百物と語る英雄   作:オールドファッション

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中学の頃に古文の先生から聞いた中国神話に影響されて、興味本位で書いたこの作品が日間ランキング二位に上がってたのを見た。ふと先生の顔を思い出したOF(オールドファッション)

ユウーさん、yu-さん、黒杜 響さん、夜渡さん、さーくるぷりんとさん
誤字報告ありがとうございます(`・ω・´)/


逢蒙殺羿

中国神話に於いて羿は不幸を象徴するような英雄だ。優れた弓の名手であり、築いた偉業は数知れず。しかし天帝である帝嚳の恨みを買い神籍を奪われ、妻の嫦娥にさえ裏切られ地上に一人残された。

 

不幸の連続である彼の人生の結末は、救いのない不幸で終わる。

 

 

 

羿の家僕(しもべ)に逢蒙(ホウモウ)という男がいた。放浪の道中、孤児であった逢蒙を助け、以来、家僕として付き従っている。羿に忠実に従え、物覚えもよく、何事もそつなくこなす働き者であったが、人知れず心の奥底に野心を秘めていた。気紛れで弓を教えたところ、羿も感嘆するほどの才覚を持っており、羿から学んだ弓の技を余すことなく取り込んだ。

 

いつしか逢蒙は羿と並ぶ弓の名手になろうと思った。いや、そうなるべきなのだと、確固たる意志を以っていた。それこそが拾われた恩義を返す唯一の方法だと直感し、日々の修行の難苦も、羿へ近づいていると実感できれば、それは至上の悦びだった。

 

”いつしか僕も、あなたのような英雄になりたい”

 

逢蒙はただ純粋に羿を慕っていたのだ。

主人としても、師としても。或いは『  』としても。

 

全てが狂い始めたのは、羿が蒼目の少年とであった時からだった。

その出会いから羿は口癖のように蒼目の少年の話をするようになった。逢蒙にはただ少し風変わりな子供のようにしか思えなかったが、羿が言うのならば、それはきっと良くできた人間なのだろう。

 

しかし看過できないこともあった。

話を聞く限り、羿はその蒼目の少年と特別な関係を望んでいるように感じた。言葉に出すのも癪だが、盟友としてその少年を迎えようとしているのではないかと。

 

ありえないことだ。いや、あってはならぬことだと憤った。

たかが人間が、それも子供がこの尊き英雄の盟友に迎えられるなどあってはならぬことだ。確かに学問に於いての才が突出していることは疑いようもない事実。しかし歳があまりにも掛け離れているではないか。何より武人である羿と肩を並べるには少年はあまりにも脆弱すぎだ。この英雄の盟友には相応しくない。

やがて逢蒙は悟る。羿に相応しい者とは、彼と同じく卓越した弓の名手である、と。だからとて、家僕である自分が主人に反論できるはずも無く、静かに心に宿った黒い情は増して行くばかりだった。

 

そして天運に導かれるかのように三年の年月が経て行く。

羿は少年と出会った日から各地を放浪し、何かを作るため素材を集めだした。何を、何のために作るか、逢蒙は知らず、また羿から問いただそうとも考えなかった。ただ愚直に修行することで己の中にある邪念を払うことに一心したためであるが、それが二人の間に溝を作ることとなったのだ。

 

鋼鉄よりも硬く石より軽い(ツゲ)。年老いた鳳凰が年月を経て成る(ラン)の血の(ニカワ)。決して生き物を傷付けぬ額肉に包まれた麒麟(キリン)の角。かつて堯の命にて討伐した修蛇(シュウダ)のヘビ皮。蓬莱山を背負う霊亀(レイキ)の綠毛。

 

素材が集まり、それが姿を成した。

 

弓だ。

ただ白く、しなやかで、か細い弓は羿が持つ丹弓によく似ている。羿はこの弓に白弓(ハクキュウ)と名をつけた。素材といい、その出来栄えは丹弓に引けを取らず、この弓は丹弓の姉妹弓に相応しい物だった。

 

逢蒙はこの弓を見た瞬間、魂が燃え上がるような激しい欲求を感じた。

この弓が欲しい。丹弓と並ぶこの弓が欲しい!

愚直に羿に付き従ってきた逢蒙が、初めて主人に抗ってもいいと思わせるほど、その弓には異様なまでの魅力があった。それは弓を扱う者にとって至高の物だと断言できるほどに。

 

だから、その言葉を聞いた時、黒い情はついに爆発した。

 

 

”漸く、貴方に相応しい弓が出来ました”

 

 

逢蒙はその言葉に呆然とし、やがて憤りが狂熱となり燃え上がる。

何故だ!?何故、あの少年にこの弓を与えるのか!?何故、少年なのだ!?何故、己でないのか!?

この神器の如き弓を、弓技が何たるかも知らぬ子供にやるなど、弓を志す者ならば許せるはずがない。この憤りは正当な感情だ。断じて醜い『 』ではない。

 

燃えるような狂熱が逢蒙を焦がした。

この弓を与えられる少年を憎み、与えんとする羿に不信を感じ始めると、爆発した黒き情は渦を巻く。行き場をなくした情は大きな渦となり逢蒙を苦しめた。

 

 

――その日の夜。平野のど真ん中で布を敷き、二人が死んだように眠りについた。ふと、何者かの足音を感じて目を開けると、逢蒙の夢枕に、黒い心を見透かした九人の女仙が立っていた。

 

 

凄まじき陽の光輝、神威を帯びてはいるが、激しい憎悪をその双眸に宿している。その神、或いは怨霊の圧倒的存在感に肌が粟立った。羿と共に各地を放浪し、数々の魔物や霊獣の類を見たが、初めて底冷えするような寒気を感じた。

 

やがて、仙女たちは甲高い笑い声と共に語り出す。

 

『可哀想ニ、アア、可哀想ニ』

 

『羿ハ愚カダ』

 

『何処ゾノ人間ノ餓鬼ニ、アノ弓ヲ与エヨウトハ』

 

『アノ弓ニ相応シキハ御前ダ』

 

『アノ弓ガ欲シイノデアロウ』

 

身を焦がすような熱気が言葉と共に立ち込める。しかしその言葉の一つ一つが心地よい甘美となって脳に響いた。それが耳に毒を注ぎ込まれているとも知らず、逢蒙はその言葉に少しずつ耳を貸して行く。

 

『御前ガ望ムノナラバ、アノ弓ヲ呉レテ遣ロウ』

 

「し、しかし、それは主人の意向に反します」

 

『ソレナラ良イ方法ガアルゾ』

 

「ま、誠でございますか!?」

 

『何、簡単ナコトヨ』

 

『アア、簡単ダ、実ニ簡単ナ事ダヨ』

 

仙女たちは不気味な笑みをさらに深めて言う。

 

 

『『『『『『『『『羿ヲ殺シテ奪エバイイ』』』』』』』』』

 

「なっ……!?」

 

女仙たちの言葉に逢蒙は呆然とし、その次に不理解に襲われた。

道理や論理を置いても、まず、この英雄の殺害方法など思いつくはずがなかった。

女仙たちの言葉に疑問符を浮かべる逢蒙を見て、一人の女仙が袖から桃の枝を取り出す。

 

『之ハカノ不老不死ノ仙桃ノ枝。我ラノ呪詛ニヨリ元来ノ性質トハ真逆、猛毒ノ呪イト成ッタ』

 

『之ノ枝ヲ羿ノ背ニ突キ刺セバ、然シモノ英雄モ生キテハオレマイ』

 

「だが、…それは不義たる行為だ!僕は主人を殺してまで弓を望んではいない!」

 

その言葉には嘘偽りがなかった。

家僕として未だ忠義を以って尽くしており、主人へ抱く不信も罪悪感となって彼を深く苛んでいた。

だが、それ以上に弓が蒼目の少年へ渡る事を、この女仙たちは見透かしていたのだ。

 

『別ニ御前ガ其レデ良イト言ウナラバ構ワナイ』

 

『シカシ其ノ場合、弓ダケガ人間ノ餓鬼ニ渡ルトハ限ランゾ』

 

「何……?」

 

予想外の言葉に耳を傾ける逢蒙の耳に、女仙たちは更に毒を注ぎ込む。

 

『アレハ謂ワバ羿ノ親愛ノ証。其レハ羿ガ御前ヨリモ、人間ノ餓鬼ニ信ヲ置クニ他ナラナイ』

 

「そんな筈ない!主人は僕に最も信を置いてくださる!」

 

『ナラ、何故ソコマデ恐ル?』

 

その瞬間、逢蒙は自身の体の震えに気がついた。震えを止めようと体を押さえつけるが、認識した瞬間から震えは激しさを増すばかりだった。

何時、何故震えが起きたのか。

 

神威を恐れたからか?

否である。

 

毒言から語られた忌むべき企てへの怒りか?

否である。

 

主人へ不信を抱く自身への罪悪感からか?

否である。

 

『御前ハ恐レテイル。信ヲ失ウコトヲ、再ビ捨テラレルコトヲ』

 

震えは更に激しさを伴った。自身の確立した意識も持たぬ過去に刻まれた傷が、その魂を蝕む。色々な事が、脳裏をよぎった。初めて羿に弓の腕を褒められた嬉しさ。強大な存在を圧倒する羿への憧れ。大切な思い出をそれが塗り潰していく。

忘れたと言うには恐ろしく、過去というにはあまりに鮮明。全て支配し、全てを奪われる。それが彼の最も恐れていた物の正体。

 

孤独だった。

 

周りの視線など構わず、嗚咽と悲痛な声が木霊する。

嘲笑うかのように口角を持ち上げた仙女たち。母のように逢蒙に寄り添い、毒婦のように絡み付いたそれは、更なる甘美な毒を流し込む。

 

『奪ワレルノガ怖イナラ、御前ガ奪エバイイ』

 

『羿ヲ殺シテシマエバ、御前ハ永遠ニ其ノ信ヲ得ル』

 

「永遠の信…」

 

唯々、それは甘美で蠱惑的な言葉だった。永遠であれば、それは普遍であり絶対の証明。それがたとえ義に反する行為だとして、この乞食のように震える逢蒙には、抗い難い甘言だった。

 

 

 

 

ふと目を覚ますと、平野のしっとりとした生暖かい風が頬を触れる。女の甲高い声の代わりに虫たちが騒がしく鳴いていた。先の出来事が全て夢幻のように思えて、安堵とともに、どこか惜しいと心に痼りを感じた。

 

カラン、と乾いた音が鳴る。

振り向いた先には、夢の中で見たあの桃の枝があった。再び体が震え始め、耳元では先の毒が残響して木霊していた。幸か不幸か、羿は逢蒙に背を向けたまま深く眠り込んでいた。

 

殺セ、殺セ、殺セ、殺セ、殺セ……!

 

注がれた毒がその呪いを反復して唱え、羿から培った論理を汚濁する。

 

「――そうだ。あなたに相応しいのは、僕だけなんだ」

 

意識が闇へと溶けて、逢蒙は枝を手に握っていた。

心中にあるのは、ただ永遠の信を得るが為という恐れのみ。

 

狩りの為に身につけた気配を殺す技で背に迫り、背に突き立てんと枝を振りかぶった。

パキッと、乾いた音がなる。

羿の背に突き刺さるはずだった枝は、羿の後頭部を微かに掠めた。殺気を感じ取った羿は瞬時に覚醒し、狩人の素早い立ち回りで枝の刺突を躱そうとしたのだ。枝先は羿の後頭部を擦り、細々と砕け散った。

 

しまったと、逢蒙が後ろへ下り本来の獲物である弓に手をかけるが、羿はすでに丹弓と白弓を抱え、夜の暗がりへ駆ける。心なしか、いつもより足取りが乱れているように見えた。呪いが効いているのかもしれないと、その万に一つの期待に全霊をかけて、羿を殺す為に逢蒙も駆ける。

 

百里を駆け、千里を駆け、万里を駆ける。

英雄との競走は中原全土を駆け巡り、それは夜が明けるまで続く。

 

やがて暁が昇り、空が白み始めたころ、崖の手前で息絶えた羿を見つけた。

枝先に触れた頭は赤黒く染まり、焼け爛れたように泥状に溶けている。さしもの羿も呪殺されたのかと、そう思った逢蒙は己を恥じた。

 

「嗚呼…嗚呼!!羿よ!やはりあなたは英雄だ!!」

 

羿は持っていた鏃で喉元を切り裂き、自害していた。家僕に寝込みを襲われ呪殺されるような恥は晒さず、自身の手にて命を絶つ。まさに英雄らしい最後だと、より一層、羿への尊敬の念を深めた。

 

彼はその崖の近くに羿の霊廟を築き上げ、羿の遺体を埋葬した。この英雄が後の世も長く称えられるようにと、過去の恩と尊敬を込めて祈るのだ。

驚いたことに遺体の側に白弓はなかった。暫く辺りを見渡しても弓は見えず、競走を終えた逢蒙も再び中原を駆ける余力があるわけも無く、結局、白弓のことは諦めた。

 

「もう、あんな弓など必要ない。僕は羿の魂そのものを手に入れたのだ!」

 

そう言うと、羿の英雄として象徴たる丹弓を愛おしく握り締めた。信の象徴よりも、羿の魂そのものこそが尊い物と考えたのだろう。

驚くことに丹弓は逢蒙を拒むこと無く、彼を次の持ち主に選んだ。これには天上の神々ですら目を見開いた事だ。

 

「弓は僕を選んだ!今日、この日より、僕がこの国の英雄に代わる!」

 

丹弓を掲げ、高らかに声を上げる。

中原一の弓の名手は我也と。中原全土に声を轟かす。

 

やがて多くの人が羿の死を嘆き、同時に新たな英雄の誕生を恐れ称えた。最初こそ英雄殺しと揶揄されたが、いつまでも天が罰を下さないと見ると、誰も逢蒙を非難しようとはしなくなった。

事態は一見すると、誰かの思惑通りに、何事も無く新たな英雄の誕生を受け入れて行くように見えるやもしれない。

 

だが、見落としはあった。

白弓の紛失もそうだが、これは逢蒙とその黒幕も最早眼中にはない。ただ、それが無くなったのではなく、誰かの手に渡ったとなれば別であった。

 

彼らは知らない。

 

羿の周りに漂う清涼な桃の芳香。そして、羿が死ぬ直前に使った矢が一つだけではないことを。

 

白弓は桃の仙人へと渡り。羿の最後の思いは――彼が確かに受け取っていたのだ。

 

 




次回『主人公、久しぶりに登場する!』





・逢蒙
羿の家僕。羿から弓の技を教わり、逢蒙は羿の弓の技を全て吸収した後、「羿を殺してしまえば私が天下一の名人だ」と思うようになり、ついに羿を撲殺してしまった。このことから、身内に裏切られることを「羿を殺すものは逢蒙」(逢蒙殺羿)と言うようになった。

・柘
将棋やチェスの白い駒の材料になる木。材質は軽く、木目が細かく詰まって丈夫な木。

・鸞
鳳凰が歳を経ると鸞になるとも、君主が折り目正しいときに現れるともいい、その血液は粘りがあるために膠として弓や琴の弦の接着に最適であるらしい。

・麒麟
普段の性質は非常に穏やかで優しく、足元の虫や植物を踏むことさえ恐れるほど殺生を嫌う。
『礼記』によれば、王が仁のある政治を行うときに現れる神聖な生き物「瑞獣」とされ、鳳凰、霊亀、応竜と共に「四霊」と総称されている。

・修蛇
巨大なヘビで、大きな波を発生させたり、湖水を行き交う船を破壊したりして人々を苦しめていたが、堯の命を受けた羿によって退治された。原典では黒い蛇とされるが、今作は白蛇になっている。

・霊亀
中国神話等では、背中の甲羅の上に「蓬莱山」と呼ばれる山を背負った巨大な亀の姿をしており、蓬莱山には不老不死となった仙人が住むと言われている。東洋の神話等においては、亀は千年以上生きると強大な霊力を発揮し、未来の吉凶を予知出来たのではないかと言われており、霊亀もまた千年以上を生きた亀が強大な霊力を得た事で変異・巨大化したのではないかと言われている。

・緑毛
蓑亀などに生えている尾のような藻。蓬莱山の根。

・中原
黄河を始めとする国。中国の起源となる国。

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