デジモン小説短編集   作:行方不明

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タツノオトシゴ

 それはあるうららかな春の日のことだった。

 ダウンロード完了しました、というスマホの画面に短く表示されたその文字。それを前に、少年は堪えきれない笑みをこぼしながら、その場で飛び上がった。

 

「入った!」

 

 抑えきれない興奮と期待、ほんの少しの不安の入り混じった笑顔で少年――信独(ノブヒト)はスマホを見つめる。

 彼はその日、親から防犯用に持たされていたスマホにたった一つのアプリをダウンロードした。小学生に上がりたての幼い自分に持たされたそれが防犯用としてのもので、最低限の機能しか許されないことがわかっていて、それでもなお、彼は親に頼み込んだ。

 このアプリだけはダウンロードさせてくれ、と。

 

「こ、これで僕も――」

 

 数日もの時間をかけたおねだりの末にようやく所持を許可されたアプリ。

 それはただのデータ上の()()()ながら、人生初とさえ言えるほどの苦労しただけあって、幼い信独にとってはまさに宝石にも匹敵するほどの輝きを放っているようにさえ見えた。

 

「さ、さっそく見せに行かなくちゃ!」

 

 そんな大事なモノが入っているスマホを大切に握り締めて、信独は走った。近所中の子供たちが集まる公園へと。

 数分と経たずに公園に着く。見れば、たくさんの子供がそれぞれ集まって思い思いのことをして遊んでいて、その中には彼の目的とする集団もいた。

 十人ほどの集団だ。男の子もいれば女の子もいる、どこにでもいるような子供たちの集団だった。

 

「みんなー! 僕もゲーモンをダウンロードしたよ!」

 

 手を振り、大声を上げ、信独は駆け込む。

 まるで尻尾を振る犬のような、彼の姿。そんな彼に気づいた子供たちは、頬を引き攣らせた。

 

「ちぇっ。ノブが来やがった」

「おいおい、そんなこと言うなよ。泣かれたらどうすんだよー」

 

 リーダー格だろう大柄の少年二人のわざとらしく笑いながら吐き出された言葉。

 その振り回された鈍器のような言葉は、もちろん信独にも聞こえた。ピタリと、彼の足は止まる。周りの少年少女は苦しそうに目を伏せていた。

 

「だいたいゲーモンを入れたって? だからなんだってんだよー」

「そうそう。よく知りもしない初心者がいたって足でまといなだけだしな!」

 

 大柄の少年二人は嗤う。嗤って、言外に伝えていた。お前なんか仲間に入れてやらねぇ、と。

 

「で、でもっ。これ、みんなやってるし、なら……持ってるから一緒に遊んでもいいでしょ!」

 

 信独は食い下がった。

 だって、みんなと一緒に遊びたいのだ。だから、あんなに必死に親に頼み込んだのだ。みんながやっているコレがあれば、自分も仲間に入れてもらえると思って。

 

「わっかんねーかなぁ……」

 

 だが、それでも。()()()()()は、大柄の少年たちには関係なかった。

 

「誰もお前みたいなよそから来たやつとなんか遊びたくないって言ってるんだよ!」

「っ!」

 

 とても鋭い言葉だった。とても強い言葉だった。信独はもはやその場にいるのが辛かった。

 

「おい、そ――」

 

 さすがに言い過ぎだ、と。誰かが声を上げる。

 だが、それよりも居た堪れない雰囲気に信独が耐えられなくなる方が早かった。

 

「う、うぅ!」

「あっ、待っ!」

 

 辛くて、痛くて、だから信独は逃げ出した。背後で所在無さげな声を上げた者たちがいたことにも気づけずに。

 振り返ることもせず、横腹が痛くなっても止まらず、ただひたすらに来た道を戻った。

 

「はぁっ! はぁっ!」

 

 息を切らせながらも家に帰った。

 乱暴に靴を脱いで部屋に飛び込み、布団に包まる。感じ続ける痛みにただ耐えた。どれだけの時間、そうしていたことか。

 

――ただいまー?

 

 扉の向こうから聞こえた親の声が、窓から入らなくなった光の存在が、今の時間を認識させる。

 

「ノブくん? 電気もつけずにどうしたの? 具合でも悪いの?」

 

 返事のない息子を心配した母親が部屋に入って来た。だが、信独は応えない。

 

「今朝はあんなに元気だったのに」

「……大丈夫」

「そんなこと言ったって……頭痛い? 熱は? 咳は?」

「大丈夫っ!」

「何かあったの? あ、もしかしてお友達と上手くいかなかったとか」

「何にもない!」

 

 母親の声には心配の色だけがあって、さすがの信独も悪いことをしている気になってしまった。

 それでも、信独は何も言わない。これはもう意地だった。大好きな母親に心配をかけたくないという、たったそれだけの、親にとってはバレバレの意地だった。

 

「そう。私たちの都合で引っ越ししちゃったせいだよね? ……ごめんね、本当に」

 

 悲しそうに力なく呟いて、申し訳なさそうに母親は部屋を出ていった。

 扉が閉じられた音が聞こえ、こっそりと信独は布団から顔を出す。部屋から追い出したのは自分なのに、彼は無性に寂しかった。

 

「っ。はぁっ」

 

 もう一度、信独は布団に包まる。何もかもを忘れるように、彼はそのまま眠りについた。

 そして、彼は夢を見る。何かと戦う勇敢な騎士の夢を。

 信じられないほどの不屈の精神で、あまりにも力強い、そんな騎士の夢。興奮し、夢中になってしまう、眩い英雄譚。

 

「――ぅ、ん?」

 

 そんな夢の最中のことだった。ふいに、信独は眩しい光で夢から目を覚ましたのは。

 窓の外からの朝日よりもまばゆい光が、部屋を照らしていた。せっかく良いところだったのに、と目覚めた自分に気を悪くしつつ、光源を探す。

 

「え?」

 

 顔のすぐそばに置いてあるスマホが、眩いばかりの光を放っていた。しかも、画面を触ってみても、側面についているボタンを押してみても、光は消えない。

 故障だろうか、と信独は顔を青くした。これが高級なものであることくらい、彼にもわかっている。だからこそ、この事態に焦るしかない。

 

「うー。うー!」

 

 焦りのままに画面を触り、ボタンを押し、だが、何も変わらない。こういう時の最後の手段を、信独は知っている。

 つまりは力づくだ。

 

「えいっ!」

 

 意を決して、信独は振りかぶった拳で思いっきり叩いた。

 鈍い音がした。鈍い痛みが走った。そして、スマホの画面から何かが飛び出してきた。

 

「きゅー……」

 

 スマホから飛び出した“生き物”には頭に大きめのコブができていて、目を回しているのか、信独の布団の上で横たわっている。

 

「は? え? ええ?」

 

 そんな明らかにスマホから出てくるには大きい、自分の半分くらいもある大きさの生き物の存在に、信独は混乱することしかできなかった。

 

「えっと……」

 

 とりあえず、信独は謎の生き物を指でつついてみる。緑色の体色の部分は厚紙のように固く、頭部に存在を主張する立派な角は岩のように硬かった。

 唾を飲み込みながら、緊張気味にスマホを手にとる。光が収まったスマホは普通に起動した。ドキドキと鳴りっぱなしの心臓の音を感じながら、信独はカメラアプリを起動する。

 

「えいっ」

 

 パシャリ、という無機質な音が部屋に響く。

 その瞬間のことだった。謎の生き物が目を覚ましたのは。

 横たわったまま開かれたその目と、信独は目が合った。

 

「……」

「えっと……お、おはよう?」

「だれ?」

「喋った!? あ、え、誰? えっと僕は、その、信独って言うん、だ、けど……」

「のぶひと、にんげん?」

「えっ。うん、人間だよ」

「だれ……?」

 

 それきりその謎の生物は黙り込んだ。いろいろと気になることはあるが、聞いていいものか何となく悩んで、信独も黙り込む。

 張り詰めた沈黙が部屋を襲った。

 

「……」

「……」

 

 相変わらず横たわったままのその生き物と睨み合うような形で、信独としては心臓に悪い。

 

「……」

「……」

 

 そういえばもうパパもママも仕事に出かけちゃってるよなぁ、いたならこの動物のこと聞きたいんだけどなぁ、と。

 置かれた時計の時刻を見てそんな現実逃避をしていた信独は、ふと、小さな音を聞いた。

 

「……?」

 

 聞いたことのあるような、聞いたことのないような音。

 信独は考える。何の音だろう。

 

「おなかすいた」

 

 というか、腹の音だった。

 物欲しそうな目をしている、ようにも見えるその生物が急に可愛く思えてきて、なんだかおかしい気分になった信独は小さく笑う。

 

「何か持ってくるよ」

 

 そう言って部屋を出た信独は、リビングに行く。机の上に母親が作ってくれた朝食と昼食の弁当が置いてあった。

 コップに牛乳を注ぎ、それらと一緒にお盆に乗せて部屋へと持っていく。

 

「とっとと、ああっ!」

 

 お盆の大きさと重さにふらついて、コップに注がれた牛乳が僅かに零れた。

 ちゃんと運べなかったことに僅かに落ち込みながらも、次は零さないように慎重に運んだ。その甲斐あってか、その後は何事もなく、信独は何とか部屋までたどり着けた。

 

「持ってきたよー」

 

 部屋に入ると、謎の生き物は横たわったまま弱々しく動いていた。

 

「お、なか……すいた……」

「ご、ごめん! 今持ってきたから!」

 

 時計を見ると先ほど部屋を出た時間からずいぶんと経っている。どうやら慎重に運び過ぎたことで、時間が経ちすぎたらしい。

 切ない目で「くぅくぅ、おなかが……」と呟くその生き物の姿は、いっそ物哀しいものがあった。

 

「えっと何食べられるかな……。何食べる?」

 

 信独は朝食の皿と弁当箱を見せる。

 何を食べるのかがわからないのならば、いっそ選ばせようというつもりだった。

 

「お」

 

 信独の目の前で、生き物はゆっくりと起き上がる。足もないのにどうするのかと思えば、ふわふわとバランスよく浮いている。その姿は少し、というか、かなり奇妙だった。

 

「その羽のような腕を使って食べるの? すごい、ね……?」

 

 ヒレというか、羽というか、そう形容できるその腕を器用に使うと思っていた信独だが、そんなことはなかった。皿や弁当箱に頭を突っ込み、犬のように口で食べている。

 信独はなぜだかわからないが、微妙にがっかりした。

 

「うぐうぐ。うまうま」

「……僕も食べよう。いただきます」

「もぐもご……いただきます?」

 

 口をもごもごと動かしながら、不思議そうに自分を見つめてくる謎の生き物。

 

「あ、うん。いただきます」

 

 なんとなく気恥ずかしくなって、信独は目を逸らす。逸らした視線は自然と下を向き、そして、彼は愕然とした。

 

「なっ、い!」

 

 朝食の皿にあったウィンナーも、弁当箱の中にあったハンバーグも、そのどちらにもあるはずの卵焼きも。自分の大好物が、大好物“だけ”が、綺麗に皿と弁当箱から消失していた。

 

「まさか……」

「……? うまかった!」

「そんなぁ……」

 

 犯人は言うまでもなく、そして隠す気も無く自白した。

 もしかしたらまだ残っているのではないか、と空しい希望を抱くが、現実は変わらない。好物以外だけが綺麗に残っている朝食と昼食を空しく思う。

 

「うぅ」

 

 とはいえ、空腹には勝てない。お盆に零れた牛乳を器用に舐めている謎生物を恨めし気に見ながら、信独は文字通りの“残り物”を食べたのだった。

 

「ごちそうさまでした。はぁ」

「ごちそうさまでした?」

「うん、ごちそうさまでした、ね。……ウィンナー……」

 

 食べ終わった信独は静かに謎生物に目を向ける。満腹になったことで満足したのか、ふわふわと浮いている今のその姿には愛くるしさがあった。

 その愛くるしさが、今の信独にとってはとても憎たらしい。

 

「きみ、本当に何なの?」

「……? おれ?」

「そう。きみは一体……」

「おれ? おれ、おれ……だれ?」

「えっ、ま、はい?」

「おまえ、のぶひと。おれ、だれ?」

「まさか、記憶喪失ってやつ?」

「きおくそーしつ? おれ、きおくそーしつ? おれ、きおくそーしつ!」

「そんな元気に言われても」

 

 元気に笑う謎生物を横目に見る。記憶喪失という悲観して然るべき状況だというのに、その生き物はまるで元気で、信独は不思議だった。

 「うーん……あ、そうだ!」と独り言ちて、信独は部屋の本棚からいくつかの本を取り出す。大きさも表紙絵もバラバラのそれらは、一様に題名に“図鑑”という文字があった。

 

「これを見たらきっと君が何なのかわかるよ!」

「おれ、きおくそーしつ!」

「あれ? いや、うん、まぁ……」

 

 どこか認識が嚙み合っていないような気がしたが、信独は座って図鑑を開く。謎生物も図鑑には興味が引かれたようで、ふわふわと信独の頭の上に浮きながら一緒に図鑑を眺め始めた。

 

「動物図鑑……には載って無いなぁ」

「どうぶつ?」

「ライオンはカッコいいけど」

「らいおん、お座りれおもん!」

「れおもん?」

 

 一番初めに開いた動物図鑑には、謎生物のことは載っていなかった。

 

「恐竜図鑑……恐竜じゃないよね?」

「恐竜? ぐれいもんもてぃらのもんも載ってない……」

「てぃらのもん? ティラノサウルスならほら?」

「これちがう!」

 

 ありえないとはわかっていたが、案の定、恐竜図鑑にも載っていなかった。

 

「鳥図鑑……まぁ、浮いてるし……鳥?」

「ちゃいろぴよもん!」

「やっぱり載ってない……」

「かおがちがうばーどらもんもいる!」

 

 本命の鳥図鑑にさえも載っていなかった時は、さすがに信独も心が折れそうになる。

 

「まさか載ってないなんて……」

 

 残っている図鑑は、それこそ海洋生物図鑑だけだ。

 題名は難しい漢字で書かれていたから、信独には正確なところはわからないが、それでもそれが海の生物が載っている図鑑であることくらいは何となくわかった。

 この部屋は陸地である。海の生物が、こんなところにいられるはずがない。一番可能性がない図鑑だ。

 

「みないのかー?」

「あ、うん、見るよ」

 

 半ば諦めながら、図鑑を開いた。やはり海洋生物図鑑というだけあって、多くは魚やそれに類似する形の生物が多い。

 投げやりにページを捲っていた、が。何かが見えた。

 

「あれ?」

 

 あり得ないものが見えた気がして、投げやりに捲っていたページを急いで戻す。

 

「あ、あった!」

 

 そして、信独は見つけた。予想しなかった海洋生物図鑑の一ページ、そこの写真に記載された、隣にいる謎生物と若干違うところはある、そっくりな生物を。

 

「えっと、たつの……おとしご? そうか! きみはタツノオトシゴなんだ」

「……? おれはきおくそーしつだぞ?」

「いや、もしかして記憶喪失が名前だって思ってる?」

「ちがうのか?」

「違うよ!」

 

 信独は首を傾げるタツノオトシゴに掴みかかる。相変わらずタツノオトシゴは浮いていた。物理的にも、雰囲気的にも。

 

「わかった! おれ、タツノオトシゴ!」

 

 そうして、タツノオトシゴが自分のことをタツノオトシゴと認識する時には、これから十分後のことだった。

 ちなみに、その頃には信独はすっかりと疲れ果てていた。

 

「……すっかり忘れてたけど、タツノオトシゴはどこから来たの? いきなりスマホから出て来たよね?」

「どこから?」

「ああ、そういえば記憶喪失だったっけ。それも忘れてた」

「おれ、タツノオトシゴじゃなくてきおくそーしつ?」

「いや、うん……まぁ、記憶喪失のタツノオトシゴだね」

「わかった! おれ、きおくそーしつのタツノオトシゴ!」

「あれ、僕もしかして余計なこと言った?」

 

 信独はその日、無限ループの恐ろしさを知ったのだったが、それはほんの余談である。

 その後も会話は続けられたが、結局はこの喋る謎生物がタツノオトシゴだということ以外は何もわからなかった。

 結果として、それまでの対話で疲れ果てた信独は、タツノオトシゴから何かを聞くのを諦めていた。一方、タツノオトシゴは信独の部屋にある積み木の入った箱をしげしげと見つめている。

 

「のぶひと! のぶひと! これなんだー?」

「うん? それは積み木だよ」

「積み木? 食べ物か?」

「違う違う。これはこうやって遊ぶの」

 

 積み木を簡単に積み上げる。

 

「城、のつもりだけど……」

「しろ! おぉーすげー!」

「そこまで驚かれる出来じゃないんだけど……」

 

 そこまで手間をかけたわけでもない出来の代物に、ここまで目を輝かせて驚かれると、どうにもやりにくい。気恥ずかしさを覚えて、信独は積み木を崩した。

 

「ほか! ほかは!?」

「えっ、他? うーん……」

 

 次をせがまれて、信独は積み木を組み立て始める。

 いろいろな形があるとはいえ、単なる積み木。早々凄いものができるはずもないが、それでも必死になって作った。

 

「これで、ロボット……の、つもり」

「ろぼっと?」

「あれ。ロボット知らない? なら、うーん……家、を、たくさん作って……街とか?」

「おお! すごい、すごいっ」

 

 自分にとってはたいした出来じゃないものでも、タツノオトシゴは大袈裟なくらい驚き、喜ぶ。その様子はいっそ不思議なくらいだった。

 

「ねぇ、本当にすごい? こんなのが……?」

「……?」

「だって、言っちゃなんだけどこんなのだよ? 誰でもできるようなことだし」

「えー、そうかぁ? おれはこんなことできないぞ。できるおまえはすごいとおもうぞ!」

 

 謙遜でも、冗談でも、揶揄でもない。タツノオトシゴは本気で言っているようで、信独は唖然とする。不意に、涙が零れた。

 

「ん? どうしたー? ないてるのかー?」

「あ、いや。今までそんなこと言ってくれる友達いなかったから……あ」

 

 涙を袖で拭いながら、ふと信独は疑問を感じてしまった。言葉も通じるから勝手に友達扱いしてしまったが、果たして彼と自分の間柄は一体どういうものなのか、と。

 伺うように、彼はタツノオトシゴを見る。

 

「えっと……」

「どうしたー?」

「あ、いや。その……」

 

 もごもごと口ごもる。断られたらどうしようとか、友達の意味をわかっていなかったらどうしようとか、いろいろなことが頭に浮かんでは消えていく。

 だが、それでも。

 

「僕ときみは……えっと友達、で、いいのかな?」

 

 信独は勇気を出す。

 

「……?」

「そこで首を傾げるのか!?」

「だって、ともだち! おれ、のぶひとのともだちだろ!」

「っ!」

 

 笑いながら、タツノオトシゴは言い切った。即答だった。

 それが、今の信独にとって嬉しいものだった。そう、何よりも。この街にやって来て数ヶ月の仲間外れの日々を超えて、ようやく出来た友達だったから。

 

「うん、うんっ」

「なんだよー。まだないてるのかー? そんなにかなしいのかー」

「いやっ。そうじゃなくて……ありがとう!」

「……? どういたしましてー!」

 

 にこやかに笑うタツノオトシゴにつられて、信独も笑う。 

 

「ほらっ。ほかにもみせてくれよ!」

「うんっ!」

 

 せかしてくるタツノオトシゴに頼まれて、信独は積み木を積み上げていく。

 小学生になって全くとしてしなくなった積み木遊びだが、友達の存在があるからか、それとも久しぶりだったからか、今の彼には何よりも代えがたい楽しい遊びに感じられた。

 とはいえ、楽しい時間はすぐ過ぎるものだ。

 空腹も気にせずに遊び続け、気が付けば窓の外は夕暮れ時。信独のいる部屋もだいぶ暗くなってきていた。

 

「あ……そういえば」

 

 夕暮れ、そして遊んでいた友達――と来れば次に来るものは誰だって理解できるだろう。帰宅の時間、つまりは別れだ。

 

「タツノオトシゴは……帰るところとかあるの?」

「んー? んー。あー、あれ?」

「そういえば記憶喪失だっけ。一緒に住めるかな……もしママたちが許してくれたらここに住む?」

「いいのか?」

「いいよ。だって、友達だろ」

「おお! ありがとうなっ」

 

 いざとなれば、信独は先日のアプリ騒動以上の駄々を捏ねるつもりだった。

 それでどうにかなるかはわからないが、行き場のない友達を放り出すことなど、信独はしたくなかった。

 

「たぶん、もうそろそろママが帰ってくるから……そしたら紹介するよ」

「わかった!」

「ママ、友達ができたなんて言えばびっくりするだろうなぁ」

 

 どちらかといえば、息子の連れてきた友達が喋る海洋生物モドキであることに驚くだろうが、この数時間で友達という認識がすっかりと染み付いていた信独はそこには気付けなかった。

 

「のぶひとのまま、びっくりするか?」

「びっくりするだろうねぇ……」

「そうか……びっくりするかぁ……っ」

 

 それは不意のことだった。何かに気づいたように、あるいは何かに驚いたように、タツノオトシゴは飛び上がって窓の方を見た。

 

「ど、どうかしたのか?」

 

 その様に驚いた信独も窓の方を見るが、そこには夕暮れに色づく街並みしかなかった。

 

「っ、外! 外!」

 

 鬼気迫る様子で、タツノオトシゴは頻りに外へ出たいと乞う。

 その様子を前にして、只事ではないことを悟った信独は窓を開けた。

 小さな音と共に窓が空くや否や、すぐさまタツノオトシゴは窓から外へと飛び出していく。

 

「あっ、待ってよ!」

 

 慌てて信独も後を追った。部屋を駆け出し、靴を履いて玄関から飛び出した。薄暗くなり始めている街を見渡し、タツノオトシゴの姿を探した。

 だが、姿が見当たらない。

 

「どこに行ったんだよ……」

 

 ろくな別れも言わず、再会の約束もせずに別れてしまったことに信独は悲しい気持ちになる。

 せっかく出来た友達なのだ。このまま二度と会えない、というのは嫌だった。

 

「どこに行ったんだよっ……!」

 

 信独は必死に走り、場所を変えつつ辺りを見渡した。だが、タツノオトシゴの姿は影も形も見当たらない。

 

「どこにッ――!」

 

 そして、それは不意に訪れる。

 

――アァアアアアアアアアアアア!

 

 場違いな咆哮が大気を震わせた。

 瞬間、世界が陰った。訪れつつある夜の帳さえも超えて、世界が暗んだ。

 

「な、にが……あれは……あれは……っ?」

 

 空を見上げる。そこに、いた。夕日を遮るように、あるいは夕陽から現れたかのように。幻想的な黄昏の空を駆けるように飛ぶ青い幻想(ドラゴン)が、いた。

 

「……まさか」

 

 タツノオトシゴ――龍の落し子。図鑑に載っていた読めもしない漢字、知りもしない知識、ありえない現象。だが、そんな常識さえ知ったことではないと、なぜか信独はなんとなく感じていた。

 あのドラゴンこそ、あのタツノオトシゴであると。

 

「っ」

 

 居ても立ってもいられずに、信独は走った。

 不思議な顔をする大人たちを躱して、ただひたすらに走った。

 見上げれば空を縦横無尽に飛行している青いドラゴンがいる。そして、そのドラゴンを撃ち落とそうとしているかのような光線が見える。

 何か悪い予感がして、彼は痛む横腹を無視して走った。

 

「タツノオトシゴっ!」

 

 そうして、息絶え絶えにそこにたどり着いた時には、遅かった。

 そこは車も通っていない小さな交差点。見知った場所とは思えないほど破壊され尽くされた場所。そんな場所において、信号機や標識の数々を押し退けるように、青いドラゴンは倒れ伏していた。

 

「目標、沈黙を確認した。イーバモン、ご苦労だった」

「■ッ■ョ■コン■■ー■」

「撤収するぞ」

「ラ■ジ■■」

 

 その側に、黒いスーツを着た外人男性と、その人物と比べて少し小さい、絵に書いたような宇宙人らしき多足ロボットがいた。

 信独には何もわからない。だが、そのロボットの腕らしき銃が、自分の友達を傷つけただろうことは想像できた。

 であれば、彼らはきっと悪者だ。

 

「っ!」

 

 その結論と共に、信独は青いドラゴンの元へと駆け寄った。悪者たちを睨みつける。

 

「■…■供?」

「面倒なことになったな」

 

 一方で、睨みつけられている彼らは静かだった。

 その様子に、信独は震え上がった。彼らが自分を見る目は、信独が今まで経験したことのないような視線だったから。

 あの仲間外れにしてくる奴らの痛い視線とは違う、まるで自分を見ていない、視線。言うなれば、路傍の石を見たかのような視線だ。

 

「始末しろ」

「ラ■ジ■■」

 

 ロボットが腕についた銃を持ち上げた。

 その銃口が、自分に向くだろうことが信独にもわかった。

 

「ぁぁ……!」

 

 自分は殺されるのだ。それがわかってさまざまな思いが頭を駆け巡っていた。だが、それでも死ぬ、という事態を前にして頭が真っ白になる。

 

「っ」

 

 恐ろしさを前に、信独は目を瞑った。

 

「何ッ。ぐあっ」

「■■な」

 

 焦っているかのような、次いで苦しそうな男の声が聞こえた。

 

「ァガアアアアアアアアア!」

 

 天を裂くような咆哮が轟く。

 あまりのうるささに、信独は手で耳を塞いだ。

 何が起きたのかを確かめたかったのか、それともただの反射行動か、うっすらと開いた目。それが、そして次の瞬間には大きく見開かれる。

 

「殺させるカァアアアアアアアアア!」

 

 そこには先ほどよりもずっと巨大になった青いドラゴンがいた。彼は新たにその背に生えた槍を掲げるように、天に向かって雄々しく吼えていた。

 

「■全■に戻■■か。だが■■駄■。究■■でも勝て■■■たこ■■忘れ■か?」

「そんなこと、知ったもんか」

 

 瞬間、青いドラゴンが消える。

 信独には目で追えない。ただ、遥か上空に青い残像だけが見える。そして、それはまるで流星のような光景だった。

 青が、降って来る。

 

「無駄■」

 

 対して、ロボットも軽やかに飛び上がった。

 青と白が、幻想と科学が、遥か上空で激突する。

 

「っ!」

 

 凄まじい風が吹き荒れる。信独は吹き飛ばされまいと必死に堪えた。

 風が止む。瞬間、何かが落ちてきたように地が揺れた。

 

「……タツノオトシゴ……!」

「ぐ、く……!」

 

 見れば、落ちてきただろう青いドラゴンが、必死に立ち上がろうとしていた。その首には大穴が空いていた。

 誰がどう見ても致命傷だ。だが、それでも必死に立ち上がろうとしている。

 あんまりにも痛々しい。あんまりにも苦しい。当人のみならず、見ている方も。

 だから。

 

「……もう、いい」

 

 だから。

 

「もういいから! もう――!」

 

 だから、信独は叫ぶ。諦めていい、やめてくれ、と。

 幼い子供が叫んだ、おそらく人生で初めての後ろ向きで悲痛な願い。それを聞いた青いドラゴンは、静かに信独に視線を向けた。優しげな、それでいて力強い視線だった。

 まるで、大丈夫だと言いたいかのような視線だった。

 

「っ。大丈夫なんかじゃっ」

 

 思わず口に出す。

 だが、それを遮るように、苦しそうにドラゴンは喋り始めた。事実、苦しいのだろう。それでも、彼は信独の想いに応えるためだけに無理を押して口を開いたのだ。

 

「生きている中じゃ何度も壁にぶつかるけどな」

「何を……?」

「乗り越えられる壁だけ登ってそれ以外の壁から逃げるようじゃ、いつか乗り越えられる壁からも逃げちまうようになるぞ」

「だからって!」

 

 不安を隠せない信独の視線は、空から降りてきたロボットに向けられている。

 もう彼にもわかっていた。身体の大きさの差など関係なく、見た目の力強さも関係なく、ただあのふざけた外見のロボットがこの場で誰よりも強者であることが。

 

「立ち向かわなきゃいけないのさ。それが生きている者の義務で、生きている者だけが持てる権利なんだからな」

 

 青いドラゴンはようやく立ち上がることができた。だが、その身体はふらついている。

 トドメを刺す気なのだろう。まるで“溜め”ているかのように、ロボットの銃口はこちらに向けられたままだった。

 

「逃げることなんて許されない。――……逃げんなよ」

 

 逃げるな。

 厳しい言葉だ。それなのに、今も逃げ出さずに立ち向かう彼がそれを言っていると思えば、信独にはそれがどこか優しい言葉な気がした。

 

「きみは……」

 

 話された言葉の内容は、信独には半分も理解できてない。だが、今の彼の行動こそ、彼の言いたかったことなのだと。それだけはなんとなくわかっていた。

 

「うん。約束するよ……だから――」

 

 だから、思わず頷けた。

 

「だから、約束してよ。負けないって!」

 

 だから、切なる願いを信独は言えた。その泣きながらに吐き出された声は、大きく、それでいて静かに響き渡った。

 

「ァア、わかってるよ。あんまりみっともない姿も見せられねぇし」

 

 青いドラゴンは言う。その口元は、笑っていた。

 

「■呆め。■■中に■駄口■■■と■」

 

 その瞬間のことだ。閃光が青いドラゴンの胸を貫いたのは。

 その光景を信独は目を見開いて呆然と見ていた。目を疑った。

 

「え……?」

 

 胸を貫かれたはずなのに。であれば、死んでいてもおかしくないのに。

 そこには、青いドラゴンの最期はなかった。

 

「……なるほど、これが人の力ってやつか。お前たちが気になるのもわかるってもんだ」

 

 そこには、そこにいたのは六枚の硬そうな翼を持った、まるで神の如き黄金に輝く、()()()()()ドラゴンだった。

 

「けど、どうなんだろうな」

「馬■な。ゴッ■ドラ■■だ■? 貴■の先は■レイヤ■ドラ■■のは■――!」

「利用し合って、化かし合って、それでどうなるんだろうな。その先に何があるってんだろうな」

「知■■こ■を」

「ま、オレにはきっと関係ないことだけどな」

「■■――!」

 

 ロボットの腕の銃から閃光が放たれる。それは寸分違わずにドラゴンに直撃した。

 

「タツノオトシゴっ!」

 

 思わず、信独が叫ぶ。

 だが、すぐに彼は目にした。

 

「すごい……!」

 

 傷一つないそのドラゴンの姿を。

 間を置かず、ドラゴンの右腕の手甲から紅炎が走った。その紅炎が龍の形を成す。

 

「いけ。アモン」

 

 まるで生きているかのような紅炎の龍が行く。

 

「■■■――!」

 

 紅の炎が喰らうようにすべてを焼き尽くした。

 苦し紛れに放たれた光線も、それを放ったロボット自身も。ただそれだけで、呆気ないほどに、すべてが終わった。

 

「すごい……」

「……すごい、か。すごいのはお前なんだけどな」

 

 すべてが終わったというのに、信独は静かだった。あまりの事態についていけてないのかもしれない。

 

「僕の力なんて大したことないよ。何もできないのに」

「ま、そうかもな。でも、すごいさ。あの積み木の城をオレは覚えてる。結局のところ、自分にできないことをできるなら、すごいのさ」

「……なら、僕もすごいってことでいいのかな」

「きっとな。少なくとも、オレはお前に助けられた。お前が知らなくても、気づいてなくても、それは事実だよ」

「そっか。僕もきみに教えてもらったよ。とっても大切なこと。辛くても、痛くても、逃げずに立ち向かい続けたきみから」

 

 泣きそうな笑顔を見せる信独に、黄金に輝くドラゴンは笑い返す。

 もう信独は大丈夫だ。彼にはわかった。

 

「……記憶、思い出したんだね。行っちゃうの?」

 

 信独は気づいていた。この後のことに。

 それは、何とも寂しかった

 

「ああ」

「また会えるかな?」

「どうだろうな。でも、会いたいなら会えるさ。友達だからな。会うことを諦めなけりゃ、きっとな」

「それじゃあ、うん。諦めないよ。きっとまた会おうね。また――」

 

 静かに、信独は目の前が暗くなっていく。

 「ああ、またな」そんな言葉が最後に聞こえた。その時、彼に見えたのは、いつかの夢の中で見た白い竜騎士だった。

 

――……!

 

 そして、声が聞こえた。

 意識が覚醒する。信独は目を覚ました。

 

「おはよう。ぐっすりだったね、ノブくん」

「ママ?」

 

 目の前には彼の母親がいて、そこが自分の部屋であることに気がつくのにそう時間はかからなかった。

 

「こんな時間に寝て。もう、夜眠れなくなっちゃうからね!」

「ふわ……うん……あれ? ねぇ、タツノオトシゴは? 見なかった?」

「タツノオトシゴ? なんで?」

「……そっか。やっぱり少し寂しいな」

 

その言葉を、彼の母親はどう捉えたのか。

 

「あっ。ねぇ、今度パパも一緒に水族館行こっか? きっとタツノオトシゴもいるよ?」

 

「うぅん。別にいいよ」と信独は勘違いしている母親に静かに返した。

 すべては夢だったのか、それとも現実にあったことだったのか、信独にはわからない。どちらにせよ、寂しいということに変わりなかった。

 

「あれ? ノブくん、そんなタオルケット持ってたっけ?」

「え?」

 

 ふと見れば、信独が包まって寝ていたモノを指差した母親は疑問顔をしている。

 見たことのない、深緑色のタオルケット。いや、タオルケットというより、これは彼の。

 

「うん。うん……!」

 

 それを握り締めて、信独は現実のような今日の夢のことを思い出す。

 今日だけの、それでいていつかまた出会えるはずの、友達。そんな“彼”には、大切なことを教えられた。それを、その事実を改めて胸に刻む。

 

「夢の中で出会った友達からもらった!」

 

 残された夢の名残を握り締めて、信独は笑った。




まずはここまでお読みいただき、ありがとうございました。
お久しぶりな皆様、お久しぶりです。
はじめましての皆様、初めまして。

以前、ここでデジモン系の小説を書いていた行方不明と申します。
とりあえず手持ちの小説を(強引に)完結させた後、名前通り行方不明でした。いや、一応こちらのサイトにはいましたが。

もう以前のように連載モノを書く気力は湧かず、というかそんな時間もなく、しかしながら小説書くのを止める気も起きないので、いろいろと悶々と考えた結果、短編形式の小説をぼちぼち上げていくことにしました。

もしかしたら繋がりある話も書くかもしれませんが、それでも二話~三話で終わる程度です。
たぶん。

ともあれ、不定期更新な上に月単位の亀更新になるとは思いますが、ぼちぼちやっていくのでよろしかったらこれからよろしくお願いします。

あと、この一話だけ上げるのもアレなので、以前書いた『デジモンストーリーサイバースルゥース~開かれた歴史書~』の加筆修正版を二話目に上げます。
それに伴い、以前のバージョンはそのうち消します。

それでは。
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