百物と語る英雄   作:オールドファッション

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二羽大薬

男は狩りを終えて山を降りると奇妙なものを見た。川のほとりで子供がひたすら繰り返し奇行を行っている。

羽織を脱いで、羽織を木の枝に掛け、羽織をまた着なおす。その繰り返しを延々としているのだ。

かと思えば、今度は何かの構えをし始めた。

一見して、何かの演武かと思ったが何か根本的な部分が違う。そして一連の動作には不思議と見応えがあった。

 

(なるほど、先ほどの奇行もこの流れの一環。女神や巫女が行う祈祷の舞と似ているが、これはとても”力強い”)

 

男がまだ天界にいた頃。舞は祝いの席で行うものであり、舞に込めるものは”願い”であった。なら目の前の少年はこの舞に何を込めている。何を思い、何を感じているのか。

一時の好奇心だったが、男はまだしばらく少年を観察することにした。しかし舞はすぐに終わってしまった。

 

理由は単純、少年の体力の限界であった。あれだけ力強い動きをするのに当人の体力のなさに呆れる。

少年は息を整えると今度は山深く分け入っていった。虚弱な少年がなぜこんな危険な場所を登るのか男は疑問に思い、男も気づかれぬように気配を押し殺してついていく。

 

「――これは?」

 

林を抜けて見えた光景に男は言葉を失った。

そこにあったものは庭園だ。美しく広がる花と緑、その隣には清涼な川の中で回転する歯車、水瓶の中には蓮のような植物が浮かぶ。

常人よりも遥かに長く生きてきた男でも、見たことのないものが庭園を象っていた。まるで幼小が初めて貴石を見つけたように男が目を輝かせていると。

 

「そこの御方」

 

不意に声を掛けられ、男は再び言葉を失う。

誰が思おうか。この中原においては知る人ぞ知る大英雄の押し殺した気配を、未だ齢十も満たない少年が察しようとは。化生の類かと背中の弓に手を伸ばしかけるが、少年の目を見て静止した。

その目はこの空の青色を全て閉じ込めたかのように蒼く、そして、何もよりも強く神秘を秘めていた。

 

「……”魔眼”か」

 

おそらくは気配探知、物体透視の類。それでも自身の気配を見抜くことは容易ではない。

男は少年への敬意の表れから男は彼の前に姿を現した。

 

「失礼した。何分、興味深い光景だったものでな」

 

「呵呵ッ。まあそうだろう。立ち話もなんだから椅子でも出そうか」

 

少年は歳の割に流暢な物言いだが、言葉に老健さがある。だが容姿はまだ幼くむしろ病弱。心体の矛盾に違和感を感じるものの、その老健さこそがこの少年らしさに思えた。

話してみれば少年は非常に稀なる叡智の持ち主であり、何より男と話が合った。少年と話していると同年代か年嵩な者と会話してる気分になるのだ。それが嬉しくもあり、また男にとっては希少な体験だった。

下界において男の名を聞いた者は誰であっても萎縮する。それ故に気心の知れた友人が少なかった。何気ない会話のやり取りが出来る相手ですら男にとっては貴重だったのだ。

男としては名を訊ねられることは好ましくないので、質問される前に自分から何度も不躾に問いかけた。それでも少年は嫌な顔せず懇切丁寧に答えてくれた。

 

「見事な庭園だ。手入れもしっかりと行き届いている。西王母(セイオウボ)さまの桃園であってもこれほどの手入れされたものはないだろう」

 

「いや、これは畑だ」

 

「畑?これらは野菜か?」

 

珍妙なものがいくつかあるが、なるほど、確かに畑だ。よく見れば一列に草花は並び、土は細長く直線状に盛り上がっている。だが並ぶ作物は野菜とは違う。実の実らない草や花を咲かせる物ばかり。

 

「大体は薬の材料となるものだ。こちらが葛根、麻黄、甘草、柴胡、生姜、芍薬、人参。こちらの木は桜、桃、月桂樹、桂皮、大棗、衛矛。他には動物性薬用に麝香鹿、蠍……いや、こちらでは全蠍か。あと鼈、蝦蟇も育てている」

 

「ではこの水瓶の花も?」

 

「これも薬の材料だが、本命は水耕栽培の実験だ。この山の水は栄養が豊富な分、肥料を用いらずともよく育つ。あぁ、水耕栽培というのは土を必要としない植物の栽培方法でな。種類にもよるが収穫も早いし、根に虫も付かぬから育てやすい」

 

土に埋めず作物を育てる水耕栽培は画期的な方法であった。男は旅をしながら各地を回ってきたので農業の重要性や手間がかかることを知っている。収穫が早く、虫による被害がないというのは現在でも驚くべきことだ。

 

しかしさらに驚くべきはこの薬の材料となる植物の数である。

漢方や生薬といえば中国が起源ではあるが、この当時はまだその方法が確立していなかった。三皇の一柱である『神農(シンノウ)』が薬草を判別し、殷の料理人であった伊尹がその料理の技術を工夫して湯液(煎じ薬)を作り、後漢時代には中国最古の本草書『神農本草経』が編纂され、後に梁の陶弘景によって本草経集注が書かれて以後の本草学の基本とされた。さらにそこから数千年の研鑽を重ねて形となるのだ。この時代で複数の薬を調合するという概念すらまだ希薄だった。

 

「これをどうするのだ?」

 

「調合する。葛根、麻黄、甘草、生姜、芍薬、桂皮、大棗を合わせれば『葛根湯』という薬が出来るのだ。初期の風邪、頭痛、中耳や乳の腫れに効く」

 

「な!?妙薬ではないか!」

 

葛根湯といえば現代では一般的な漢方薬である。安価で取引され日本のドラックストアでもよく見る薬だ。風邪も現代のように医療の確立した時代であれば大した病気ではない。しかし医療の確立しきっていないこの時代では黒死病に等しい不治の病である。それが治る上に複数の病気に効果がある薬を妙薬というのはこの”時代”では正しい。なぜなら葛根湯が歴史に登場するのは彼らの時代からおよそ二千年後。二千年の研鑽と文明の叡智がこの薬にはある。

 

「……待て。麝香鹿を飼っているといったな」

 

「あぁ、麝香鹿か。飼っていると言ってもこの山の中で放し飼いしているくらいだが」

 

「ということは、まさかこの山はお前の物か?」

 

「ふむ。私の山でもあるし、山麓の村の物でもある……と、言っても分からぬか。川の中で回転する歯車があるだろう。あれで村に水を送る代わりに私はこの山で薬の材料となる物を育てる権利を得ている。私の身は病弱ゆえに常に薬が必要なので薬材を育てるために広い土地が欲しかった。手入れの届かない場所はビオトープとして利用している」

 

「ビオトープ?」

 

「つまり、人の手の入らぬ自然環境だ」

 

この山の中には繁殖力の低い植物や外敵から身を守る術のない動物が生息する。将来的に絶滅するものばかりだ。中には薬材となるものあるが、殆どは食用にもならない野生種。それを保護するのは生前の性ゆえである。

しかし男にはそれが分からなかった。狩人である男は常に獣を殺すがそれゆえに命を尊び獲物への感謝の念を忘れない。確かに無益な殺生は罪である。だからと言って種を守る必要を感じたことはない。路傍の雑草を愛でようとは思わぬし、小さな羽虫を美しいとも思わない。不出来な種が淘汰され滅ぶのはこの世の理だ。少年の行いはその理に反している。

 

男は問うた。

 

「決まっている。人が栄え文明が発展するならば自然もまた繁栄し種を拡大することが常であろう。今はただの草や毒虫が後の世では万能薬になり、ただの害獣が交配によって人の食生活を支えることもある。種は多種多様に”進化”し、人はそれを利用するのだ」

 

「進化…」

 

驚愕。と、同時に心が震えた。

かつて三皇の一柱である女神『女媧』は泥をこねて人類を作った。その出来によって不出来な者と才ある者が分かれたという。不出来な者は何者よりも努力し、才ある者は才を活かす。しかし畜生や草の不出来は変わらない。それを少年は『進化』と言った。

 

「羽虫であれ、雑草であれ、どんな小さな存在であれ、我々らは気付かぬ所で共存しているのだよ。ならばこの世には不要な種など居らず、『不要』という言葉は、その存在の本質に気付けない愚者の定義だろうさ」

 

大胆不敵に少年は天を仰ぎ見て笑う。

それはまるで、種の質を判ずる神々を嘲笑うかのようだった。

 

「――っ!」

 

男は衝動的に叫んでいた。言葉などなくただ感激を含んでいる。

突然の咆哮に少年は目を開く。男は相手に倣い、深く頭を下げていた。

 

「先ずは非礼を詫びる。私はこの山に無断で分け入り、其方の獣を殺めてしまった」

 

男は背中に背負った袋から大きな鳥を出した。鳥の首には白羽の矢が突き刺さっている。

 

「獲物は二羽の大鳥。より大きい獲物は焼いて山の神の供物に捧げた」

 

狩人は殺めた動物の種族繁殖を願い、その土地の神へ感謝を表し獲物に狩猟儀礼を施す。男は誰よりも神霊に尽くしたため、捧げる獲物も大物をと張り切るのだ。しかし少年の話を聞いて自身の矮小さを恥じた。

 

「あれほど見事な鳥を二羽も殺してしまった。おそらく希少な鳥だったろうに!」

 

「ふむ。たしかに見事な野鶏。しかし見事に急所を射るその弓術もまた見事か」

 

少年は狩猟に関して否定的ではない。生きていくには肉は必要なものだ。ならば肉を手に入れる為の狩猟も必然。それに狩猟の腕に長けたものなら苦しめずに仕留められる。狩猟文化が正しく発展すれば、自然への被害も少ない。男の弓術もさることながら、誠実な態度を気に入った。

 

「許す。と、一言で貴方の心が晴れるとは思わん。ふむ、ならばこの葛根湯を広めてはくれないか」

 

「葛根湯を…?」

 

「今、中原に出回る民間療法は出鱈目なものばかりだ。私はそれが我慢ならん。正しく薬学の知識を広めればこれから先、何千何万の命が救われよう」

 

「そ、其方は二羽の代わりに多くの人を救えというのか!?」

 

人民救済という大業。男にとっておよそ”八つ目の大業”であった。

 

(これほどの偉業ならあるいは……否。帝嚳(テイコク)の怒りは根深い。何よりこれは私の功績ではないのだ)

 

ふと、頭を過る甘い考え。再び己の矮小を恥じた。

 

「なぜ其方自身が葛根湯を広めぬ?」

 

「童のいうことなどただの戯言と括られるのが見えている。貴方の身形からして旅人であるならこれからも多くの土地を回るだろう」

 

「しかし…」

 

男の頑なに首を縦に振らぬ姿に少年は一考した。男の決意は固い。ならば落とし所は何処だ。

少年は弓に目を向けた。

 

「では私のために弓を作ってくれないか」

 

「…”弓”、か?」

 

「体力作りついでに武術を学んだが、病弱ゆえに矛すらまともに振るえぬ。力のない者でも引ける弓があるならば作ってくれ」

 

少年の何の気なしの言葉だった。呵呵っと笑う少年と違い真剣な面持ちでいる。

少年は中国神話最大の弓の英雄に弓を作れと申したのだ。

 

「承った。必ずや最高の弓を作りましょう」

 

「呵呵っ。楽しみにしているぞ」

 

その後、英雄は弓の材料集めに三年の歳月を掛けたという。

 

 







伯翳「薬を広められる上に初心者用の弓まで作ってくれるとは……なんて親切な人だ!」





・西王母
すべての女仙を統括する神仙、または女神。
不老不死の仙桃を管理している。西王母が主催した『蟠桃会』で孫悟空が桃を食い散らかした話は有名。

・神農
三皇の一柱。人々に医療と農耕の術を教えた伝説の皇帝。
伝説によれば神農の体は頭部と四肢を除き透明で、内臓が外からはっきりと見えたという(◯リスタル・ボーイ)

・女媧
三皇の一柱。泥から人を創造した伝説の女帝。
姿は蛇身人首で伏羲とは兄妹または夫婦とされている。

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