パックとのやり取りから直ぐ後、詰所を出た灰だったが、その頃には街の様相は既に地獄と化していた。乱雑に積まれた死体を前に、灰は弾かれたように渦中へと走り出す。遠くで声が聞こえた。
「進め、全て焼き払え!!」
急げ、急げ。見えない何かに追い立てられ、灰は逃げ惑う人混みに逆らいながら、大通りをひた走る。鼻に付くのは焼けた木材と血の匂い。耳に付くのは蹄鉄が地面を打ち鳴らす音と、甲高い悲鳴。額から血を流した男が、這う這うの体で街の出口へと駆けていく。衣服を剥がされた女が、殆ど体を隠せていない事すら気に留める事無く小さな子供を庇うようにして通りの隅へと身を潜めた。走る事もままならぬ老爺は諦めたように道の真ん中で蹲り、そして灰の目の前で今、年端も行かぬ少女が飛来した矢を背に受け、もんどりうって倒れた。全身をずたずたにしながらも顔を上げた少女の瞳と、兜の下に隠された灰の目が確かに合った。
「助けて下さい……どうか、どう」
すぐさま助け起こそうと灰が一歩前に踏み出したその瞬間、少女は頭蓋をかち割られ、脳漿と眼球をぶち撒けて呆気なく死んだ。灰へと向けられた言葉は、民衆を追い立てていた賊の馬が少女の頭を踏み潰した事で最後まで紡がれることは無かった。
踏み潰された頭に対して何かしらの感情が湧き上がるより先に、馬上の存在から向けられた殺気に対して反射的に灰の体が動いた。刹那、灰の喉を狙って切っ先が突き出され、しかし灰は咄嗟に自らの前へ左手の盾を差し込む事で敵の攻撃を防ぎ、事無きを得る。
馬に乗っていたのは、染みの目立った汚らしい平服の上からこれまた金属部がくすんだ劣悪なプレートアーマーを身に纏った、盗賊団の一員と思われる傭兵崩れ。鎧同様に傷んだ鉄兜をしていて表情は読み取れなかったが、スリットから覗く目は狂気に満ちている。一騎で現れた盗賊は次の獲物を灰に定めたらしく、手にした獲物である斧槍《パルチザン》の切っ先をゆらゆらと彷徨わせていた。
灰はただ静かに鞘からロングソードを抜き放ち、柄を握る力を強めた。左手に装備した騎士の鉄盾を眼前に持ち上げ、体の内に闘志を漲らせる。
馬上からの一突きを盾で逸らすようにして受け流し、そのまま懐へと一息に飛び込む。斧槍を突き出したままの伸びきった腕を狙って、今度は灰が剣を突き出した。パルチザンを持つ腕、その肘裏が深く切り裂かれ、思わず獲物を取り落とす盗賊。それを見た灰はすかさず突き出した右腕を自身の左脇の辺りへ持っていき、今度はがら空きの胴に対して剣を振り上げるようにして斬り付ける。剣は寸分違わず賊の右脇腹、鎧に覆われていない箇所を斬り裂いた。
太い血管を切ったのか派手に血が吹き出し、絶叫が木霊する。血と悲鳴に驚いた馬が暴れ出す。痛みで手綱を握っていられなくなった騎手が馬上から転がり落ち、そのまま馬の蹄によって兜ごと頭を砕かれ絶命した。
ひとまずは眼前の脅威を退けた灰であったが、ただ蹂躙するだけであった筈の一団から犠牲者が出たことで、賊の注意が灰へと向いてしまった。散漫だった殺気が一気に此方を捉える。
「野郎っ」「くたばりやがれっ!!」
仲間の死に最初に気付いた賊が、傍に居たもう一人を伴って汚い声で喚きながら馬を操り、馬上槍の切っ先を灰へと向ける。すれ違いざまに灰を突き刺し、一撃で離脱する気なのだろう。灰は懐からナイフを幾らか取り出すと、先頭を走る賊に向けて矢継ぎ早に投げ付けた。その殆どが虚しい音を立てて賊や馬の甲冑に弾かれるも、残った一部が此方へ駆ける馬の身体に突き刺さり、馬は騎手を巻き込んで激しく転倒する。倒れ込んだ馬から投げ出された賊はそのまま灰の眼前まで転がり、起き上がる事も出来ぬまま背中に剣を突き立てられて死んだ。
息をつく間もなく、先程殺した賊の後に続いていたもう一人が突撃。馬の上から身を乗り出しながら、手にしたロングソードを振りかざして灰を斬り付けようと試みる。咄嗟に横に転がって剣戟を退けた灰は右手のロングソードを鞘へとしまうと、先程の死体から馬上槍をぶんどって、すかさず再度突撃しようと馬を操る賊の目の前を目掛けて、火炎壷を投擲した。
灰の狙い通り、投擲された火炎壷は賊が操る馬の目の前に着弾。何も無い空間から突如として吹き上げた炎に馬が驚き、暴れる。騎手は鞍の上で必死にバランスを取りながらも何とか馬を宥めようと手綱を操るが、次の瞬間には馬上槍を抱えた灰が横合いから突撃。脇腹を下から突かれた賊は、くぐもった声を漏らして馬上から崩れ落ち、それきり動かなくなった。事切れた敵を見届けた灰は即座に馬上槍を手放し、いつ次の敵が来ても平気なように、鞘から素早く剣を抜いて構えた。追撃は無い。
「バケモンだ!」「相手は歩兵だ、退路潰して数で圧せ!」「お前行けよ!」
正規の騎士団で無いとはいえ、たった一人で重装の騎兵三人をあっという間に斃した灰に対し、盗賊団の面々から怯えが滲み出る。
灰が賊の方へと一歩踏み出せば、賊たちは揃って一歩後ずさる。もう、敵に先程までのような戦意は無い。しかしだからと言って、情を掛けて見逃してしまえば、彼等はまた何処かで同じ過ちを繰り返すことになるだろう。逃すつもりは無い、と言わんばかりに灰が力を込めたところで、賊の後ろ、
がばりと起き上がった影の正体は、傭兵のような出で立ちをした、体格の良い、若い剣士であった。黒鉄製と思しき鎧と、同じく黒色のマントを身に纏い、死体に隠れて柄しか見えぬものの、大剣らしき武器をその背に差している。
「し、死体の中から……!」
「ガッツ!!」
死体の崩れる音に反応し振り返った盗賊の一人と、上空で先ほどの惨状を見ていたパックの驚愕の声。そして黒い剣士がボーガンを付けた鉄製の左拳を此方へ向けたのは、ほぼ同時であった。
灰が咄嗟に盾を構えるよりも早く、剣士はボーガンに備え付けられたハンドルを握りこみ、一切の躊躇なく回し始める。機構が作動し、たった一人の手によって夥しい数の矢が発射された。狙う先は盗賊団と、不幸にもその直線上に立っていた灰だ。
吐き出された矢はその大多数が盗賊団の面々を串刺しにし、そしてやはり灰にも残った幾らかが迫る。左手の『騎士の盾』の後ろ側に体を隠してどうにか致命傷を防ごうと試みたが、重装兵用の大盾でもなければ全身を覆い隠す事はやはり不可能であり、どうにか矢の雨を凌いだと灰が思った時には、右肩と左足への被弾を許してしまっていた。幸い灰と剣士の間に距離があった為、矢傷は二箇所とも浅傷で済んだものの、それでも鏃が肉に食い込んでおり、右腕は力を込め辛く、左脚も踏み込めば激痛が走る程度には損傷していた。
痛む身体に鞭を打ち、ロングソードを杖代わりにして体勢を整える。灰の目の前に居た盗賊達は、その殆どが先程のボーガンによる攻撃で一網打尽にされていた。殆どの矢が頭や喉に刺さっている所を見るに、黒い剣士は狙ってこれをやったのだろう。辛うじて息のある連中も、とても戦える状態ではない。
「クソッタレがあ!!」
ボーガンの餌食から逃れた盗賊の一人が、矢が切れた隙を突き、馬を走らせて側面から攻撃を仕掛ける。ブロードソードを振りかぶりながら黒い剣士に肉薄する盗賊だったが、直後に
その光景に、戦場で灰は自らの目を疑った。否、灰だけでは無い。盗賊も、逃げ惑っていた街の民も、上から戦場を見ていたパックでさえ、誰もが一瞬その光景をさながらスローモーションのように知覚し、そして釘付けにされていた。
それは 剣と言うにはあまりにも大きすぎた
大きく ぶ厚く 重く そして 大雑把すぎた
それは 正に鉄塊だった
真っ二つにされた賊の死体が転がる音で、灰は漸く我に返った。体に刺さっていた矢を強引に引き抜き、エスト瓶を取り出し嚥下する。これらの動作に十秒ほど要したが、賊は一人として灰の方を見ていなかった。
たったの一太刀で馬の頸ごと切断された仲間を見て、賊は瞬く間にパニックに陥った。何とか足掻こうと武器を構え直す者も居れば、戦意を失い武器を取り落とす者も居た。
「ああ……」「勝てるわけねぇ……!」
恐怖が町中を伝染し、戦意を喪失した一人が堪らず逃げ出そうとする。こんな化け物の相手はゴメンだ、一刻も早くここから離れよう。そう踵を返した所で
「何処へ行くつもりだ?」
その言葉を耳にして、逃げようとした男の視界が高くなった。
「逃亡は許さん」
男の首が宙を舞う。彼が最後に見たのは、斧槍を横に振り抜いた首領の鎧姿と、膝から崩れ落ちる首の無い己の姿だった。
戦火はまだ、その勢いを緩めることは無い
次話もなるはやで書いていきたいと思ってます
あんまり期待せずにお待ちください