摩耶さまの名のもとに   作:ゆずた裕里

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六 宿命という名の羅針盤

「摩耶、どこにいるのかしら」

「おかしいわね。ここで待っているはずなんだけど……」

 

 観艦式から帰った艦娘たちを迎える人の波をかきわけ、愛宕と高雄は進んでいった。言葉はまるで摩耶を心配しているような口ぶりであるが、心中では一大イベントである観艦式が終わってホッとしている思いの方が強かった。

 鳥海は旗艦を務めあげたこともあり、足柄たちをはじめとする他の艦娘たちから話しかけられ、その応対に追われていた。その間に高雄たちが摩耶と合流し一緒に呉に帰るという予定を考えていた。

 

「もう、帰りはここで待っててって言ったのに……」

「きっと鳥海みたいに、昔の友達と会って話しこんでいるのよ!探すより摩耶が来るまで待った方がいいと思うわよ、高雄!」

「そうかもしれないけど……あら?」

 

 と、ふたりが喧騒の中で話していると、人ごみの中から彼女たちのもとに近づいてくる少女に気付いた。背丈は他の艦娘よりひとまわりほど小柄だったが、他の艦娘とは明らかに異なるカラスのような真っ黒な服のおかげで、逆に目立って見えた。彼女は失礼、と呼びかけながら、高雄たちの前で立ち止まると見事な敬礼をした。

 

「観艦式、ご苦労様であります。第四艦隊旗艦の高雄殿でありますか」

「そうですが……何か」

「はっ、自分は陸軍の艦娘、あきつ丸であります。火急の用につき、しばしのご同行を願いたいのでありますが……」

 

 陸軍の艦娘ということは、ここでは憲兵であることと同義語である。憲兵は、ほとんどが海軍ではなく陸軍所属の艦娘で構成されていた。海軍の艦娘同士だとトラブルが起きた際、温情や慣れあいで正しい処断が下せない可能性があるとされたのがその理由であった。

 高雄は何かいやな予感を覚えながらも、あきつ丸についていくことにした。

 

「愛宕、ここで待ってて。すぐ戻るから」

 

 そう言い残して、高雄はあきつ丸とともに人ごみから離れていった。

  

「愛宕姉さん」

 

 と、そこに鳥海が戻ってきた。

 

「その、摩耶は……」

「うーん、まだ来てないみたいね」

「そうですか……」

 

 鳥海は俯いた。観艦式の出発前に緊張のあまり摩耶をはねのけたことをずっと気にしていた。そのため鳥海は呉に帰る前に摩耶にひとこと謝っておきたいと、長崎で姉たちに言っていたのだった。

 

「摩耶のことは心配しないで、きっと大丈夫よ」

 

 そんな鳥海を見て、愛宕ははげますように声をかけた。

 

 

 

 

 憲兵の詰所にあきつ丸と向かう間、高雄は一言も話さなかった。心中では「私の姉妹艦の件でしょうか」と尋ねたい気持ちもあったが、どうにも言い出せずにいた。摩耶が留守中に何をしたのか、高雄は知らない。さらにはこうして旗艦の自分が呼び出しを受けたこともあって、何かとんでもないことが起きたのではないか、とも考えていた。

 正直なところ、真実を知るのが怖かったのである。

 

 あきつ丸は憲兵隊詰所の扉を開き、高雄に入るよう促した。高雄は覚悟を決めて大きく息を吸いこむと、開かれた扉をくぐった。

 紫煙のただよう部屋の中には、濃緑の制服に身を包んだ背の高い女が待っていた。きっとこの女も陸軍所属なのだろうが、艦娘なのかそうでないのか高雄には判断がつかなかった。ただ、艦娘だとすれば戦艦や正規空母であってもいいような体格と風格を身にまとっていた。

 

「第四艦隊旗艦、高雄。ただいま参りました」

 

 高雄がその風格に圧倒されながらも敬礼をすませたその時、ようやく高雄は自分の右手側、部屋の隅の椅子に誰かいることに気付いた。

 それこそが何を隠そう、摩耶の姿であった。しかし普段の様子はどこへやら、摩耶は椅子に座って小さくちぢこまり、目だけが高雄を見つめていた。そうして微動だにせずにいたために、憲兵の堂々たる姿に圧倒されたこともあって、実姉の高雄でさえもすぐには気づかなかったのである。

 憲兵は燻らせていた紙巻きたばこの火を消し、高雄に言葉をかけた。

 

「観艦式ご苦労であった。その者は貴女の妹に相違ないか」

「はい。私の妹に何かございましたか」

 

 憲兵の毅然とした言葉に、高雄も答えた。そして憲兵は女にしては低く通る声で事の顛末を話しはじめた。

 

「この者は商店街の飲食店で他の客に乱暴を働いたとのことで我々が連行した。殴った相手は同じ艦娘とのことで、幸い大事には至っていない。しかし鎮守府の敷地内の喧嘩ならまだしも、たびたび世話になっている商店街の店舗に迷惑をかけた、ということでこの者には罰としてまる一日の監禁を言い渡した。そしてつい先ほど、時間が来たので独房から出してきたところだ」

 

 説明を受けた高雄が摩耶を見つめると、摩耶は何も言わずに俯いた。

 

「この者に喧嘩の原因について問いただしたのだが、一向に話そうとしない。そこで姉妹艦の貴女には話すのではないかと考えて、詰所まで来てもらったのだが……どうやらそれでも話しそうにはないな。貴女には時間のある時にでも聞いてやってほしい」

「はい、この度はご迷惑をおかけしました」

「まあ、捕らえられた相手に何も話さぬという点では、戦いに赴く艦娘の鑑ではあるな。なれど戦場以外で戦いを起こすのは考えものだ。貴女はしっかりとこの者の面倒を見るように。これにてこの件は以上、ふたりともさがってよろしい」

「ありがとうございます。失礼いたします」

 

 高雄は憲兵に敬礼すると、何もせずまっすぐ外に出た摩耶に続き、部屋を後にした。

  

 

 

 

「姉貴、その……」

「大丈夫、何も言わないで」

 

 高雄は静かに優しく摩耶を制した。

 

「摩耶が突然手を出すくらいだもの、よっぽどのことをされたのね」

 

 説明がされなくても、高雄は摩耶の心情がほぼ分かっていた。摩耶が顔に出さぬとも、艦隊を持てずそのうえ外地に転属もされない摩耶が苦悩していることを高雄はよく知っていた。だがもし考えが違い、摩耶が悪意をもって相手に手を出したとしても、この言葉なら摩耶は反省してくれる、とも考えていた。

 とにかく高雄は、摩耶が元気になってくれることを第一に考えていた。

 

 しかしながら、そう言われた摩耶は突然立ち止まってしまった。

「摩耶?」高雄は振り向き声をかけた。

 俯いた摩耶は、小声ながらも心中からしぼりだすように、そして吐き捨てるように呟いた。

 

「陰口が聞こえたんだ。『演習でイキがってる雑魚』だの『観艦式に選ばれた姉妹艦が可哀想だ』だのってよ」

 

 摩耶は高雄の顔を見つめる。

 

「なあ姉貴、どうしてあたしは顔も知らねえ奴からそこまで言われなきゃいけねえんだよ。あたしが何か悪いことしたのかってんだよ……」

「……気にしちゃだめよ。私たち、摩耶を信じてるから」

 

 静かにこぼした摩耶の言葉の重さに、さすがの高雄も的確な言葉をかけられなかった。高雄は摩耶の肩に静かに手を置くと、一緒に埠頭の方角に歩き始めた。

 

 

 

 摩耶と高雄のふたりが埠頭に戻ったころには、埠頭に残る艦娘の影も次第にまばらになっていた。あたりの艦娘は大半が駄弁っているだけで、まだ合流できず相手を探しているのは愛宕と鳥海くらいだろう、というのが摩耶にも分かった。

 と、そこに……

 

「あっ、高雄と摩耶が!」

 

 愛宕が、おーい、と高い声で呼びかけながら大きく手を振っているのを、摩耶は見つけた。

 摩耶たちが愛宕のもとにつくと、愛宕は何も知らずに声をかけた。

 

「摩耶どうしたの、もしかして寝坊?」

 

 愛宕から目線をそらした摩耶の代わりに、高雄が隣から答える。

 

「神戸にいた時の友達に会って、話しこんでいるうちに時間を忘れちゃったんだって。そうよね、摩耶」

「うん……」

 

 摩耶は頷いた。考えてみれば、この一件は同じ神戸生まれの重巡、熊野と話したことにも関わりがあったのだった。高雄が言ったのはとっさのごまかしだっただろうが、その偶然は摩耶の気をさらに滅入らせた。

 

「ねえ、摩耶?」

 

 そんな摩耶に声をかけたのが鳥海だった。鳥海はじっと摩耶の顔を見つめていた。

 

「観艦式に行く前のことなんだけど、本当にごめんね。わたし緊張してたから……」

「いや、いいんだよ。いいんだいいんだ」

 

 摩耶は良く言えばあっさりと、悪く言えばぶっきらぼうに答えた。摩耶はずっと目線をそらして俯いていた。そんな摩耶をしばらく見つめていた鳥海が、意を決してまた何か言おうとした、その時。

 

『呉に向かう艦娘の皆さんは、至急申請手続きをお願いします。本日分の申請窓口は三十分後の一七〇〇時に閉まります。まだ済ませていない艦娘は早急に……』

 

 埠頭のスピーカーから、艦娘たちを急かすような放送が流れる。それはまるで祭りが終わったことを思い起こさせるように、佐世保の港に響き渡った。

 

「大変。みんな、急ぐわよ」

 

 高雄の一言で、一同は埠頭そばの窓口へと向かうことになった。

 

 摩耶は呉への海路の途中で、一言も口にすることはなかった。

 

 

 

 

 

 そして寒い季節を越えて、呉の港にも梅の香がただよいはじめた頃。

 

 黄色いペインティングを施された対空演習用の瑞雲が八機、赤く染まった呉の夕空を駆け回る。そしてそれらの瑞雲が突如、海面に向けて急降下を始めたその時、海上から飛来した弾が命中し、火を噴いて落ちていった。

 海上に落ちて飛沫をあげる瑞雲の中をかけぬけるのは摩耶の姿。ものの三十秒も経たないうちに、自分の身に襲い掛かる瑞雲を全て撃ち落としてしまった。

 摩耶が埠頭に目を向けると、日向がストップウォッチを大きく頷いたのが見えた。

 

 摩耶は佐世保から戻った翌日、演習を早朝か夕暮れ時にしたいと言った。摩耶の申し出には日向も、朝早くから演習に励むのはいいことだ、と言って、要望を受け入れた。

摩耶は佐世保の一件で、あまり他の艦娘に演習の様子を見られたくないと考えていた。しかしそのようなことは、当然日向は知るはずもない。

 

 埠頭に戻った摩耶に、日向は声をかけて出迎える。

 

「二十六秒。だいたい二十秒台で安定してきたな。休憩にしよう」

「ああ」

 

 摩耶は素っ気なく返事をすると、艤装をつけたままストレッチを始めた。

 洋上で演習をしたの姿には、演習をはじめた当初にあった闘志というか、がむしゃらな熱意というものが見られなかった。戦闘になれてきたゆえ、というのもあるが、やはり佐世保の一件が、まだ心の奥深くに引っかかっていた。

 今となっては、摩耶の心の支えは対空の能力だけだった。

 大空で艦載機を相手に戦っている時だけ、煩わしい思いを忘れることができるんだ。

 

 そんな摩耶に、日向が声をかけた。

 

「摩耶、正直なことを言うと、私としてはもう教えることはない。旗艦として艦隊を率いるには力不足だとしても、せめて内地を離れ、海外の泊地で敵の艦載機相手に戦ってほしいところだな」

「ああ、いつかはそうやって、な」

 

 摩耶が静かに答えると、さらに日向は続ける。

 

「なあ、摩耶」

「どうした?」

「最近元気がないようだが、どうかしたのか?もしかして鳥海のことが気になっているのか?」

 

 摩耶は日向の言葉に、小さくため息をつくと、少し明るく返す。 

 

「そんなことないさ。あいつとあたしは何も関係ねえよ。元気がないように見えるのは、あたしも成長して少し落ち着いてきたってことだな、ハハッ」

 

 摩耶はつとめて、辛い思いを隠そうとした。摩耶はいつのまにか、自分の弱さを隠すのが得意になっていた。

 

 と、その時……

 

「摩耶ー!」

 

 明るく高い声の聞こえた方向を振り向くと、愛宕が豊満な胸を揺らしながら全力で日向たちのもとにかけよってきた。その表情も普段よりもいっそう明るいものだった。

 二人のもとにたどりつき、はぁはぁと息を整える愛宕に、日向は話しかけた。

 

「愛宕か。どうかしたのか?」

「摩耶に、司令部への出頭連絡が入ったんです!」

「ほぉ。この時期となると……外地への転属だろうか?」

「たぶん!」

 

 愛宕がそう言った時、摩耶は目を見開いた。ついに自分にも転属の時が来たのかもしれない。摩耶の心は高鳴り、瞳は輝いた。

 

「出頭は明日の一一〇〇時よ。どこに転属か、そもそも転属かも分からないけど、もしそうだったらおめでとう、摩耶!」

「うん!」

 

 摩耶は大きくうなずいた。

 

 

 

 

 

 翌日、摩耶は朝早くに目を覚ますと、落ち着かないのか入念に寝台周りの掃除をしたり、体操を始めたりしていた。その様子は、まるで修学旅行直前の学生のようだった。

 

 「摩耶、ちょっと落ち着いたらどう?」

 

 高雄はそんな摩耶に声をかけたが、

 

 「だって、やっと、やっとこの時が来たんだぜ?落ち着かずにいられねえよっ!」

 

 とのことだった。そんな摩耶らしい返しに、高雄は思わず笑みをこぼした。高雄もまた、以前の摩耶が戻ってきてくれたようで、嬉しさを感じていた。

 

 そして出頭の時間が近づくと、摩耶は喜び勇むように部屋を飛び出していった。

 愛宕と高雄はそんな摩耶を見送るとホッと一息ついて、寝台に腰かけた。

 

「あれだけ元気だと、こっちまで落ち着かなくなっちゃうわね」

「うん……。でもそういうところ、摩耶と愛宕って似てるもんね」

「そうかしら?」

「……まあでも、これで私たちもようやく、ひと段落って感じね。さあ、日誌書こうかしら。愛宕、書類半分手伝って」

「はーい」

 

 第四戦隊の待機部屋の中には、ゆったりした空気が流れていた。

 高雄は寝台そばの机に向かい、引き出しからベージュ色の表紙の日誌を出した。

 愛宕も自分の机に向かって、高雄から渡されたファイルを開く。

 そして……

 日誌を書き終わった高雄が、残りの書類の整理をしていると。

 

「高雄?ごはん食べに行かない?」

「えっ、もうそんな時間?」

「もうそんなって、もう一時よ?」

 

 高雄は上着の左ポケットから懐中時計を取り出す。時刻は〇一〇〇時を回ろうとしているところだった。

 ところで摩耶はどうしているのかしら。もう通告は終わって、帰ってきてもいいくらいの時間なのに……。

 

「もしかしたら摩耶も帰り際に日向さんに会って、食堂に行ってるのかも。私たちも行きましょ」

 

 高雄の考えを読み取ったかのように、愛宕は続けた。

 

 しかし、食堂にも摩耶の姿はなかった。昼時のためか食堂内はそこそこ混みあっていたが、高雄と愛宕は摩耶を見つけることができなかった。

 二人が静かに昼食を食べる中、食堂内のラジオはお昼のニュースを流す。

 

『……本日〇九〇〇時、イタリア海軍は昨夜未明にタラント港が大規模な空襲を受けたと発表しました。現時点での損害の規模は確認中とのことです。また同様に昨夜、シンガポールやキール軍港においても……』

「きっともうごはん食べ終わって、先に部屋に帰ってるのよ」

「そうよね。きっとそう」

 

 ラジオを遮るように言った愛宕の言葉に、高雄も自身に言い聞かせるように呟いた。

 

 だが案の定、部屋にも摩耶はいなかった。

 

 「高雄、摩耶はたぶん日向さんと一緒にいるわ。きっと帰りにふたりで演習してるのよ!お祝いの花火だ、なんて言いながら対空砲を撃ってね。きっとそうよ」

 

 ここまで楽天的なのも愛宕らしいわね、と一瞬高雄は思ったが、ふとその考えを打ち消した。

 愛宕も、摩耶のことがたまらなく不安なのだ。私に話しかけているようで、自分に言い聞かせているんだ。

    

 その時。

 

 高雄と愛宕の背後の扉が、勢いよく開けられた。そこから入ってきたのは摩耶だった。

 だが摩耶は固い表情でふたりを見つめるとそのまま寝台に腰かけ、疲れ果てたように太ももに肘をついてうなだれた。

 その様子に不穏なものを感じながらも、高雄は摩耶に声をかけた。

 

「摩耶、おかえり!どっちだった?旗艦?転属?」    

「転属だった」

 

 答えた摩耶の顔は赤く染まっていた。酒保でアルコールでも飲んできたのだろうか。  

 

「……そう。で、どこに決まったの?」

 

 摩耶は再び俯いて、小声で答えた。

 

「東沖島」

 

 その瞬間、高雄と愛宕の顔から笑みが消えた。

 

 

 

 東沖島は、東京より南方はるか数百キロの海に浮かぶ、日本最東端にほど近い島であった。

 かつてはこの島を通る輸送ルートのために重要視されていたが、アメリカの協力が得られるようになってからは沖縄やフィリピンを通るルートが主に使われるようになったこともあり、今では深海艦からの本土防衛の最前線以上の意味はなくなってしまった。そのためもし危機的状況におかれたとしても増援は見こめない。もし大規模な戦闘が始まれば、脱走者がでることは確実である。

 その割りにはたびたび深海艦からの攻撃にさらされることもあり、損耗率は南方海域の最前線とほぼ変わらなかった。

 さらに南方の最前線に配属される艦娘と違い、この泊地に配属されることが栄誉とされることもない。そのためここの泊地は士気が低く軍紀が乱れ、本土や外地から窃盗・喧嘩・上官反逆といった前科もちの艦娘が送りこまれる「艦娘の墓場」とまで噂されていた。

 

 高雄も愛宕も、まさかそんなところに摩耶が配属されるとは思ってもいなかった。

 ふたりが茫然とするのをよそに、摩耶は寝台にゴロンと寝転ぶと、

 

「ふっ、まあ所詮そんなことだろうと思ってたよ。あたしだってそんな高望みはしてなかったしな」

 

 何でもないかのようにあっさりと言ってのけた。しかし。

 

「でも、鳥海にはこのこと黙っといてくれよな。それだけは頼むぜ」

 

 そう言い残して、摩耶は二人から顔を背けるように寝返りを打つと、そのまま寝入ってしまった。

 そんな摩耶を、ふたりは見つめることしかできなかった。これが摩耶の精一杯の強がりだと、ふたりとも分かっていた。

 

 

 

 

 

 摩耶が部屋に帰ってきて数時間後。高雄は書類を陸奥に渡すため、執務室に来ていた。

 陸奥が書類に目を通す中、高雄の視線は一点に定まらず、落ち着きなく部屋のあちこちに飛んでいた。

 

「……問題なしよ。今日もご苦労様」

「あの、陸奥さん。お聞きしたいことがあるのですが」

「何かしら?」

 

 確認が済んだ時を見計らって、高雄は陸奥に声をかける。

 要件はただひとつ。

 

「摩耶の転属の件なのですが、この春から東沖島に転属が決まったと聞きました。その理由について教えていただけませんか」

 

 毅然とした態度の高雄に対し、陸奥は目線をそらして大きく息をついた。

 そしてしばらくの沈黙を経て再び高雄に向けられた陸奥の目は、戦艦らしい鋭さを湛えていた。

 

「東沖島の人員が足りなくなって、摩耶を補充要員に出すように上層部から命令がでたから。それだけよ」

「しかし、どうして摩耶が行く必要があったのでしょうか?」

「たまたまよ。別にあの子だから選ばれたとか、そんな訳じゃないわ。状況次第ではあなたや愛宕が選ばれたかもしれないの」

「だとしたら今までの摩耶の努力は……」

「それはまた別の話よ」

 

 陸奥はきっぱりと言い切ると、「同じことを摩耶にも言ったんだけど、」と前置きした上で続けた。

 

「どこの泊地でどんな艦隊で戦うことになっても、艦娘として深海棲艦と戦うことに代わりはないでしょ?あなたたちは鎮守府や泊地の評判を気にするかもしれないけれど、私たちや上層部はそんなこと考えない。必ずしも優秀だからといって優遇したり、劣等生だから僻地に追いやるとか、そういうことはないの。艦娘はみな、配属された泊地や艦隊でベストを尽くす、それだけよ」

 

 陸奥は高雄に優しげに、しかし厳しさをこめた言葉を投げかけた。どこに配属されたかで艦娘の価値が決まるわけではない。それは高雄も、これまで重々承知していたことのはずだった。しかしいざ身内が評判の悪い泊地に転属になると、どうにも複雑な思いを抱いてしまう。

 そんな思いを胸に、高雄は静かに陸奥に返事をした。

 

「はい。了解しました……」

「この件は以上。他には?」

「いえ、特には。ありがとうございました。それでは」

 

 高雄は納得したような納得しかねるような複雑な心境だった。しかしそれが摩耶の宿命だというのならば、悲しいが仕方がないというものだろう。

 どうにもやりきれない思いを抱えながら、高雄は敬礼をすると回れ右をした。

  

「高雄」

 

 陸奥は最後に、呼び止めるように声をかける。

 扉に手をかけたところで、高雄は陸奥に振り向く。

 

「ただ多少は、適材適所、っていうのはあるかもしれないわね」

 

 適材適所?……もしかして佐世保の一件で、摩耶の東沖島送りが決まったかもしれないってこと?

 でもたった一度喧嘩で謹慎を受けたくらいでそんなことは……。

 高雄の脳裏に予感がよぎったが、陸奥に尋ねることはしなかった。尋ねたところで、陸奥ははっきり答えないだろう。

 

「そうですか……失礼します」

 

 高雄は陸奥にとりあえずの返事をすると、部屋を後にした。

 最後の一言を、陸奥は摩耶に言ったのだろうか。もし言わなかったのだとしても、あえて摩耶には伝えない方がいいかもしれない。

 高雄は司令部から外に出て、大きくため息をついた。

 

 

 

 この日から摩耶の毎日は、転属に向けての準備へと変わっていった。

 

 出発まで一か月あまり……その月日は矢のように過ぎ去っていった。摩耶の寝台の周囲は、綺麗に整理がなされていった。

 その寝台の横に、大きな白い袋がある。この袋に摩耶が泊地へと持っていく、すべての物が納められていた。

 

 そして、摩耶の旅立ちの日は、ついに明日となった。

 前日ミーティングによると、出港時刻は〇七〇〇時である。

 ただし第一陣、第二陣といくつかの艦隊に分けて出発するので、それで多少出港は前後する。

 摩耶は第三陣なので、少し出発は遅くなることになる。ギリギリまで呉にいられることが、摩耶のせめてもの心の慰めであった。

 今夜は姉貴や鳥海と壮行会でゆっくり酒を飲んで、明日呉を旅立つんだ。

 

 格技場で最後の鍛練を終えた摩耶は、日向にに深く頭を下げた。

 

「日向、ありがとう。長いこと世話になりました」

「うん……変にかしこまられると、なんか変な気分だな」

 

 日向は軽く笑いながら言った。

 

「まあ、摩耶の性格ならどこにいってもやっていけるはずだ。精一杯がんばるんだぞ」

 

 日向は摩耶を見送るように、下駄箱のある土間までついていった。

 摩耶が下駄箱からパンプスを取り出したところで、日向は思い出したように聞いた。

 

「ところで、摩耶」

「うん?」

 

 自分の顔を見ずに答える摩耶に、日向は続けた。

 

「摩耶はこの転属に、納得しているのか?」

 

 摩耶が放ったパンプスが勢い余って、片方が底を上にしてひっくり返った。

 一瞬氷のように固まった後、パンプスを直しながら摩耶は答える。

 

「ああ。これだけは鳥海より先に決まったからな。なんだかようやくあいつに勝ったような気がして。それに前線に出て戦うのは、あたしの夢だったしさ」

「そうか」

 

 日向はそうポツリとつぶやいたかと思えば、すぐさま思い出したように続けた。

 

「摩耶、私にはこれでいいが、お前の姉さんたちや鳥海には出発の時にちゃんとあいさつするんだぞ。転属で別れるのが今生の別れになることもあるんだからな」

 

 そう言われた摩耶はハッとしたように目を見開いた。これまで気づかなかった、いや、向き合おうとしなかった事実に摩耶は心かき乱された。

 東沖島の損耗率は最前線と変わらないのだ。呉の鎮守府に、この姿で戻れないことも十分に考えられる。

 

「ああ。わかってるよ。それじゃあ」

 

 摩耶は声が震えるのを抑えながら、差しこむ西日の中、格技場の土間を後にした。

 

 

 呉の鎮守府は一面あかね色に染まっていた。沈みゆく陽が、山の端で煌めいている。

 摩耶は立ちどまって、沈みゆく陽をじっと見つめた。普段なら気にも留めないのに、ふと日向の言葉を思い出したのか、もう少し見ていたくなった。

 そうしているうちに、あたりが少し暗くなるとともに、引きずるように摩耶の靴から長く伸びていた影がふっと消えた。

 太陽は山の陰にかくれ、山のシルエットをくっきりと映し出す。

  

『摩耶はこの転属に、納得しているのか?』

 

 本当のところ、摩耶はその答えが出せなかった。しかし納得していようがいまいが、『艦娘の墓場』東沖島に行かなければならないことは変わりない。

 もしかしたら、そんな噂は本当じゃないかもしれない。やっと大海原で深海棲艦を相手に、大暴れができるかもしれない。大戦果をあげて、勲章だって貰えるかもしれない。新しい仲間ができて、呉と変わりない生活が送れるかもしれない……。

 摩耶はありったけの自分が納得すべき理由を考えた。

 そうだ、これはあたしの夢への第一歩なんだ。この転属を足掛かりにして、あたしは武勲艦になるんだ。

 

 そんな黄昏時の中を、不安と期待と芥子粒のような優越感を胸に、摩耶は宿舎へと歩き始めた。

 

 

 摩耶が自分の宿舎に戻るころにはすっかり日は暮れてしまっていた。電球の暖かく照らす宿舎の廊下を、摩耶はひとり歩く。

 まわりの部屋からは他の艦娘たちの笑ったり騒いだりする声が聞こえてくる。

 そんな中を摩耶はひとり通りぬけて、第四戦隊の部屋にたどりつく。

 このあとは、みんなで飲みに行くんだよな。思いっきりはしゃいでやるか。

 そう思った摩耶がドアノブをつかんだその時だった。

 

「そうなの?おめでとう!」

「しっかりがんばってね」

 

 摩耶はドアノブをひねる手を止めた。扉の向こうから、高雄と、愛宕と、あともう一人の声が聞こえてくる。

 

  ……鳥海だ。

 

 この部屋から鳥海の声が聞こえてきたのは何か月ぶりだろうか。でもどうして?

 摩耶はドアノブに手をかけたまま、扉の向こうに耳をそばだてた。

 

「はい!でも……」

「不安なことでもあるの?」

「うん、海外に行くのははじめてだし……」

「それでも鳥海ひとりで行くわけじゃじゃないんだし大丈夫よ!自信持って」

「うん……」

「でも東南アジアを飛び越えて、そのまま地中海まで行くなんてね」

  

 地中海。その単語に、摩耶は目を見開いた。

 自分が暗闇の中を歩き続けてようやく手にしたのが、艦娘の墓場なんて言われる東沖島への切符。

 その反面、明るく大きな道を歩き続けた鳥海が、あっさりと手にした花のヨーロッパは地中海への切符。

 自分が一歩踏み出したと思えば、鳥海はさらに先を歩いていく。摩耶は大きく息をつくと壁に頭を打ちつけるようにもたれかかった。

 

「そっか……となると、鳥海も呉から行っちゃうことになるのね……」

「えっ?愛宕姉さん、『も』、ってことは誰かも転属になったの?」

 

 高雄の声も、愛宕の声も聞こえない。

 あまりにも不自然な沈黙の後に、鳥海の明るい声が続く。

 

「高雄姉さんでもない、とすると……摩耶ね!摩耶なのね!」

「……そうよ」

「ねえ、どこに転属になったの?旗艦にも選ばれたりしたの?」

 

 ふたたびためらうような沈黙。

 

「……東沖島の泊地だって。旗艦かどうかは聞いてないわ」

「えっ!?どうしてそんなところに……。摩耶、何かしたの?」

 

「……さあな。こっちが聞きてえよ」

 

 今の言葉は、誰でもない摩耶のものであった。

 静かにゆっくりと開いた扉に、鳥海たちは一斉に目を向ける。

 そこから部屋に入ってきた摩耶は、誰とも目を合わせぬまま自分の寝台に向かい、体を投げ出すように寝転がる。

 

「おかえり摩耶。実は鳥海もね……」

「遣欧艦隊ってやつで、地中海まで行くんだろ?全部聞いてたよ」

 

 高雄の言葉に重ねるように摩耶は言い返す。

 どこか不遜な態度の摩耶を、高雄も愛宕も何も言わずにじっと見つめていた。

 ただそれは怒っているというよりも、久しぶりに見た摩耶のそんな態度に動揺しているといった方が正しかった。

 しかし鳥海だけはそんな摩耶の態度にも慣れているのだろうか、摩耶に一切動揺を見せずに話しかけた。

 

「私もいま、姉さんたちから聞いたの。摩耶も呉を離れるのね。東沖島、っていうのは少しびっくりしたけど……おめでとう」

 

 その瞬間、摩耶の瞳はキッと鳥海を睨みつけた。

 

「おめでとうだぁ?お前よくそんなことが言えるなぁ!え?」

  

 摩耶は突然寝台から起き上がると、今まで溜めこんできた感情をぶつけるように鳥海の言葉に食ってかかった。

 

「あたしだってお前と同じように勉強して、出撃して、功績を挙げて、毎日毎日やってきたんだ!それに顔や背格好まで、お前とあたしとは瓜二つじゃねえか!なのにどうしてお前ばっかりが偉くなって、あたしはクズのたまり場なんかに連れて行かれるんだ!?こんなクソ惨めなあたしの気持ちが、お前なんかには分かるわけねえよなぁ!」

 

 摩耶の叫びは止まらなかった。

 

「そうさ、お前はそうやって偉くなって、思う存分姉貴たちに誉められればいいんだ!おう、地中海だろうとアメリカだろうと、どこだろうと行っちまえ!こっから先、お前に会わなくて惨めにならないって思うとせいせいするぜ!」

「摩耶、やめなさい!」

 

 高雄の静止の直後に、鳥海は突き刺すような視線で摩耶をじっと見つめ、摩耶に負けず劣らずの勢いで言いながら詰め寄った。

 

「どうしてそんなこと言うのよ!私だって、いつか摩耶も自分の艦隊を持ってくれるって信じてたから、一心に頑張ってきたのよ!」

「うるせえ!あたしが欲しかったものを、お前先に全部奪っていきやがって……!」

「別に奪ったわけじゃないわ!艦隊旗艦に選ばれた時、私も摩耶みたいに、旗艦として活躍したいって思っただけよ!」

 

 摩耶がさらに言葉を続けようとするのを、鳥海は遮って言い返した。そしてそのまま鳥海は、声を震わせながら続けた。

 

「私だって最初は、摩耶の気持ちを裏切ったんじゃないかって不安だったわ。でもあの日、私が新しい艦隊を持つことになった日の夜、高雄姉さんに相談したら、姉さんも私の旗艦になりたいって気持ちを大切にすればいい、摩耶もきっと後に続くから、心配せずに頑張ればいいって言ってくれたの。だから私、大変なことがあっても艦隊旗艦として今まで頑張ってこれたのよ。それなのにどうしてそんなこと……」

 

 摩耶は何も言わなかった。そして摩耶は、じっと自分の睨みつけていた鳥海の瞳から、涙が一滴零れていくのを見た。その潤んだ瞳が、摩耶に深く突き刺さったと同時に、摩耶の感情を強くかき乱した。

 

「ねえ、私は間違ってたの?摩耶!」

 

 次の瞬間、鳥海の左頬を摩耶の平手が打った。鳥海の眼鏡は高雄の足元まで飛んで落ちた。制裁よりも重々しいビンタの音を最後に、部屋は時が止まったかのように静まり返った。

 高雄も愛宕も、あっけにとられて摩耶を見つめていた。それも無理はない。摩耶が鳥海に本気で手をあげたのはこのときが初めてだった。

 

 鳥海は一瞬よろめいた後、赤くなった頬を押さえもせず無言で俯いていた。

 しかし、その頬を一筋の涙が伝うと、突然苦しげな嗚咽と共に高雄の胸元に倒れこんだ。

 高雄は自分の上着を掴んで泣きじゃくる鳥海の頭を撫でながら、

 

「大丈夫よ鳥海、あなたは間違ってないわ……」

 

 となだめはじめた。

 

 摩耶は震えていた。鳥海の嗚咽と、じっと自分に向けられた高雄と愛宕の視線に耐えられなかった。摩耶は寝台のそばの荷物の入った袋をひったくると、そのまま逃げるように部屋を後にした。

 

「摩耶!」

 

 摩耶は高雄の呼びかけに振り向くことはなかった。二人のあの視線は決して摩耶を責めるものではなかったが、それでも摩耶は怖かったのだ。

 宿舎を飛び出した摩耶のはるか後ろで、

 

「愛宕、愛宕!摩耶を追いかけて!」

 

 と高雄の声が聞こえた。摩耶は聞こえてくる姉たちの声を無視して、ただひたすらに走り続けた。

 

 

 

 

 

「摩耶!摩耶!どこなの!?」

 

 愛宕は摩耶を探して鎮守府内を彷徨い歩いた。鳥海は高雄が慰めてあげている。摩耶を慰めてあげられるのは私しかいない。だから何とかして見つけてあげなきゃ。そう思いながら、愛宕は摩耶を呼び続けた。いつもはどこかお気楽な雰囲気の愛宕も、このときばかりは真剣な顔だった。

 

 

 

 

 

 摩耶が部屋を飛び出してから、数時間が過ぎた。

 

 摩耶は映画館の裏のスクラップ置き場で、ひとり座りこんでいた。

 摩耶を呼ぶ愛宕の声は、この日の最終回上映の音声にかき消されてしまっていた。しかしそうでなかったとしても、この時の摩耶なら耳をふさいで愛宕の声が聞こえないようにしていただろう。

 

 映画館の通気口からこぼれてくる軽快な音楽の中で、摩耶は混乱する気持ちを必死になんとかしようとしていた。

 

 どうして鳥海の顔を張ったのか。

 鳥海の泣き顔を見たくなかったからだ。

 自分が鳥海を泣かせた事実を認めたくなかったからだ。

 鳥海が泣いている姿を見ると、まるで自分が泣いているように見えてきて、どうしようもなく辛くなるんだ。

 それは昔から、幼い時からそうだった……

 

 鳥海のやつは、何も間違っちゃいない。

 どうしてあの時、『心配するな』って優しく声をかけてやれなかったんだ。

 裏切った、なんてほざいたけど、裏切ったのは自分の方じゃねえか。

 ……鳥海の泣く声が頭から離れねえ。まさか、あんな声であいつが泣くなんて。

 

 この時、今まで摩耶の中で押さえつけてきた『弱さ』が一気に溢れだした。

 

 寂しかった。怖かった。辛かった。妬ましかった。羨ましかった。情けなかった。悔しかった。

 

 そうだ、あたしはもう、鳥海には必要ないんだ。あいつはもうひとりで歩いていけるんだ。

 あたしの存在は、もう足手まといでしかないんだ。

 

 感情があふれ出すたびに、摩耶の瞳から大粒の涙が一滴ずつこぼれ、乾いた地面を濡らしていった。

 しかし、そんな悲しさや辛さのこもった涙の滴の中に、ほんの一粒だけでも鳥海のこれからの幸せを願う思いがこめられていたことはせめてもの救いだった。

 

 鳥海、お前だけは幸せに生きろ。あたしの分まで……。

 

 

 

 そして、朝が来た。

 

 昨夜、愛宕は途中で日向にも摩耶の捜索を頼み、摩耶がひとりで行きそうなところをしらみつぶしに探していった。

 だが懸命の捜索にもかかわらず、消灯時間まで摩耶が見つかることはなかった。

 

 薄く雲がかかった空の下、埠頭には東沖島に向かう艦娘と、その見送りに来た者たちが集まっていた。

 その中に高雄と愛宕と日向、そして鳥海の姿があった。

 

 「愛宕、確かに摩耶は〇七〇〇時に出発すると、そう言っていたんだな」

 「はい、日向さん」

 「ならまだこのあたりにいるはずだ、探そう」  

 

 鳥海の目に、もう涙はなかった。だが、鳥海は摩耶に会ったとき、何を言えばいいのか分からなかった。

 摩耶に面と向かった時の素直な気持ちに任せるしかないと、そう考えていた。

  

 艦娘たちの間を、摩耶の名を呼ぶ声が通りぬけていく。

 しかし、その声に反応する者はいない。

 摩耶のいつも着ている、鳥海とおそろいの紺色のセーラー服も見つからない。それらしき制服を見つけたとしても、すべてデザインの違う別の艦娘のものであった。

  

 高雄たちはひたすらに艦娘たちの群衆の中に摩耶の姿を探し求めた。とりわけ鳥海は少しでも摩耶らしき姿を見つければ、まるで飛びつくようにかけよるほどの熱心さであった。

 そこまでの熱意にもかかわらず、鳥海は摩耶を見つけられない。

 もしかしたら、姉さんたちがもう見つけているかも。

 鳥海はそんな淡い希望を抱きながら、人ごみのなかで高雄と出くわすと、開口一番に摩耶のことを聞いた。

 

「姉さん、摩耶は?」

「まだ見つからないわ……」

 

 高雄のその言葉を聞いて、鳥海の摩耶を呼ぶ声はより大きくなった。摩耶の名を呼ぶたびに、鳥海は心が締め付けられるような思いがした。

 

 会いたい。

 何としても摩耶に会いたい。

 いや、絶対に摩耶に会わなきゃ。だって、もしかしたらこれっきり摩耶には会えなくなるかもしれないんだから。

 鳥海の眼鏡の下の大きな瞳は、ただ摩耶だけを追い求めていた。たったひとりの、自分に生き写しの姉を探していた。

 

 しかし、そんな鳥海の思いと裏腹に、どれだけあたりを見回しても摩耶の姿は見つからない。そもそも捜索中に高雄と出くわしたのなら、もうすでに四人のうち誰かが摩耶を見つけていてもおかしくないはずだ。そのことに気付いた鳥海の姿に、次第に焦りの色が見えてきた。

 

 その時、鳥海は陸奥の姿を見つけた。名簿を片手に、出発する艦娘の点呼をとっているのだろう。

 そうだ、陸奥さんなら摩耶のことを知っているかもしれない。それに摩耶がまだ出発していないなら、陸奥さんと一緒にいれば摩耶にも絶対に会えるはず。

 鳥海は一心不乱に艦娘の波をかきわけ、すがるように陸奥のそばに駆けよった。

  

「陸奥さん、おはようございます!」

「おはよう。どうかしたの?」

「あの、摩耶、どこにいますか?見ませんでしたか?」

「摩耶?えっと……」

 

 鳥海の願うような問いかけに、陸奥は名簿のファイルをすばやくめくる。しかし今の鳥海には、その時間さえももどかしかった。

 その間、鳥海の脳裏に、摩耶にどうしても伝えなければ、言わなければならないことが浮かぶ。

 たとえ離れ離れでも、どんなに肩書が違っても、私たちはずっと一緒よ。それだけは忘れないでいてね。

 わずかな時間しか会えないとしても、鳥海はせめて最後にそう伝えたかった。

 

「鳥海?摩耶だけどね……」

 

 その時鳥海の瞳が、陸奥の視線とかちあった。陸奥は静かに続けた。

 

「今朝一番に私のところに来て、出発を〇六〇〇時からの第一陣にして欲しいって言ってきたの」

「えっ」

 

 鳥海の目の前は真っ白になった。摩耶に伝えたかったはずの言葉はその意味を失い、風を受けた砂の楼閣のように崩れ去った。

 衝撃と混乱に、いま出たはずの驚きの息さえ、自分の口から出たものなのかわからなかった。

 

「理由を聞いたら、静かにここからいなくなりたいって、そう言っていたわ」

「……ありがとうございます」

 

 陸奥の言葉を聞いていたのか、それだけ呟いて鳥海は俯くように頭を下げると、ゆっくりと陸奥のもとから離れた。

 しばらく陸奥は鳥海のそんな様子を見ていたが、そこから左手の金の懐中時計に目を移すと、艦娘たちに声をかけた。

 

「〇七〇〇時発の、第三陣の艦娘は集合して!まもなく出発よ!」  

 

 鳥海は、高雄と愛宕が摩耶を呼ぶ声を遠くで聞きながら、別れを交わす艦娘たちの間を歩いていった。

 茫然として海へ導かれるように埠頭を歩くその姿は、何も知らぬ人が見れば、身投げでもするかのようにも見受けられただろう。

 

 鳥海は岸壁から足元にかかる細かいしぶきの冷たさにその足取りを止めると、さざ波の立つ大海原の、はるか彼方をじっと眺めた。

 鳥海は知るはずもなかった。そこがつい一時間前に摩耶が訪れ、誰にも見せずに涙をこぼした場所だったことなど。

 

「また会いましょ、摩耶。絶対、絶対よ……」

 

 ふっとこぼれた鳥海の素直な感情は、冷たい潮風と波の音の中に消えていった。

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