百物と語る英雄   作:オールドファッション

7 / 7
逢蒙と語る(上)

「ただ分かり合える友が欲しかった」

 

山の中で風音を過ぎ去り伯翳の声だけが良く響く。まだ幼さが残る声音は、その芯に老健さを宿しているように思えた。

 

聞き手に立ち回るのは、元々この山に生息していた者や、傷ついていたところを保護された者、伯翳に興味を持って住み着いた者。聞き手の多くが山の動物達であった。その他に精霊種の類もいたが、それらは伯翳の与り知らぬところで縁を結んでしまった者たちで、この者たちの存在に関しては、じつは伯翳の認識の外にいた。

 

このような人外たちに彼が囲まれているのは、それは彼がこの世界に転生してから今現在まで、自然環境や野生動物の保護。民間の農業技術と医療技術の発展。これら多くの自然技術の向上に努めてきたからであり、何より彼自身の大らかな人柄が一層人外たちの好意を集めているからである。或いは彼の前世の功績が、こうして自然との奇縁を生んだのかもしれない。

 

彼らは純粋にこの寡黙然とした少年が、自らの事を話し始めたことに興味を持ち、そして”矢文”を読んでから影を一層落としたことを案じている。

 

「誰かの死なんて、長く生きていればそれほど珍しいことでもない。何度喪服を着たか思い出すのも億劫になるほど、それはあまりにも多く、私は……経験してきた。何度も経験してきたがなあ……やはり、知己が死ぬのは嫌だ。慣れんもんは慣れんな。辛いわ、悲しいわ、色々思うことはある」

「だが仇討ちなんてしようとは思わん。こんな非力な餓鬼が行ったとして、早々返り討ちになるだけだ。肥後もっこす熊本人なら死んでも行きそうなもんだが、戦後から考えも変わり、負ける戦や神風特攻なんか昔話の類いになってしまった」

 

人が人を殺すことが、人間社会では禁忌とされていることは聞き手も理解している。動物は自然界に於いて闘争と捕食は弱肉強食の大義名分の基に行われる生存競争の一端であるが、殊に人間は名誉の決闘や私怨で同族を殺そうとするのは、聞き手にとっては理解しがたい行為だった。

自然では個の生物より、それを含めた種族全体の繁栄に重きを置く。生命の捕食と死のマイナス、生命の誕生と繁栄のプラス。この引き足しに沿った生命のサイクルにより、彼らは種の保存に特化した合理性を持っている。それこそ神代の自然の触覚たる精霊種ならば、尚のこと合理性の塊のような存在だろう。

 

人間たちが何を思って戦うのか理解が出来ない。人間が個の命の損失に何を感じているのか理解が出来ない。

 

後半の内容はよくわからないが、仇討ちに関しては、それは聞き手も皆が頷く。彼はまだ幼く、そして何より虚弱なのだ。性格こそ老健、豪傑、豪胆という三拍子揃った質実剛健な人物ではあったが、風が吹けば倒れるような弱々しい若葉だ。人間、情や義理を重んじたとて、死ねば終わりだ。野生ですら合理性を尊び、百獣の王は無理な戦いはせずに逃亡を選ぶ。必死の戦いなど何の意味もないのだから。

 

 

ーーならば何故と、身支度を整えた伯翳に問う。

 

 

伯翳は身支度を終え、背を向けたまま語る。

 

「勝てるとも思えんし、割に合わんと思う」

 

勝算など無きに等しく、役者不足も甚だしい限りだ。合理性などなく、それこそ損失ばかりで得る物など何もないように見える。

 

「分からんだろうな。お前らは賢いが、それこそ人の心がない」

 

心?心とは何だ。それがあれば貴方を理解できるのだろうか。

 

「それが知りたいなら、お前らは互いを思い遣ることだ。仲間を思い、家族を想い、死者を憶い。そして”おもわれろ”」

 

伯翳が歩く度に山の緑が追うようにざわめく。風が追従しているのだ。傍に寄り添う燕が風に乗って彼の後ろ姿を見送くっている。

 

「私は、いや、わしゃな。あいつに想いを託されたんだじゃ。それが死者との盟約ともなれば、男が逃げるわけにはいかんじゃろう。それに、子を叱るのは爺の特権じゃ」

 

伯翳が赴くのは恐らく死地に他ならない。だが誰も止めるものはない。あるのは羨望の眼差し。何故その小さな背中が、こんなにも力強く、信任を預けたく思うのだろう。

 

それは魂の記憶。過去未来現在を超越した契約の照明。過去。いや、未来に彼が星と築いてきた”絆の証”である。

 

ちょうど木の陰から一匹の尾のない狐が顔を出す。視線の先には木洩れ陽に映る暖かな好々爺の顔が見えた。

 

 

 

 

伯翳は荷車に乗りながら昨晩の夢の内容を思い出していた。

 

神々の光輝を圧縮した存在は眼前にて悠然とそびえ立ち、その指先は遥か西方の地を指し示している。

平伏する伯翳にそれは告げた。

 

『汝、英雄に弓の術を乞うならば、それ即ち師弟である。ならば弟の罪を裁くのもまた弟なり。偉大なる師へ背いた弟子を、◾︎◾︎殺しの大罪人をうち果たせ』

 

神の名は帝嚳。帝堯の一つ前の代の王であり、羿を下界に落した当事者でもある。死後は五方の方角を治める天帝として金帝、即ち西方を管理する地位に迎えられたのである。因みに黄帝は中央を統括する土帝の地位にいる。

 

帝嚳の眼差しはとても冷徹で、伯翳の容姿を見て小馬鹿にするような意すら感じ取れた。我が子を射殺した男の弟子であるのだから、それを見て良い思いはしないのは仕方がない。しかしそれを隠さず、ましてや明らかに表情に出すというのは天帝としてまずあり得ないことだ。

伯翳とて前世は長寿を全うした人間。無限の生命を持った天帝ではないにしろ、それなりに培った年の功と言うものがある。幼き老人はこの事件に関してどこかきな臭ささを感じ取っていた。

 

(ここで真実を糾弾したとて意味はない。しかし……)

 

伯翳は平伏しながらも、心のうちでは沸々と沸き起こる感情を殺していた。

 

夢から覚めてからの行動は早かった。母への手紙を残した伯翳は側女たちに山の管理を頼むと家を出て、数歩で息切れをしているところに通りがかった荷車に乗り込んだ。

 

目指す場所は羽山(ウザン)。嘗て、堯の臣下である(コン)が治水に失敗したため処刑された地である。羽淵という深淵なる淵があり、亡者の魂を引き寄せるという。今も鯀の魂は淵の底を漂っているのだろう。

そしてもし、伯翳が死んだらその魂は冥界へ行くことなく永遠に羽淵に捕らわれる。

 

季節は巡り、秋から冬へと変わった。この頃の中国の冬はとても厳しく、吹雪の寒さで木々の幹が裂けるほどだったという。

伯翳は旅の途中、荷車を降りて移動手段のため街で白い馬を買っていた。馬は伯翳によく懐き、寒い夜や体調を崩した際などは伯翳の側に寄り添い彼を温めてくれた。

 

旅の中で伯翳は色々な策を考えていたが、何分、自身の身を守るものが何もなかったので胸の内で燻る不安を拭うことはできなかった。果たして弓の達人である逢蒙にどこまで通用するだろうか。

 

冬の酷寒も極まり、五臓六腑を締め付けられるような夜が続く。羽山へおよそ20里ほど差し掛かり、伯翳は洞穴の中で夜風をしのいでいると美しい女が現れた。女は伯翳を見つめると顰めたり唸ったりと複雑そうな思いを留めて白い弓矢を渡す。

伯翳はふと昔に羿に弓の製作を依頼していたことを思い出し、旧友と再開したような優しい表情へ変えた。

 

「約束の一つは果たした。もう一つの方はお前が無事に生き残ることができたら考えてやろう。だから後はどうなろうと妾の知ったことではない」

 

女は何やら含みのある言葉を言って去って行った。伯翳は女のあとを追ったが、洞穴を出ると女の姿はどこにもない。ただ、側にあった桃木が季節外れの花を美しく咲かせている。

 

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 

冬の羽山は雪深く降り積もり、ほっそりとした山の木々が雪化粧で大きく着飾る。不安定な足場で逢蒙は木を支えにして、雪の表面を眺めていた。

彼もまた帝嚳から命を受けて羽山へやって来たのだ。

 

(天帝は僕の命を狙うものが羽山に現れると言っていたが……)

 

天帝の言葉を信じた逢蒙は羽山へとやって来たが、雪の大地には人の足跡はなかった。弓を狙う賊や武人の腕試しの類かと思っていたが、何やらそれらとは毛色が異なる。山へ踏み入った瞬間から違和感のようなものを感じていた。

 

気を引き締めて周囲を眺めていると、

 

”ザッ”

 

逢蒙の耳にたしかに足音が聞こえた。音の方向へ向かうと大きな川が行く手を阻んだいる。跳んで向こう側へ行くのは難しく、冬に川の中へ入るというのも一層危険なことである。

 

困っているところに丁度雪が積もって白く染まった橋があった。足踏みをして強度を確かめ、大丈夫そうだと逢蒙は橋を渡る。しかし、真ん中まで差し掛かった途端に橋は崩れ始めた。

 

「っ!」

 

困惑など置き去りにして、逢蒙は腰布を解くと向こう側の木へ絡め命綱とした。肝を冷やしながらも布を手繰り寄せて向こう岸へたどり着くと、橋だったものへ目をやり驚愕する。

 

なんと橋だと思っていたのは縄を網目状に張り巡らした物の上に藁と雪を被せた物だったのだ。おそらく手前の雪だけは水をかけて押し固め、奥へ行くと重さで崩れるように作られている。

 

「くそ、やられた!」

 

違和感の正体とはこれだ。自然の中に潜ませた巧妙な罠。罠を超えて川越に踏みれた地なれば、それはすでに相手の術中の域である。

迂闊に動けば相手の思う壺だが、この寒さの中で動かずにはいられない。ならば策を打たれる前に、素早く策士を討つのみと考えた。

 

逢蒙は跳躍し一番背の高い木へと登る。弓の名手として鍛えられた眼力が山の果てさえも見渡し、視界にその姿を捉えんとした。視力を頼りに敵を探すのは判断として間違ってはいない。しかし生物は目だけで相手の存在を捉えるわけではない。

 

”ザッ、ザッ……”

 

再び、あの辿ってきた”複数”の足音が聞こえた。おそらく二人だ。

すぐさまその音の方角へ視線を向け、いつでも弓を射れるように構える。しかしそこで奇妙な現象に見舞われる。たしかに足音は聞こえるが、肝心の姿が見えないのだ。

 

(……どういうことだ?よもや姿を消す術の類?)

 

そこでさらに目を細めて音の姿を確かめると、それが人でないことに気がついた。白い馬がその体色を保護色のように雪山に溶け込んでいる。二人の足音だと思っていたのは馬の四足の音。

 

(野生の馬か?いや、ただの馬ならすぐに見つけられたはずだ!おそらく見つかり難くするため木陰を縫うように歩行していたんだ!)

 

これが手慣らされた飼い馬とわかると、自身が高所へ誘い出されたことを悟った。そして同時に背後から視線を感じ取る。

振り向くと後方には消えたはずの白弓を構えた子供が立っている。子供の容姿を見た瞬間、それが羿の言っていた伯翳だと確信した。

 

「伯翳ぃ!」

 

どす黒い憎しみを込めた怨嗟の声が山野へ響く。逢蒙の爆発した感情は決定的な隙だった。

 

伯翳の放った矢がまっすぐと向かっていく。羿と約束を信じて欠かさず弓術を学んできた努力がその矢には込められていた。矢は吸い込まれるように逢蒙を貫いた。

 

 

 

だが、矢は逢蒙を傷つけることはなかった。

 

 

 

「「!?」」

 

 

どういうわけか矢は逢蒙に突き刺さろうとした瞬間、透けるように体をすり抜けたのだ。これには両者とも驚愕する。しかし立ち上がりが早かったのは武人としての経験が勝る逢蒙。そしてこの名手が矢を外すことはない。

 

「ぐっ!」

 

逢蒙の矢が放たれた直後、伯翳の視界を半分奪った。

 

 







伯翳「イイッ↑タイ↓メガァァァ!!!」





・ヒント
麒麟は殺生を嫌う。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。