昨日の京は今日の恋   作:紅山車

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きっと阿知賀においてある自販機は「あったか~い」と「あったかくな~い」だと思う。


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「そういえば」

 団欒の場で、思い出したように竹井久は言った。

「あっちの方は大丈夫かしらね」

「あっちの方とは、一体どっちの方じゃ」

「ほら。咲やら和やらのいる、一年部屋の方よ」

「あぁ……」

 合点がいったように、染谷まこが顎を擦る。

「京太郎のことか」

「というと、あの金髪の……」

 本を読んでいた弘世菫が顔を上げる。

「そう。まぁ、彼のことだから、寝込みを襲うなんてことはしないと思うわ」

「……私も彼を信用はしているが。しかし、やはりどうかと思うぞ? 女ばかりの合宿に……」

「違う、菫。『旅行』」

 傍らの宮永照は、そう言って菫の言葉を遮るとまた手元のチョコクッキーを齧り始める。

「……私はそう聞いて来たんだがな。まぁ、そこは別にいいさ」

「さっき散々ぶつくさ言ってましたもんね、弘世先輩」

 苦笑いを浮かべながら、亦野誠子は言う。

「そのくせ、温泉一回入ったら『ま、まぁ今回のは大目に見てやるとしよう』だなんて、現金なんだから」

「……よぉーし、亦野。いい機会だ、今からここでお前一人合宿だ」

「あごめんなさい許してくださ」

 あちらで悲鳴が聞こえたようであったが、そんなことはお構いなしに話は進んでいく。

「須賀君は心配してないのよ。あぁ見えて、信頼の置ける人だし」

 ただねえ、と一つ溜息をついてから。

「……彼のあの体質には、まったく困ったもんだわ」

 曰く、困っていたところを助けられ。

 曰く、苦しんでいたところを説得され。

 曰く、思い悩んでいたところを励まされ。

 曰く――それらが原因で好きになって。

「あのフラグ乱立っぷりは、正直もうどうしようもないわね。須賀君が何人もいるのかって思ったぐらいだもの」

「冗談に聞こえんぞ、それは……」

 呆れたように、まこは言う。

「でも京太郎君は、東京で私が落し物をした時も拾ってくれたし。悪い人ではないのです!」

「うん、まぁ悪い奴では無いわな。別に、私は迷子になってなんかないけどな。ないけどな!」

 そう。松実玄と清水谷竜華が言うように、彼は悪人ではない。どころか超がつくほどの善人である(お人好し、ともいう)。

 問題なのは、その心配りが度を越していることであって。

「はぁ、京太郎君……。そんなにおもちが好きなら、私のおもちを堪能してくれてもいいのですよ……?」

「っべ、別にあいつの膝枕が気持ちよかったとかちゃうわ! でも、ま、まぁ、もう一回ぐらいはされてやっても……ええ、かな……」

「……うん。まあ、そうよね」

 そして、例に漏れず気にかけられた女の子が、京太郎のことを好きになってしまうことであって。

「でもまあ、いいじゃないか。須賀がいくらプレイボーイでキザなヤングだったとしても、自分から手を出すようなことはしないんだろ?」

 ワハハといつも通り笑い飛ばす蒲原智美の意見は確かに一理ある。

 しかし、久の心配事はそこではなかった。

「でもまぁ、なんだ。モモの方から手を出す可能性は、なくもないぞ」

「ワハハ、ゆみちん。流石にそんなことは」

 加治木ゆみの一言に蒲原は、暫し考えを逡巡させた後。

「あるなー……」

「だってあいつ……この間部室覗いたら、一人で窓の外眺めながら『はぁ……京さん……逢いたいっす……』とか呟いてたんだぞ……」

 気恥ずかしくて部室に入れなかった、とは加治木の談である。

 ともかく。

 心配なのは須賀京太郎の動向ではない。須賀京太郎の貞操なのである。

「……まあ、なるようになるんやないですか?」

 千里山の頭脳、船久保浩子は言う。

「確かに複数の女性を誑かすのは良くない、でも最終的に一人を選べばそれでええわけやないですか。花の高校生やし、部活に響かない程度なら恋愛くらいは自由にさせてやってもええんとちゃいますのん」

「お、おう……フナQ、なんか大人やなあ」

 江口セーラが感心したように船久保を見る。

「ふふん、そうでしょう? もっと褒めてもええんですよ?」

「さては大人の階段を既に登った後か! さすがやわー、フナQは経験済み! 凄い! 尊敬する! 抱いて!」

「先輩ちょぉーっとあっちでお着替えしましょーか? 浴衣なんかよりも可愛らしいフリフリ満点のお・よ・う・ふ・く・に♪」

「あちょ悪かったってごめん許してくださいなんでもしま」

 あちらで野太い声が響いたが気にしない。

「仲が良くて良いことね」

「あれがか……」

 えげつないことをサラリと言う前部長に軽く引きつつ、おや、とまこは気付く。

「そういえば、宥さんはまだ上がって来とらんのか?」

「そうだよー。普段っから長風呂なんだけど、やっぱり温泉って響きには勝てなかったみたいですのだ」

 今頃はお猿さんと一緒にあったか~いしてるんじゃない? とあっけらかんと言い放つ玄。

「しかし、このままじゃと一年が入ってきてしまわんか……?」

 時計を見る。夕食を食べ、すぐに二・三年組は温泉へと向かったため、まだ八時を少し回ったところであった。後輩たちが自分たちを先に入れてくれる配慮をしてくれたためであるが、時間からするとそろそろ浴場へ向かっていてもいい頃合である。

「とはいえ、五校合わせて二十五人が一斉に入っちゃったら、寛げるものも寛げないしね」

「そこに文句はないんじゃが……」

「……そういえば」

 渋谷尭深が湯呑みから口を離す。

「ここの温泉って、男湯は存在するんですか?」

「んーん。混浴風呂だけ」

 京太郎にその旨を伝えるといささか興奮した様子であったが、勿論それを許すべくもなく。

「覗いたらコークスクリューシュートね、って言ったらすごすごと引き下がってくれたわ」

「なんじゃその技は……」

「あーっと! てるくんとすみれくんのがったいこうげきだぁーっ! 的な?」

 想像するだけでもおぞましい。

「それからバツとして旅行期間中ロッカーに閉じ込める、とも」

「それはあんたの」

 言い掛けて、ハッとする。

「なぁ、それって」

 園城寺怜も気付いたらしく。

「もし『女子よりも先に京太郎が』お風呂に入ることになってたら、マズいんとちゃうの?」

 そう。

 咲ら一年女子が先に入るのであれば、宥と鉢合わせても何ら問題はない。

 だが、もし須賀が先に入ることになっていたなら――。

「………………あったかいどころでは済まないなー、ワハハ……」

 智美の乾いた笑い声が響く。

 そんな中で、事情を飲み込めていない妹尾佳織と宮永照は、小動物のように菓子を齧っていた。

「……おいしいですか?」

「美味しい」

 マイペースに菓子を食べさせあう二人の姿に、一同は軽くため息を吐くのであった。

 

 

 

『後から入ってきて覗く危険があるから、京ちゃんは先にお風呂に入って』

 

 人権というものは、この合宿においては存在しないらしい。

「んなこと言われても、覗かねーっつの……」

「どうだか。混浴だって聞いた時のあんたの顔、緩んでたくせに」

 憧がそう言って京太郎を睨む。

「そ、それは否定できねーけど。だって、混浴だぞ? 男のロマンだぞ?」

「お生憎と、私は女なの」

「お猿さんいるかなー」

 後ろから、穏乃がひょこひょこと軽い足取りで着いて来る。

 例によってこの二人は、咲に言われて見張りとして着いて来ている。京太郎が風呂から上がるまで脱衣所の前で待機し、部屋に戻るまで着いてくるという徹底ぶりだ。有り難くて涙が出てきそうである。

「いるかねぇ。まあ山の中だし、運が良ければひょっこり出てくるかもなー、って」

 ふと、穏乃の持っている物に目が行く。配膳で使われるようなお盆と、お猪口であった。

「えへへぇ、温泉で一度やってみたかったんだー。ゆったり浸かりながら、こうクイッと」

「……一応聞いておくけど、何飲むつもりだ」

「え? オレンジジュースだけど」

「……穏乃はブレねえなぁ」

 温くなって絶対おいしくねぇぞ、それ。

「ブレないって何が?」

「お前はお前のままで居てくれってこったよ」

 そう言い穏乃の頭を撫でる。首を傾げながらも大人しく撫でられる様は、さながら小動物のようだった。

「ほらっ! 着いたわよ! 後がつかえてるんだから、さっさと入りなさいよね!」

 と、憧の声が廊下に響く。なるほど混浴と言っていたとおり、男湯と女湯を隔てる暖簾などは一切ない。ただ味気なく浴場と書かれた札が、入り口上に掛けられているのみであった。

「お、おう。……どうかしたか? 具合でも悪かったり……」

「なんでもないっ」

 がるる、という擬音が似合いそうな勢いで顔を突き出してくる。憧これ絶対怒ってるよね。略してあこってるよね。

「わ、悪かった。んじゃ、なるべく早く上がるから」

 そう言ってそそくさと脱衣所に入る。触らぬ憧にたたりなし、だ。

 

 

 

 京太郎を見送った後。

 新子憧は、膝を抱えて座り混んでいた。

「…………はぁっ……」

 まただ。

 また、やってしまった。

 いつもこうである――京太郎はこちらを心配してくれて、ああいうことを言ってくれているのに。

 私ときたら、素直にその優しさを受け止められず、つい怒鳴ってしまったり、無視してしまったり。

「……京太郎……」

 ぽつりと呟き、思い返す。さっき怒った振りをして、顔を近づけたことを。

 あのまま私が、もう十センチ前に出れば。

 私は前に、進めたのだろうか。

「憧?」

 顔を上げる。穏乃が、心配そうな顔で私を見ていた。

「本当に大丈夫? 具合、悪いの?」

「……んーん。何でもないの、しず」

 そう言っても、穏乃は視線を外さない。

「本当に?」

「…………うん。本当に」

 それを聞いて漸く、穏乃はにかっと笑った。

「良かったー。せっかくの旅行だもんねー」

 そのままくるくると回ったり、飛んだり跳ねたりする穏乃。

「あ。でも、京太郎には謝らなきゃだよ? 怒鳴っちゃったんだからー」

 少しドキッとする。

 穏乃が須賀京太郎の名前を口に出したことに。

「……う、うん、そうするわ」

 

「ん。それじゃ、行こっか?」

 

 行く?

「……ん? え、行くって、どこに?」

「え? 謝りに」

「誰に?」

「京太郎に」

「………………今から?」

「そだよー」

「………………ん?」

 目が点になる。

 なんだ。しずは今、なんて言った?

「お邪魔しまーす」

 唖然とする間にも、穏乃はずんずんと脱衣所へと足を踏み入れていく。

「ちょ、ちょぉぉぉぉぉぉぉっ!? しず、しずっ、ストップ!」

「ふぇ? なんで?」

 肩を掴んで引き戻すも、穏乃はなぜ止められたのか理解できないようであった。

「なんでじゃないでしょ!? きょ、京太郎が戻ってくるまで待って、それから謝ったらいいじゃないの!」

 手をわちゃわちゃさせながら、必死に穏乃に理解させようとする。

「それに、ほら、待ってないと、ね、皆で約束したじゃない」

「嫌だ」

 

 それは。

 今まで聞いたことのないような、声色だった。

「だって、私。もう、我慢できないんだもん」

「しず、なにを、言って」

「憧も、そうなんでしょ? 私と、一緒なんでしょ?」

 問いかけるような視線。

 先程の『本当に大丈夫?』と聞いてきた時とは、真逆の質の。

 いや。そうではなく。

 穏乃は、最初から、こうするつもりだったのだ。

「ね、憧」

 穏乃は――しずは――私は――どうするべきなの?

「私達って親友だよね」

 穏乃の手には。

 オレンジジュースなどではなく。

 日本酒と書かれたラベルの貼られた、瓶が握られていた。

「それじゃ、行こっか? 謝りに」

「あ――」

 私は、頷くことも出来ずに。

 ただ、穏乃の後を着いて行くことしか、出来なかった。

 

「お猿さん、いるかなあ――」

 

 

 

 危機的状況を回避するということが、長生きする秘訣であると京太郎は考える。

 危険を恐れ、閉じこもっていては、その場は生き長らえるかもしれない。が、やがてどうしようもない時が訪れ、結果的に早死にする。

 一方で、危険を省みず挑戦する心を持っていれば、たとえどんな危機が訪れようと、乗り越えようとする気概が持てて生き残れる。

 挑戦こそが人生である。そう、須賀京太郎は、心の決めて生きてきた。

 でも。

「あったかい……京くん……」

 こういった状況に陥った時、諸君はどうするだろうか。

『美人で非常にすばらなおもちをおもちのお姉さんが全裸で抱きついてきて離れない』。

 今流行りのラノベのタイトルか、なんて突っ込みが入りそうであるが一旦捨て置く。

「あ、あの、宥さん?」

「なぁに、京くん……?」

 とろん、とした目でこちらを見てくる――阿知賀の三年、松実宥。

「あ、その、このままだと、お風呂に入れないなぁー、って、ね?」

「あ……そ、そっか、ごめんね……」

 言うと意外とすんなり離れ、湯船へ戻ってくれた。残念なようで、しかしよくぞ持った俺の理性とも思うようで、でもやっぱり残念である。

「え、っと、それで宥さん? すみませんでした、まだ入ってるって気付かなくて」

 湯船に背を向け、シャワーで頭から水を被る。今はただ、のぼせた訳ではないのに茹だった頭を冷やしたかった。

「うん、ごめんね……温泉、あったかくて、つい……長風呂、しちゃった」

「あぁいやいいんですよ仕方ないですもんねあったかいなら」

 わっしわっしと頭を洗う。そのまま豪快に頭を流す。

「いやーそれにしてもここのお風呂すごい広いですよね俺ビックリしちゃいました」

「うん……空気も、おいしいし……いいところ、だと思う、よ……?」

 がっしゅがっしゅと身体をタオルで擦る。いやー気持ちいいなーやっぱり温泉はいいなー早く上がらなきゃ。

「それじゃ俺上がりますんでゆっくり浸かってくださ」

 むにゅ、と。

 柔らかいものが、背中に当たる感触がした。

「京、くん」

 耳元で――名前を、囁かれる。

「一緒に、浸かろ? きっと、あったかい、から――」

 そう言われて断れるほど。

 須賀京太郎は、男を捨てては居なかった。

 

「よ、よろこんで――」

「ぁぅ」

 

「て、え、宥さん?」

 こちら側に身体を倒れこませてきたので、とっさに受け止める。見ると、宥の顔は真っ赤になっていた。

「ちょっ、え、だ、大丈夫ですか!? 宥さん、宥さん!?」

「……ふにゅ……」

「あー、駄目だこりゃ……」

 どうやら完全にのぼせているようである。

「なるべく、見ないように……見るな、俺ー……見たらロッカーだぞー……」

 危なっかしい手つきで宥を寝かせ、上からバスタオルを掛ける。宥はまだのぼせているようで、眼の焦点が定まっていなかった。

「……外の憧と穏乃に言って誰か呼んできてもらうか」

 問題は、この状況をどう説明するかということであったが、今はとにかく宥さんを落ち着いたところに運んで休ませねば。

 その後は俺がどんな罰でも受けてやる――。

 

 

 

「あっ……」

「えっ……」

「…………え」

 

 

 

 脱衣所へと向かう扉を開けた先には。

 なぜか、服を脱いでいる憧と穏乃の姿があった。

 

「い、いやあああああああっ!?」

「す、すまん!」

 反射的にドアを閉める。というかあいつら、俺が入ってるってのになんで自分たちも入ろうとしてんだ!?

「もう、信じらんない! なんでこっちが入る前に出て来るの!? バカ! 変態!」

 酷い言われようである。いやでも待て俺悪くないだろ今の。というか早いとこ宥さんがのぼせたことを伝えなければマズい。

「おい、憧! 穏乃! 聞いてくれ!」

「んもー、憧が早いとこ覚悟決めないからー」

「だだだだだって、しょうがないでしょ……」

「あー、もうそのままでいいから俺の話聞いてくれってー!」

 

 

 

「あ、あったかくない……」


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