年も明け、寒さが一段と厳しくなってきた二月の頃。
高雄たち第四戦隊は警戒任務から帰投し、呉の港へと戻ろうとしていた。呉では、週に数回当番制で瀬戸内海周辺の警戒を行っており、この日は第四戦隊の当番の日であった。
この日高雄たちは敵深海棲艦と遭遇することはなかったが、摩耶はずっと真っ先に敵に斬りこみ、戦果を挙げようと考えていた。こういった敵撃破数は報告書にまとめられて上層部へと提出される。もしかしたら、撃破数も艦隊旗艦に選ばれる時の基準になっているのではないか、というのが摩耶の読みだった。
ここで彼女たち艦娘と戦いを繰り広げている、『深海棲艦』について説明をしておこう。
『深海棲艦』とはその名の通り、深海を住処とする正体不明の艦艇群である。その姿は魚のような形から人間のような形までさまざまであり、大半はその身に『砲』などの艤装を備えていた。これらの『深海棲艦』は二十年前、突如として船舶や沿岸地域を襲い始めたのであるが、その目的はおろか正体さえ不明のままであった。
一説によれば『深海棲艦』は海底資源のエネルギーをもとに急激な進化を遂げた生物で、更なる進化を求めて日本近海のメタンハイドレートや地上の資源を狙い始めたのではないかといわれている。また、かつての軍艦の生まれ変わりである、艦娘の出現とも関わりがあるのではないかとも噂されている。
呉の港が見えてきたこともあってか一息ついた摩耶は、海上はるか彼方に自分たちとすれ違うように港を離れる大艦隊を見つけた。摩耶は単縦陣から外れ、旗艦の高雄のそばに寄った。
「姉貴、あそこの艦隊見えるか?あいつらこんな時間からどこ行くんだろうな」
「確か今日先遣隊として、別の泊地や鎮守府に移る子たちが呉を出るって聞いたわ。たぶん、あれが横須賀に行く子たちで、こっちの数が多いのが佐世保か南方に行く子たちね」
「そっか。いつかはあたしたちも、あんな感じで呉の港を出るんだろうなぁ……」
ちょっと聞いただけでは、呉鎮守府への郷愁を感じさせるような言葉である。しかしそのさりげない一言には、摩耶の確かな熱意がこめられていた。いつか来る未来への、大きな希望があった。高雄はそんな摩耶の思いを感じ取ったのか、微笑みかけながらゆっくりと頷いた。
ちなみに彼女たち艦娘の間では、北方のアリューシャン列島やソロモン諸島などの南洋海域、西方のカレー洋など、海外艦と共同戦線を張っている最前線海域に配属されることが栄誉となっていた。逆に鎮守府以外の国内の島に配属された艦娘たちは、それらの艦娘に比べて一段劣った見方をされていた。ただしそれはあくまでうわべだけのもので、艦娘の実力を反映するものでは決してなかった。
上陸した高雄たちは司令部に帰還報告をしに向かった。ノックをし、部屋に入った彼女たちを出迎えたのは、呉鎮守府の提督と秘書艦の陸奥だった。呉の提督は細身で若々しいが、どこにでもいそうな顔立ちをしていた。しかしその折り目正しい態度やもの静かな佇まいからは、どこか不思議な美しさを感じさせるような男だった。本人は幼い頃に日本舞踊を習っていた、と語っていたが、その真相は分からない。
「お帰りなさい、ご苦労様ね」
陸奥がもう何十回目となるねぎらいの言葉を高雄たちにかける。続いて、高雄は同じくこれで何十回目となる報告をした。いつもであれば、これで任務完了し解散、となるはずであった。
「ところで、今日君たちに伝えておきたいことがある。手を下げていいよ」
敬礼をする高雄たちに提督は独特の深い響きのある声で言うと、そのまま続けた。
「先日、大本営がアメリカやドイツと共同しての戦線の拡大を決めた。それに新造艦も増えたため、この度新しい艦隊を編成することになった。これらの新編成の艦隊は、近々最前線の南方海域に送られる予定になっている」
高雄たち一同の間に、ある種の緊張が走った。高雄も愛宕も摩耶も鳥海も、多少の差はあれど皆神妙な面持ちで提督を見つめている。
この後に提督が何を言うかは、この場の全員がほぼ完璧に予想していた。
「そこで君たちのうちから一人が、この春から新しく艦隊を率いることが決まったのだが、その旗艦を……」
と言うと、提督は一間置いた。
「……鳥海。君にお願いしたい」
鳥海はそう告げられ息が詰まる思いがした。思わず、
「えっ、わっ、わたしが、ですか!?」
上ずった声で返してしまった。
提督の優しい頷きと周りからの視線が、鳥海をさらに戸惑わせた。この場の高雄型姉妹は皆、驚きの表情を隠せずにいたが、一番驚いていたのは鳥海自身だった。まさか自分が選ばれるなど思いもしなかった。それが鳥海の、素直な思いだった。
鳥海は高雄と愛宕の顔を交互に見た。目が合うと、高雄は何も言わず小さく頷いた。優しいその顔を見ただけで、鳥海の気持ちは不思議と落ち着いていった。
ゆっくりと長く息をついた鳥海は、意を決したように再び提督に目を向けた。そしてその落ち着いた瞳をじっと見つめ、
「了解しました。……鳥海、精一杯務めさせていただきます!」
敬礼とともに言い切ったその時、提督や陸奥、姉たちの拍手が鳥海を包んだ。その顔は勇ましくあったが、どこか不安の色を拭い去れずにいた。それに気づいたのか、高雄は鳥海のそばに寄ると、その手を優しく握った。
しかし。この場にいたもう一人の少女の困惑は、誰の目にも留められることはなかった。
その日の夜。
第四艦隊は呉鎮守府内の居酒屋にいた。もちろん、鳥海の旗艦昇進を祝う酒宴のためである。
店の奥の席で、高雄と鳥海、愛宕と摩耶がそれぞれ隣同士に座り、テーブルを挟んで向かい合っている。
「先越されちゃったわね……頑張ってね、応援してるわ!」
「なにか分からなかったり、不安に思うことがあったらいつでも私に聞いてね」
鳥海は愛宕や高雄の嬉しそうな言葉にも頷いただけだった。鳥海はただ、摩耶のことだけを気にしていた。自分が艦隊を持つことを、摩耶がどう思っているかがずっと気になっていた。
摩耶はいつも姉妹艦同士で飲みに行くときと同じように、ほろ酔い気分で気持ち良さ気であった。そんな様子に不安も薄れたのか、鳥海はそれとなく摩耶に聞いてみた。それでもどこか不安げな鳥海の言葉を聞いた摩耶は、
「まあ、お前の頑張りが認められた、って訳だからな。なにか助けてほしいことがあったら、言ってくれればいつでも助けに行くぜっ!」
と、普段と変わらぬ調子だった。鳥海はそれが嬉しかったのか、いつも通り笑いながら、ありがとう、と言った。しかし摩耶はそんな鳥海の思いを知らないかのように、静かに続けた。
「でもさぁ、鳥海が選ばれたんなら、あたしだって、すぐに選ばれるんじゃないかな。なあ!」
高雄はそうね、とだけ言った。鳥海は何も言わなかった。そのまま俯いてしまった鳥海に代わり、愛宕が摩耶に返事をする。
「んもう、鳥海に続いて摩耶も行っちゃたら、私ちょっとさみしくなっちゃうかも」
「ハハッ、わりいわりい。さあ、今夜は飲むぞ、いっぱい飲むぞっ!頼むぜ姉貴!」
「ええ、私もとことんつきあってあげるわ!」
愛宕はそう言うと、摩耶のお猪口に酒を注ぎ始めた。そんな楽しそうに騒ぐ二人の様子を見て笑っている高雄に、姉さん、と鳥海は静かに話しかけた。
鳥海がずっと気にしていたことを聞いてみたのだ。
高雄は騒ぎ声の中、鳥海の言葉に耳を傾けると、鳥海の瞳を見つめて励ますように答えた。
「摩耶は大丈夫。あの子にだって十分、艦隊旗艦になる力はあるわ。それは鳥海、あなたが一番知ってるはずでしょ?だから心配せずに、あなたはあなたの進みたい道に進んでいけばいいのよ」
そう聞くと鳥海は、顔を真っ赤に染めた摩耶を見つめた。摩耶の瞳が潤んでいるのに気づいて、それがお酒のせいだけじゃないような気がした。