摩耶さまの名のもとに   作:ゆずた裕里

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硝煙たちのぼる時

「おーい、早く持ってけ!」

 

 倉庫の片隅で叫びながら、少女は棚の上にある缶詰や干物を次々と袋に放りこんでいく。

 その声に呼ばれるように別の少女が一艦隊ほど、手に警棒のようなものを持って倉庫の奥へと走っていく。

 彼女たちの足元では、セーラー服の少女が数人まとめて床に倒れてのびている。

 

 「銀蝿」といえば、倉庫からの窃盗を指す海軍の俗語である。

 発見されれば当然制裁が下る訳だが、見張りに見つからずに要領よくやってのければ、制裁されないのが暗黙の了解となっていた。中には盗みの技を披露するために綿密に計画を立て倉庫に忍びこみ、見張りが気付かぬうちにお菓子や缶詰の類を根こそぎ盗んでいく者もいる。

 しかし反対に徒党を組み、見張りを全員叩きのめして堂々と盗みに入ろうとする者もいた。このような手口を使うのは大半が他の鎮守府や泊地の艦娘で、転属や輸送任務などの途中で『旅の恥はかきすて』と言わんばかりにやる者が多い。

 床に気絶して倒れている少女たちは言うまでもなく、倉庫の見張りをしていた駆逐艦たちであった。見張りもこれらの盗みを防ぎきれなければその責めを負うこととなり、盗人に殴り倒されたうえに上官からも制裁で殴られるという、まさに踏んだり蹴ったりな目に遭うのだ。

 

 そうこうしているうちに缶詰の棚をあらかた漁り終わった一行は、近くのフルーツの棚に手を伸ばし始めた。

 

「倉庫の奥に内地の酒があったはず!それも持ってきて!」

「分かった!」

 

 親分格の艦娘に言われ、一行のうちのひとりは倉庫の奥の暗がりへと駆けだしていく。

 その間にも、棚のフルーツは次々と袋の中に入れられていった。

 と、その時。倉庫の奥に駆けだしていった艦娘の足音が鈍い音と同時に消えた。

 気付いた一行が倉庫の奥を見ると、奥の棚の向こうでその艦娘が、まるで先ほど自分たちが打ち倒した見張りのように無様に横たわっているではないか。

 

「ちょっと待って、あれ……」

「何があったんだ……」

 

 不安げにざわめき始める一団の耳に、棚の向こうから、また別の足音が聞こえてきた。

 コツン、コツン、とゆっくり、リズミカルに聞こえてくるその足音の主が、ようやく暗がりの中から見えてきた、その時。

 

「なあ、海苔はどこだっけ?」

 

 足音の主が、尋ねるように問いかけた。

 

「あれ時々無性に食べたくなるよな。火であぶって醤油つけて……。久しぶりに食べたらやめられなくなっちまってさぁ……」

 

 どこか挑発するかのようなセリフに唇をかむ一行の前に、暗がりの中から青緑色のセーラー服に身をつつみ、ベレー帽を被った少女が現れた。

 突然の第三者の登場に、一行の緊張は一気に高まった。討ちもらした見張りか、それとも同じ『銀蝿』か。

 いずれにせよ、この行為の目撃者だ。そのままにしていくわけにはいかない。

 皆手持ちの袋を床に落とすと、警棒や銃剣などそれぞれの武器を手にする。

 

 だが、そんな一行をものともせず、ベレー帽の少女は歩み寄っていく。

 そして一行の目の前で立ち止まると、一行じっと睨みつけて言い放った。

 

「知らねえかお前ら?」

 

 次の瞬間、一行のひとりが少女に襲い掛かる。少女は振り下ろされる警棒を持った手をつかむと、すばやく後ろ手に回して自身の体重をかけ、相手の身体を崩すように床に抑え込んでしまった。

 その上に膝を乗せて上から押さえつけながら、少女は残りの面々に啖呵を切る。

 

「銀蝿ども、やろうってんなら相手になるぜ!かかってきな!」

 

 清々しいまでの宣戦布告に、一行は一気に少女のもとにかけだした。

 少女は膝の下の艦娘の首筋に手刀を食らわせ気絶させると、すぐさま正面まで迫っていた敵の腹部に拳の一撃を食らわせた。

 続けてひるんだ相手の腕をとり、少女はものの見事な一本背負いで相手を中に浮かし、背中から床に叩きつける。

 さらに少女は勢いそのままに、襲い掛かる別の敵の警棒をかわすと、がら空きの脇腹に蹴りを叩きこんだ。その一撃に、警棒を振り回していた敵は崩れ落ちた。

  

 瞬く間に二人を倒した目の前の少女に、一行は目に見えて怖気づいたようだった。これはまともに相手してはいけない奴だ!

 そう思ったのだろう、一行のうち三人は回れ右をすると、足元の袋を抱えて倉庫の扉へと逃げようとする。

 

「天龍、そいつらを逃がすな!」

 

 残りの敵を相手しながら少女が叫ぶと、倉庫の扉を蹴破るようにして、左目に眼帯をつけた艦娘が躍り出てきた。

 もう一人の艦娘の突然の登場に驚いた一行は、天龍に手の銃剣や警棒を見せつけるように向ける。

 

「フッ、やる気満々だな。面白え!」

 

 天龍はそううそぶきながら腰の刀を抜くと、峰を返した。刃がギラリと光る。

 それを見て一行は追いこまれた鼠のごとくやけくそになってしまったのか、叫び声をあげて襲い掛かった。

 天龍は一度に襲い掛かった三人を刀を振り回して迎えうった。その様は剣術というよりまるでチンピラがバットを振り回しているかのように武骨なものであったが、その三人を打ち倒すにはそれで十分であった。  

 無様に突っ伏した三人を気にもとめず、天龍は鞘に刀を納めた。

  

「そっちはどうだ、摩耶?」

 

 天龍の呼びかけに、摩耶は掃除でも済ませたかのように両手を叩きながら答える。

 

「今済んだぜ。主計課にでも転属すっか、天龍?給料はどっちが高いかなぁ?」

「もちろん戦闘艦だろ。それに一歩間違えりゃ俺たちだって……」

 

 天龍の指さした先では、他の警備の輸送艦たちが床でのびている。

 

「どっちにしろ楽な道じゃねえってわけか。天龍、あいつらを救護室に。あたしは那智たちを呼んでくる。このクソどもを片づけさせてやるぜ」

「わかった」

 

 

 

 と、その頃……。

 

「どうも、輸送隊のもんですが……」

「あれ、姉さん初めての輸送艦だね」

「ええ、この前入ったばかりでして……」

 

 長波のトタン小屋に来客があった。といっても品物を求めに来た客ではない。

 彼女は主計科にない商品を取り扱うヤミ屋を営んでおり、数週間ごとにある鼠輸送任務の折に、各泊地や鎮守府から品物を仕入れている。しかし時折仕入れ忘れたものや、好評で仕入れの間に合わないものも出てくる。そんな時は知り合いの輸送艦に頼み、東沖島まで品物を運んできてもらうのだ。

 この日の輸送艦は艦娘にしては高めの身長に黒髪、腕まくりをした白いツナギと帽子、というなりであった。

 

「それじゃ、品物の確認、させてもらうよ」

 

 長波が注文リストを読み上げながら、箱の中の品物をとりだしていく輸送艦。いつも外注で仕入れをする時はそのように確認をする。

 ただこの日、長波の視線は品物でなく、その輸送艦に注がれていた。

 

「……これで以上ですね、それじゃ、あたしはこれで」

「あっ、ちょっと」

 

 長波はどうも怪訝な顔で、輸送艦を呼び止める。いつもの長波なら、

 

『みんなにこれ、持ってってやんなよ』

 

 と、何かおまけを渡すために呼び止めるのだが、今日は違った。

 

「姉さん、あんた、火薬臭いね」

「えっ?」

 

 長波の一言に、明らかに戸惑いを見せる輸送艦。

 

「そんな、冗談言っちゃいけませんよ……」

「おっと、あたしの目はごまかせないよ。あんたのその腕の肉のつき方、ずっと艤装を手にして砲を撃ってきた艦娘のそれだ。それに体つきだって、ナヨっちいかガッシリしてるか、どっちかの輸送艦と違って細く引き締まってる。あんたみたいな輸送艦がいてたまるかよ」

 

 そう長波に指摘されて、輸送艦は笑ってごまかすような素振りを見せると、

 

「いやいや、何かの間違いでしょう……それではまた、ごひいきに」

  

 言い残して、そそくさと立ち去っていった。

 

 

 

 摩耶が通報してからの那智たち『自警艦隊』の行動は、これまでにないほど早かった。

 那智に状況説明をしながら、摩耶が現場の倉庫にたどりついた時には、すでに見張りも銀蝿の艦娘たちの姿もなく、天龍が自警艦隊の駆逐艦や主計科の艦娘たちと倉庫の掃除をはじめていた。

 たぶん、手柄を取られたと思って躍起になってんだろうな。後の祭りってやつだぜ。

 摩耶は心の中でほくそ笑みながら、那智の話を聞いていた。

 

「……まあ、ご苦労だった。正直なことを言わせてもらえば、この件は私たちに任せてもらいたかったところだが」

「なにをいまさら。あたしはお前らが来る前からずっとこういうことやってたんだ。もっとも居酒屋一軒守るくらいのもんだったけどな」

「そうだったな。ところで摩耶、ひとつ聞きたいんだが?」

「なんだよ?」

「倉庫で泥棒に出くわしたとき……貴様は倉庫で何をしていた?」

 

 那智に聞かれた摩耶の視線が、一瞬足元にいく。まさか自分もこっそり倉庫に忍びこんで中を物色していた、なんて言えない。

 

「えっと……海苔を探してたんだよ」

「はぁ?どういうことだ?」

「……まあ、そんなことはどうでもいいじゃねえか。なぁ!」

 

 そんな摩耶に那智は何かを察したのか眉間にしわを寄せてため息をつくと、

 

「やれやれ、次はないものと思え。以上だ」

 

 言い捨てて立ち去ろうとした、その時。

 振り向いた那智の肩に、走って通りすぎようとした輸送艦の肩が強くぶつかった。

 那智は怒ったように振り向いて輸送艦をキッと睨み、

 

「危ないじゃないか!急ぐ時は気をつけろ!」

「はい、すんません……」

 

 一喝すると、輸送艦の返事も聞かず去っていった。一方の輸送艦も帽子を深くかぶりなおすと、那智とは逆方向に走っていった。摩耶はそんな輸送艦を見送りながら、ふと思いをめぐらせた。

 那智のやつもあいかわらずだな。それにしても今ぶつかったあいつ、輸送艦にしてはずいぶん背が高かったな。あたしと同じくらいか……?ま、いいや。

 摩耶が再び倉庫の方を見ると、天龍が片付けを終えて扉口に立っていた。天龍は先ほどの輸送艦の後姿を見つめながら、なにやら首をかしげていた。そんな天龍に摩耶は近づき、話しかける。

 

「どうした天龍?鳳翔さんとこ帰るぞっ」

「ちょっとまってくれ。気になることがあるんだ……あっ!」

 

 天龍はその輸送艦を見失いかけたためか、摩耶との話を切って追いかけていった。摩耶も釈然としないままに、天龍の後を追う。

 

 

 

 

 

 輸送艦を追いかけて、摩耶たちは岸壁そばの六番倉庫にたどり着いた。

 六番倉庫ではツナギに帽子をかぶった艦娘が二艦隊分十二名、海上のはしけからクレーンで荷物を引き上げてはハンドリフトで倉庫内に運んでいた。さきほど那智にぶつかった輸送艦は、その中の短いポニーテールに小顔の輸送艦に何かを伝えていた。続いてその輸送艦が、

 

「よし、いったん休憩にするよ」

 

 と言うと、他の面々がぞろぞろと倉庫の中からも出てくる。こうして他の輸送艦に囲まれると、例の輸送艦が頭一つぶん背が高いのがよく分かる。

 確かに輸送艦にしてはどうも規格外って感じだな。摩耶が考えていた、その時。

 

「おい!」

 

 何か確信を持ったのか、天龍が輸送艦たちのもとに一直線に向かっていったのを見て、摩耶は一瞬たじろいだ。

 輸送艦の中には劣等感や、駆逐艦や巡洋艦による護衛の失敗で仲間を失った経験から、戦闘艦を目のかたきにし平気で食ってかかるものもいる。しかも相手が十二人もいるこの状態では、下手に喧嘩になってはひとたまりもない。先ほどの喧嘩とは状況が明らかに違う。

 もし喧嘩になったら、始まった瞬間に一気に五人ほど海に叩きこまないと勝ち目はない……摩耶でさえそんなことを考える中、天龍は件の輸送艦にずんずん近づいていった。

 

 その輸送艦は天龍たちの姿を一瞬見ると、また俯いた。それを見て、天龍の顔はさらに険しくなる。そして天龍は、まわりの輸送艦の静止を振り切り件の輸送艦に寄ると、帽子のつばをつかみ一気にはぎ取った。

 輸送艦の後頭部から、赤いリボンで縛った長いポニーテールがこぼれる。きりりとした瞳に長い前髪がかかったその艦娘に、摩耶は見覚えはなかった。

 しかし天龍は心当たりがあるらしく、じっと輸送艦の顔を見つめていた。

  

「やっぱりだ、こんなところでなにやってんだ?……加古!」

 

 加古。その名を聞き、摩耶の脳裏にさまざまの記憶がよぎった。ある種の懐かしさに襲われた、と言ってもいい。

 鳥海と出会うよりも前、神戸港の埠頭や南京町、三宮に元町と、どこに行くにも一緒だったのが、古鷹型重巡洋艦、二番艦の加古だった。

 しかし摩耶の目の前にいる加古は、摩耶の記憶とは少々かけ離れていた。ボサボサのコワい髪質で、その前髪をピンで留め、パッチリした目の可愛らしい男の子のような姿。それが摩耶の記憶の中での加古の姿だった。ただ改めてよく見れば、顔つきや整った顔立ちはまぎれもなく加古のそれだった。

 と、その時……

 

「あんたら、一体どうしたんだい」

 

 短いポニーテールの輸送艦が、摩耶たちに話しかけてきた。すると加古は両者の間に入って、輸送艦の相手をはじめた。

 

「いや、こいつらあたしの昔なじみでして……」

「なんだ、そうだったの。あ、巡洋艦のお二方、これは失礼いたしました。お二方は……」

「あたし、高雄型重巡、三番艦の摩耶ってんだ」

「俺は天龍型、一番艦の天龍だ」

「どうも、私はこの子と同じ輸送隊の旗艦です。名前は……この業界では『ミドリ』で通ってます。それで、おふたりはいったい……」

「ちょっとそのあたりで懐かしい顔を見かけたから、もしかしたらと思って」

「なるほど、そういうことで……だったらカコちゃん、いってきなよ」

「いいんですか?まだ荷卸しだって終わってないじゃ……」

「そんな、いいんだよ。せっかく昔なじみに会ったんだから。一人ぬけたってやることが変わるわけでもないさ」

「あっ……ありがとうございます」

「じゃ、あとはやっておくからね。行ってきなよ」

 

 そう言うとミドリは、他の輸送艦を連れて倉庫へと消えていった。

 摩耶は輸送艦たちを見送った加古に近づくと、にっこり笑って迎えた。

 

「ひさしぶりじゃねぇか加古、元気でやってるみたいだな」

「まあね。へへっ」

 

 

 

  

 

 居酒屋鳳翔へと向かう道すがら、摩耶と加古に向かって、天龍は驚きまじりに尋ねた。

 

「加古と摩耶って知りあいだったのか?」

「うん、神戸にいた時はいつもいっしょだったんだ~。ねっ」

「まあいわゆる幼なじみ、みたいなやつだな」

 

 聞かされた天龍はそうだったんだ、と納得するように相槌をうつと、もっとふたりの関係について知りたくなったのか、さらに質問をぶつけた。

 

「なあ、昔のふたりってどんな感じだったんだよ?なんか気になるなぁ」

「ん、まあ、とりあえず加古はこんな見た目じゃなかったな」

「こんな見た目って、ひどいなぁ。せっかく改装のときにイメチェンしたってのに」

「昔のほうが可愛かったぜっ」

「ちぇっ、久しぶりに会ったからって言いたい放題、そういうとこ全っ然変わってないよね、摩耶は!」

 

 楽しげに話すふたりの姿は、これが数年ぶりの再会のようには見えなかった。

 そうしているうちに摩耶たちは居酒屋鳳翔にたどりついた。居酒屋ののれんを目にした加古はやけに元気になった。

 

「なぁに摩耶、こんな良さ気なお店に連れてってもらっちゃって、本当にいいの?」

「勘違いすんなよ、いつもあたしら、時間あるときはここの手伝いさせてもらってんだ。あたしらのたまり場みたいなもんさ」

  

 摩耶は勢いよく店の引き戸を開ける。

 

「ただいま!」

「おかえり、あら、その子は……」

「どうも、加古です」

 

 加古は帽子をとり、鳳翔に頭を下げる。

 

「あたしが神戸にいた時からの友達なんだ。天龍とも一緒の艦隊だったんだってさ」

「そうだったの……加古さん、何か飲んでく?大したものはないけど」

「いいんですか?だったら芋焼酎、冷でください」

「おいおい、真っ昼間っから飲むのか?」

「いや、こういう店に一歩でも入ったらさぁ、何か頼むのが『礼儀』ってやつっしょ」

「『礼儀』か……まさかお前の口からそんな言葉が出るなんてな」

「少なくとも摩耶よりは、礼儀には気をつけて生きてきたつもりだよ」

 

 摩耶たちが店の奥の座敷席に上がると、鳳翔がロックの焼酎と麦茶、おつまみがわりのかまぼこを運んできた。ロックグラス一杯に氷を入れたところに芋焼酎を注ぎ、マドラーで三十回ほどかき混ぜたものだ。この三十回かき混ぜるというのがミソで、ロックを一番美味しく飲むのにほどよい冷たさになる、というのが鳳翔の言葉であった。

 加古はお礼を言ってグラスを受け取ると、小さくひとくち口をつけた。

 

「ああ……うん、いいね……」

「なあ天龍、加古ってそんなに酒好きだったのか?」

「うん、トラックにいた時も、オレこいつに毎晩つきあわされてたぜ」

 

 天龍がそう答えたのに、摩耶は思わず笑いだした。

 酒に付き合うも何も、そもそもお前下戸じゃねえか。毎晩ジュースで乾杯でもしてたのか?

 

「ところで摩耶、ここのお酒は全部鳳翔さんが注文してるの?」

「うん。酒保に注文してるやつもあれば、長波に頼むやつもあるかな。ほら、小っちゃいけどやけに大人びてるあの駆逐艦」

「あ、あの子ね。もしチャンスがあれば、あたしも神戸に帰ってお土産に南京町で中国のお酒でも買ってこようかな」

「ああ、よろしく頼むぜ。そういえば昔よく一緒にあたしらが行った店、今でもあるかな?」

「公園のそばの饅頭屋さんのこと?」

「うん。そうだ!真夏のクソ熱い時にさ、加古が突然肉饅頭が食べたいなんて言い出してさ、結局衣笠と一緒についていくことになったんだよ」

「へえ……」

 

 思い出話にテンションの上がってきた摩耶に、天龍は頷く。

 

「あたしらはかき氷にしようぜって言ったのに、絶対肉まん食べる!なんて言ってさ……」

「でもあの時、結局ふたりともあたしと一緒に食べてたじゃん!」

「だって、お前があまりにも美味そうに食うから……」

 

 と、ここからは神戸の艦娘によるローカルの話題に入っていった。南京町や異人館のような観光客向けの話から、ガード下の商店街のお店などのディープな話まで、ふたりは神戸での思い出話に花を咲かせた。まだふたりとも艤装を背負いはじめて間もない頃の話だ。

 ただ、こうなると面白くないのが天龍である。天龍は、神戸の街中はおろか、港にさえ行ったこともない。まだ観光レベルの話であればまだしも、あまりにもローカルな話題には完全に置いてきぼりをくらった状態になり、さも分かっているかのように相槌をうつだけになってしまっていた。

 

 そんな時間が小一時間ほど続き、天龍もさすがに分かっているふりだけで延々と通し続けるのがつらくなったのか、話の合間を縫って加古に話しかけた。

 

「そうだ、第八艦隊の連中はみんな元気か?鳥海さんは?」

 

 天龍が尋ねた瞬間、さっきまであれだけ饒舌に話していた加古が、まるで電池が切れたかのように急に静かになった。その様子はどこか元気がないようにも見える。あまりに突然の変わりっぷりに、天龍も摩耶も、どこか不安になった。

 摩耶はその場をごまかすようにこれまでと同じテンションで声をはりあげる。

 

「……天龍、そんなことは後で聞きゃいいんだよっ。加古、おかわりいるか?鳳翔さん!」

「いいよ、摩耶。ありがと」

 

 加古は摩耶を制止すると、小さくつぶやくように話しはじめた。

 

「第八艦隊はね、解散になったんだ」

「はぁ!?」

 

 天龍が驚きを隠せなかったのも無理はない。天龍にとって第八艦隊は我が家も同然だった。そんな第八艦隊が解散になったと聞いて、冷静でいられるはずはなかった。

 

「どういうことだよおい!鳥海さんはどうなんだ?まだトラックにいるのか?」

「あたしにも分からないよ……。何か月か前に突然、鳥海が言ったんだ。『今日をもって、第八艦隊は解散よ』って。理由は教えてくれなかったよ。解散になるような問題もあたしが知る限りなかったし、本当にどうしてこんなことになっちゃったのかさっぱりなんだ。で、あたしだけはトラックに残ることになったんだけど、みんなは他のところに転属になっちゃって……」

「それで、鳥海さんはどこに?」

「さあ……みんなの転属先は知らされなかった。多分他のみんなも、誰がどこに行ったか知らされてないと思う」

「……まるで何かやらかして処分されたみたいだな」

 

 摩耶は腕を組んでそう言った。天龍も大きなため息を最後に静かになって、壁に自分の背を預ける。しかしその剃刀のように鋭い目から、天龍が釈然としていないのは明らかだった。黙りこくった天龍に代わって、摩耶が加古に話しかける。

 

「それで加古も、今となってはこんなことしてるってわけか」

「うん。上からは大した任務も任せられなくなっちゃったから。何か別のことして稼がないといけなくて」

 

 加古は畳の上の帽子を手にとり、指でくるくると皿回しのように回しながら明るい声で続けた。

 

「まあ、あたしもなんだかこの気楽な稼業が合ってるような気がしてるしね。戦艦から怒鳴られることもないし、駆逐艦に侮られることもないし。ときどき荷物の酒でもくすねて輸送船連中とも大騒ぎなんかやったりして。戦闘艦やってるよりはるかに気楽なもんだよ」

「なるほどな。お前らしいぜ」

「でしょ……」

 

 摩耶の返事を聞いた加古は、先ほどまでのはにかんだような笑顔はどこへやら、目線を落として答える。その様子は期待はずれの返事を聞いたときのようだった。加古は左腕の時計を見ると、残りの焼酎を一気に飲み干した。

 

「もうそろそろ行くよ。あまり仕事から離れててもみんなに申し訳ないからさ」

「おう、元気でな」

「楽しかったよ摩耶。また会ったときは一緒に飲もうよ。天龍も元気でね」

「うん」

 

 座敷を立って靴をはきかけた加古に、天龍は小さく返事をした。そして加古は帽子をかぶりなおしながら、カウンターをはさんで反対の厨房でずっと一連の話を聞いていた鳳翔にも声をかける。

 

「鳳翔さん、お代ですけど……」

「いいですよ。また来てくださいね」

「どうも……それでは」

 

 それだけ言い残して、加古はガラガラ鳴り響く引き戸の音とともに店の外に去っていった。

 加古がいなくなって、店内は急に静かになった。

 

 摩耶は肘をついて、ぼんやりと天井の隅を見つめていた。天龍も左手で髪を握るように頭を抱えてたが、思わず小さく言葉をもらす。

 

「くっそ……あんなこと聞かなきゃよかったな」

「今更言ったって、どうしようもねえよ」

 

 そう言うと、摩耶はそのまま天龍に尋ねた。

 

「天龍、第八艦隊じゃ、加古はどうだった?」

「よく俺と組んで真っ先に敵陣に突っこんでいってたっけな。鳥海さんの指示で一緒に斬りこんで、敵の気を引いたり、先に頭数を減らしたり。それなりに活躍はしていたぜ」

「そっか……じゃあただのボンクラだったってわけでもなさそうだな。単に自信を無くしてるだけか」

「そうかもしれませんね……」

 

 摩耶が言ったのに続いて、口を挟んだのは鳳翔だった。鳳翔もずっと、摩耶と加古との会話を聞いていて何か思うところがあったのだろう。

 

「もっと言えば、あの子は自分の居場所を見失っているんでしょう。一応、今は輸送隊に自分の居場所を見つけているみたいですが……でも摩耶ちゃんに会って気持ちが揺らいだかのようにも、私には見えたわ」

 

 鳳翔の言葉を聞いて、天龍はすがるように摩耶に話しかけた。

 

「なあ摩耶、なんとかならねえのかよ。加古のやつ、このままじゃこの先ずっと、重巡洋艦として生きられないぜ」

「でもさ、あたしはあいつが満足してんなら、それでいいと思うんだよな。あたしらがどうこう言うことじゃねえよ」

「それはそうだけどよ……」

 

 天龍は天井を見上げて、小さくつぶやいた。

 

「ただ俺は、加古ともう一回一緒に戦いたいんだ」

 

 摩耶は肘をついたまま、何も答えなかった。しばらく黙っていた摩耶だったが、突然思い出したように天龍に尋ねた。

  

「そういえばお前、加古との話のときさ、やけに鳥海にこだわってたな」

「ああ。俺さ、いつか鳥海さんをあんたに会わせようって考えてたんだ。任務かなんかでトラックに行ったときにでも会えるかと思ったけど……これでまた、一から探さなきゃいけねえな」

「ありがとな、でも別に急がなくてもいいぜ。会うべき時が来たら、その時に会うさ」

 

 摩耶はため息まじりに言ったが、天龍はうなずきさえもしなかった。

 

 その時ふと、摩耶の記憶の片隅から、忘れていた加古との思い出がよみがえった。さっきまでさんざん話してきた、神戸での思い出じゃない。

 呉鎮守府の近く、江田島の兵学校での記憶だ。

 

 その日、摩耶は加古と一緒に、呉の港を見下ろす古鷹山に来ていた。山頂付近からは江田島や呉の港が一望できる。ところどころに作られたカキの養殖の生簀。演習や警備に向かう艦娘の姿。この日は晴れていたが風が強く、山の斜面の一面に生えていたエノコログサの穂を大きく揺らしていた。

 『古鷹』とは、偶然にも加古の姉妹艦と同じ名前であった。加古は以前、古鷹に会ったことがあるらしく、彼女のことについて話しているうちに話題は摩耶のことに移った。

 

「……実は明日さ、あたしも妹に会うことになってんだ」

 

 摩耶は得意げに加古に話した。それを聞いた加古は一瞬目を輝かせると、からかうように返した。

 

「へぇ~、摩耶にも妹がねぇ……」

「なんだよっニヤニヤしやがって。おかしいか?」

 

 摩耶が笑うと、加古は摩耶を応援するようにその両肩に手を置いて、笑いながら言った。

 

「いや、摩耶なら大丈夫だよ。きっとうまくやっていけるって!あたしが保証するから!」

「フフッ、なんだよそれ。まあ、ありがとな」

 

 摩耶はそう言って、加古とふたりで笑った。

 そんなやりとりをした日を最後に、ふたりは今日まで顔を合わせることはなかった。

 

 でもどうして加古のやつ、あのときあんなこと言ったんだろうな。

 あたしが不安なんだと思って、加古も加古なりに心配してくれていたのかな。こっちは心配どころか、むしろワクワクしてたってのによ。

 

 摩耶はなつかしげに目を細めると、座敷から降りてそのまま店を後にした。

 

 

 

 

 

 その頃、倉庫に戻った加古は他の輸送艦たちと合流した。

 しかし皆どうも焦った様子で、艤装を整えながら倉庫から出てくる。どうしたんだろう、と考えていた加古を、輸送隊の旗艦・ミドリが出迎えた。

 

「おかえり、今迎えに行こうと思ってて……」

「何かあったんですか?」

「いましがたトラックから、すぐ戻ってこいって連絡が入ってね。急にソロモンまで運んでほしいものが出来たんだってさ。カコちゃんも準備して」

「なるほど……でも護衛艦はどこです?」

「予定していた艦隊がまだ戻ってないんだってさ。でも途中の海域でアメリカ艦の護衛と合流する手はずだから、それまでの辛抱よ」

「へえ……」

「ほらぐずぐずしない、早く!」

「はい!」

 

 ミドリに急かされた加古はすぐさま倉庫脇の棚から、輸送艦の艤装を手にした。輸送艦の艤装で最も特徴的なものは、肩から下げられた大きなバッグであった。大きく数のある荷物は専用の艀などで運ぶのだが、小さ目の荷物はこれらの艤装の中に入れることも多い。任務や輸送艦娘の好みによってデザインはそれぞれであり、なかにはバッグに派手な絵を描いたりアクセサリーで飾りつける者もいた。

 ちなみに加古のバッグは、長波の注文でアイスキャンディーを運んでいたせいか、少々大き目のクーラーボックスだった。

 加古がそのクーラーボックスを背負うと、中は普段よりも少々重かった。何かトラックに持っていくものがあるのかもしれない。

 

「全員、出発!」

 

 加古が準備を終え、埠頭から海にでるとすぐ艦隊は出発した。

 

 

 

 トラック泊地へと続く海は天気晴朗にして波低し、まさに航海日和であった。順調に行けば、日没すぎには中継地点のサイパンに着くだろう。トラック行は急ぎの用ではあるものの、他の輸送艦たちはその陽気のせいもあってか、皆まるで遊びに行くかのように楽しげに話し合っている。

 そんな輸送艦たちの複縦陣の、右列の中ほどに加古はいた。薄く赤いその顔で大あくびをするさまは、とても輸送任務につく艦娘とは思えない。

 ようやく酔いも冷めてきたかなぁ……。そんなことを考えながら水筒の水をあおると、加古は帽子のつば越しに青い空を見上げて、己が生き方に思いをはせた。

 

 加古には、戦果を挙げて昇進しようという気持ちも、秘書艦になろうという思いもなかった。加古はただ、一隻の戦闘艦として深海棲艦と戦えればそれでよかった。多くの艦娘がそんな彼女を『夢のない生き方』だと笑ったが、それが重巡洋艦・加古というひとりの艦娘にもっとも合った生き方に間違いなかった。

 事実、第八艦隊で加古はその生き方を貫き通すことができた。戦場で真っ先に斬りこむいい意味での無鉄砲さを古鷹や鳥海は認め、海戦の火ぶたを切る際には加古を重用してくれた。その戦いぶりは、指揮などといういうものからは無縁のものであった。

 だが、第八艦隊の解散後、その生き方は許されなくなった。

 加古は突然、水雷戦隊の旗艦に任ぜられた。理由は『加古が重巡洋艦である』こと、ただそれだけだった。随伴艦の指揮や旗艦としての業務など殆どしたことのない加古は、当然のことながら『水雷戦隊旗艦』という肩書をもてあました。それでも加古は罵倒と嘲笑の中で、自分なりに艦隊旗艦としてあろうと試みた。しかし結果は惨憺たるものに終わり、加古は役立たずのレッテルを貼られ、そのまま予備役へと追いやられた。

 加古は自分の生き方を変えられなかった。

 そしてこれまでの生き方にもこれからの生き方にも自信の持てぬままに、今では輸送艦に身をやつしていたのだった。

 

 それでもなんとか生きられるだけ、生きてみようかな。

 

 加古がもう何度となく繰り返してきた言葉を唱えた、その時だった。

 左舷側から耳をつんざくような音が聞こえ、加古の意識は現実へと引き戻された。

 

 耳鳴りの続く左耳を押さえながら、加古は左舷後方に振り向いた。左列の後ろでつい今まで料理の話をしてゲラゲラ笑っていた輸送艦は姿形もなく、ぽっかりと空いた一人分の空間だけが、ただそこに確かに誰かいたことを示していた。そして真後ろではまさに『その瞬間』を目の当たりにしたのか、別の輸送艦が顔をひきつらせたまま石のように固まっている。

 

「七時の方向、敵艦隊見ゆ!」

 

 耳鳴りが止んだその直後に、左列最後尾の輸送艦からの報告が聞こえてきた。加古もその方角に目を向けると、そう遠くない海上に数体の深海棲艦らしき影が見えた。この任務に就いて、加古ははじめて敵と遭遇することになった。以前であれば軽く相手できる程度の敵だろうが、今回はそうはいかない。

 

「全員、発煙筒用意!」

 

 ミドリの命令と同時に、他の輸送艦は一斉に艤装のかばんから缶詰のようなものを取り出す。この缶がこそ発煙筒である。これは煙幕を張り、艦隊を包みこむことで敵弾の命中率を下げるために有効なものであった。

 事実、太平洋戦争中のサマール沖海戦では米艦隊が帝国海軍に接触した際に使用し、被害を最小限に食い止めた例がある。しかし敵に強力な電探が備わっている場合には当然ほとんど効果はなく、艦娘によってはただの気休めに過ぎないなんて言う者もいるほどだ。

 とはいえ艦隊決戦ならともかく通商破壊任務に回される深海棲艦がそこまで高度な電探を持っているとは限らない。そのためある程度は有効という考えのもと、発煙筒はすべての輸送艦に支給されていた。

 

 加古も発煙筒を取り出すため、急いで艤装のかばんを開いて中をのぞきこんだ。

 ずっしりと重かったかばんの中には、小口径砲から大口径砲までさまざまな種類の砲弾が所狭しと詰められていた。

 これを見た加古は艤装を一刻も早く海に捨ててしまいたい気持ちでいっぱいになったが、艦娘が海に浮かぶために必要不可欠な艤装を捨てるわけにもいかないので、中身を引っ掻き回して発煙筒を取り出すと、すぐさまかばんを守るように自分の腹の前に持っていった。

  発煙筒の缶の中は二段底のようになっており、底にはマッチ棒の先のような着火部と、そこに点火するための薬の塗られた擦板が納められている。

 

「煙幕噴射開始!」

 

 その号令一下、加古たちは擦板で着火部に点火する。すると全員の缶から白い煙が一斉に噴き出した。敵の砲撃で水柱が上がる中、煙幕は艦隊から尾を引くように流れ、後続の艦の姿を完全に覆い隠した。これで敵艦隊は個々の艦娘の居場所を完全に把握できなくなる。そして、煙は艦隊の動きに沿って後方へと広がった。こうすれば敵弾の命中率を少しでも下げられる。

 輸送艦たちは煙の噴き上がる発煙筒を、各々の艤装のドリンクホルダーの部分に差した。

 あとは遠方から撃ってくる敵が諦めて去っていくか、それとも煙幕が切れるのを待って確実に砲撃を食らわせてくるか、二つに一つだ。

 

 煙幕を噴射し始めて数分後、たびたび聞こえてきた砲撃音はなくなった。幸い艦隊は初撃で沈められた輸送艦以外に犠牲者はなかった。しかし煙幕で包まれている以上、敵の動きは分からない。煙幕は自らの姿を覆い隠すが、逆に旗艦以外には周りの景色もよく見えなくさせてしまうのだ。

 加古が隠しきれぬ不安の中で前の艦娘のシルエットを追いかけながら進んでいると、前方の煙幕の向こうからミドリの声が聞こえてくる。  

 

「カコちゃん、ちょっとお願いが。すこし外の様子を見てきてほしいんだけど……」

「あたしですか?」

「今はこんなことしていても、カコちゃんは本当は立派な重巡洋艦なんでしょ?私たちを助けると思って、どうか!」

 

 確かにあたしは重巡だから、まわりの輸送艦と違って一、二発くらいは耐えられるだろう。……もっとも、艤装の弾薬に当たらなければ、の話だけど。加古はどうも乗り気になれなかった。

 しかし、加古は『立派な』重巡洋艦、の言葉が頭から離れなかった。第八艦隊がなくなってからというもの、加古は一度もそのようなことを言われたことが無かった。加古は口の中で小さく、

 

「立派な重巡洋艦……」

 

 とつぶやくと、ひとり発煙筒を片手に取り舵を切り、艦隊の後方に進んでいった。この言葉は加古の勇気を呼び起こすのに十分な力をもっていた。

 加古が進んでいくうちに、目の前の白い煙幕が晴れていく。そして完全に煙幕の外に出たその時……。

 

 加古は完全に深海棲艦と目を合わせてしまった。加古が煙幕から出た目の前に、音も立てずに深海棲艦は迫っていたのだ。加古にとっては最悪の事態だった。加古はひっ、と小さく悲鳴をあげると、艦隊の煙幕の中に戻ろうと舵を切った。

 しかしそれよりも敵の方が速かった。加古の進行方向を遮るように大きな水柱が二つあがり、ひるんだ加古が振り向いたころには、すでに二隻の敵軽巡洋艦が加古を仕留めようと、狩りをする猛獣のようにこちらに向かってきていた。

 

「あっ、やっべぇ……」

 

 加古はすぐさま艦隊から離れるように全速力で逃げ出した。もしかしたら、あたしがおとりになって敵の気を引きつければ、みんな逃げられるかもしれない。ただ、それまでにあたしが無事じゃいられないかもしれないけど……。

 とめどなく繰り返される砲声におびえながらも、加古は全力で逃げ続けた。ただこんな状況にも関わらず、加古の心に不思議な爽快感がわき起こってきた。

 

 あ、そういえばあたし、こんなに全力で海の上を走ったの久しぶりかも……。

 

 普段の航行中、加古は輸送艦たちに合わせて速度を落としていた。洋上を駆け回ったのは最後に艦隊を引きつれて以来だった。

 しかし。

 

「うわぁっ、あちっ!」

 

 加古は右わき腹の下、腰のベルトのあたりに焼けるような痛みを感じた。煙を手で払うと破れた作業着の向こうに、赤くなった素肌が見えた。敵弾が革のベルトに命中したのは加古にとって幸運だっただろう。

 しかし加古が振り返ると、敵軽巡はすぐそこまで迫っていた。いくら加古が重巡とはいえ、敵軽巡の航速は加古のそれよりも速いはずだ。だがどうだろう。仕留めようと思えば魚雷でも仕留められる距離なのに、敵はそんな素振りを見せない。

 

 ちくしょう、こいつらあたしで遊んでいやがる!

 

 加古の悟った通り、敵重巡は明らかに『狩り』を楽しんでいた。抵抗する武器をもたない輸送艦を相手にして、散々いたぶってから沈めるケースは艦娘側にも深海棲艦側にも見られた。しかも加古は他の輸送艦と比べ『大物』であり、敵軽巡から見ればまたとない獲物であった。きっと延々と逃げ回らせて、疲れ切ったところを仕留めようなどと考えているのだろう。

 

 そんなことはさせないよ……いや、させてたまるかっ!

  

 だが加古が今持っているのは発煙筒と十分すぎるほどの弾薬だけなのである。その弾を撃ちだすための小口径砲の一丁も持っていないのだ。

 その時、砲撃を止めて敵軽巡がさらに速度をつめてくる。

 

 くそっ、今度は魚雷か!?

 

 加古が思った、その時。

 

「そこの発煙筒もってるお前、加古だなっ!?」

 

 輸送艦になって以来ほとんど使っていなかった加古の無線に、突然何者かの声が入った。直後、砲弾の雨が加古と敵軽巡の間に降り注ぎ、水柱をあげる。

 加古は砲弾の飛んできた方向に目を向けた。見開かれた蒼い瞳に映った、洋上に静かにたたずむその姿は……。

 

 誰でもない、摩耶と天龍のものだった。

 加古は助けを求めるとも、救援が来た嬉しさともつかぬ声で、無線に呼びかける。

  

「そうだよ!加古だよおっ!」  

「俺が行くからそこで待ってろ!それまで……おらよっ!」

 

 天龍は無線から加古に呼びかけると、艤装から何かを取り出してこちらに向かって投げた。加古がそれを取りに行こうと駆けだした瞬間、周りに何発も水柱が上がった。軽巡の砲がなおも加古の行く手を阻もうとしたのだ。

 敵の猛攻をかわしながら洋上を進む中で、加古は天龍からの贈り物が何なのか分かった。グリップのついた拳銃型の高角砲だ。このタイプの高角砲は阿武隈たち長良型がよく使っているもので、天龍もサブウェポン扱いでいつも携帯しているものだった。

 

 加古はくるくると回転しながら飛んでくる高角砲だけを一心に追いかけ続けた。真後ろの敵軽巡が撃ちだした砲弾が、何度となく身体をかすめたにもかかわらず。一直線にどこかへ向かう標的は、動きが読めるため撃つ側からは狙いやすい。煙幕がなければ、加古は確実に蜂の巣となるか、艤装に弾が命中して跡形もなく爆散していただろう。

 それでも加古は、どうしても高角砲を取らなければならなかった。

 

 これさえあればあたしは……あたしは!

 

 高角砲まで残り数メートル、加古は一心に左手を伸ばした。

 敵軽巡が遊びは終わりだとばかりに加古の頭に狙いを定め、砲を撃とうとしたその刹那。

 加古は海面スレスレの高角砲を左手の中に納めると、すぐさま舵を切って真後ろに反転し、振り向きざまに引き金をひいた。

 轟音とともに加古の撃った高角砲弾は一瞬の差で軽巡の肩を貫き、照準を狂わせた。直後に放たれた敵弾は加古の帽子を跳ね飛ばしたが、加古は気にもとめずにすぐさま高角砲を右手に持ちかえると、反撃とばかりに乱れ撃った。

 

「二、三、四、五、六、七、八!……お前がアタシに撃ってきた回数分、全部まとめてお返しするよっ!」

 

 高角砲の砲口からは加古の解き放たれた激情を表すかのように、何度も大きな爆炎が吹きあがった。

 加古の撃ちこんだ砲弾はすべて敵軽巡に着弾し、まるで火のついた爆竹を巻きつけられたかのように、その身体から次々と炎が上がった。

 加古はポニーテールを潮風にたなびかせながら、高角砲の引き金を何度も引いた。加古のかぶっていた帽子は、いつの間にか波の中に消えていた。

 

「こっちにはねぇ、弾は何発でもあるんだからね!」

 

 三十二発もの砲弾を受けてボロ雑巾のようになった軽巡に、加古はなおも高角砲を撃ちこみ続ける。すると機関にでも命中したのか、軽巡は大爆発を遂げ、海の藻屑と消えた。吹き上がる炎と煙を前にして、加古は最後に言い放った。

 

「最後の三発は、おまけッ!」

 

 眼前でその様を見ていたもう一隻の軽巡は、この様子にさぞ怯えたことだろう。ただの輸送艦と思ってなめてかかっていたら、その輸送艦が砲を手にした途端、瞬く間に何十発もの砲弾を叩きこんで無傷の軽巡を爆沈させてしまったのだから。

 まずいと思ったのか加古に背を向けたその時、敵軽巡は水柱を上げて吹き飛んだ。加古の援護に駆けつけた天龍がすかさず魚雷を撃ちこんだのだった。

 

「全弾命中か。加古、なかなかやるじゃねえか?」

「ふっふーん!見た目は輸送艦でも、腕は落ちてないからねぇ……」

 

 天龍のどこか上から目線の賞賛に、加古は得意げに西部劇のガンプレイのようにクルクル高角砲を回すと、ツナギの破れた部分からチラリと見える、インナーの代わりに腰周りに巻いている黒いサラシに突っこんだ。

 

「摩耶は?」

「できるだけ他の敵を潰してから、あとで合流するってよ」

「うん、じゃあとりあえず輸送艦の煙幕の中に隠れようか」

「おし」

 

 そう言うと天龍は、摩耶に無線で連絡をとった。

 

「摩耶、加古とは合流できたぜ。輸送艦の煙幕の中で落ちあおう」

「おう。天龍、ちゃんと加古のお守りするんだぞ」

「わかったよ」

  

 天龍が無線で摩耶とそんなやりとりをしていたその時。

 

「天龍、伏せろぉ!」

 

 叫んだ加古は、発煙筒を天龍の左後ろに投げつけ、高角砲を抜いた。

 天龍が振り向いたちょうどその時、今まさに襲い掛かろうとしていた傷だらけの敵軽巡が、缶の弾ける音とともに煙幕に包まれた。加古の撃った弾が発煙筒を撃ちぬいたのだ。

 その一瞬に、

 

「しぶてえ野郎だ!」

 

 天龍は刀を抜き、煙幕中の敵の影に横一文字に斬りつけた。白い煙幕の一部が一瞬赤紫色に染まり、影は煙幕の中に消えていった。刀を振って血糊を払い、さやに納める天龍に、加古は目を細めて話しかける。

 

「天龍、これは貸しにしとくね」

「何言ってんだ。俺がとどめを刺したんだからノーカンだろ。いくぞっ」

 

 

 

 

 

 

 こうして天龍と加古のふたりは、遠くで戦いを繰り広げる摩耶を気にしながら煙幕の中に入った。突然の煙幕内への突入は輸送艦たちを少し驚かせてしまったようだが、正体が艦娘二隻だと分かると輸送艦たちはすぐにホッとした顔に変わった。もっとも、ボロボロの加古の姿には、みんな心配しているようであった。

 とにかく加古と天龍は、艦隊の前方に向かい、ミドリと合流した。

 

「カコちゃん?帰ってこないから心配してたのよ」

「ええ。摩耶たちが来てくれたから、もう大丈夫です」

「そう、よかった……私たちはカコちゃんみたいに戦えないからね……」

 

 と、その時。煙幕の向こうから一同のもとに新しい影が現れた。この場にいた全員の間に一瞬緊張が走ったが、影の正体は摩耶だった。一同は胸をなでおろしたが、よく見ればその姿は加古と同じくらい傷だらけで、単身で深海棲艦を何隻も相手した、その戦いの激しさを物語っていた。

 

「くそったれ……あいつら増援を呼びやがった」

「何隻くらいだ?」

「巡洋艦と駆逐艦があわせて十隻ほど。たった二隻で輸送艦隊全員を守りきれるかは博打だな」

 

 摩耶は天龍に聞かれて答えると、調子を確認するように右腕の艤装をいじりはじめた。そんな摩耶に、加古は声をかける。

 

「摩耶、あたしも戦えるよ」

 

 そう聞いた摩耶がどこか訝しむような顔をしたところに、さらに天龍も続けた。

 

「ああ、加古だって十分いけるぜ。高角砲一挺で軽巡を一隻、俺の目の前で見事に片づけやがったからな」

「そっか」

 

 素っ気なく答えた摩耶の口元が、少し笑ったように見えた。

 そんな摩耶はそのまま、ミドリに尋ねる。

 

「煙幕はいつまでもつ?」

「発煙筒の予備があと一本、十五分くらいですね」

「だったら早く反撃するぞっ。あいつらあと五分もしないうちに来やがるからな」

 

 と、その時。

 

「摩耶、待って!」

 

 天龍をつれて煙幕から出ようとした摩耶を、加古は呼び止めた。

 

「ちょっと……考えがあるんだ。耳を貸して」

 

 そうして加古が自分の考えを摩耶と天龍に話していると、隊列の後ろから輸送艦の声が聞こえてきた。

 

「敵艦がこちらに、ゆっくり近づいてきます!」

「陣形は!?」

 

 返事をするように摩耶が叫ぶと、煙幕の向こうからふたたび声が。

 

「複縦陣です!」

「了解、報告サンキューな!」

 

 摩耶は声を張り上げると、ふたたび加古たちに向き直った。

 

「深く考えてるヒマはねえな。加古、その作戦で行くぞ」

 

 そう言いながら摩耶は右腕の艤装を構えると、加古の瞳を見つめ、笑いながら言った。  

 

「さあ、やってやろうぜっ」

「うん!」

 

 摩耶はひとり煙幕の中を、輸送艦の間を通って艦隊後方へと進んでいた。加古と天龍も輸送艦たちに何やら話しかけながら、少し遅れて続く。

 決戦を前にして、加古は静かに天龍に話しかける。

 

「ねえ、天龍?」

「ん?」

「こうして摩耶と一緒に戦ってるとさ、なんか第八艦隊にいた頃を思い出すなぁ」

「……ふふっ、そうだろ?」

 

 天龍の口ぶりは、まるで加古に会う前からそう思っていたかのようだった。

 

 

 

 摩耶たちは艦隊後方、煙幕の切れ目へとたどりついた。

 敵通商破壊部隊が、かなり近くの距離にまで肉薄しているのが見える。

 さらによく見れば、深海棲艦たちが摩耶たちの姿を確認したのか、次々と照準を合わせ始め、今まさに砲や魚雷を撃ちこまんとしていた。

 しかしそんな景色にいささかも臆することなく、摩耶は不敵に言い放つ。

 

「お前ら、準備はいいか?」

「ああ、いいぜ!」

「バッチリだよぉ!」

 

 摩耶の言葉に応えるように、天龍も加古も、威勢よく声をあげる。

 

「よし……やれっ!」

 

 摩耶が叫ぶと同時に、天龍と加古は大空に何かを投げた。空中に漂っている煙幕の煙が尾を引いて、それは敵艦隊めがけて飛んでいく。さらに二個三個と、天龍と加古は次々と大空に向けて投げつけていった。

 遠目にそれを見た深海棲艦たちは砲弾か爆雷か何かと思ったことだろう。しかし、そうではなかった。

 天龍と加古の投げつけたそれは、発煙筒であった。先ほど輸送艦たち全員から一つずつ、予備として持っていたものを受け取っていたのだ。

 加古は最後の発煙筒を投げ終えると、声をはりあげた。

 

「摩耶、あとは頼んだよっ!」

「おう!」

  

 摩耶は煙幕の中から姿をあらわし、通商破壊部隊の真上に機銃を向けた。

 

「さあ、始めるぜっ!」

 

 摩耶の叫びと同時に、三基九門の二五ミリ三連装機銃が一斉に火を噴いた。

 敵上空の発煙筒を次々と機銃弾が貫くと、缶が弾けてパッと噴き出た煙幕が、まるで舞台の幕が降りるように敵の頭から海面までを真っ白な煙で包み込んだ。そう、先ほど加古が敵軽巡にくらわせた目くらましの、さらに大規模なものだ。輸送艦から受け取った発煙筒が合計十本、一気に敵艦隊の上空で炸裂し、まるで霧がかかったような状態にさせてしまった。

 深海棲艦たちの照準が完全に遮られたたった数秒のうちに、摩耶たちは煙幕から飛び出した。

 

「煙幕から出てきたヤツからやれっ!」

 

 摩耶の指示に、加古、天龍はまず煙幕の中から最初に姿を見せた敵旗艦に容赦ない砲雷撃を浴びせた。反撃に出るいとまも与えない突然の一斉射撃に、最前列二隻の深海棲艦はなすすべなく火を噴き、立ちのぼる黒い爆炎で煙幕の中の視界はさらに悪くなった。

 敵艦隊の陣形は総崩れになり、反撃を仕掛けようと煙幕を出た深海棲艦から、輸送艦との間に立ちはだかる摩耶たちの砲撃を受けることになった。

 

「そこだっ!」

 

 加古は白い煙幕の中に黒い影が見えると、容赦なく砲弾を撃ちこんでいった。加古のその姿に、一切の迷いはなかった。

 摩耶と天龍も、その手助けをするように敵艦に砲撃を加える。煙幕の中から一発砲弾が飛んできたら、摩耶たちは煙幕の中に十発撃ちこんだ。摩耶と天龍は砲弾が足りなくなったら加古から受け取り、戦闘を続けた。

 

 そのうちに煙幕の中に敵の姿が見えなくなった。摩耶のそばに、加古が近づいてくる。

 

「摩耶、どうしようか?」

「油断するなよ。だまし討ちしてくるかもしれねえぞ」

 

 警戒しているふたりのもとに天龍が近づいてくると、

 

「よし、俺が見てきてやる」

 

 刀を抜きながら、煙幕の中に入っていった。

 そして、しばらくして煙幕が晴れると――。

 

 中から現れたのは、期待はずれの顔をした天龍だけだった。その姿を見てようやく、摩耶と加古はホッとした顔を見せた。

 

 結局摩耶たちはこの戦法で、確認しただけで軽巡一隻、駆逐艦二杯を沈めた。それ以外の敵艦も多くが中大破し、煙にまぎれてほうほうの体で撤退したようだ。普段ならまずまずの戦果であるが、こちらも手負いで、装備も十分でないことを考えれば大戦果であった。

 加古のアイディアと摩耶のスキル、そして天龍の勇猛さ、全てがあってこそ手にできた勝利だった。

 

 戦いを終えた摩耶たちは輸送艦たちの後方から近づき、ミドリに敵を追い払ったことを伝えた。ミドリはホッと胸をなでおろし、摩耶たちに敬礼をした。

 

「どうも、ありがとうございます」

「なに、これがあたしらの任務さ。合流地点は?」

「もう少し南でアメリカの水雷戦隊が待っていてくれているはずです。それまで護衛の方は、どうかお頼み申します」

「おう、あたしらに任せときな」

 

 摩耶が自信満々に答えると、ミドリは摩耶のすぐ隣の加古にも声をかける。

 

「カコちゃんもトラックまで、よろしくね」

「は、はい!」

 

 加古は自信たっぷりに元気よく答えた。

 

 

 

 

 

 洋上を進む輸送艦隊をはさむように、前方に天龍、しんがりに加古がついている。摩耶はふたりの間を行ったり来たりしながら、まわりの海域に目を光らせていた。襲撃があったこともあって最初はみな緊張の糸を張りめぐらせていたが、しばらく航行しているとそれもほぐれてきたのか、天龍は輸送艦たちと世間話をはじめていた。

 そして加古も、摩耶が何度目かに見張りに来た時に、居酒屋鳳翔での続きをしようと話しかけた。しばらく話してから、加古は少し気になっていたことを摩耶に聞くことにした。

 

「……それにしても、どうして摩耶たちがあたしたちを助けに来てくれたの?」

「司令部の足柄のとこに行ったら、護衛もつけずに海に出た輸送艦隊がいるって聞いたんだ。それがお前らだったから、守ってやんないとって思ってソッコーで駆けつけてやったのさ」

「そうだったんだ……ありがとう」

 

 と加古は言うと、何かに気づいたかのように続けた。

 

「そういえば、あの泊地に足柄もいたんだ」

「ああ、しかも泊地指揮艦だぜ。会わせてやればよかったかなぁ?」

「いや、いいよ。あたしのこんな姿、安心して見せられるのは摩耶だけだもん」

 

 神戸にいた頃、加古と足柄は決して仲が悪いわけでもなかった。だがそんな加古の発言を考えると、どこか摩耶を特別視しているのは確かだった。摩耶は口に出さないまでも、それを素直に嬉しく思った。そんな思いが通じたのか、摩耶と加古はふたりして笑った。

 その時、前方を見張っていた天龍の声が聞こえる。

 

「十一時方向、艦影発見。星条旗……アメリカの艦娘だ!」

「全艦、十一時方向に針路をとれ!」

 

 輸送艦の旗艦が指示を飛ばすと、天龍はアメリカ艦に連絡を取り始めた。通信がつながると、遠くの影が手を振った。両艦隊の距離はしだいに狭まっていき、数分後には輸送艦隊は無事、サイパン沖で米水雷戦隊と合流をとげた。

 高角砲を手にした加古の姿に、アメリカの艦娘たちも「やけに立派な輸送艦だなぁ」と驚いていた。

 

 そのころにはすでに西日が傾き、海面に影が長く伸びていた。早くしないと、輸送艦隊も摩耶たちも夜遅くに着くことになってしまう。

 いよいよ出発となったその時、加古は摩耶たちに声をかけた。

 

「摩耶、本当にありがとう。天龍も、これありがとね」

 

 加古は高角砲のグリップを天龍に向けて渡す。しかし天龍はポケットに手を突っこんだまま受け取らない。

 

「次会ったときでいいよ。これが無かったらお前、誰がトラックまでみんなを守っていくんだよ」

「あっ、そっか……」

 

 そんなとぼけたような加古に、摩耶はクスリと笑うと、ずっと言おうと思っていたことをようやく口にした。

 

「加古、もし何だったら、あたしらの艦隊に来なよ」

「えっ?そんな、いいの?」

「あたしらの泊地は、もともとどうしようもない連中の集まりだったんだ。どうしようもないヤツが一隻くらい増えたところで、どうってことはねえさ。それにお前は、やっぱり海で戦う方が似合ってるぜ」

 

 摩耶は加古の瞳を見つめ、優しく微笑んだ。加古も答えるように、何度も小さく頷く。

 

「うん、うん……あたし、トラックに戻ったらそう掛け合ってみるよ」

「おう、待ってるぜ」

 

 そう言って、摩耶は加古の両肩に手を置いた。あのとき古鷹山で、加古が自分の肩に手を置いてくれたように。

 

 そのやりとりを最後に、加古たち輸送船団はサイパンへと旅立っていった。

 傾きかけた陽の中を水平線の彼方へと去っていく船団を、摩耶と天龍はじっと眺めていた。

 

 もしもこれが最後の出会いだったとしても、加古は大丈夫だろう。摩耶はそう思った。

 だって、あたしたちは昔から、ずっと一緒だったってこと、あいつもあたしも思い出したんだからな。

 

「なあ、摩耶?」

 

 その時、突然天龍が、静かに摩耶に声をかけてきた。摩耶は落ち着いた声で天龍に返す。

 

「どうした?」

「もし、今日の加古みたいにさ、いつか鳥海さんに会えることになったら、そのときは……一緒に行こうな」

 

 突然の天龍のことばに、摩耶は少しだけドキリとした。同時に、加古があのとき言ってくれたことが、頭にちらつく。

 

『摩耶なら大丈夫だよ。きっとうまくやっていけるって!あたしが保証するから!』

 

 しかし摩耶は、小さくため息をついて、天龍に言い返した。

 

「ああ、でも、あいつが果たして会いたがってるかどうか、だな」

「はぁ?」

「ま、いいさ。帰るぞっ」

 

 摩耶はそれだけ言うと、回れ右をして針路を北に向けた。摩耶はそんな自分の後姿を天龍が静かに見つめていたことに、気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 そんなことがあってからひと月が立った、ある夏の暑い日のこと。

 

 摩耶と天龍は長波の店で貰ったアイスキャンディーを舐めながら、主計科への注文から帰ってきた。

 そして居酒屋鳳翔の店先に差し掛かったその時、ふたりの耳に突然明るい声が飛びこんできた。

 

「あっ、ずるーい!いいなぁ摩耶と天龍ばっかりぃ……!」

「なんだ、まだ水撒き終わってないのかよっ」

「ずっとやってたよぉ!でも柄杓でやってるから、撒いても撒いても乾くんだもん……それよりあたしの分もアイス、あるんだよね?」

「あるにはあるけどさ……天龍、どうする?早くしねえとこいつのアイス溶けちまうぜ」

「よし、オレが手伝ってやるか!」

「そんな、バケツごと持ったら……」

「おらっ!」

「うわあっ!冷たっ……!」

「ハハハッ、やりやがったな天龍!あたしだって!」

「ちょっと摩耶まで……てかそのホースどこから持ってきたのぉ!?」

 

 居酒屋鳳翔の周りは、これまで以上に賑やかになっていた。

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