この日、呉鎮守府の沖合では壮絶な撃ちあいが繰り広げられていた。
駆逐艦五杯が、追いすがるように一隻の重巡の後についている。そして両者の間にはとめどなく砲撃音と硝煙が流れていく。
駆逐艦たちは陣形を保ちつつ、追撃を続けている。
その時、追われる重巡が突如、このままじゃ面白くないというかのように反転し、駆逐艦たちに向かって突っ込んできた。
「覚悟しなお前ら!行くぜっ!」
重巡洋艦・摩耶はそう叫ぶと、両腕の砲を撃ちまくりながら、駆逐艦たちの列を突っ切っていった。
列は総崩れになり、一対五の大混戦が始まったその時。
港一帯にチャイムが鳴り響いた。演習終了の合図だ。
「よし、そこまで!お前ら、弾は何発当たった?」
「三発です!」
「二発!」
「五発です……」
駆逐艦たちが、それぞれ自分の艤装に模擬弾が命中した回数をそれぞれ言っていく。一通り全員言い終わったところで、
「なんだ、お前らだらしねえなあ」
「なら摩耶さんはどうだったんですか?」
「あたしは……」
摩耶はにっこり笑って答えた。
「十八発だ」
四月に入り鳥海が第四艦隊を離れてから、摩耶の日常は大きく変化した。
摩耶は警備や任務での欠員の穴埋めから、演習での駆逐艦の相手まで、様々な役目を自ら引き受けていった。そうすれば自分の成長にもつながる上、点数を稼ぐことで艦隊旗艦に選ばれる可能性が増えるかもしれない。そう摩耶は考えたのだった。
駆逐艦との演習を終えた摩耶は、そのまま鎮守府内の格技場へと向かった。
「鍛練」のためである。
「鍛練」とは、艤装をつけて海上で行う演習とは違い、艦娘自身の身体づくりを目的とするプログラムであった。各艦娘がそれぞれ体操、柔道、弓道などのスポーツから一つ選択し、活動を行うものだ。摩耶はこのプログラムでは柔道を選択していた。ちなみに、他の高雄型姉妹はいずれも体操を選んでいる。
もともと体を動かすことが好きだった摩耶は、これまで以上に柔道に力を入れた。
そして摩耶はこの「鍛練」の場で貴重な出会いをしていた。
「……制空も取れるんだ。そこが晴嵐とは違うところだぞ」
「は、はあ……」
摩耶は鍛練の後、ボブカットの艦娘とともに食堂に来ていた。どこか静かで落ち着いた話し方の彼女が、航空戦艦・日向である。彼女も摩耶と同じく、鍛練では柔道を選んでいた。
日向の姉は伊勢という戦艦で、摩耶とは同じ神戸生まれだった。摩耶が伊勢を知っていたことから付き合いがはじまり、摩耶は鍛練の時間以外でも彼女から対空戦闘の指導を受けていた。
その演習は実際、摩耶にとってかなり実のあるものであった。が。
「速さを増すために、機体の線がこれまでの飛行機に比べて細いんだ。さらにここ、フロートの支柱にはダイブブレーキがあるんだが、これは世界で初めての技術なんだぞ。この細身の体で素早く飛びまわり、敵に急降下爆撃を仕掛けるんだ。しかも……」
訓練が終わると、瑞雲が大好きな彼女の瑞雲談義を、ずっと聞く必要があったのである。
日向は自分の実際に運用している瑞雲を片手に、瑞雲についての話をしてくれるのだった。時折対空戦闘や航空戦の話をすることもあったが、九割は瑞雲の話であった。
出会ったはじめはなかなか面白い、と聞いていた摩耶だったが、ネタが切れると一周回って前に聞いた話をまたするので、今では授業料と割り切って適当なところで切り上げるようにしていた。
「私の六三四隊の瑞雲は訓練を積んでいるからな……」
「あ、そうだ、あたし午後からちょっと行かなきゃいけないところがあって……」
「そうか……なら仕方がない。また次の鍛錬の時間にな」
おおかた話を聞けば、引き留めることなく放してくれるのが日向のおおらかなところであった。
高雄が第四艦隊の待機部屋で資料の整理をしていると、摩耶がたくさんの分厚い本を抱えて帰ってきた。
高雄はその様子を見て、
「重そうね……なんなのこれ?」
「ああ、図書館から持ってきた戦術書だよ」
それを聞いた高雄は、以前摩耶に「艦隊旗艦になるなら文武両道に務めたらどうかしら」とアドバイスしたことを思い出した。
どうやら摩耶はそのアドバイスをそのまま実践しようとしているようだった。
高雄はそんな分厚い本より兵学校時代の教科書から読み直した方がいいんじゃないかしら、と思ったが、摩耶は
「よーし、やってやるぞっ!」
と、相当やる気になっていたようなので何も言わないことにした。
摩耶はそういうことを言われると、とたんにやる気をなくすタイプだった。特に勉強に関しては。
最初はカステラのように分厚い本をじっくりと読み進めていた摩耶だったが、高雄がふと気づいた頃には摩耶は本をほっぽり出してどこかに出かけてしまっていた。
結局夕方になってようやく帰ってきた摩耶は、高雄にあっけらかんとして、
「だって……こんなに天気がいいのに、遊びに行かないなんておかしいだろ?」と言った。
結局、戦術の勉強は一日一回、高雄が空いている時間に教えることになった。しかし勉強中の摩耶の様子を見た限りでは、基本を一通り学び直すだけでもかなり時間がかかりそうだ。
このように、今まで摩耶が鳥海と過ごしていた間の時間は、摩耶の成長への時間に変わっていったのだった。
一日中鍛えて学んで遊んで疲れ果てた摩耶は、消灯時間よりも前に真っ先に眠ってしまった。
どこか満ち足りたような摩耶の寝顔を、高雄と愛宕は眺めている。
「摩耶、最近頑張ってるわね。もしかしたら旗艦になるのもそう遠くないかも」
「そうかしら……」
「高雄、何か気になるの?」
高雄は幸せそうな摩耶の寝顔を見て、悲しげに頷いた。
「摩耶はもしかしたら、寂しさを紛らわそうとしているのかも」
眠る摩耶の顔は、誰もいない寝台の方を向いていた。つい数日前まで、鳥海の眠っていた寝台だった。消灯後にも鳥海とふたりして、こっそり小声でおしゃべりをしていた時の癖が、まだぬけていないようだった。
「明日までに書き直してきて頂戴」
「は、はい、かしこまりました。申し訳ございませんでした」
「お願いよ。半年も経ってるんだから、もっとしっかりしてくれなきゃ」
「以後このようなことのないように努めます。失礼します」
陸奥とのそんなやりとりの後、鳥海は部屋を後にした。昨晩から明け方まで、殆んど夜を徹して書き上げた演習時の戦闘詳報に、一部不備が見つかったのだ。旗艦の仕事は忙しい。随伴艦の世話に、演習の準備、各種書類の提出。慣れない間は、これらの業務で一日はすぐに過ぎ去ってしまう。
演習の申請に、艤装の手入れ、書類の直し……
赤レンガ造りの倉庫街を歩く鳥海の脳内で、やるべきことがぐるぐると渦を巻いていた。全て頭の中で分かっていても、どうにも手がつかない。どの手順でやればいいのかも分からなくなっていた。
鳥海が俯いていた顔をあげたその時。
「摩耶……?」
鳥海の口から、思わず言葉がこぼれた。摩耶は鍛練の時間を終え、宿舎へと戻ろうとしていた。自分の艦隊を持ってから、半年がすぎて初めてかけた声だった。夏が過ぎ、いつしか二人の間に枯葉が舞いかけていた、そんな季節だった。
このころになると、摩耶も訓練づけの毎日に慣れてきていた。艦隊旗艦なり、南方への転属なりの連絡が来ることはなかったものの、高雄と愛宕から「大きな結果は、半年やそこらじゃ出ないわ。早くても一年ね。がんばっていきましょ」という励ましを受けて、日々訓練に努めていた。
「……摩耶、最近調子はどう?」
「まあ、なんとかやってるよ。しんどい時もあるけどな」
二人は倉庫街を抜けて、大通りに出る。昼過ぎなのもあってか、鎮守府全体が静かな空気に包まれていた。
「そっちはどうだ?」
「うん、自分の艦隊を持って、まとめていくのって大変。随伴艦の子たちの面倒を見たり、報告書を出したり……消灯後もひとり起きて作業をすることもあって……」
「そっか、高雄の姉貴も言ってたぜ。鳥海はえらいって。初めてだってのに姉貴の力を借りずに、旗艦の仕事を務めてるってさ」
「そんなことないわ!ときどき姉さんのところに相談だって行ってたし、うまくいかなくて悩んだりなんかもして……でも、なんとかやっていけそうな気がするわ」
鳥海が自分の艦隊でのいろいろな出来事を話しているうちに、摩耶は鳥海の姿がどこか大人びて見えた。ついこの間まで自分と一緒にいた鳥海が、今では自分よりも、姉の高雄や愛宕に近い存在であるかのように思えた。
鳥海はおそらく、摩耶とはこれまで通りのつもりで話をしているのだろう。しかし摩耶の中では、目の前の鳥海とこれまで通り接することができなかったような気がした。いや、これまで通りなのだが、どこか違う、そんなもどかしさがあった。それでも時折見せる鳥海のどこか幼げなしぐさに、摩耶はほっとするような安心感を覚えていた。摩耶の思っていた鳥海の姿が、そのしぐさのなかに垣間見えた。
「鳥海、なんだろうな……お前は強くなったよ」
「えっ?」
「あたしにはわかるんだ。前よりはずっと艦隊旗艦、って感じがしてるぜ。あたしもお前に負けないように、がんばらねえとな!」
鳥海にとっては、これが最高の励ましの言葉だった。摩耶とともに成長できる。それが鳥海の心の支えであった。いつか摩耶と一緒に夢をかなえられるその時を信じて、またがんばろうと思えるのだ。
その思いから、あらためて決意を固めたその時。
「鳥海さん」
遠くで軽巡の子が、鳥海の名を呼んだ。鳥海の艦隊の随伴艦だ。彼女は忘れずに摩耶への敬礼をすると、困ったような声で鳥海に問いかける。
「その、演習の件ですが……」
鳥海はそう聞いて、まず演習のことから片づけようと考えた。摩耶と話したおかげで、どことなく頭の中が整理されたような気がしていた。
そして鳥海は摩耶に向き直ると、
「……ごめんね摩耶、また時間あったらその時にね」
「おう、あんま無理すんなよ」
「ありがと、摩耶もがんばってね」
鳥海は部下の軽巡とともに、摩耶のもとから離れていった。何かを教えながら去っていく鳥海の後姿を、見えなくなるまで摩耶は見つめていた。
ひとりになった摩耶の心を、秋の風が通り抜けていった。と同時に、脳裏に焼き付いた鳥海の姿がほのかなあこがれとなって、ぽっと燃え、消えた。そして、ふと疑問がわきたつ。
あたしと鳥海は見た目も同じ、能力も同じ。それなのになぜ、あたしよりも先に自分の艦隊を持てたんだろう。これじゃあ、まるであたしが……
そこまで思って、摩耶は思いを振り払った。鳥海のことは素直に応援してやって、あたしは艦隊を持つためにできることをやる。それが姉貴としての、あたしの務めだろうが。ったく、そんなこと考えるなんてらしくねえぞ。
「そうさ、今度会う時は、あたしは第何々艦隊旗艦の摩耶様だ。待ってろよ鳥海、いつかお前と同じ世界で生きるんだからな」
摩耶は鳥海たちの消えた方に背を向け、ふたたび歩き始めた。