目だったので摩耶は気付かなかったが、手を振っていたのは潜水艦がいることを伝える手旗信号の動きだったのだ。

 敵の潜水艦は、基本的には音に反応する。かといって、ここで息を殺しているわけにもいかなかった。きっと今の音で敵も警戒を始めたことだろう。もう時間はない。

 と思ったその時、何本もの白い線が摩耶と天龍のもとに向かって伸びてくる。潜水艦の撃ちこんできた魚雷の航跡だ。

 

「下がってな!」

 

 叫びとともに天龍の前に出た摩耶の、ハリネズミのような集中機銃が一斉に火を噴いた。曳光弾が海面を舐めるように貫くと次々と水柱が上がり、潜水艦の発射した魚雷は一掃された。

 

「天龍!あたしは全速であいつらのもとに行く。お前は後ろに続いて潜水艦どもを片っ端からぶっ飛ばせ!」

 

 そして摩耶は天龍の肩を叩くと、  

 

「頼りにしてるぜ、あたしは爆雷とか持ってないんだからな!」

 

 全速で駆逐艦たちのいる方向に飛ばし始めた。

 

 猛スピードで海上を行く摩耶のそばに爆雷が着弾し、何本もの水柱が上がる。中には摩耶の足元に爆雷が着弾し、水柱が上がったこともあった。つまりそこまで潜水艦が迫っていたのである。

 しかし摩耶はそんなことを気にしている余裕はなかった。摩耶は自分の左右に、白い航跡が来ていないかを見るのに精いっぱいだった。いくら天龍が爆雷を投げても、すべての潜水艦に命中するわけではない。そして撃ち漏らした潜水艦からは、容赦ない魚雷攻撃が浴びせられるのだ。

 その攻撃を摩耶は機銃を海面に掃射して排除し、機銃弾をくぐり抜けた魚雷もなんとか間一髪でかわしていった。そんな中……。

 

「うわあっ!」

 

 摩耶は叫びとともに、足元に機銃を撃ちこんだ。と同時にそこから大きな水柱が一本あがる。敵の撃ちだした魚雷のうち一本が、あと数センチほどで着弾しそうなほど接近していたのだ。

 

「天龍!お前撃ち漏らしてんじゃねえぞ!」

「うるせえな!俺だって、奴らの攻撃をかわしながらやってんだ!」

 

 摩耶の後ろで、天龍も大声を張り上げた。

 

「摩耶こそ、俺を狙ってる魚雷を撃ってくれよ!」

「そんな余裕はねえ!守って欲しいんなら、あたしのすぐ後ろについてな!」

 

 こうして二人は雷撃の中を、すべりこむように駆逐艦たちのもとにたどりついた。天龍が近づいてくる潜水艦に残りのありったけの爆雷を投げつける中、摩耶は襲いくる魚雷を機銃掃射で防ぎながら、艦隊の中でもひときわ負傷のひどい、ぐったりしている駆逐艦を抱え起こした。

 

「おい、っ!お前……」

 

 その駆逐艦こそが、長波だった。

 

「うっ……なんだ、誰かと思えばあの時の姉さんか……あ、そうだ……」

「今はしゃべるな!話は泊地で好きなだけ聞いてやるから……!」

 

 長波は艤装のあちこちが吹き飛び、体も破片や火傷でひどく傷ついていた。足首の艤装をやられ、膝をついたときに生身の体に魚雷をうけたのだろうか。

 摩耶は右腕で長波を抱きかかえると、壊れた長波の艤装の中から、本土で売られている菓子がこぼれて海に落ちた。普通ならば弾薬や爆雷などの装備を入れておくスペースだった。さらによく見れば、長波の装備は手に持っている砲のみで、魚雷の代わりに艤装や脚に取り付けられていたものは全て資源や物資のぎっしり詰まった、輸送用のトランクケースだった。

 

 この馬鹿、装備よりも物資輸送を優先していやがったのか……

 

「あたしに続けっ!こんなクソみたいな海域、とっとと脱出するぞっ!」

 

 摩耶は複雑な思いを抱きながら、天龍やまだ動ける他の駆逐艦とともに一路泊地へと急いだ。

 泊地に着くころには長波の意識は朦朧としていたが、なんとか手遅れになるのだけは避けられた。

 

 

 

 長波は傷の治療を受けた後に半日ほど、ドックの浴槽の中で傷を癒すことになった。

 艦娘にとって、浴槽は生身の傷の治癒を早める効果がある。即座に完治させられるような薬、いわゆる高速修復剤もあるのだが数も少ないため、鎮守府や大きな泊地に優先して回される上、さらにそこでも空母や戦艦など上位の艦娘に優先される。そのため小さな泊地の駆逐艦に使われることはほとんどないのだ。

 

 足柄に報告を終えた摩耶と天龍は、長波の艦隊の駆逐艦に呼ばれて浴場に足を踏み入れた。

 浴槽内の長波は、一時に比べてかなり元気になったようだった。しかし一週間前のような快活さはまだ見られなかった。

 

「あっ、姉さんたちか……」

「おう、体の方は大丈夫か?」

「うん……まだ本調子じゃないけど問題ないよ」

「なにが問題ない、だ。早く戻ってこいよ、あんたを待ってるヤツはたくさんいるんだからな」

 

 天龍の励ましに、長波ははにかんだような笑顔を見せる。

 

「あっ、姉さん。あたしの制服のポケットの中にさ、袋があるから……ちょっと」

「天龍」

 

 摩耶に指示され、脱衣場に行き戻ってきた天龍の手には、防水のために口をしばった小さなビニール袋が。

 

「艤装の方に入れてて海に落としちゃったものも多いけど、これだけは何があっても絶対持っておかなきゃって思って……」

 

 天龍から袋を受け取ると、摩耶はの口を開け、中身を出した。

 摩耶の手に納まったのは、花札の綺麗な小箱であった。摩耶が一週間前に、長波に注文したものに間違いなかった。

 

「……その花札、京都で作ったやつじゃないんだってさ。確か金沢だったか倉敷だったか……とにかく珍しいやつなんだよ!」

 

 その花札がどこで作られたかなんて、摩耶にとって、もはや関係なかった。

 

「なんか……すまねえな」

「いいんだよ。あたしはね、好きでこんなことやってんだからね。闇屋をやってるとさ、鼠輸送の任務だってがんばろうって思えるんだ。最初はあたしだってさ、鼠輸送の任務は嫌だったんだよ。なんで駆逐艦なのに、輸送艦の真似事なんか、ってね」

 

 長波はそう言って浴槽の中で天井を見上げる。

 

「闇屋もどうせこんな任務するんならって、半分やけくそで始めたようなもんさ。でもそれがなんか楽しくなってきて、しかもみんなからありがとうなんて言われちゃってさ。そうなっちゃったらもう、鼠輸送も闇屋も続けてかなきゃいけないよね」

 

 一般的に、闇屋は正規の物資の流れからそれた軍紀違反の行動だ。しかし闇屋の仕事が、長波にとっては生きる希望となっていたのである。

 摩耶は花札の箱を握りしめた。この小さな箱がなければ、長波は海の真ん中で力尽きていたのかもしれない。

 

「まったく、悪いことは何だって、一度やったらやめられないって言うけど、本当にその通りだねぇ」

 

 長波はしみじみとつぶやく。天龍も摩耶も、何も言わず長波の話を聞いていた。

 これだけ話せるのなら、もう何も心配ないだろう。

 

「それじゃ、俺たちはもう行くぜ。養生しろよ」

「花札、ありがとな」

「いや、こっちこそありがとう。姉さんたち、欲しいものがあったらまた来てよね」

 

 

 

 脱衣場は訓練終わりの艦娘たちで混みはじめていた。

 摩耶と天龍はその賑わいに染まることなく、黙ってその中を歩く。

 

「なあ、摩耶」

「ん?」

「俺たちもさぁ、誰かのためにって考えて任務ができてるかなぁ?」

「さあな。なに考えたところで、あたしらは足柄たちから言われたことをやるだけさ」

 

 そう言って摩耶は一息つく。

 

「ところで天龍、お前、金あるか?」

「はぁ?また誰かと博打やってスっちまったのか?」

「ああ、この前足柄のやつに巻き上げられちまったからな……」

 

 摩耶は長波が命をかけた新品の花札をかかげ、挑戦的に天龍に笑いかける。  

 

「早速お前から巻き上げるんだよ」

「ここでか?フッ、そうこなくっちゃな!」

 

 天龍も笑顔で応えた。

 

 

 

 

 長波は浴槽の中で、ウトウトと眠りかけていた。半日湯につかるとなるとかなり退屈になる。

 摩耶たちが浴槽を去って、何度目かのうたた寝から覚めた長波は、脱衣場のほうから聞こえる声に耳を傾けた。

 

「勝負!……よっしゃ!さあ次は誰だ!?この絶好調の摩耶様が相手になるぜっ!」

「おい、誰でもいいぞ!俺だって巻き上げられちまったからよ、誰かスカンピンにしてやってくれ!」

「なら吾輩が受けて立とう、摩耶、覚悟するのじゃ!」

 

 浴場まで響いてくる、威勢のいい声、笑い声。まるで小さな祭りのようになっていた。

 

「ふふっ、やってるねぇ。やってるやってる」

 

 楽しげな響きを子守唄に、長波はふたたび夢心地の中でゆっくり眼を閉じた。

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